2014年11月18日
久々の車載動画。
秋の烏丸通を北大路から京都駅まで南下しています。
御苑の紅葉が美しいですね。
今回のドライブレコーダーはLOOK EAST Zuiji ZS1080DR12を使用しています。
吸盤式は付けっぱなしだと邪魔ですが、旅先に持ち込んで使える点は良いです。
そして、「おかめ似」を自称する女性に、おかめグッズをプレゼントするため、
「おかめ伝説」があるという、 大報恩寺・千本釈迦堂にも行ってきました。
【おかめ伝説】
鎌倉時代、京都に、飛田守高次という大工の棟梁と、その妻・阿亀(おかめ)が住んでいた。
義空上人が千本釈迦堂を建立し、本堂建立の棟梁に高次が選ばれた。
しかし高次は、4本の天柱のうち一本を短く切りすぎてしまうという失敗を犯す。
悩み続ける夫を見かねた妻・阿亀は、「短く切りすぎてしまった部分に)枡組を用いたらどうか」と提案した。
その結果、本堂が完成した。しかし阿亀本人は、夫が「女の知恵で成功した」という評価が世間に広まるのを恐れて、自殺した。
この話から、「建築工事成就」や「工事安全」、「商売繁盛」、「家内安全・繁栄」、「女性の厄難除け」などを祈る福徳信仰として「おかめ信仰」が広った。
日本のコリアタウンと言えば、東京だと新大久保、大阪だと鶴橋が有名ですが、
京都の東九条にも朝鮮人がたくさん住んでいます。
「パッチギ!」という映画の舞台にもなったそうです。
今回はこちらの車載動画も撮ってきました。
東九条はJR京都駅の南、鴨川より西に位置し、1920年代から当時国鉄の東海道線の工事や、東山トンネル工事、鴨川の護岸工事、九条通りの拡幅工事、友禅染め関係の染色工場などの仕事に従事する人が多かったそうです。
東九条の朝鮮人人口が著しく増えたのは、終戦直後(1945年8月)八条通り一帯に登場した闇市の頃だそうです。当時の花形産業は、古紙・古着・古鉄などを回収して売る仕事で、東九条の人口約3万人のうち朝鮮人が約1万人住んでいたそうです。
しかし高度経済成長の終わりとともにこれらの産業は廃れ、若い世代の多くは地域を離れ、高齢者家族が残ったそうです。鴨川と高瀬川に挟まれた松ノ木町には、新しく立て直された住宅や空き地も多いですが、当時の面影を残す風情豊かな建物も残っています。
(東九条マダン公式ページより一部引用)
Posted at 2014/11/18 16:30:10 | |
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