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2014年05月04日 イイね!

世を欺く世論調査のテクニック‏

購読中のメルマガの転載です。
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JOG-Mag No.847 世を欺く世論調査のテクニック‏
■■ Japan On the Globe(847) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■
Media Watch: 世を欺く世論調査のテクニック
「私に調査企画を指揮させてくれたら、どんな結果でも出して見せる」

■1.賽銭の1万円札は多いのか、少ないのか

 朝日新聞と産経新聞が同じ日にこんな記事を掲載した。

__________
「1万円札減り硬貨増/当たり馬券も交ざる/伏見稲荷でさい銭勘定」

商売の神様として知られる京都市伏見区の伏見稲荷大社で四日から、
初もうで客が入れたさい銭の勘定が始まった。
長引く不況のためか一万円札は少なく、千円札や硬貨が目立った。・・・
朝日新聞、H7.1.4夕刊)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
__________
「3が日総決算/1万円札めだつ神頼み/伏見稲荷さい銭勘定」

商売の神様として知られる京都市伏見区の伏見稲荷大社で四日朝、
正月三が日のさい銭勘定が始まった。
一万円札や五千円札も目立ち、「今年こそは景気の回復を」という
願いが込められているといえよう。・・・(産経新聞、H7.1.4夕刊)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

同じ神社のさい銭に関して、朝日は「1万円札は少なく」と言い、
産経は「一万円札や五千円札も目立ち」と書く。一体どちらが真実なのか。


この二つの記事は、両方とも定量的な調査データがない、という意味で共通している。
ただ厳密に言えば、朝日はデータもないのに「1万円札減り」としているのに対し、
産経は「1万円札めだつ」と主観的表現に留めている点はより良心的であると言える。

いずれにせよ1万円札が増えたどうか、昨年までのデータと比較してみなければ分からない。
ここに社会調査の意味がある。


■2.PKO法案「賛成68%」か「反対88%」か

ただし、この社会調査が曲者だ。たとえば、以下の二つの調査結果を比較してみよう。
平成4(1992)年に審議されていた「国際平和維持活動(PKO)協力法案」に関する賛否の
調査である。

1)「PKO 自衛隊派遣68%が容認
読売新聞、H4.5.3)

3)「PKO法案 反対88% 賛成11%」
「日本はこれでいいのか市民連合」等による市民投票、朝日新聞、H4.5.18)

なぜこんな正反対の結果が出るのか。
この「市民投票」は主要駅など約170カ所で計13万7千票を集めた結果だという。
主催の「日本はこれでいいのか市民連合」の代表は小田実氏で、
ベトナム戦争反対運動など氏の経歴を知る人から見れば、
この調査が要はPKO反対運動の一環だと見破れる。


したがってPKO反対派は積極的に反対票を投ずるだろうし、
また一人が何票も投票した疑いも残る。
逆に法案賛成の人から見れば、こんな「うさん臭い投票ごっこ」など、
はじめから馬鹿らしくて投票する気にもなれないだろう。

反対者ばかりが投票して、賛成者が投票しないのでは、
「反対88%」という結果が出ても不思議ではない。
このように調査対象の取り方が偏っていれば、調査結果も偏ってしまう。
こんな偏った調査結果を、大新聞が「PKO法案 反対88% 賛成11%」と報じたら、
世を欺く仕業としか言い様がない。


■3.仮設住民『取り残される』75%

こういう眉唾物の調査は、いかがわしい市民団体だけでなく、大新聞も時に行う。
以下の記事でどこかおかしいか考えて頂きたい。

__________
「仮設住民『取り残される』75% きょう震災1年半 300人追跡調査 「生活に不安8割」

阪神大震災で被災し、仮設住宅で暮らす人たちの中で、
「復興から取り残される」と思っている人は七割を超え、
震災前に住んでいた地域に
「戻りたいが戻れない」と考える人も約6割に増えた。

神戸市内の仮設住宅の入居者千人に対し、
朝日新聞が昨年12月に実施した意識調査を踏まえ、
うち3百人を6月に追跡調査したところ、こうした傾向が浮き彫りになった。
今後の生活に不安を感じている人も増えている。
一方、行政への評価は厳しさを増し、震災後の施策に対して
「十分とは思わない」が8割に達した。(朝日新聞、H8.7.17)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

朝日は、見た目には客観的な調査をして
「取り残される 75%」「生活に不安8割」など結果を出し、
このデータを「天声人語」のコラムで紹介し、現政権批判につなげている。



■4.残された3百人が「取り残される」

しかし、この調査の欠陥を、社会調査を専門とする谷岡一郎・大阪商業大学教授は、
次のように指摘する。

__________
前回、調査した千人のうち、今も仮設住宅に残る3百人を追跡したというが、・・・
残りの7百人のうちの多くは「仮設住宅を出ていった人たち」のはずで、
残された3百人が「取り残される」と感じたり、行政の施策が「十分とは思わない」のは、
むしろ当然
である。[1,p70]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

当初の千人を対象とした調査と、
7百人が出て行った後で取り残された3百人を対象とした調査は、まったく別物であり、
比率の増減を云々すること自体がナンセンス
なのである。

こうした明白な過ちを、朝日新聞が知らずに犯したとすれば、調査機関として稚拙であり、
知っていてやったとすればプロパガンダ機関としては凄腕だ。

「PKO反対88%」とか、「取り残される75%」など、調査結果は比率で表現されることが多い。
比率は分子÷分母だから、分母の取り方によって、いかようにも細工できるのである。


■5.『君が代』法制化、『議論尽くせ』66%

分母の取り方とともに、細工できるのが設問である。
人間心理を読んだ質問の仕方によって、望む方向に誘導することができる。
以下の例で、どこが誘導的か見分けていただきたい。

__________
『君が代』法制化『必要』47%、『不要』45% 『議論尽くせ』66%、
(小さな文字で)法案への賛成58%」 (朝日新聞、H11.6.30)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

質問は全部で11問、日の丸と君が代に関するイメージや、
議論されている内容が続いた後、最後の質問はこうである。

__________
あなたはこの法案を、八月半ばまでの、今の国会で成立させるのがよいと思いますか。
それとも、今の国会での成立にこだわらず、議論を尽くすべきだと思いますか。(数字は%)

今の国会で成立させるのがよい 23
議論を尽くすべきだ      66
その他・答えない       11
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

この結果を踏まえて、同日の社説は、次のように述べている。

__________
【社説】「矛盾がますます広がる/国旗・国歌法案」

日の丸・君が代を国旗・国歌とする法案の国会審議が始まった。
「自自公連携」の流れに乗り、政府は延長した今国会での成立をめざしている。
何度も主張してきたように、性急な法制化は避けるべきだ。
多くの国民もそう望んでいることが、朝日新聞社の世論調査で確認された。
・・・踏みとどまるなら、いまのうちだ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■6.「法案賛成58%」が「踏みとどまるなら、いまのうちだ」

まず最初の記事で「法案への賛成58%」とわざわざ小さい文字で書いているところに、
正直な民意が表れている。国民の過半数は国旗国歌法案に賛成なのだ。

それを最後の質問で
「今の国会で成立させるのがよいか」
「議論を尽くすべきか」
のどちらかを選べ、と聞かれたら、
「どうしても今国会でなければ」という理由も思い当たらないほとんどの人は、
後者を選ぶだろう。
「議論を尽せ」という言葉に、生来、民主的な日本人は弱い。
ここに最後の質問のトリックが隠されている。

「法案賛成58%」と「議論を尽くすべきだ66%」を合わせて考えると、
法案そのものには賛成だが、まだ議論が煮詰まってないのなら、今国会にはこだわらず、
議論を尽くせ」というのが、多数派の意見だろう。


これを「性急な法制化は避けるべきだ。多くの国民もそう望んでいることが、
朝日新聞社の世論調査で確認された」と言うのはプロパガンダであり、
「踏みとどまるなら、いまのうちだ」とまで言うのは扇動である。


谷岡教授は、常々、社会調査の専門家として、学生たちに
「私に調査企画を指揮させてくれたら、どんな結果でも出して見せる」
と豪語しているそうだ。
同じ意味で、「法案賛成58%」というデータから
「踏みとどまるなら、いまのうちだ」とまで結論づけてしまう朝日新聞も、
豪腕の調査専門家を擁しているのだろう。


■7.朝日論調をぶち壊した特定秘密保護法案アンケート

しかし、こういう状況もインターネットによって変わりつつある。
たとえば、昨年、特定秘密保護法案について、朝日新聞Digitalがアンケート調査をした。[2]

縦横10づつのマス目があり、横軸は特定秘密保護法案に賛成か反対か、
縦軸は日本の安全が脅かされていると感じるか、どうか、となっている。
それぞれ自分の考えに近いマス目に投票し、コメントも書き込めるというものだ。

その結果が面白い。四隅の端にほとんどの投票が集まっているので、そこだけを示すと:

・「法案賛成」「脅かされていると感じる」 12,058
・「法案賛成」「感じない」         1,229
・「法案反対」「感じる」          1,609
・「法案反対」「感じない」         926

と圧倒的多数が、「日本の安全が脅かされている」と感じ、「法案賛成」を表明している。
安倍政権の高支持率とも合致するデータである。

しかし、このデータを掲示している「特定秘密法に関するトピックス」
のページ構成が興味深い。

・冒頭の写真:法案に反対するデモや国会の混乱風景
・最新ニュース:「(排除の理由:2)原発、隠す・言わせず」「徳島)秘密法、
女性団体が廃止求める ビラ配り抗議」等々
・連載「どうする秘密法」:「時代錯誤の富国強兵 浜矩子さん」
「反対の声が歯止めに 奥平康弘さん」等々
・社説:「石破発言 報道の危うさ叫ぶ前に(12/13)」
「特定秘密法 心に響かぬ首相の強弁(12/11)」等々
・ビデオ「朝日新聞・弁護士 特定秘密法案を語る」

と、延々と秘密保護法に対する反対意見・報道が続いた後で、
突然、このアンケートがあらわれる。何のコメントもなく。
そのデータはそれまでの長々とした反対意見・報道をぶち壊している。


いかにも、自分の意図に反する結果だが、公開アンケートの結果を隠したら、
ネット世界で非難の嵐を呼びそうなので、
仕方なくデータだけを渋々ページの最後に掲示した
、という風情である。
編集者の無念のため息が聞こえてきそうな構成なのだ。


■8.偏向報道に使いにくいネット調査

国旗国歌法案に関する調査で
「法案賛成58%」を「踏みとどまるなら、いまのうちだ」とまでねじ曲げた豪腕ぶり
に比べると、このネット調査での「稚拙さ」はどうした事か。

まずネット調査では、誰でも自由に投票できるだけに、
調査対象を操作できない
、という制約がある。
仮設住宅に取り残された人々だけを対象にして
「取り残される75%」という結果を出すテクニックが使えない。

また、ネット調査では、調査時点から質問が公開されてしまう従来調査では
「議論を尽くすべきと思いますか」などと、否定しにくい誘導質問をこっそりしておいて、
回答がまとまってから「踏みとどまるなら、いまのうちだ」と強弁するテクニックが使える。
ところがネット調査では、こういう誘導質問が公開された時点で、
非難ごうごう
、という事になりかねない。

さらに従来型の調査では望ましくない結果が出たら、
発表せずに、なかった事にしてしまえるが、
ネット調査では結果だけ隠すような姑息な手段は使えない

こうして見ると、ネット調査は従来の調査に比べれば、
はるかに偏向報道に不向きな手段だと言えそうだ。
ネット調査は「ネトウヨ(ネット右翼)」が暴れて結果がねじ曲げられる、
などと言う批判が聞こえてきそうだが、
「ネトサヨ(ネット左翼)」だって同様に活躍できるのだから、
常に一定の偏向があらわれるわけではない。

さらにメールアドレスを確認するなどすれば、一人が何票も投票する事態をかなり防げるので、
「PKO法案 反対88%」などというトンデモ結果よりはだいぶましになるだろう。

新聞やテレビ報道の偏向ぶりが、ネットで批判され、国民の目に見えるようになったのは、
サッカーの日韓ワールドカップの頃からだった。[a] 
それに加えて、本稿で見たように、
ネット調査は従来型調査での偏向テクニックを封じるという効果を持つ。

マスメディアによる偏向報道は民主主義にとってもっとも危険であり、
それを防ぐためのネット・メディアのより効果的な利用を我々は工夫していくべきである。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(248) ワールドカップの報道統制
 世界中で報道されていた「判定疑惑」を日本のマスコミは頬被りし、
日韓友好のみ謳い続けた。
http://blog.jog-net.jp/201309/article_3.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 谷岡一郎『「社会調査」のウソ─リサーチ・リテラシーのすすめ」★★、文春新書、H12
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4166601105/japanontheg01-22/

■編集長・伊勢雅臣より

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(転載終わり)

さて先日、NHKが
「改憲or護憲で世論調査した結果、五分五分だったから昨年より護憲の方向だ」
なんて言ってました(結果はこちら)。

これは電話法というやり方(後述)で調査しているそうです。
ふーん、と思って「NHKの世論調査について」⇒「よくあるご質問」を読むと・・・

Q.調査に回答する人はどうやって選んでいるのですか?
A.世論調査に回答する人は、特定の地域、年齢、性、職業に偏らず、
日本にお住まいの方々の縮図となるように選びます

まず、全国から「調査地点(調査する字町丁目)」を選びます。
そして、各「調査地点」の住民基本台帳の中から一定の間隔をおいて、
例えば、50人に1人といった方法で選んでいます。

NHKでは、統計理論にのっとった層化無作為二段抽出法という方法で、
調査相手を選んでいます。

この層化無作為二段抽出法とは、第1段階で、全国をブ ロックに分け、
それぞれの市区町村を都市規模と産業別就業人口構成比によって並び替えます。
そして各ブロックの人口数の大きさに比例して、調査地点を系統 抽出します。

第2段階で、抽出された調査地点の市区町村の住民基本台帳から、
1地点につき一定数の調査相手を等間隔で抽出します。

なお、小学生、若者、高齢者など、特定層や、特定地域住民を対象とする調査の場合も、
この層化無作為二段抽出法に準ずる形でサンプリングを行っています。



>NHKでは、統計理論にのっとった層化無作為二段抽出法という方法で、
>調査相手を選んでいます。


へーややこしいけどちゃんとしたやり方っぽいね~










・・・あれ?今回は電話法」じゃないの?

と思ったら電話法の説明は「よくあるご質問」の下から4つ目にあったけど・・・

Q.電話法による世論調査では、どのようにして電話番号を調べるのですか?
A.電話法による世論調査では、電話番号は乱数を使って無作為(ランダム)に選びます。
電話帳や何かの名簿から調べたのではありませんので、
電話帳に載せていらっしゃらないお宅へもかかります。

ランダムかよっ!

しかもケータイしか使っていなくて固定電話を引いていない層の意見は入らないから
調査対象は「有権者全体」にはならないじゃん!


「世論調査の手順」⇒「調査方法」にも

4.電話法
調査員が、調査相手に電話をかけ、調査票にしたがって口頭で質問をし、
調査相手の回答を記録する方法です。
結果が迅速にわかることなどが利点です。
以前は、名簿方式(住民基本台帳などの個人名簿から抽出した調査相手の電話番号を
調べたり、電話帳から抽出して調査を実施)で行われていましたが、

現在では、RDD(Random Digit Dialing)方式という、電話番号をランダムに発生させ、
その番号に電話をかけ、かけた世帯の対象者から調査相手を等確率で選ぶ方法が
一般的となっています。
NHKでは短期間で大量の調査が必要な選挙調査などをRDD方式で実施しています。



・・・実際は電話法なのに最初にダラダラと層化無作為二段抽出法の説明を繰り返して
公平公正な調査であるかのように見せかけようとしている様に見えるんですが・・・


※併せて「電話(RDD)調査の課題」もどうぞ。



で、最初に戻って今回の 『「憲法に関する意識調査」(2014年4月)単純集計表』。
4ページ目の最後の「年層」「性・年層」にご注目。
調査に応じた18歳以上の1600人のうち、60代以上が23.5+33.6=57.1%です。
しかも女性の60代以上が13.8+20.4=34.2%です。

でも総務省統計局の最新の人口推計から人口ピラミッドを見ると・・・


18歳以上の部分の面積のうち、60代以上が57%を占めているでしょうか?
女性の60代以上が34%を占めているでしょうか???

どっちも明確にNoですよね?


つまり実際の人口構成比と世論調査に応じた人の構成比が全くリンクしていない、
だから 『「憲法に関する意識調査」(2014年4月)単純集計表』はあてにならない
、と言えます(^^;



そんな世論調査の結果・・・信じます?


関連情報URL : http://blog.jog-net.jp/
Posted at 2014/05/04 18:13:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | お勉強 | 日記
2014年02月09日 イイね!

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム

購読中のメルマガですが、今回は戦後GHQが日本を骨抜きにするために行った
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム、つまりまぁ
「日本は軍国主義者によって誤った侵略戦争を戦った罪深い国である」
という史観を受け付ける活動に関する内容でした。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
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Media Watch: 日本「軍国主義」というプロパガンダの創作者たち

 70年前に米占領軍が創作したプロパガンダを、今も中朝韓や偏向マスコミが使っている。
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■1.中国と国内偏向マスコミによる日本「軍国主義」批判

中国の世界各国に駐在する大使が、現地メディアに安倍首相の靖国参拝を批判し、
「日本は軍国主義に戻りつつある」とする記事を投稿している。
インタビューも含めると、74カ国・地域に上るという[1]。

安倍政権に対して、具体的な対抗手段を持たない習近平政権の焦りが窺えるが、
「軍国主義」と批判する具体的根拠が靖国参拝だけでは、説得力はまるでない。

我が外務省も負けていない。中国が急速に軍備拡張を行っていることや、
南シナ海で力による領土・領海の現状変更を迫っていることなど、
具体例を挙げて「国際社会にとって危険なのはどちらか」と訴える方針を出し、
すでに46カ国・地域で反論している。

しかし、中国の「軍国主義」批判に同調して、安倍政権の足を引っ張ろうとしているのが、
国内の偏向マスコミである。
特定秘密保護法案に関しては,、次のようなヒステリックな報道が行われた。:


戦中に戻すな」(朝日新聞)、
暗黒国家 開いた扉 歴史忘れたのか」(毎日新聞)

今回は、このような「軍国主義」批判が、どのような意図と経緯で創り出されたのかを見てみよう。


■2.「戦争贖罪意識」「戦争有罪性」を植えつけよ

昭和20(1945)年10月・11月のGHQ(占領軍総司令部)月報には、次のような一節がある。

__________
占領軍が東京入りしたとき、日本人のあいだには戦争贖罪(しょくざい)意識は
まったくといっていいほど存在しなかった。
彼らは日本を戦争に導いた歩み、敗北の原因、兵士の侵した残虐行為を知らず、
道徳的過失の感情はほとんどなかった。
日本の敗北は単に産業と科学の劣勢と原爆のゆえであるという信念が行き渡っていた。[2,p91]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

当時の日本国民にとって、大東亜戦争は石油の禁輸などで米国に追い詰められて
やむなく立ち上がった自存自衛の戦争だし、各地の大空襲や
原爆による一般市民無差別殺傷という明白な戦争犯罪を目の当たりにしていた。
「戦争贖罪意識」など持つわけがない。


同年10月2日、民間情報教育局(CIE)の設立を命じた一般司令第4号が出された。
この中には、以下の目的が記されていた。

__________
日本の敗戦の真実、日本の戦争有罪性、現在および将来の日本の災害と苦難に対する
軍国主義者の責任、連合国による軍事占領の理由と目的を、
すべてのレベルの日本公衆に周知させる[2,p95]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■3.積極的な洗脳プロパガンダ

この方針に基づいて、民間情報教育局によって日本人に戦争有罪性を植えつけるための
「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」が推進された。

たとえば、満州事変以降の15年戦争を裁き、
「南京虐殺」の犯罪性を強調した「太平洋戦争史」を、
民間情報教育局のブラッドフォード・スミス企画作戦課長が執筆し、
日本全国の新聞に昭和20年12月8日から連載するように強制した。

この「太平洋戦争史」を、占領軍による言論統制を暴いた江藤淳[a]は、こう評している。

__________
実際には日本と連合国、とくに米国とのあいだの戦いであった大戦を、
現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いに
すり替えようとする底意が秘められている。[2,p98]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

さらに「太平洋戦争史」は文部省から、学校の教材として使うように指示が出された。
もちろん、その陰には占領軍から文部省への命令があった。


当時の日本人は「大東亜戦争」という呼称を使っていたが、それが禁じられ、
現在のように「太平洋戦争」と呼ばれるようになったのは、ここからである。

「大東亜戦争」にはアジアの独立指導者を集めた「大東亜会議」[b]のように、
欧米の植民地主義からのアジア解放という意味が込められているが、
太平洋戦争ではアメリカからの視点に過ぎない。

12月9日からは『真相はこうだ』というラジオ番組がNHKから放送された。
これも軍国主義者の犯罪をドキュメンタリータッチで暴くという内容だった。
脚本はやはり民間情報教育局が書いたが、それは伏せられた。

当初は20週以上放送する予定だったが、抗議の投書が殺到して、10週で打ち切りとなった。
当時の国民は、戦争には敗れたとは言え、米国製の史観をそのまま受け入れるほど、
うぶではなかった。

映画も日本国民を洗脳する手段として活用された。
民間情報教育局が助言や奨励をして、日本の映画会社に作らせた長編映画が、9本ある。

それらの中には、『犯罪者は誰か』(大映)、『民衆の敵』(東宝)など、
軍国主義者が侵略戦争を導いたことを匂わせていた。
娯楽の少なかった時代でもあり、合計3千万人以上の国民がこれらの映画を見ている。

こうして、新聞、ラジオ、映画などのマスメディアをフル活用して、
「日本は軍国主義者によって誤った侵略戦争を戦った」という史観が植えつけられていった。
そして、空襲も原爆も、その罪の当然の報いである、という理屈で、
米国側の戦争犯罪は棚上げにされたのである。



■4.ルース・ベネディクト「日本は最も異質な敵であった」

そもそも一国の国民全体に、戦争に立ち上がった事に対する罪の意識を
植えつけようという計画そのものが、およそ日本人には思いもつかない発想である。
米国はどこから、そんな発想を得たのか。

その過程は、米国ワシントンのワシントン・ナショナル・レコード・センターに保管
されている占領期の文書を研究した高橋史朗・明星大学教授によって明らかにされた。

氏は段ボール917箱分、240万から250万頁を調べた。
年間にコピーできる枚数が限られていたので、段ボール10箱分を筆写したという。

その研究成果が、氏の著書『日本が二度と立ち上がれないように
アメリカが占領期に行ったこと』[2]で発表されている。

氏の研究によれば、戦時中に対日プロパガンダを検討した戦時情報局(OWI)の活動があり、
それが戦後の民間情報教育局に受け継がれて、
「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」となった、という。

この戦時情報局で主任アナリストとして日本人の国民性の研究を担当したのが、
文化人類学者ルース・ベネディクトであり、その研究結果をまとめたのが
1946年に発表された『菊と刀』であった。

『菊と刀』の第一章「研究課題-日本」の冒頭には、次のような一節がある。

__________
日本は最も異質な敵であった。
日本軍と日本本土に向けた宣伝(プロパガンダ)において、
私たちはどのようなことを言えば、アメリカ人の生命を救い、
最後の一人まで徹底抗戦するという日本人の決意をくじくことができるだろうか。[2,p61]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

日本という「最も異質な敵」の「決意をくじくこと」が、ベネディクトの研究目的であった。
この対日心理戦の研究を、戦後の日本占領で日本人の「再教育」に応用すべき
という方針が出され、それを踏まえて、民間情報教育局が設置されたのである。


■5.「恥の文化」が生んだ軍国主義

『菊と刀』とは、いかにも意味深長なタイトルである。
このタイトルについて、高橋史郎氏はこう述べる。

__________
ベネディクトが「菊」という言葉で表現しているのは、日本人の審美的傾向です。
つまり、日本人は菊を愛でるほどの美しい心を持っているというのです。
一方の「刀」については諸説ありますが、よくいわれるのは
好戦的な軍国主義を象徴するという見方です。

要するにベネディクトは、菊を愛でるような美しい心を持った日本人が
侵略戦争に走ったというところに国民性の矛盾あるいは二面性を見ているのです。[2,p20]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

ベネディクトは、欧米の文化は神を意識し、その神の教えに背くことを罪と
考える「罪の文化」であるのに対し、日本の文化は世間の目を意識する「恥の文化」
であると説いた。

集団の中での「恥」が唯一の行動規範だとすれば、集団全体が軍国主義となって
他国の侵略に向かえば、その一員として戦わなければならない。
これが軍国主義に通ずる。

__________
日本の「再教育・再方向づけ」のための最重要課題は、
「罪の文化」が欠如した日本人の心に侵略戦争を起こした罪の意識すなわち
「戦争有罪性」を植え込むことであると考え、
「精神的武装解除」政策の最重要課題としてウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
が実施されたのです。[2,p96]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■6.「獣と接するときは、それを獣として扱わねばなりません」

ベネディクトの研究は、当時のアメリカ人の日本人蔑視の感情と相まって、
米国政府要人の間で広まっていたようだ。

広島・長崎への原爆投下に対して、アメリカのキリスト教団体が
トルーマン大統領に抗議した際、その回答書にはこう書かれていた。
__________
日本人が理解する唯一の言葉というのは、私たちが日本人に対して
原爆投下することのように思います。
獣と接するときは、それを獣として扱わねばなりません。
[2,p136]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

これは大統領の公式回答である。
大航海時代に、キリスト教徒が原住民を人間とは認めずに、
自由に殺してよい獣だと考えたのと同じ、数世紀前の発想である。

また対日外交を主導したハル国務長官は
「日本の軍国主義は国民の伝統に基づいているという点において
ドイツ・イタリアとは異なる」と述べている。
ドイツもイタリアもアメリカと同じ、白人のキリスト教国で、日本は違うという事である。

マッカーサーも「日本人の精神年齢は12歳」として、
精神の再復興と性格改善が行われなければならない」とはっきり声明を出している。

アメリカで黒人の平等な参政権が確立されたのは、1960年代の公民権運動の結果である。
これらの発言は、その20年ほども前であり、当時の人種差別感情があからさまに窺える。


■7.「軍国主義」は日本という「鏡」に映った欧米列強の姿

米国人の中でも偏見に囚われずに、こうした占領政策を批判した人もいた。
1948年に『アメリカの鏡・日本』を出版したヘレン・ミアーズである[c]。ミアーズはこう書く。

__________
日本軍のフィリピンでの残虐行為は、戦闘の狂気と恐怖で錯乱状態に陥った殺戮であって、
政策として命令されたものではない。

絶体絶命の状態の下で戦っているわけでもない強大国が、
既に事実上戦争に勝っているというのに、
一秒で12万人の非戦闘員を殺傷できる新型兵器を行使するほうが
はるかに恐ろしいことではないのか。


山下将軍(JOG注: 残虐行為の責任者として処刑された[d])の罪は、
なぜ広島・長崎に原子爆弾の投下を命じたものの罪よりも重いのか。
私たちは他国民の罪だけを告発し、自分たちが民主主義の名の下に犯した犯罪は
自動的に免責されると思っているのだろうか。
[2,p128]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

米国が原爆投下による12万人もの非戦闘員殺傷という「罪」に頬被りしている事を見れば、
ベネディクトの言う「罪の文化」という概念がいかに嘘偽りに満ちたものか、見てとれよう。

日本人が伝統的に軍国主義者であったという事実認識は誤っているとし、
それは欧米列強の姿が日本という「鏡」に映っただけだ、

というのが、ミアーズの主張であった。

占領軍は、ミアーズの本の日本での出版を許さなかった。
その指摘がベネディクト以下の日本「軍国主義」というプロパガンダの嘘を暴いていたからだ。


■8.70年前のプロパガンダからの脱却

日本「軍国主義」という、今も中国・北朝鮮・韓国が一つ覚えで使う批判は、
こうして70年も前の、アメリカのプロパガンダから生じている。


現代の国際社会においては、戦後の70年近い日本の平和な歩みを訴えれば、
この批判は説得力を持ち得ないだろう。


問題は、事ある毎に「戦中に戻すな」などと主張する国内の偏向マスコミである。
いまだに70年前の占領軍による洗脳から脱することのできない偏向マスコミに対しては、
マッカーサーから再び「日本人は12歳」と言われても、反論できまい。


大方の一般国民がきちんとした見識を持って、こういう偏向マスコミを相手にしない、
大人の社会を作っていく必要がある。


(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(098) 忘れさせられた事
 戦後、占領軍によって日本史上最大の言論検閲が行われた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_2/jog098.html

b. JOG(338) 大東亜会議 ~ 独立志士たちの宴
 昭和18年末の東京、独立を目指すアジア諸国のリーダー達が史上初めて一堂に会した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h16/jog338.html

c. JOG(219) アメリカの反省
 日本の本当の罪は、西洋文明の教えを守らなかったことではなく、よく守ったことなのだ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog219.html

d. JOG(551) 山下奉文、使命に殉じた将軍
 シンガポール攻略の英雄は、使命に忠実にその後の悲運の人生を生き抜いた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h20/jog551.html
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




70年も前に占領軍が行った洗脳を大マスコミ様は未だに継続しています。




マスコミ様方はこの手の動画なんて見たら軍靴の音が聞こえちゃうんでしょうねぇw


こんなの見たら卒倒しちゃうかも?w
Posted at 2014/02/09 17:14:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | お勉強 | 日記
2013年11月11日 イイね!

東京書籍の歴史教科書は悪意まみれだなw

いつものメルマガ転載です。
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■■ Japan On the Globe(823) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■

歴史教科書読み比べ(12) :奈良時代、公地公民か階級社会か

 唐に倣った平城京も口分田も、その内実はまるで違っていた。

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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■1.城壁で囲まれた長安、城壁のない平城京

 710(和銅3)年、奈良に平城京が造られ、奈良時代が始まる。
その平城京に関して、自由社版歴史教科書は興味深い指摘をしている。

__________
 平城京は唐の長安をお手本に設計された。
ただし、日本の国情に合わせてつくられた部分もあり、
長安には城壁がもうけられていたが、平城京には城壁はなかった。[1,p60]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 さらに、「平城京と長安」と題したコラムでは、
長安の10メートルを超える城壁の写真とともに、次のように説明している。

__________
 長安の都の外周は、高さ10m以上もある城壁で囲まれていた。
皇帝の住まう宮城には、さらに高い城壁がめぐらされていた。
平城京には城壁はなく、天皇の住まう宮殿も、
すぐに乗り越えられる垣根が巡らされているだけだった。


 それだけではない。正方形や長方形に区切られた居住地区の一区画は、坊と呼ばれた。
坊の中に居住していた有力者、役人、一般住民の総数は、
長安で約100万人、平城京で約10万人だった。

この坊の一つひとつが長安では城壁で囲まれ、夜間には鍵で閉ざされた。
外敵の侵入を防ぐとともに、坊の中にいる人々をとじこめ、管理した。
平城京では、外敵も住民の逃亡も想定していなかった。[1,p61]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


■2.「唐の都長安にならって」

 東京書籍版は平城京について、こう説明する。

__________
 律令国家の新しい都として、710(和銅3)年に、唐の都長安にならって、
奈良に平城京がつくられました。
奈良に都があった70年余りの間を奈良時代といいます。[2,p35]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「唐の都長安にならって」というだけで、両者の違いに関する言及はない。

 都市が城壁で囲まれているかどうかは、その都市がどれだけ平和だったかを示す
重要ポイントだ。
古代ローマでは、帝国が盛りの頃は城壁がなかった。
繰り返し押し寄せる蛮族は国境で撃退し、領土内の治安も良く、内乱の恐れもなかったからだ。
しかし、3世紀後半、帝国の勢力が衰え、蛮族がイタリア半島にまで侵入するようになると、
ローマに防衛のための城壁が造られた。

 平城京に城壁がなかった、ということは、外敵の侵入も内乱も恐れる必要が
なかったということである。


 また「天皇の住まう宮殿も、すぐに乗り越えられる垣根が巡らされているだけだった」のに対し、
「皇帝の住まう宮城には、さらに高い城壁がめぐらされていた」という違いからは、
日本では皇室が安泰だったのに対し、唐の皇帝は国内の反乱・反逆からも
身を守らなければならなかった事が分かる。

 さらに、長安では住民の逃亡を防ぐためにも、各坊ごとに城壁で囲まれていたという点からは、
一般住民を収奪する階級社会であった事を窺わせる。



■3.貴族と庶民の貧富の差

 東書版では、そんな唐との違いはおくびにも出さず、
「奈良時代の人々のくらし」と題して、当時の税の重さや、貴族と一般人民の
暮らし振りの違いを強調する。

 たとえば、20皿もの貴族の食事と、3皿の一般人の食事を写真で比較している。
また約250m四方もあったという天武天皇の孫・長屋王邸と、
一般の人の竪穴住居を写真で対比している。

 しかし、貧富の差はどこの国のどこの時代でもあるものだ。
たとえば現代中国では共産党幹部は賄賂代わりに超高級レストランで
一人数万円の宴席に招待されたりする。
それに対して貧しい一般人民の食事代はせいぜい数十円だ。その差、1千倍。
東書版の指摘する20皿と3皿の差よりも、現代中国の差の方が凄まじい。

 都作りでは「唐の長安にならって」などと記しながら、階級格差については
唐のことはおくびにも出さず、ひたすら日本の悪さだけを述べるというのは、二重基準である。
唐と比較して、当時の日本社会を理解しようとするなら、
良い点も悪い点も比較するのが公正な記述だろう。



■4.「公地公民」か「人々の負担」か

 都づくりと並んで、人民に口分田を与えるという政策も、唐を倣ったものだが、
その内実にも本質的な違いがある。自由社版では口分田について、次のように説明している。

__________
公地公民と班田収受法

 律令国家のもとでは、公平な統治をめざして、すべての土地と人民を国家が
直接おさめる公地公民の原則が打ち立てられた。
この原則に基づき、人々に平等に土地を分ける班田収受法というしくみが整えられた。

 この法では、まず、6年ごとに改められる戸籍に基づいて、6歳以上の男女には
生活の基礎となる口分田が与えられ、死後は国に返還された。
口分田の支給を受けた公民は、租・調・庸と呼ばれる税をおさめた。[1,p61]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 東書版では、班田収受法について、次のように述べる。

__________
人々の負担

 戸籍に登録された6歳以上のすべての人々に口分田があたえられ、
その人が死ぬと、国に返すことになっていました(班田収授法)。
人々は、口分田の面積に応じて租を負担しましたが、特に一般の成人男子には、
都まで運んでおさめる調・庸などの税のほか、兵役の義務も課せられました。

兵士のなかには、防人(さきもり)として、九州北部の防衛に送られる者もいました。
これらの負担をのがれるために、逃亡する者も出てきました。[2,p37[
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 自由社版は「公地公民の原則」から班田収受法を説明しているが、
東書版では「公地公民」は出てこず、ひたすら税の負担を強調している。

中学生の抱くイメージは相当に異なるだろう。


■5.「公地公民」か、「国家の小作人」か

 東書版では口分田に関して、次のように側注で説明している。

__________
 男子には2段(現在の約2300平米)、女子にはその3分の2、
奴婢には良民の男女のそれぞれ3分の1の口分田があたえられました。[2,p36]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 これは、いかにも女性差別や身分差別のように読める。
しかし、『日本の歴史文庫3 奈良の都』は、唐と比較して、次のように述べている。

__________
 このように満6歳以上の男・女・奴・婢にすべて口分田を与えるというのは、
班田収授法のいちばん大きな特徴である。
唐の均田法では、原則として女や奴・碑には口分田を与えなかった。
男も18歳以上59歳以下のものだけである。

つまり、調や庸などの税を負担するものだけが口分田を分け与えられたのだが、
日本では税に関係なく口分田が与えられることになっていた。[3,p84]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ここから日本と唐の考え方の違いが見えてくる。
唐では「調や庸などの税を負担する」成年男子のみに口分田を与えられた。
ということは、口分田を貸し与えるから、税を払えということで、
人民は国家の小作人に過ぎない。


 それに対して、日本では満6歳以上の子ども、老人、女性、奴婢にまで
税に関係なく口分田が与えられていた。
分量の差はあれど、口分田とはすべての民が生計を立てていけるように与えられたもので、
現代流に言えば、「公民」に対する「基本的人権」であった。


 そして、調や庸などの税はそのうち成人の男子にだけ課されていた。
「公民」すべてに口分田を与え、そのうち成人男子にのみ国家を支えるための税を求める、
という考え方である。

 農民全体を小作人のように見なす、いかにも階級社会的な唐に比較すれば、
当時の日本の制度には「公地公民」の理念が明確に窺える。



■6.階級差別と奴婢

 それでも、奴婢、すなわち、奴隷というと、いかにもおどろおどろしいイメージを
中学生は抱くだろう。東書版はこう述べる。

__________
 公民のうちでも、ひとにぎりの貴族たちは、太政官をはじめとする役所で高い地位につきました。
かれらは、調(ちょうう)、庸(よう)や兵役が免除され、
高い給与や多くの土地をあたえられました。これらの特権は、その子孫にも引き継がれました。

 そのいっぽうで、少数ではありましたが、奴婢(ぬひ)とされた人々は、売買の対象とされ、
奴婢以外の人との結婚を禁止されて、その子も奴婢とされました。[2,p36]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この文章を読んだ中学生は、さぞや古代日本はひどい社会だったと思い込むだろう。
しかし奴隷制は近代以前にはどの国でも存在した。
中国においては20世紀の中華民国時代に何度も法律で廃止されたが、
実質的には1949年まで続いたとされている。
[4]

 わが国における奴婢は、国内が統一されていった頃、戦いに負けて捕虜となった者や、
罪を犯してとらえられた者、負債を払えずに貸し主の奴婢となった者などがいた。
多く見積もっても、全人口の1割程度だったようだ。[3,p110]


■7.主人の許に逃げ帰った奴婢

 当時の奴婢の実態を窺わせる逸話が残されている。
750年、朝廷が但馬の国(兵庫県の北半分)から5人の奴婢を買い上げて、東大寺に支給した。
ところが、そのうちの2人、池麻呂(いけまろ)と糟麻呂(かすまろ)という、
どちらも24歳の奴婢が但馬の元の主人の所に逃げ帰ってしまった。

 但馬の主人は国司に届け出たようで、二人は主人につきそわれて東大寺に送り返された。
ところが二人はまたすぐに脱走してしまう。
池麻呂の方は、はっきりしたことが判らないが、但馬の役人は東大寺に
「糟麻呂をもとの主人につきそわせて送り返します」と手紙を送った。

 しかし、東大寺の方は二度も脱走した糟麻呂を哀れと思ったのか、
その主人と一緒に帰国を許し、但馬の国には、「代わりの奴を買い上げて送るように」
と手紙を出している。

 平城京から但馬までは5日ほどかかる。東大寺から脱出した二人が、
わざわざ5日もかけて元の主人の家に帰ったということは、
それだけ主人の許での生活が恋しかったということだろう。

 また当時は人々の自由な旅行が認められていないので、よそ者が村を通ればすぐに見つかる。
近くの役所に訴え出れば、何らかの褒賞も期待できたはずだ。
それなのに二人が二度も但馬の国に逃げ帰れたということは、
道中で彼らを匿い、助けてくれた人々が多かった、と推察できる。[3,p110]

 これに比較すべきは、長安では住民の逃亡を防ぐために、
各坊ごとに城壁で囲まれていた
点だ。
身分上は自由民であっても、これでは実質的には囚人ではないか。


■8.「公地公民」実現への苦闘

 朝廷は民に対して「公地公民」の理想を実現しようとし、また民衆は奴婢に対しても、
同じ民として暖かく扱う傾向があった。

 これらの史実は、初代・神武天皇が建国宣言とも言うべき詔のなかで民を
「おおみたから(大御宝)と呼び、「一つ屋根の下の大家族のように仲よくくらそうではないか」
と述べた理想を思い起こさせる。[a]

 その理想に邁進するかのように、朝廷は多大な努力を傾注した。
口分田を全国の農民に公平に与えるためには、農地を地割し記録していく必要があるが、
農地を碁盤の目のように区画する「条里制」が奈良時代には全国的に用いられていた。
今日でもその名残が北は秋田県から南は鹿児島県まで見られる。[3,p86]

 しかし、この時代は天候不順による凶作が多かった。
また遣唐使によって大陸からもたらされたと思われる天然痘も、猛威をふるった。
それによる農民の困窮を、朝廷は傍観していたわけではない。

__________
 709年には、この年の調と租を免じ、711年には、むこう3年間の稲の
無利息貸し付けをおこなった。
717年には、正丁の調の付加税と少丁の調を廃止した。[3,p102]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 それでも根本的な解決にはならなかった。
朝廷は、新たなる農地の開墾が必要と考え、農民が新たに開墾した水田は
3代までの私有を認めるとの三世一身法を養老7(723)年に制定した。
しかし、これが逆に「公地公民」の理想を崩していく。

 大和朝廷は「公地公民」の理想を実現しようと、苦闘を続けていた。
貴族が農民を搾取していたという先入観を歴史に当てはめるだけの階級闘争史観では、
朝廷の苦闘の様は見えないのである。


(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(074 「おおみたから」と「一つ屋根」
 神話にこめられた建国の理想を読む。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_1/jog074.html

b. 歴史教科書読み比べシリーズ
http://blog.jog-net.jp/theme/a8f4387c4d.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1.藤岡信勝『新しい歴史教科書─市販本 中学社会』★★★、自由社、H23
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4915237613/japanontheg01-22/

2.五味文彦他『新編 新しい社会 歴史』、東京書籍、H17検定済み

3.虎尾俊哉『日本の歴史文庫3 奈良の都』★★、講談社、S50

4. Wikipedia「中国の奴隷制」
http://bit.ly/1a8XzzZ
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

こうして読み比べると東京書籍は日本に恨みでもあるかのような
意図的な「悪いとこどり」をしてますね。
誰が書いてるんだか知りませんが、恥ずかしくないのかな~?

※大マスコミ様の「知らせない権利」によく似ていますねw
Posted at 2013/11/11 22:02:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | お勉強 | 日記
2013年11月03日 イイね!

朝日新聞の読者と山本太郎が似てる件。

いつものメルマガ転載ですが、タイトルだけ読んで山本太郎の件かと思ったら違いましたw
(でもタイミング良いよなぁw)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
■■ Japan On the Globe(822) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■

Media Watch:「自己中」はサヨクの始まり

 朝日新聞投稿者たちの、世間常識も他者への思いやりもない「自己中心主義」の世界
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■1.『朝日新聞のトンデモ読者投稿』

 弊誌では従来から朝日新聞の報道ぶりを分析してきたが、
最近、『朝日新聞のトンデモ読者投稿』[1]という本を読んで、
読者も負けずに相当に「ユニーク」である事に驚かされた。たとえばこんな具合である。

__________
サービス3流懲りた新幹線
   主婦 佐藤安子(岐阜県 59歳)

 3月下旬、2泊3日の東京巡りをして、たくさんの楽しい思い出を胸に、
東京発「ひかり」に飛び乗りました。空席が多かったので、
荷物を右の座席に置いて腰を下ろしました。

 その時、車掌さんが検札に来ました。
私の切符を見て、4千円余りを払って下さいとのことでした。グリーン車でした。
財布の中には2千円少々しか残っていませんでした。

 自由席を3両歩きましたが、全部満席。
疲れが出て、それ以上空席を探す気になれません。
出入り口の近くにバッグを置いて腰掛け、足は対面の壁にくっつけて
疲れを癒やしながら考えました。

 切符は、金券ショップの格安店3店を回って買った9300円のものです。
車掌さんは横を通っても、声をかけるでもなく、むなしい1時間50分でした。

 180円の切符を買っても「ありがとうございます」と言葉をかけてくれる私鉄の
駅員さんがいるかと思えば、JRは1万円近い切符でも空席の案内もありません。
二度とJR新幹線は利用したくありません。サービスは三流です。[1,p44]

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■2.自己中読者の投書を掲載した意図は?

 まるでグリーン車とは知らずに座ってしまったとでも言いたいようだが、
グリーン車と普通車とは座席も内装も違うので、幼稚園児でも区別できる。
金券ショップを3軒も回って格安チケットを探すほどの人が、その区別を知らないはずはない。
この人は知っていてグリーン車に勝手に座ったのである。確信犯だ。

 車掌は今まで座っていたことは大目に見て、差額を払えないのなら
普通車の自由席に移るよう、穏便に注意したようだ。
たいていの乗客ならこの段階で「すいません」と小さくなって、
寛大な車掌に感謝しながら、普通車両に移るところだ。


 結局、空席が見つからずに、「出入り口の近くにバッグを置いて腰掛け、
足は対面の壁につけて」とは、まるで不良中学生のような態度だ。
60歳近いご婦人にしては異様である。

「空席の案内もありません」とは、また見事に自分勝手な言い分である。
座りたかったら指定席をとるか、東京駅は始発駅なのだから並べば自由席に座れる。
そうせずに混んでいる列車に勝手に飛び乗って座れなかった乗客には、
車掌としてはどうしようもない。


 こういう自己中心的な考え方しかできない人を「自己中」と呼ぶ。
「自己」中人間はどこにでもいるが、それよりも、こういう自己中の典型の投書を
堂々と掲載する朝日新聞の意図が分からない。


 この本には他にもJR各社を攻撃した投書が載っている。
かつての国鉄は分割民営化され、業績も回復し、サービスも格段に良くなったが、
同時に国鉄に巣くっていた左翼の国労や動労は勢力を失った。
そのことを朝日は今でも恨んでいるのだろうか。

 それでも、こんな投書ではJR批判にもなっていない。
単に購読者の中にはこんな自己中人間もいることを示しているだけである。
もし、朝日新聞の編集者が、これが説得力のある投書だと信じて掲載したのだとしたら、
そちらの方が恐ろしい。編集者の頭の中も自己中になっている恐れがある。



■3.「隣の遠い国」壁超える日は

 もう一件、自己中読者の投書を紹介しよう。

__________
「隣の遠い国」壁超える日は
   会社員 佐々木佑子(新潟県白根市 54歳)

(前略) 10年ほど前に、会社の慰安旅行で、隣にある一番遠い国という印象だった韓国に
行きました。初めての外国体験です。
泊まったホテルのベルボーイの彼は、韓国特有のハンサムな男の子でした。
彼は22歳、「兵役がまだなんです」と話していました。

 あまり可愛いので、強引に誘惑し同僚と3人で夜の散歩としゃれ込みました。
お互いの通じない言葉とカタコトの英語であれこれ、楽しいひとときでした。

 帰国の空港で電話したら、電話口に出た父親が、日本語で言いました。
「うちの息子は日本には行かない。電話にも出ない。友達にはなれない」。
その怒りにも似た言葉に絶句しました。

 この秋から、市民大学講座で「東北アジアについて」を受講しています。
高校卒業以来初めての勉強に夢中です。
アジアについて、あまりにも知らされていない事実がたくさんあることに驚きの連続です。
新聞には、いつも米国側から見るのではなく、
同じアジアからの視点の記事を期待してやみません。[1,p32]

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 父親の言葉からは、ご婦人たちが青年に「日本に来ないか、友達になろう」などと
誘った様子が窺える。
この父親の方が、よほど常識的に見えるが、投稿者はその言葉に
「絶句した」と述べるだけで、反省したのか、反発したのか、分からない。


「この秋から」という次の段落との脈絡が、これまた不明だ。
自分の行為を反省して、アジアの視点を学ぼうとしているのなら、まだ救いようがあるが、
ひよっとして韓国青年を誘惑することこそ「アジアからの視点」だと思っていたら、
究極の自己中である。

 朝日新聞がこの自己中読者の投書を掲載する意図がまた分からない。
「こんな事をしてはいけませんよ」という反面教師として取り上げたのか、
あるいは、韓国青年を誘惑するほど、アジアに親近感を抱いている好例として取り上げたのか。「『隣の遠い国』壁超える日は」という肯定的なタイトルからは、どうも後者のようだ。

 しかし、こんな自己中おばさんたちが続々と「壁」を越えてやってきたら韓国も大変だ。
今度は慰安「夫」騒動が起きるかも知れない。


■4.「僕たち、お隣の国の子に間違えられたんだよ。すごいでしょう。」

「隣の遠い国」との壁を超えるのが、朝日新聞の悲願のようで、こんな投書もある。

__________
子らが大合唱 アンニョーン
   主婦 小室早紀子(東京都国分寺市 34歳)

「アンニョーン、アンニョーン」と、米国イエローストーン国立公園の谷にこだました。
見ると、レンタカー内の我が家の三歳と五歳の息子たちに向かって、
大きく手を振っているおじさんがいた。
ハングル文字のバスの前で、運転手が満面の笑顔で、こちらに手を振り続けていたのだ。

「何ていう英語なの」と尋ねる子供たちに、
「こんにちはって言っているの。英語じゃないのよ。お隣の国の言葉なの。
君たちのことを自分の国の子だと思っているのよ、きっと」
と言うと、
「わーい」と叫び、車の窓から身を乗り出して両手をいっぱいに広げ、「アンニョーン」と。
あちらのバスの乗客も全員、車窓からこたえてくれて、大合唱となった。

 帰りの飛行機で、茶髪の短期留学の高校生に囲まれた席で、
「僕たち、お隣の国の子に間違えられたんだよ。すごいでしょう。アンニョーン」
と誇らしげな彼らに、二十一世紀を見たような気がした。[1,p12]

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 見ず知らずの子供たちを韓国人と決めつけて、
大声で「アンニョーン」と手を振りつづけるバスの運転手。
韓国人と間違えられたと教えられて、「ワーイ」と叫んで、車から身を乗り出して応える子供たち。
極めつけは、「僕たち、お隣の国の子に間違えられたんだよ。すごいでしょう」と自慢するシーン。

 どうにも不自然な筋書きで、作り話っぽい。
たとえ実話だとしても「いい話」と共感する人はいないだろう。
そもそも、この子らが「お隣の国」に間違えられることに、なぜそんなに喜ぶのだろう。

「お隣の国」はポケモンの国とでも思っているのだろうか。

 弊誌815号では、「お隣の国」はポケットモンスターどころか、
本当のモンスター国家ではないかと論じた[a]。
子供は現実の世界に触れて、当初抱いていた空想的世界観を徐々に修正していく。
それが人間としての成長である。

 2児の母になっても、現実社会を客観的に知ろうとせず、
「二十一世紀世界を見たような気がした」と思い込んでいるようでは、自己中そのものである。

この投書を掲載した朝日の編集者も同類だ。



■5.「正直に生きる」

 青少年の読者も「自己中」ぶりでは負けてはいない。
__________
「悪法も法」か、正直に生きる
   高校生 福田哲弥(兵庫県三田市 17歳)

 私は、単車の免許を取らない、買わない、乗らないという「3ない運動」に違反して
停学処分を受けました。しかし私は、人として悪いことをしたとは思っていません。

 高校生は危険な乗り方をすると決めつけ、信頼しようともせず、
21年間続けてきたことに驚きさえ覚えました。
交通ルールを守り、むちゃな乗り方をせず、命を大切にすると親に約束し、
許可を得て取得した免許です。取得後も、親の運転する車の前を走り、
カーブの曲がり方、スピードの出し方など注意を受けました。

 いままで悪いことを一度もしたことがないのが、私の自信の源です。
先生は「悪法も法。従わねばならん」と申されました。私はそうは思いません。
悪法に従えば、悪法と同じレベルの人間になると思います。・・・

 この精神は永遠に持ち続けたい。
自分自身の信念とモラルのもとに公然と正直に生きていきます。
罰せられても、私は私らしく生きてきたいです。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 善悪をすべて自分で決め、それに矛盾する法はすべて悪法と切り捨てるのは
自己中の典型である。
自分の信念でルール破りが許されるなら、別の不良生徒が
「人のモノは俺のモノ」という信念をかざして、この高校生を殴って、バイクを取り上げたとしても
反論はできまい。
朝日の理想とは、こういう「自己中」青少年を育てることなのか



■6.「ミサイルだろうが靖国参拝だろうが」

 こういう自己中人間が政治を考えるとどんな事になるか、一例を見てみよう。

__________
どこか似ている北朝鮮と首相
   ケアマネジャー 香川博司(広島県福山市 54歳)

 ミサイルを発射したことについて、北朝鮮外務省報道官は
「主権国家としての合法的な権利」で他国の批判は当たらず、
「いかなる国際法や朝日平壌宣言、6者協議の共同声明などの二国間・多国間合意に
拘束されない」と発言した。

 どこかで聞いたような言い方だなと思ったら、我が国首相の靖国参拝だ。
中韓両国からの参拝批判に対する反論と、どこか似ているではないか。

 ミサイルだろうが靖国参拝だろうが、他国への不快や脅威を与えている点では同じではないか。
自分や自国が何と言おうが、それが隣国や隣国に大きな影響を与えかねないことに留意し、
配慮するのが最低限の礼儀であり品性である。

 両者に共通しているのは、他者とともに生きているという心の姿勢の欠如であろう。[1,p200]

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「他国への不快や脅威を与えてはいけない」という一つ覚えの論理で
すべての物事を判断する自己中読者の視点からは、
靖国参拝も北朝鮮のミサイル発射と同じに見えるようだ。


 しかし、たとえばあなたが亡父の墓参りに行こうとしているのを、隣家が
「あんたの親はうちの親に昔、大変な迷惑をかけた。そんな親の墓参りに行くことは、
私たちを不快にするから止めてくれ」と言われたら、
「他国への不快や脅威を与えてはいけない」という論理で、墓参りを止めるべきなのか。

 国際社会でも、我々の日常社会でも、快不快とは別に、国際的なルールや常識がある。
たとえ自分が不快だと思っても、法律上、あるいはマナー上、
黙って甘受しなければならない時もある。

こういう常識も学ばずに、一つ覚えの論理だけを振り回すのは、自己中症状である。



■8.「自己中はサヨクの始まり」!?

 それにしても、前節の「悪法には従いません」と胸を張る高校生と、
「ミサイルだろうが靖国参拝だろうが」と言い切る中年男性の、なんと似ていることか。

「自己中」高校生も、多くの場合、社会で世間常識や他者への思いやりを学んで、
そこから脱却していくのだが、たまたまガラパゴス的に「自己中」のまま
大人になってしまう人がいる。本稿で登場いただいた「自己中」読者はこの類いだろう。


 そして「自己中」学生の中でも一流大学を優秀な成績で卒業した「選良」が、
朝日の記者や編集者になるのかも知れない。
そうでない事を祈るが、本稿で紹介した「自己中」投書を堂々と掲載していることから考えると、
そんな危惧を払拭できないのである。

 そしてそういう人たちが、靖国参拝はミサイルと同じ、などというサヨク的言辞を振りまいている。
「自己中はサヨクの始まり」とでも言えるのではないか。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(815) 隣の国はモンスター!? ~ 『悪韓論』から
 データで明かされた韓国社会の異様な実態。
http://blog.jog-net.jp/201309/article_10.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1.朝南政昭、『朝日新聞のトンデモ読者投稿』 ★★、晋遊舎ムック、H19
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4883806162/japanontheg01-22/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


単車の免許を取って高校から定額処分を受けた高校生の

>いままで悪いことを一度もしたことがないのが、私の自信の源です。
>先生は「悪法も法。従わねばならん」と申されました。私はそうは思いません。
>悪法に従えば、悪法と同じレベルの人間になると思います。・・・

この精神は永遠に持ち続けたい。
自分自身の信念とモラルのもとに公然と正直に生きていきます。
罰せられても、私は私らしく生きてきたいです。


という主張は、山本太郎の

「常識的に考えて、陛下に対して、お手紙をお渡しするという行為は
失礼に当たるかもしれない。
けれどもやっぱりこの現状を知っていただきたいという自分の気持ちが
まさってしまった
という部分ですね」

という主張とそっくりですね(^^)
Posted at 2013/11/03 12:12:55 | コメント(1) | トラックバック(0) | お勉強 | 日記
2013年07月29日 イイね!

『国民の修身 高学年用』を読む

いつものメルマガ転載です(^^)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
■■ Japan On the Globe(809) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■

国柄探訪: 『国民の修身 高学年用』を読む

 国際社会で尊敬される日本人の育成を目指した戦前の道徳教育

■転送歓迎■ H25.07.28 ■ 42,845 Copies ■ 3,719,274 Views■
無料購読申込・取消: http://blog.jog-net.jp/

__________
■■■ 全国学生青年合宿教室 ■■■
http://kokubunken.or.jp/camp/index.html

(伊勢雅臣: 弊誌の原点はこの合宿教室で学んだことです)

8月22日(木)~25日(日)
七沢自然ふれあいセンター(神奈川県厚木市)

メイン講師 日本政策研究センター代表 伊藤 哲夫氏
「近隣諸国の動向と日本国のありやう」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


■1.国際派日本人を育てるための「修身教科書」

 これはまるで「国際派日本人」を育てるための教科書ではないか、と思った。
戦前の道徳教育の教科書を編集した『国民の修身』[a]がベストセラーとなり、
その続編として刊行された『高学年用』[1]を読んでの感想である。
その帯には次のような引用がある。

__________
 我らも国交の大切なことを忘れず、つとめて外国の事情を知り、外国人と
交際するに当たっては、常に彼我の和親を増すように心掛けましょう。 
我が国 第十課 国交(現代語訳)

 国旗はその国の印でございますから、我ら日本人は日の丸の旗を
大切にしなければなりません。
また礼儀を知る国民としては外国の国旗も相当に敬わなければなりません。 

我が国 第四課 国旗

 外国人に対して礼儀に気をつけ、親切にするのは、文明国の人の美風です。 
公民の務 第一課 礼儀
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 何かと言うと反日暴動を起こしたり、日の丸を焼いたりする近隣諸国の
一部国民に学んで貰いたい事ばかりだ。
彼らはいまだ「礼儀を知る国民」でも、「文明国の人」でもないのだろう。

 現代日本人が知るべきは、このような「修身教育」が、戦前から行われていたということである。
今回は、この本から、特に国際社会に関する項目を見てみたい。


■2.「外国と対等に交際することになりました」

「外国との交際」に関して、次のように我が国の歩みを振り返る。

__________
 我が国は、徳川幕府が久しい間外国と交通することを禁じていたので、
明治以前には余程(よほど)世界の大勢に後れていました。
それがため、外国と交際を開いた時には、大そう不利益な条約を結び、
その後長らく苦しみました。

 しかし国民はよくこれに耐え、力を合わせて国の繁栄をはかった結果、
ついに外国も我が国の実力を認めたので、我が国は条約を改正することが出来て、
外国と対等に交際することになりました。[1,p66]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 欧米諸国が武力を背景に、アジア・アフリカ諸国と不平等条約を結ぶのは
各地で見られた事であった。
それを暴力で覆そうとしたのが中国だった。
英米や日本の民間人を襲ったり、商店を略奪したり、商品をボイコットしたりと
外交上の義務を果たさなかった[b]。

米外交官ジョン・マクマリーは次のように記している。

__________
 人種意識がよみがえった中国人は、故意に(JOG注:対外条約で約束した)自国の
法的義務を嘲笑し目的実現のためには向こう見ずに暴力に訴え、挑発的なやり方をした。
・・・中国に好意をもつ外交官たちは、中国が外国に対する敵対と裏切りを続けるならば、
遅かれ早かれ、一、二の国が我慢しきれなくなって
手痛いしっぺ返しをするたろうと説き聞かせていた。[2,p221]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 我が先人たちは、こういう野蛮なやり方をしなかった。
歯を食いしばって国内の近代化を進め、我が国の実力を認めさせることで、
条約改正にこぎつけ、対等の外交を実現した。

しかもそれを修身の教科書で「外国との交際はかくあるべし」と教えているのである。



■3.「小さい軍艦で、よくも太平洋を無事に越えてきたものだ」

 外国に実力を見せつけた事例として、勝安芳(勝海舟)の逸話が出てくる。
若いときに西洋の8巻の兵書を買えなくて、それを持つ人の家に毎晩出向き、
筆写した逸話をまず紹介する。

 その後、勝は長崎でオランダ人について航海術を学んだ。
そして、幕府が国使をアメリカに送るという話を聞く。

__________
 安芳はそれを聞いて、我が航海術の進歩を見せるには、この上もないよい機会だと
思ったので、自分の教えた部下を指図して
日本人の力だけで航海をしたいと願い出ました。[1,p177]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 幕府は日本人だけでは危ないと容易に許さなかったが、
安芳の熱意に負けて、咸臨丸(かんりんまる)という小さな軍艦を派遣することとした。

__________
 航海中は毎日のように雨風が続いて、海が大そう荒れました。
嵐が激しい時には、船体がひどく揺れて、ねじ折られそうになったことが幾度もありました。

 しかし、安芳らは少しも恐れず、元気よく航海を続け、日本を出てから三十八日目に
サンフランシスコに着きました。
アメリカ人は、日本人が航海術を学んでからまだ間がないのに、
少しも外国人の助けを受けずに、小さい軍艦で、
よくも太平洋を無事に越えてきたものだと、大そう感心しました。[1,p178]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 当時の小学生たちは、こういう逸話を読んで、自分も国の発展のために
何事かを成し遂げようという気概を抱いた事だろう。


■4.「欧州諸国に比べて見ると、まだ及ばない所があります」

 しかし、対等の条約を結んだからといって、
それでもう世界の大国になった、というような夜郎自大な意識は全くない。

__________
 我が国は、かような発達の結果、欧州大戦の後には世界の大国の中に
列することになりました。・・・しかし現在でも、英・米・独・仏等の欧州諸国に比べて見ると、
まだ及ばない所があります。
将来我が国が更に発達してこれらの国々と肩を並べて共々に、
文明の進歩をはかって行くようにするのは、我等の責任です。[1,p68]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 これに比べれば、戦後の高度成長で世界第2の経済大国になったと浮かれたり、
中国に抜かれたと言っては落ち込んだり、という姿勢は、いかにも子供じみたものに見えてくる。

 世界の中で問うべきは「文明の進歩をはかって行く」上で、
国家としてどれだけ貢献しているのか、ということだ。
そのためには、国民一人ひとりがよく身を修めて、立派な日本人にならなければならない、
というのが、修身教科書の教えである。


■5.「国と国とが親しく交わり互いに助け合っていく」

 修身教科書では、国交の大切さをこう説く。

__________
 隣近所どうし互いに親しくして助け合うことが、共同の幸福を増す上に必要なことは、
いうまでもありません。
それと同様に、国と国とが親しく交わり互いに助け合っていくことは、世界の平和、
人類の幸福をはかるのに必要なことです。[1,p72]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 その具体的な内容として、明治天皇が明治41(1908)年に賜った詔書で
「ますます国交を修めて列国と共に文明の幸福を楽しもう」と言われていること、
大正天皇の詔書にも「万国の公是(世間一般が正しいと認める事柄)によって
平和の実を挙げ我が国力を養って時世の進歩に伴うように努めよ」
と諭された事を紹介している。

 さらに昭和天皇については、次の逸話を紹介する。

__________
 今上天皇陛下は皇太子であらせられた時、欧州諸国を御巡歴になりました。
半年の間、陛下は至る処の国々で御交際におつとめになり、
いつも非常に好い感じをお与えになりました。
これがため各国との和親がどれほど増したか計り知られません。

 我らも国交の大切なことを忘れず、つとめて外国の事情を知り、
外国人と交際するに当たっては、常に彼我の和親を増すように心掛けましょう。[1,p73]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 昭和天皇の皇太子時代の欧州御巡歴とは、第一次大戦終結のわずか3年後、
多くの人々が治安を心配する中で決行されたものだが、
同盟国である英国からは大歓迎を受け、また大陸の激戦地を視察されて青年皇太子は
戦争の悲惨さを実感された。[c]

 このように明治維新以降、皇室は国際友好の大切さを身を以て示されてきた。
天皇方の御言動を説けば、それはそのまま国際友好の理想を小学生に教える教材になる、
という処に我が国の有り難い国柄がある。


■6.「知っている人も知らない人も博(ひろ)く愛するのが人間の道」

 国と国との交わりと言っても、その実体は人と人との交わりである。
首脳同士、外交官同士の交わりもあれば、民間人の交わりもある。
日本国民一人ひとりが、外国人に対しても友情を持って交わることが出発点である。
修身教科書は、このために次のような逸話を紹介している。

 紀伊の水夫虎吉らはミカンを積んで江戸に行き、その帰り道に暴風に遭って吹き流され、
2か月も漂流した。そこをアメリカの捕鯨船に救われ、親切に介抱された。

 捕鯨船は北洋で半年ばかり捕鯨をした後に、虎吉らを便船に頼んで香港に送り届けてくれた。
そこで仕立て屋をしている日本人が世話をやいて上海まで送り届けてくれ、
そこから支那の役人の保護を受けて、ようやく帰国できた。
3年も経って郷里ではてっきり虎吉らは死んだと思っていた所、
無事に帰ってきたので夢かとばかり喜んだ。

 この逸話を紹介した後、修身教科書は次のように説く。

__________
 知っている人も知らない人も博(ひろ)く愛するのが人間の道であります。
いろいろ災難にあって困っている者を救うのはもちろん、たとえ敵でも、
負傷したり、病気になっていたりして苦しんでいる者を助けるのは、博愛の道です。

明治三十七、八年戦役(JOG注:日露戦争)に上村艦隊が敵の軍艦リューリク号を打ち沈めた時、
敵のおぼれ死のうとする者を六百余人も救い上げたのは、名高い美談であります。[1,p105]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 教育勅語に「博愛衆に及ぼし(博く世間の人に慈愛を及ぼし)」とあるが、
修身教科書のこの一章はまさしくこの「博愛」を具体的な逸話を通して語ったものである。


■7.博愛の心で、外国人を救った日本人たち

 戦前の我が国には、こうした博愛の心で外国人を救った事例に事欠かない。
弊誌で紹介した事例をいくつか挙げると:

・明治23(1890)年、トルコ軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本町沖で岩礁に激突、
沈没したが、村民総出で救助にあたり、69名を救出。[d]

・大正9(1920)年、シベリアに流刑になっていたポーランド独立運動家たちの子供765名を、
ロシア革命の混乱から救い出し、日本で健康を回復させた後で、母国に送り届けた。[e]

・昭和12(1937)年、ロシアを脱出しようとする約2万人のユダヤ人が吹雪の中で
立ち往生しているのを、ハルピン特務機関長・樋口少将の指揮で満洲国関東軍が救出。[f,g]

・昭和14(1939)年、日本海軍は上海の租界地に各国から逃げてきたユダヤ人難民
1万8千人を収容し、その安全を図った。[h]

・昭和15(1940)年、ナチス・ドイツとソ連に分割占領されたリトアニアのユダヤ人約6千人に
杉原千畝領事がビザを発行し、日本経由でイスラエルやアメリカに脱出させた。[i]

・昭和17(1942)年、工藤俊作艦長率いる駆逐艦「雷(いかづち)」は撃沈した英軍艦の漂流者
422名を救助した。[j]

・昭和18(1943)年、中国河南地区でイナゴの大群に襲われて餓死寸前の多くの農民を
日本軍が糧食を放出して救った。[k]

 これらの義挙を成し遂げた人々は、小学生時代にこの修身教科書で「博愛」を学んだのであろう。


■8.博愛と義勇を兼ね備えた国際派日本人

 国際友好や博愛を説くと同時に、修身教科書は防衛努力の大切さを説くのも忘れない。

__________
 今日文明諸国は、皆共同して、戦争を避け平和を保つために、
出来る限りの力を尽くしています。
しかし、世界にたくさんある国と国との間には、いろいろの原因から
いつ戦争が始まらないとも限りません。
それで、もし我が国にも禍(わざわい)が及んで、国の安危に関するようなことが起こったら
一大事です。
それ故に、我らが一致して我が国の防衛に心を用い、その安全を図るのは最も必要なことです。[1,p118]

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ここには戦後の日本国憲法の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した」というような空想的世界観
はない。
こういう空想に囚われると、現代のチベット民族やウイグル民族の苦難も見えなくなってしまう。


 博愛を及ぼし、平和を守り、文明の進展を図るためには、
時には戦わなければならない時がある。
教育勅語で「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」の「義勇」とは、「正義心と勇気を持つ」事であろう。
そして博愛と義勇とは表裏一体である。義勇がなければ、博愛も実行に移せない時がある。

 前節で挙げた数々の義挙を行った人々は、この博愛と義勇を兼ね備えた人々であろう。
これらの人々の行為は今日の国際社会でも十二分に尊敬されうる。
こういう国際派日本人を育てたのが戦前の修身教科書であった。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(758) 『国民の修身』を読む
 極東の一小国が半世紀で世界の五大国に仲間入りした原動力は、
修身で培われた道徳力にあった。
http://blog.jog-net.jp/201207/article_6.html

b. JOG(668) 「日貨排斥」の歴史は繰り返す
 貿易を通じた中国の嫌がらせに、戦前の日本人も憤激していた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257enippon/jogdb_h22/jog668.html

c. JOG(187) 皇太子のヨーロッパ武者修行
 第一次大戦後の欧州を行く裕仁皇太子は、何を見、何を感じたか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257enippon/jogbd_h13/jog187.html

d. JOG(102) エルトゥールル号事件のこと
 難破船救助から始まった日本とトルコの友好の歴史。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog102.html

e. JOG(142) 大和心とポーランド魂
 20世紀初頭、765名の孤児をシベリアから救出した日本の恩をポーランド人は今も忘れない
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog142.html

f. JOG(085) 2万人のユダヤ人を救った樋口少将(上)
 人種平等を国是とする日本は、ナチスのユダヤ人迫害政策に同調しなかった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog085.html

g. JOG(085) 2万人のユダヤ人を救った樋口少将(下)
 救われたユダヤ人達は、恩返しに立ち上がった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog086.html

h. JOG(260) ユダヤ難民の守護者、犬塚大佐
 日本海軍が護る上海は1万8千人のユダヤ難民の「楽園」だった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257enippon/jogbd_h14/jog260.html

i. JOG(021) 命のビザ
 6千人のユダヤ人を救った日本人外交官
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog021.html

j. JOG(458) 駆逐艦「雷」艦長・工藤俊作 ~ 敵兵422人を救助した武士道
「貴官らは日本帝国海軍の名誉あるゲストである」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog458.html

k. JOG(691) 日本軍に救済され、中国軍と戦った難民たち
 餓死に追い詰められていた民衆は、救援してくれた日本軍とともに、中国軍相手に立ち上がった。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 渡部昇一監修『国民の修身 高学年用』★★★、産経新聞出版、H25
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4819112228/japanontheg01-22/

2. 藤岡信勝『新しい歴史教科書─市販本 中学社会』★★★、自由社、H23
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4915237613/japanontheg01-22/


■編集長・伊勢雅臣より

 読者からのご意見をお待ちします。
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今回のメルマガを読んでて、私が特に「なるほど」と思ったのはこの部分。

>__________
> 人種意識がよみがえった中国人は、故意に(JOG注:対外条約で約束した)自国の
>法的義務を嘲笑し目的実現のためには向こう見ずに暴力に訴え、挑発的なやり方をした。
>・・・中国に好意をもつ外交官たちは、中国が外国に対する敵対と裏切りを続けるならば、
>遅かれ早かれ、一、二の国が我慢しきれなくなって
>手痛いしっぺ返しをするたろうと説き聞かせていた。[2,p221]

> ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

> 我が先人たちは、こういう野蛮なやり方をしなかった。
>歯を食いしばって国内の近代化を進め、我が国の実力を認めさせることで、
>条約改正にこぎつけ、対等の外交を実現した。
>しかもそれを修身の教科書で「外国との交際はかくあるべし」と教えているのである。



今回、サッカーアジアカップで韓国のサポーターがFIFA規定違反の
政治的メッセージの横断幕を掲げましたが、
中国とか韓国って規則守らなくても平気なんですよね。

おそらく連中の脳内には上から下まで「恥」とか「正々堂々」という概念の代わりに
中華思想とウリナラマンセーがいっぱい詰まってるからだと思いますがw
その点、日本人は規則守りますよね?


昔のルマンにしてもスキーのジャンプにしてもそう。
欧米を主体とする団体が決めたルールをしっかり守って、その上で勝つ、と。
※で、欧米は「ウサギ小屋に住んでる黄色いサル」に負けると悔しいのでルールを変えるw

で、自分達の作ったルールの中で結果を出されちゃったら
欧米もその実力を認めざるを得ないわけで、
やはり『ルールを無視して好き勝手やっても、他人に迷惑がかかって、笑われて、
恥をかくだけで、何も良い事はない』という結論になるのかなと思います(^^)


さぁFIFAは今回の韓国の行為をどう裁くんでしょうか?
Posted at 2013/07/29 21:53:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | お勉強 | 日記

プロフィール

「[整備] #フィット ペイントプロテクションフィルム貼り付け(3) https://minkara.carview.co.jp/userid/202453/car/3276985/6906181/note.aspx
何シテル?   05/28 23:31
運転してて楽しいクルマと聴いてて楽しい音楽が好き。 (それがたまたまホンダ車・スバル車とHR/HMなわけですが・・・) ヒマ見つけて更新する意思だけは持ちた...
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