• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

GEN@GK3のブログ一覧

2014年05月27日 イイね!

日本代表壮行試合終了。

肉体的には疲労のピークらしいのでキレが無いのは仕方ないとして
前半は何か判断が遅くてちょっと心配でしたが
後半長谷部が入ってからスイッチ入った感じがしました。

相手が疲れてくるまで縦パスは通せない
高いボールは高さではじき返される
寄せが早いから早い判断と周囲のサポートが必要

などなど色々と勉強になったんじゃないでしょうか。

怪我人も出さず、エキサイトしすぎる事も無く、でも最後まで勝負を諦めず
仮想ギリシャとして必要十分な役割を果たしてくれたキプロスに感謝(-人-)

☆追伸☆
芸能人をレポーターにするのはいい加減に止めて欲しい。
あれはどっちのファンも得をしない。
Posted at 2014/05/27 21:40:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | すぽーつ | 日記
2014年05月13日 イイね!

W杯日本代表、予備登録メンバーは憲剛、豊田、南野ら

W杯日本代表、予備登録メンバーは憲剛、豊田、南野ら 合宿帯同は17歳Jリーガー2名
ISM5月13日(火)16時48分

日本代表の原博実技術委員長は13日、来月に開幕する2014年W杯に向けた
予備登録メンバー7名と、合宿に帯同するトレーニングパートナーの2名を発表。
GK林卓人(広島)、駒野友一(磐田)、水本裕貴(広島)、中村憲剛(川崎)、
細貝萌(ヘルタ・ベルリン/ドイツ)、豊田陽平(鳥栖)、南野拓実(C大阪)の7名が
予備登録メンバーに選出された。

前日には日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督から
23名のW杯メンバーが発表されたが、その23名にケガなど不測の事態が起こった場合、
入れ替え可能となるのが今回の予備登録メンバー。
23名のなかにはDF内田篤人、吉田麻也、MF長谷部誠などケガ明け、
もしくは現在も離脱中のメンバーがいるだけに、出場不可能となった際には
この7選手のうちから追加招集されることになる。

また、トレーニングパートナーは2020年東京五輪の参加資格を持つ高校生から選出され、
ともに17歳のFW杉森考起(名古屋)とMF坂井大将(大分)の2選手が選ばれた。

=以下、W杯日本代表予備登録メンバー=
GK林卓人(広島)
DF駒野友一(磐田)
DF水本裕貴(広島)
MF中村憲剛(川崎)
MF細貝萌(ヘルタ・ベルリン/ドイツ)
FW豊田陽平(鳥栖)
FW南野拓実(C大阪)
--------------------------------------
確かに23人の中には怪我明けが多いから2人ぐらいはいけかな?
豊田と憲剛が見たい!
Posted at 2014/05/13 18:09:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | すぽーつ | 日記
2014年05月12日 イイね!

代表発表!

ほぼ予想通りでしたが広島の青山よりは中村憲剛の方が良い様な・・・

でも大久保と斉藤が入ってよかった♪

Posted at 2014/05/12 20:19:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | すぽーつ | 日記
2014年03月02日 イイね!

長友佑都を育てた母と教師

ここんとこ半島関連のネタばかりで食傷気味なのでメルマガ転載で一服の清涼剤を・・・

以下転載
----------------------------------------
■■ Japan On the Globe(838) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■

Common Sence: 長友佑都を育てた母と教師

「感謝の気持ちがあるから、僕は成長できる」と長友は言う

■転送歓迎■ H26.03.02 ■ 43,959 Copies ■ 3,812,024 Views■
無料購読申込・取消: http://blog.jog-net.jp/
■1.「誰かを思い、大切な人のために闘う」

 イタリア1部リーグ(セリエA)インテル・ミラノ所属の長友佑都の活躍が目立っている。
2月10日の試合はミッドフィールダーとしてフル出場し、1-0での勝利に貢献。
2月16日の試合では決勝点のアシストをして連勝をもたらした。

最近は主力選手として出場し、ゲームキャプテンも任されて、チームワークの要となっている。
その長友がこんな事を書いている。

__________
「佑都の武器は、スピードでもフィジカルでもなくて、相手の懐に入っていく力だよね」
 インテルでチームメイトと楽しくやっている僕を見て、事務所のスタッフが言った。
「どこへ行っても仲間といい関係が生み出せる。それはひとつの才能」というわけだ。[1,p219]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 その「才能」は中学時代の経験から開花した。

__________
中学時代、ウソ偽りのないまっすぐな思いでぶつかりあう人間関係の熱さや
感謝の心を学べたことも大きい。
誰かを思い、大切な人のために闘う。そして誰かとつながっている。
ひとりじゃないといつも感じられる。だからいい仲間に出会えるのかもしれない。[1,p219]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■2.12歳で自分のサッカー人生が終わったような気がした

愛媛県西条市の西條北中学校時代、長友は荒れていた。
小学6年生の時に、愛媛FC(フットボール・クラブ)傘下の中学生チームに入りたいと、
テストを受けたが不合格。

失意のまま、西條北中学校のサッカー部に入ったが、そこは不良の巣窟だった。
たいていの部員は放課後の練習をサボって町の盛り場に出かけていく。
警察に補導される先輩もいた。
12歳で長友は自分のサッカー人生が終わったような気がしていた。

また父母が離婚していて、母子家庭と見られることのストレスもあった。
放課後、母が働きに出ている家に友達を呼んで、たむろすこともたびたびだった。

母親は、一日の仕事を終えて、疲れて帰宅し、散らかった部屋を片付ける際も、
「また、今日も、ぎょうさん友だち来てたんやねぇ」と言うだけだった。

長友がゲームセンターで遊んでいることは近所の評判にもなり、
「佑都くん、大丈夫なん?」と母親に告げる人もいた。
それでも母親は「ゲームセンターにおることがわかっているから、
なにかあってもすぐ居場所がわかって便利ですよ」と笑って切り返した。

母親は「自分自身で気がつかないと意味がない。いろいろな人とつきあうことで、
良いことや悪いことを自分で判断できるようになる」と考えていたと、後に長友に語っている。


■3.「お母さんの気持ちを考えたことあるんか?」

長友の入学と同時に、西條北中に赴任してきたのが井上博先生だった。
「中学校の教師になり、サッカー部を指導したい」という夢を持っていたが、
なかなか教員試験に合格できなかった。
しかし、小学校の教員を経て、29歳の時に西條北中で念願のサッカー部の顧問になった。

井上先生は、なんとかサッカー部をまともにしようと、奮闘を始めた。
1年生を集めて、先生はこう訴えた。
「お前ら1年生は俺と一緒に北中に来た。卒業するまでの3年間で、
お前らがサッカーやれるよう俺がなんとかするけぇ。
先輩のことは気にせんと、一緒にサッカーやろうや。」

「熱いこと言うてるけど、どうせ口だけやろ」 
母を捨てた父親との事から、長友は大人の男に不信感を抱いていた。
それにゲームセンターで遊んでいるほうが楽しかった。

ある時、いつものようにゲームセンターで遊んでいると、
「お前ら、なにしとるんじゃ」と声が響いた。声の方に振り向いた途端、恐怖に凍りついた。
身長はそれほどないが、いかにも筋肉マンの井上先生が、怒りの炎を宿した目で睨んでいる。

「立てや」と言われて、長友と隣にいた友だちが立ち上がった途端、
パチンと乾いた音がして、友だちが「痛い~」と頬を押さえて、膝から崩れ落ちた。
次の瞬間には長友の頬に痛みが走った。

「お前がこんなことをやってるんを見ているお母さんの気持ちを考えたことあるんか? 
そのゲームやっているお金は誰のおかげぞ!!」 
顔を真っ赤にしながら口にしたその言葉が長友の胸に響いた。


■4.「俺はな、ホンマに申し訳ないと思っとる」

ゲームセンターでの出来事があってから、井上先生はことあるごとに
「佑都、ちょっと話せへんか」
とやってきた。先生の車の中で話すこともあった。

「お前なぁ、ついこのあいだまでサッカー大好きで、毎日毎日サッカーやってたんやろ。
どうよ、今、物足りひんちゃうん? もっとサッカーやりたいやろ」

「小さいころ、プロになりたい言うとったやろ。お前はプロになれると思うで。
愛媛FC落ちて、ショックなんはわかるけど、ここで諦めたら、終わりやで」

「佑都らの代は、神拝小時代から強かったし、うまかった。ええ選手がそろっとる。
そやけど、中学のサッカー部がこんな状態やけぇ、サッカーへの情熱が薄れてしもうた。
俺はな、ホンマに申し訳ないと思っとる。
お前等、サッカーやりたいのに、、、、サッカー部がこんな状態で、、、、」

先生が泣いていた。大人の男が泣くなんて、初めて見た。心が震えた。

「母さんのこと考えてみぇや。朝から晩まで働いているんは、子どもの幸せのためや。
お前のスパイク買うたん、誰か、よう考えてみぃ。母さん喜ばせたないんか」


■5.「俺はお前とサッカーがやりたいんや」

__________
先生の言葉が耳に届いたとき、僕は母さんの顔を思い浮かべた。
毎日一生懸命働いて、しんどいのにいつも笑っている母さん。
泣き言も愚痴も言わず3人の子どもたちのためにすごい頑張っている母さん。

西條に来てから、母さんがのんびり座っていたり、ゆっくり寝ている姿を見たことがない。
僕が遊びへ逃げても小言ひとつ言わずに見守ってくれている母さん。
それだけ僕を信用し、期待しているということだ。
というのに、僕は嫌なことから逃げて、楽なことしかやってない。

「なにやってんねん」

情けなくて、腹立たしくて、申し訳なくて、カッと身体が熱くなった。
涙が頬を伝ってきた。一筋涙が流れると、もう止まらない。声をあげて泣いた。[1,p40]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

そんな風に井上先生とふたり、泣きながら語る夜が何度もあった。長友は思った。

「サッカー部の生徒全員に裸の心でぶつかってくれる先生。
僕らを真面目にさせるため、サッカーへ戻すため、必死になってくれる。
ひとりの選手、ひとりの人間に対して、こんな風に本気になれるなんて、
こんな先生ほかにはおらへん」

「俺はお前とサッカーがやりたいんや」という先生の言葉に長友は黙ってうなづいた。
サッカーに打ち込む日々が始まった。


■6.「自分の信念がぶれないのは、ノートがあるからだ」

「これはな、心のノートやけん。なにを書いてもいいけん。とにかく毎日書いてこい」

2年生になると、井上先生がそう言って、ノートを配った。
しかし、授業中ですらノートをつけない長友にとっては、
家で机に向かってノートを広げることだけでも億劫(おっくう)だった。

「今日も元気に練習できた」
「ゴールを決められなくて、残念だ」

毎日毎日、そんな1行を書くだけでも精一杯だった。
それでも、先生は「ノート見せてみぃ」と毎日、皆のノートを確認し、
なにかしらメッセージを書き込んで返す。
そのメッセージからもまた、先生の熱意を感じることができた。

真っ白なノートを前に、今日一日にあったことを考える。
なにが起き、どんな行動をし、そしてどういう風に感じたのか、あれこれ考えると、
その瞬間には自覚していなかったさまざまな自分の感情に気づくことができる。
そして文字に書かれた自分の思いを読み直すと、客観的に自分を見つめることが出来た。

まるで自分自身と会話を重ねているような時間だったので、
その作業がどんどん面白くなっていった。
家に戻り、夕食をすませると、さっそくノートを開く。
先生のメッセージを読み、そして自分の気持ちを記す。一日に何ページも書くことがあった。

「チームがひとつになることは、ボールを蹴るよりも大切なこと」

中学時代に長友が「心のノート」に記した言葉だ。
長友は今でも実家に帰ると、心のノートを開くことがある。
過去のノートを読み返すことで、大切なことが思い出される。
「自分の信念がぶれないのは、ノートがあるからだ」と長友は思う。


■7.「目標があったら、僕はとことんやるタイプなんや」

秋には、3年生が引退し、長友ら2年生がサッカー部の中心となった。
その頃の長友は小学生時代と変わらないプレースタイルだった。
ボールを持ったら離さず、どこまでもドリブルで勝負する。
しかもボールを奪われても守備に戻らない。

「佑都。お前の持ったボールは、ゴールキーパーから始まって、ディフェンダーが頑張り、
チームメイトがつないでくれたボールや。お前だけのもんやない。
そこを感じてプレーせなアカン。心でボールを蹴ってくれ。仲間のために走れ。」

先生の言葉は理解したが、守備に戻るスタミナがなかった。
走って自陣に戻って守備をしたくても出来なかった。
サッカー部のトレーニングで校外を3キロくらい走る練習メニューでも、校門を出たら、
さっと横道に隠れる。チームメートが戻って来ると、こっそり中に戻る。
顔や頭を水で濡らして、さも走ってきたかのように見せる。

「佑都、お前な、上を目指したいと考えてるんやろ? 
だったら、走れるようにならなアカン。
スタミナをつけなければ、上には行かれへんぞ!!」

プロになるためには強豪の高校に行くしかないと考えていた長友は、
先生の言葉にカッと熱くなった。「やるしかないやろ」。そう腹をくくった。
次の日から、400メートル10本、3キロ2本、など、チーム練習で1日15キロ以上は走った。

先生の指導スタイルは、自分の弱点を自分で気づかせ、
それを克服するためにどうするかは、自分で考えさせる事だった。
それは母親の「自分自身で気がつかないと意味がない」という言葉と共通していた。

「佑都。どないしたんや。メッチャ速なっとうやん」 
いつのまにか、チームでもいつも一番を争うようになっていた。

努力をしたら、結果が得られる。だから努力がどんどん楽しくなってくる。
「目標があったら、僕はとことんやるタイプなんや」 
目標を置いて、それに向かって努力していく面白さ、
そしてそれをとことんやる自分自身の力に気がついた。


■8.「感謝の気持ちがあるから、僕は成長できる」

西條北中サッカー部はぐんぐんと強くなっていった。
しかし、3年生の夏、高円宮杯全日本ユースサッカー選手権大会出場を目指したが、
県予選3位で敗退。

高校は、強豪・東福岡高校に行きたいと思った。しかし、私立だし、寮費もかかる。
これ以上、母親に大変な思いをさせてもいいのか、と悩んだ。
井上先生は「推薦入学でお願いできる可能性もあるよ」と後押ししてくれた。

長友が思いきって、母親に相談すると、ホッとしたような顔でこう答えた。

「母さんはね、佑都に福岡に行ってほしいと思ってんのよ。
あんたから「行きたい」と言うてくれんのをずっと待っとったんや。
お金のことなんか、どうにでもなるんやし、子どもが心配する必要はないから。」

東福岡高校のサッカー部には九州、中国、関西からも選手が集まってくる。
県や地域の選抜チームに選ばれた選手も少なくない。
そんな部員が150名もいる。その中では長友は背も低く、身体も細い。
レギュラーになるための道はとても遠く見えた。

しかし長友は自分の弱点を自分で掴み、自分なりの練習でそれを一歩一歩、克服していく。
サッカー部での練習の他に、早朝と夜間は自主トレだ。
睡魔との戦いだったが、授業中には絶対に寝ないで頑張った。
母親が必死で働いて、授業料を払ってくれているからだ。

「感謝の気持ちがあるから、僕は成長できる」と長友は言う。
その言葉通り、高校から大学、プロ、そして欧州へと、その都度、下から入って、
そこで成長して這い上がっていく繰り返しだった。

長友の成長の原動力は「感謝の心」だ。
そして、その「感謝の心」があるからこそ、イタリアのインテル・ミラノでも
チームメートの「懐に入って」、チームの要としてやっていけているのだろう。

その「感謝の心」を教えてくれたのが母親と井上博先生だった。

(文責:伊勢雅臣)

__________
長友の母親や井上先生のような人物が我が国の教育再生に必要です。
 教育再生を目指す方、関心・問題意識のある方に:

JOG Step 教育再生
http://blog.jog-net.jp/201305/article_2.html

 JOG Stepは、特定テーマに関して、過去の弊誌記事を体系的に整理し、お申し込みいただいた受講者に第1号から順次、週1~2編のペースでお送りする無料講座です。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■リンク■

a. JOG(761) なでしこジャパンの団結力
 体格のハンディをはねかえした「なでしこジャパン」の団結力はいかにもたらされたのか。
http://blog.jog-net.jp/201208/article_2.html

b. JOG(638) 「日本人という生き方」(上) ~ ウガンダの高校生を変えた日本の躾
「時を守り、場を清め、礼を正す」の躾で、彼らは野球に真剣に打ち込むようになった。
http://blog.jog-net.jp/201006/article_14.html

c. JOG(639) :「日本人という生き方」(下) ~ ウガンダ高校生たちの志
 日本の躾を身につけたウガンダの高校生たちは、 「母国を良くしたい」と志すようになった。
http://blog.jog-net.jp/201006/article_13.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 長友佑都『日本男児』★★★、ポプラ社、H23
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4591124452/japanontheg01-22/

====================
Mail: ise.masaomi@gmail.com
Twitter: https://twitter.com/#!/ise_masaomi
または本メールへの返信で
姉妹誌「国際派日本人のための情報ファイル」JOG Wing
http://blog.jog-net.jp/
購読解除: http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/quit_jog.htm
相互広告: 弊誌読者の参考になるメルマガとの相互広告歓迎。
====================
◎Japan on the Globe-国際派日本人養成講座
のバックナンバー・配信停止はこちら
http://archive.mag2.com/0000000699/index.html
----------------------------------------
良いハナシだな~(泣
Posted at 2014/03/02 09:09:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | すぽーつ | 日記
2014年02月07日 イイね!

ゲイリー・ムーア「パリの散歩道」がフィギュア男子の曲に!?

朝、パン齧りながらTV見ててたまげましたw

まさかゲイリー・ムーアの曲が日本の男子フィギュアで使われるとは・・・

BARKSニュース

フィギュアスケート羽生選手のショート・プログラム(SP)使用曲「パリの散歩道」が、
2月6日に3回忌を迎えたゲイリー・ムーアの公式サイトで公開された。
ダイナミズムあふれたライブ映像だ。

いよいよ開会を間近に控えたソチ・オリンピックは、2月7日(現地時間)の開会式に先駆けて、
フィギュア・スケートの団体ペア/男子シングルのSPから競技が幕を開ける。
新種目である団体戦から個人戦まで見どころ満載なフィギュア・スケートだが、
なかでも注目したいプログラムに、羽生結弦選手のSP「パリの散歩道」がある。
羽生選手は前シーズンから同曲をSPに使用して以来、記録的な高得点を次々とマーク、
いまや「世界でもっとも得点を出すプログラム」とファンから言われるほどだ。


「パリの散歩道」の作者を知るフィギュア・ファンは少ないかもしれない。
彼の名はゲイリー・ムーア。
“ロック界の人間国宝”とまで形容され、世界中のギター・キッズ、ロック・ファンを熱くしてきた
偉大なるギタリストだ。


北アイルランド出身、1960年代からキャリアをスタートしたゲイリー・ムーアは、
1970年代にシン・リジィ、コロシアムIIなどのロック・バンドを渡り歩き、
1980年代以降はソロ・プレイヤーとして数々の名盤を生み出してきた。
彼のカリスマ的なギター・プレイは、ヴァン・ヘイレンやマイケル・シェンカー等と同様、
様々なギタリストに影響を与え、“マシンガン・ピッキング”と称される豪快な速弾きと、
図太く感情を剥き出しにした“泣きのギター”で多くのリスナーを虜にしてきた。

数々のメロディアスな楽曲を持つギター・ヒーロー、ゲイリー・ムーアの「パリの散歩道」は、
1978年発売のアルバム『バック・オン・ザ・ストリート』に収録されている、
2010年4月に21年ぶりに実現したジャパン・ツアーでも披露された彼の代表曲だ。
しかし、その来日の翌2011年にスペインで休暇中の彼が急逝、突然の訃報に
世界中のファンが涙した。

そして2014年、奇しくもソチ五輪のフィギュア・スケート競技初日である2月6日
(日本時間2月7日)が、ゲイリー・ムーアの3回目の命日に当たる。
この3周忌を前に、ユニバーサル ミュージックでは
virginレーベル作品を含めたゲイリー・ムーアの新オフィシャルサイトをオープンし、
さらに、1993年に発売されたアルバム『ブルーズ・アライヴ』に収録されていた
「パリの散歩道」(ライヴ・ヴァージョン)のプロモーション・ビデオを
同サイトで公開したというものだ。
------------------------------------

というわけでロック時代とブルーズ時代の曲をいくつか・・・





























あの突然の逝去からもう3年ですか。早いなぁ(-_-;
改めてご冥福をお祈りします。
Posted at 2014/02/07 23:13:29 | コメント(1) | トラックバック(0) | すぽーつ | 日記

プロフィール

「[整備] #フィット ペイントプロテクションフィルム貼り付け(3) https://minkara.carview.co.jp/userid/202453/car/3276985/6906181/note.aspx
何シテル?   05/28 23:31
運転してて楽しいクルマと聴いてて楽しい音楽が好き。 (それがたまたまホンダ車・スバル車とHR/HMなわけですが・・・) ヒマ見つけて更新する意思だけは持ちた...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/6 >>

1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

愛車一覧

ホンダ フィット ホンダ フィット
新車から11年乗ったGE6から7年落ち3.3万キロのGK3に乗り換えました。 通勤快速な ...
スバル インプレッサスポーツワゴン スバル インプレッサスポーツワゴン
グループAの(555と()))ばかり 5回貼って4回剥がしましたw
ホンダ フィット ホンダ フィット
VIVIOで追求していた「通勤快速」をこちらでさらに充実しようと思います。
スバル ヴィヴィオ スバル ヴィヴィオ
↑2008年7月5日オートランド作手ALTにて RX-Rなのにレギュラーしか飲まないA ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation