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2017年11月15日 イイね!

拉致から40年 めぐみさんを救え

というわけで産経新聞の記事と横田さんの手紙を丸ごと転載。

2017.11.15 05:00更新
【拉致40年 めぐみさんを救え(1)】
老いる父…誕生日に「あの日」を重ね

両脇を支えられ、ゆっくり杖をついて現れた。うつろな視線。ひとりで歩くのもままならない。
「お久しぶりです」と声をかけると、顔をあげた。柔和な表情を浮かべる。
「ああ…、ごぶさたしています」。口ごもりながらも、あいさつを返してくれた。

腰掛けるにも介助が必要だった。髪は真っ白になって久しい。
会話中でもしばしば目をつぶり、突っ伏しそうになる。
「お父さん、起きてください」。妻の声にうなずく。
強い薬の影響もあって、体調が悪い日は時々、意識が混濁する。

みな老いる。病みつく。14日で85歳になった。この1年で体は急に言うことをきかなくなった。
字が書けない。言葉が出ない。「こんなふうになるなんてね」。横田めぐみさん(53)=拉致当時
(13)=の父、滋さんのとなりに座る母、早紀江さん(81)はそうつぶやいた。

 ■  ■  ■ 

「これからはおしゃれに気をつけてね」。40年前の滋さんの誕生日。
中学1年だっためぐみさんは小遣いからこげ茶の携帯用の櫛を買い、滋さんにプレゼントした。
家族で囲んだ秋の夜の食卓は温かかった。

めぐみさんは翌朝、「行ってきます」と登校したきり、帰ってこなかった。
北朝鮮工作員が無慈悲に連れ去った。耐え難い境遇。
滋さんにとって、誕生日を重ねることは、めぐみさんが忽然と姿を消した「あの日」を重ねることだった。

めぐみさんからもらった櫛はジャケットの胸ポケットやセカンドバッグに入れて持ち歩いていた。
だが、外出頻度が減った最近は寝室のたんすの引き出しに保管したままになっている。

めぐみさんは「おとうさんっ子」だった。
4つ下の双子の弟が生まれ、早紀江さんがかかり切りになったため、めぐみさんは
滋さんになついた。滋さんも溺愛した。「いつも抱っこしていた」(早紀江さん)

滋さんは暇さえあれば、めぐみさんや家族の写真を撮った。
家族旅行、運動会、雪降る正月に早紀江さんの着物を着ためぐみさん、
中学に入学した制服姿のめぐみさん…。数え切れないくらいシャッターを切った。
めぐみさんはそこにいる。

 ■ ■ ■

「娘が帰ってきたら、これまでの不幸を取り戻すため、何でもかなえてやりたい。
その日が一日も早くくることを願っています」。
めぐみさんの拉致が表面化した20年前、滋さんはこう語っていた。

あれから、さらに20年。
「早くめぐみさんに会いたいですね」と尋ねると、滋さんは「そうですね」としみじみ語った。
早紀江さんが「ディズニーランドに一緒に行きたいのよね」と語りかけると、大きくうなずいた。
東京ディズニーランドの開園はめぐみさんの事件の後だった。
「写真もいっぱい撮りたいよね」と早紀江さんが続ける。今度は「うん」と声に出した。

突っ伏しそうな姿勢だった滋さんが突然背筋を伸ばし、思いだしたように語り始めた。
「この前、一枚一枚(めぐみさんと家族の写真を)整理した」。また柔和な表情になった。

滋さんはめぐみさんを迎えるために闘っている。
「拉致問題は解決ずみ」とうそぶく北朝鮮への怒りが込み上げる。
壮絶な半生を経た滋さんの今のありのままの姿が、拉致の非道さを浮き彫りにし、
被害者と家族の悲痛な声を国民にも突きつける。


 ■  ■  ■ 

《父 横田滋》《母 横田早紀江》。こう書かれたたすきを肩から斜めに下げて、2人は街頭に立った。
真夏でも、真冬でも、コツコツと署名を集めた。
初めて新潟市の街頭に立った平成9年春、横田夫妻はすでに60代だった。
めぐみさん救出を訴える全国各地での講演も1300回を超えた。
スケジュール帳はいつも救出運動の予定で埋め尽くされていた。
だが、数年前から、滋さんと早紀江さんが公の場に立つ機会は激減した。
老いや病には逆らえない。

「両親が元気なうちに、姉と抱き合わせてあげたい」。
めぐみさんの双子の弟、拓也さん(49)と哲也さん(49)はそう話す。
めぐみさんが拉致された昭和52年11月15日夜、9歳だった2人は早紀江さんに手を引かれ、
姉を捜した。
真っ暗闇の夜、泣きじゃくりながら姉の名前を叫び、母と歩き回った。

哲也さんは「子を奪われたなら、親は全てをなげうってでも救おうとするはず。
真面目な両親にとっては当然のことだったのだろう」と振り返り、続けた。
「全身全霊をかけていた。過酷な日常だったと思う」

めぐみさんが拉致され、横田家は「太陽」を失った。
食卓を囲み語り合った。風呂ではしゃいだ。
仲良く通学したり、時にはきょうだいげんかも…。
全てが過去になってしまったことが悲しかった。

「父が撮った昔の家族の写真を見ると、昨日の出来事のように思い出される。
こんなに楽しい時があったのに、姉はなぜ突然自由を奪われてしまったのか」。
拓也さんは長年、苦しい自問を続けている。

 ■  ■  ■ 

拓也さんと哲也さんは平成9年に家族会が結成されて間もなく、救出運動に参加した。
早紀江さんは常々、「子供の世代にまで拉致問題の禍根を残したくない」と語ってきた。
息子たちにはそれぞれの人生や家庭がある、との思いからだ。
だが、哲也さんは「姉貴を忘れたことは一日たりともない。
正義が勝ち、拉致被害者を救うために、家族は訴え続けなければいけない」と力を込める。

実際、高齢の両親に代わって、双子の弟が国内外の各地で訴える場面は増えている。
拓也さんは話す。
「北朝鮮による拉致を国際社会に訴える必要性はますます高まり、親に代わって子供の世代が
各地に赴く必要がある」。
檀上に立つたび、両親を思い「残された時間は少ない」と訴える。

めぐみさんを取り戻したら何と声をかけるか。
「『助けるまでこんなに時間がかかって、本当にごめんね』と謝りたい。
そして、ひたすら涙にくれると思う」。
哲也さんはそう語る。(中村昌史、中村将)



2017.11.14 07:10更新
【めぐみへの手紙】
拉致40年…トランプさんの目を見つめ、私の思いお話ししました

めぐみちゃん、こんにちは。
日本は木の葉が色づく季節が過ぎゆき、日々、寒さも感じるようになりました。
あなたは美しい自然が本当に大好きでしたね。
一刻でも早く、日本のきれいな風景を見せてあげたい。
お父さんとお母さんはそれだけを願い、一生懸命がんばっていますよ。

今年も11月15日を迎えてしまいます。決して忘れることはない「あの日」。
昭和52年、新潟で13歳のあなたが連れ去られてから、40年がたってしまいます。
なぜ今日まで助けられなかったのか…。53歳になったなんて想像もつきません。
途方もなく長い月日を振り返ると、怒り、悔しさ、悲しさ、いろいろな感情が一気にこみ上げてきて、
言葉になりません。

13年間しか一緒にいられなかったけれど、あなたのちょっとしたしぐさ、楽しかった会話を
今も鮮明に覚えています。助けるまでにこんなにも時間がかかってしまって本当にごめんね。

お母さんは今月6日、拉致被害者家族会のみなさんと一緒に、米国のトランプ大統領にお会いしました。
これまでもブッシュ大統領やオバマ大統領にお会いして、拉致問題の解決をお願いしました。
どこにでもいる普通のお母さんが3人もの大統領にお会いするなんて、本当に不思議で、
考えられないことです。とてつもなく重責で、しんどい思いをしました。


トランプ大統領は大柄で明るい方でした。
身を乗り出して私たちの話を聞いてくださり、その真剣なまなざし、熱意がとても強く、印象に残りました。

お母さんは81歳になり、大きな声が出せなくなりました。
面会の直前に風邪をひいてのどを痛め、ひどいがらがら声になってしまいました。
多くのことが語れず、とても心苦しかったのですが、9月の国連総会で拉致をはじめ
北朝鮮のさまざまな問題を世界中に訴えてくださったことに、深い感謝をお伝えしました。

家族が伝えたい思いは、みな同じだったと思います。
子供たちを無残な形で連れ去られたまま、長い年月を歩んできました。
めぐみちゃんの母親として、親として、すぐにでも取り返したい。
良き父親であるトランプさんにも、その気持ちをわかっていただけるはず。
それを信じて、目を見つめてお話ししました。


朝鮮半島情勢は緊張して、何が起こるかわかりません。
今回のトランプ米大統領との面会も含めて一瞬一瞬がとても大切な時間です。
めぐみちゃんたちを救わなければならない責任を感じながら、必死に願いを伝えてきました。
面会が何かを変えるきっかけになることを祈ります。

もちろん、拉致問題を解決するのは日本自身の取り組みにかかっています。
自らの力で悪に立ち向かい、被害者を一刻も早く救っていただきたい。
「拉致を解決できないのは国の恥です」。
お母さんはいつも、みなさんにそう申し上げます。
日本がさまざまな問題を解決して「さすが日本国だ」と認められ、すべての国々に
平和と幸せな日々が訪れることを心待ちにしています。

今改めて振り返ると、拉致問題がいかにひどい出来事だったかと気が遠くなります。
北朝鮮による国家犯罪が次々と、日本各地で起きていた歴史は、とても重たい現実です。
40年前にあなたがいなくなった時の衝撃。
風景や空気、すべてが暗澹(あんたん)として、恐怖に覆い尽くされ、死にたいと思うぐらい
錯乱していました。


それから20年がたち、めぐみちゃんが北朝鮮に連れて行かれていたことがわかりました。
苦しく、泣き叫ぶ人生は終わり、あなたが元気で生きている望みが大きな力になり、
喜ばしいとさえ思いました。
「もう弱ってはいられない。しっかりと、闘っていかなければならない」。そう誓いました。

あなたとの再会についてよく聞かれます。
お父さんは、いざその時が来たらどうなるのか、想像もつきません。
「いろいろなことを取り戻すため、たくさんの時間が必要だな」と、思いをはせていますが、
お父さんはきょう14日の誕生日で85歳になりました。
残された時が少ないことに、焦りを感じています。

お母さんはいつも、「覚悟はできている」とみなさんにお話しします。
それは決して、後ろ向きなのでも、あきらめたわけでもありません。
自分も含め、人は生涯の中で何が起こるのか、あらかじめ予測することはできません。
課せられた使命を思い、できうるだけのことを一生懸命やれば、何が起きてもそれでいい。
お母さんは最後には必ず、めぐみちゃんと会えると思っています。
だから日々、生かされている中で、さまざまな迷い、苦しみにもどうにか向き合うことができているのです。

めぐみちゃん、日本は雨降りが多く、さわやかな秋はありませんでした。そちらはどうですか。
年の瀬が迫ると、いつも北朝鮮の厳しい冬を思い、心配になります。
お父さんもお母さんも疲れ果てていますが、めぐみちゃんの方がもっと大変だったと思います。

知らないところに連れ去られ、言葉も、習慣も、何もかもを一から学び直さなければならない。
日本で生まれ、学んできたことは一体、何だったのか…。
あなたのことだから、そんな苦しさの中でも、必死にがんばっていることでしょう。

めぐみちゃんが元気で帰ってくると信じている。
どれだけ苦しくても、元気で力強いお父さんとお母さんでいることを約束します。
救出のためにできることをすべてやって、思い残すことがないようにします。
あきらめずに待っていてね。
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Posted at 2017/11/15 22:21:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | 美しい日本 Returns | 日記
2017年11月15日 イイね!

横綱暴力事件>小池代表辞任>>>めぐみさん拉致から40年、かよ。

今日11月15日で横田めぐみさんが拉致されてから40年になるそうです。

13歳で拉致されて現在は53歳・・・。


でも「ゴゴスマ!」は横綱の暴力事件1時間と小池代表の辞任で1時間、計2時間で終了。

「ひるおび」は今日はデーモンが出ていなかったのですぐ削除しましたが冒頭は横綱暴力事件。


あのさ、1社ぐらいは横田夫妻の事や拉致問題のこれまでの経過を

きちんと取り上げようとは思わんのかね?(・_・;


(こと拉致問題に関してだけは「安部政権になっても何も進展してないじゃないか!」って論調で

政権批判していいと思いますよ。実際目に見えるような成果が無いんだし)



まぁ思わないよなぁ視聴率取らなきゃスポンサーに怒られるし

それ以前に、中朝韓に都合の悪い事にはだんまりだもんなぁ。



でもねぇ、みんカラに限らずSNSをやってる方にお願いしたい。


同じ日本人が、中1の女の子が、北朝鮮の工作員に日本国内から拉致されて

40年も奪還できていない。

こんな酷い実話がいったいどこにある?


この事実をたとえ僅かでも良い、同じ日本人、当事者として関心を持ち、認識し、広めて頂きたい。


無関心である事、これは無視する事よりもずーっと酷い事なのかもしれない(-_-;


拉致問題に関わる全ての方が北の黒電話に負けませんように。
Posted at 2017/11/15 21:32:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 大マスコミ様(笑) | 日記

プロフィール

「[整備] #フィット ペイントプロテクションフィルム貼り付け(3) https://minkara.carview.co.jp/userid/202453/car/3276985/6906181/note.aspx
何シテル?   05/28 23:31
運転してて楽しいクルマと聴いてて楽しい音楽が好き。 (それがたまたまホンダ車・スバル車とHR/HMなわけですが・・・) ヒマ見つけて更新する意思だけは持ちた...
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