いつものメルマガ転載ですが、タイトルだけ読んで山本太郎の件かと思ったら違いましたw
(でもタイミング良いよなぁw)
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■■ Japan On the Globe(822) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■
Media Watch:「自己中」はサヨクの始まり
朝日新聞投稿者たちの、世間常識も他者への思いやりもない「自己中心主義」の世界
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■1.『朝日新聞のトンデモ読者投稿』
弊誌では従来から朝日新聞の報道ぶりを分析してきたが、
最近、『朝日新聞のトンデモ読者投稿』[1]という本を読んで、
読者も負けずに相当に「ユニーク」である事に驚かされた。たとえばこんな具合である。
__________
サービス3流懲りた新幹線
主婦 佐藤安子(岐阜県 59歳)
3月下旬、2泊3日の東京巡りをして、たくさんの楽しい思い出を胸に、
東京発「ひかり」に飛び乗りました。空席が多かったので、
荷物を右の座席に置いて腰を下ろしました。
その時、車掌さんが検札に来ました。
私の切符を見て、4千円余りを払って下さいとのことでした。グリーン車でした。
財布の中には2千円少々しか残っていませんでした。
自由席を3両歩きましたが、全部満席。
疲れが出て、それ以上空席を探す気になれません。
出入り口の近くにバッグを置いて腰掛け、足は対面の壁にくっつけて
疲れを癒やしながら考えました。
切符は、金券ショップの格安店3店を回って買った9300円のものです。
車掌さんは横を通っても、声をかけるでもなく、むなしい1時間50分でした。
180円の切符を買っても「ありがとうございます」と言葉をかけてくれる私鉄の
駅員さんがいるかと思えば、JRは1万円近い切符でも空席の案内もありません。
二度とJR新幹線は利用したくありません。サービスは三流です。[1,p44]
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■2.自己中読者の投書を掲載した意図は?
まるでグリーン車とは知らずに座ってしまったとでも言いたいようだが、
グリーン車と普通車とは座席も内装も違うので、幼稚園児でも区別できる。
金券ショップを3軒も回って格安チケットを探すほどの人が、その区別を知らないはずはない。
この人は知っていてグリーン車に勝手に座ったのである。確信犯だ。
車掌は今まで座っていたことは大目に見て、差額を払えないのなら
普通車の自由席に移るよう、穏便に注意したようだ。
たいていの乗客ならこの段階で「すいません」と小さくなって、
寛大な車掌に感謝しながら、普通車両に移るところだ。
結局、空席が見つからずに、「出入り口の近くにバッグを置いて腰掛け、
足は対面の壁につけて」とは、まるで不良中学生のような態度だ。
60歳近いご婦人にしては異様である。
「空席の案内もありません」とは、また見事に自分勝手な言い分である。
座りたかったら指定席をとるか、東京駅は始発駅なのだから並べば自由席に座れる。
そうせずに混んでいる列車に勝手に飛び乗って座れなかった乗客には、
車掌としてはどうしようもない。
こういう自己中心的な考え方しかできない人を「自己中」と呼ぶ。
「自己」中人間はどこにでもいるが、それよりも、こういう自己中の典型の投書を
堂々と掲載する朝日新聞の意図が分からない。
この本には他にもJR各社を攻撃した投書が載っている。
かつての国鉄は分割民営化され、業績も回復し、サービスも格段に良くなったが、
同時に国鉄に巣くっていた左翼の国労や動労は勢力を失った。
そのことを朝日は今でも恨んでいるのだろうか。
それでも、こんな投書ではJR批判にもなっていない。
単に購読者の中にはこんな自己中人間もいることを示しているだけである。
もし、朝日新聞の編集者が、これが説得力のある投書だと信じて掲載したのだとしたら、
そちらの方が恐ろしい。編集者の頭の中も自己中になっている恐れがある。
■3.「隣の遠い国」壁超える日は
もう一件、自己中読者の投書を紹介しよう。
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「隣の遠い国」壁超える日は
会社員 佐々木佑子(新潟県白根市 54歳)
(前略) 10年ほど前に、会社の慰安旅行で、隣にある一番遠い国という印象だった韓国に
行きました。初めての外国体験です。
泊まったホテルのベルボーイの彼は、韓国特有のハンサムな男の子でした。
彼は22歳、「兵役がまだなんです」と話していました。
あまり可愛いので、強引に誘惑し同僚と3人で夜の散歩としゃれ込みました。
お互いの通じない言葉とカタコトの英語であれこれ、楽しいひとときでした。
帰国の空港で電話したら、電話口に出た父親が、日本語で言いました。
「うちの息子は日本には行かない。電話にも出ない。友達にはなれない」。
その怒りにも似た言葉に絶句しました。
この秋から、市民大学講座で「東北アジアについて」を受講しています。
高校卒業以来初めての勉強に夢中です。
アジアについて、あまりにも知らされていない事実がたくさんあることに驚きの連続です。
新聞には、いつも米国側から見るのではなく、
同じアジアからの視点の記事を期待してやみません。[1,p32]
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父親の言葉からは、ご婦人たちが青年に「日本に来ないか、友達になろう」などと
誘った様子が窺える。
この父親の方が、よほど常識的に見えるが、投稿者はその言葉に
「絶句した」と述べるだけで、反省したのか、反発したのか、分からない。
「この秋から」という次の段落との脈絡が、これまた不明だ。
自分の行為を反省して、アジアの視点を学ぼうとしているのなら、まだ救いようがあるが、
ひよっとして韓国青年を誘惑することこそ「アジアからの視点」だと思っていたら、
究極の自己中である。
朝日新聞がこの自己中読者の投書を掲載する意図がまた分からない。
「こんな事をしてはいけませんよ」という反面教師として取り上げたのか、
あるいは、韓国青年を誘惑するほど、アジアに親近感を抱いている好例として取り上げたのか。「『隣の遠い国』壁超える日は」という肯定的なタイトルからは、どうも後者のようだ。
しかし、こんな自己中おばさんたちが続々と「壁」を越えてやってきたら韓国も大変だ。
今度は慰安「夫」騒動が起きるかも知れない。
■4.「僕たち、お隣の国の子に間違えられたんだよ。すごいでしょう。」
「隣の遠い国」との壁を超えるのが、朝日新聞の悲願のようで、こんな投書もある。
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子らが大合唱 アンニョーン
主婦 小室早紀子(東京都国分寺市 34歳)
「アンニョーン、アンニョーン」と、米国イエローストーン国立公園の谷にこだました。
見ると、レンタカー内の我が家の三歳と五歳の息子たちに向かって、
大きく手を振っているおじさんがいた。
ハングル文字のバスの前で、運転手が満面の笑顔で、こちらに手を振り続けていたのだ。
「何ていう英語なの」と尋ねる子供たちに、
「こんにちはって言っているの。英語じゃないのよ。お隣の国の言葉なの。
君たちのことを自分の国の子だと思っているのよ、きっと」
と言うと、
「わーい」と叫び、車の窓から身を乗り出して両手をいっぱいに広げ、「アンニョーン」と。
あちらのバスの乗客も全員、車窓からこたえてくれて、大合唱となった。
帰りの飛行機で、茶髪の短期留学の高校生に囲まれた席で、
「僕たち、お隣の国の子に間違えられたんだよ。すごいでしょう。アンニョーン」
と誇らしげな彼らに、二十一世紀を見たような気がした。[1,p12]
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見ず知らずの子供たちを韓国人と決めつけて、
大声で「アンニョーン」と手を振りつづけるバスの運転手。
韓国人と間違えられたと教えられて、「ワーイ」と叫んで、車から身を乗り出して応える子供たち。
極めつけは、「僕たち、お隣の国の子に間違えられたんだよ。すごいでしょう」と自慢するシーン。
どうにも不自然な筋書きで、作り話っぽい。
たとえ実話だとしても「いい話」と共感する人はいないだろう。
そもそも、この子らが「お隣の国」に間違えられることに、なぜそんなに喜ぶのだろう。
「お隣の国」はポケモンの国とでも思っているのだろうか。
弊誌815号では、「お隣の国」はポケットモンスターどころか、
本当のモンスター国家ではないかと論じた[a]。
子供は現実の世界に触れて、当初抱いていた空想的世界観を徐々に修正していく。
それが人間としての成長である。
2児の母になっても、現実社会を客観的に知ろうとせず、
「二十一世紀世界を見たような気がした」と思い込んでいるようでは、自己中そのものである。
この投書を掲載した朝日の編集者も同類だ。
■5.「正直に生きる」
青少年の読者も「自己中」ぶりでは負けてはいない。
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「悪法も法」か、正直に生きる
高校生 福田哲弥(兵庫県三田市 17歳)
私は、単車の免許を取らない、買わない、乗らないという「3ない運動」に違反して
停学処分を受けました。しかし私は、人として悪いことをしたとは思っていません。
高校生は危険な乗り方をすると決めつけ、信頼しようともせず、
21年間続けてきたことに驚きさえ覚えました。
交通ルールを守り、むちゃな乗り方をせず、命を大切にすると親に約束し、
許可を得て取得した免許です。取得後も、親の運転する車の前を走り、
カーブの曲がり方、スピードの出し方など注意を受けました。
いままで悪いことを一度もしたことがないのが、私の自信の源です。
先生は「悪法も法。従わねばならん」と申されました。私はそうは思いません。
悪法に従えば、悪法と同じレベルの人間になると思います。・・・
この精神は永遠に持ち続けたい。
自分自身の信念とモラルのもとに公然と正直に生きていきます。
罰せられても、私は私らしく生きてきたいです。
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善悪をすべて自分で決め、それに矛盾する法はすべて悪法と切り捨てるのは
自己中の典型である。
自分の信念でルール破りが許されるなら、別の不良生徒が
「人のモノは俺のモノ」という信念をかざして、この高校生を殴って、バイクを取り上げたとしても
反論はできまい。朝日の理想とは、こういう「自己中」青少年を育てることなのか。
■6.「ミサイルだろうが靖国参拝だろうが」
こういう自己中人間が政治を考えるとどんな事になるか、一例を見てみよう。
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どこか似ている北朝鮮と首相
ケアマネジャー 香川博司(広島県福山市 54歳)
ミサイルを発射したことについて、北朝鮮外務省報道官は
「主権国家としての合法的な権利」で他国の批判は当たらず、
「いかなる国際法や朝日平壌宣言、6者協議の共同声明などの二国間・多国間合意に
拘束されない」と発言した。
どこかで聞いたような言い方だなと思ったら、我が国首相の靖国参拝だ。
中韓両国からの参拝批判に対する反論と、どこか似ているではないか。
ミサイルだろうが靖国参拝だろうが、他国への不快や脅威を与えている点では同じではないか。
自分や自国が何と言おうが、それが隣国や隣国に大きな影響を与えかねないことに留意し、
配慮するのが最低限の礼儀であり品性である。
両者に共通しているのは、他者とともに生きているという心の姿勢の欠如であろう。[1,p200]
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「他国への不快や脅威を与えてはいけない」という一つ覚えの論理で
すべての物事を判断する自己中読者の視点からは、
靖国参拝も北朝鮮のミサイル発射と同じに見えるようだ。
しかし、たとえばあなたが亡父の墓参りに行こうとしているのを、隣家が
「あんたの親はうちの親に昔、大変な迷惑をかけた。そんな親の墓参りに行くことは、
私たちを不快にするから止めてくれ」と言われたら、
「他国への不快や脅威を与えてはいけない」という論理で、墓参りを止めるべきなのか。
国際社会でも、我々の日常社会でも、快不快とは別に、国際的なルールや常識がある。
たとえ自分が不快だと思っても、法律上、あるいはマナー上、
黙って甘受しなければならない時もある。
こういう常識も学ばずに、一つ覚えの論理だけを振り回すのは、自己中症状である。
■8.「自己中はサヨクの始まり」!?
それにしても、前節の「悪法には従いません」と胸を張る高校生と、
「ミサイルだろうが靖国参拝だろうが」と言い切る中年男性の、なんと似ていることか。
「自己中」高校生も、多くの場合、社会で世間常識や他者への思いやりを学んで、
そこから脱却していくのだが、たまたまガラパゴス的に「自己中」のまま
大人になってしまう人がいる。本稿で登場いただいた「自己中」読者はこの類いだろう。
そして「自己中」学生の中でも一流大学を優秀な成績で卒業した「選良」が、
朝日の記者や編集者になるのかも知れない。
そうでない事を祈るが、本稿で紹介した「自己中」投書を堂々と掲載していることから考えると、
そんな危惧を払拭できないのである。
そしてそういう人たちが、
靖国参拝はミサイルと同じ、などというサヨク的言辞を振りまいている。
「自己中はサヨクの始まり」とでも言えるのではないか。
(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(815) 隣の国はモンスター!? ~ 『悪韓論』から
データで明かされた韓国社会の異様な実態。
http://blog.jog-net.jp/201309/article_10.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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1.朝南政昭、『朝日新聞のトンデモ読者投稿』 ★★、晋遊舎ムック、H19
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4883806162/japanontheg01-22/
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単車の免許を取って高校から定額処分を受けた高校生の
>いままで悪いことを一度もしたことがないのが、私の自信の源です。
>先生は「悪法も法。従わねばならん」と申されました。私はそうは思いません。
>悪法に従えば、悪法と同じレベルの人間になると思います。・・・
>
>この精神は永遠に持ち続けたい。
>自分自身の信念とモラルのもとに公然と正直に生きていきます。
>罰せられても、私は私らしく生きてきたいです。
という主張は、山本太郎の
「常識的に考えて、陛下に対して、お手紙をお渡しするという行為は
失礼に当たるかもしれない。
けれどもやっぱりこの現状を知っていただきたいという自分の気持ちが
まさってしまったという部分ですね」
という主張とそっくりですね(^^)