昼過ぎから自宅で庭師の真似事をしてから時間ができたので
殉国七士廟にお参りすべく、三ヶ根山に行きました。
三ヶ根山スカイライン、数年ぶりに行きました(東側=形原温泉側から)が4輪は410円でした。
値上がりしたかな??
相変わらず路面悪いです。基本、ひび割れてます。
で、三ヶ根観音の辺りなのかな?と思ったらどうやら違う。
え?もっと奥??と思いつつ、山頂の駐車場を通り過ぎてしばらく走ると
ありました、殉国七士廟の看板。「駐車場あり」。OK、右折で入りましょう。
※そうか、今まで山頂の駐車場ぐらいまでしか走ってなかったから知らなかったんだ(^^;
で、ここから舗装されてはいるものの、結構狭い道に入ります。
普通車で対向すると、すれ違いできるところが限られるかもしれません。
もっとも、祭られている七人の方々の命日は12月23日なので
直後の今日に来ている方は恐らく居ないだろうと思ってましたが・・・。
予想通り先行も後続も対向もありませんでした。
「ホントにこっち?」「まだ?」とか、僅かに不安を感じた頃、見えてきました。
廟の入り口には超巨大な石碑が建っています。
どうやって運んで据えたのか?と思うぐらい大きいです。
(帰りに撮影しました)
そのまま進むとHPのトップに乗っている画像の広場(駐車場兼用)に辿り着きました。
先客と思われる地元ナンバーのご家族(お祖父さんと息子夫婦といった感じか)方が
右奥の「萬世太平の賦」

の前で記念撮影をされていました。
何せ風が強く、吐く息が急激に白くなってきたのが判りましたが
先のご家族の邪魔にならない様に散策しつつ奥に進むと・・・立派な廟がありました。
・・・流石に写真撮る気にはなりませんでしたが
命日の数日後という事もあり、たくさんの生花やお酒が手向けられていました。
いわゆるA級戦犯といわれる方たちですが、今の私は
「各国から開戦する様に仕向けられ、敗戦後は事後法で戦勝国に殺された方」
という捉え方をしています。(この認識は今後変わる可能性もありますが)
HPに説明があるので丸ごと引用します。
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いわゆる「A級戦犯」
言うまでもなく今次大戦では、正義があったから連合国が勝ったわけでも、
邪悪な国だったから日本が敗れたのでもありません。
連合国は日本に対し、非人道的な大量殺戮兵器を無差別無制限に使用することで
勝利に至ったのです。
ところが、連合国は自らの正義を演出するために、戦争犯罪人を創り出し
それを訴追し裁くという方法をとりました。
東京裁判(極東国際軍事裁判)では、「平和に対する罪」という名目で
『A級戦犯』とされた28人の人が「文明」の名の下に裁かれ、七名の方が処刑されました。
他にも、『B級戦犯』『C級戦犯』とされ、約1000名の人たちが命を奪われています
(獄死を含む)。
主権回復後の日本では、戦犯として処刑された方や拘禁中に獄死した方はすべて
「公務死」または「法務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として
取り扱われています。
つまり、日本には「戦犯」なるものは存在しないのです。
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♯勉強不足で薄っぺらな知識に基づく私見ですが、A級戦犯とされた方が
♯何か罪に問われるとすれば「開戦し結果として負けた事」だと思います。
♯もちろん、現在では物量から見て勝てる見込みはなかったのは自明の利ですが、
♯でも何か罪に問われた事があったとしても、上記の通り名誉は回復されていると考えます。
♯(なので「A級戦犯の方」ではなく「A級戦犯とされた方」としています)
お参りしてから左手の階段を降りて周囲の慰霊碑を見て回りました。
どの部隊の慰霊碑の前にも、その部隊がどこで組織され、どこでどの様に過ごしたのか
しっかりと書かれた石碑がありました。立ち止まっては読み、その度に息が詰まりました。
母方の祖父は3人兄弟で、3人とも戦場に行きました。
祖父は割と近くに居たらしく、一時帰国したりしていたそうですが、
大叔父(祖父の弟。存命)は満州で終戦を迎えソ連軍に捉えられ
厳しいシベリア抑留生活を送ってから帰還しました。
一番上の大叔父はミンダナオ島の激戦から生還しましたが、
生前は会う度に戦場の悲惨さを語っていた様に記憶しています。
そんな事を思い出していると慰霊碑の並ぶ一番奥、屋根つきのスペースに
何か大きな金属の塊が???
渥美半島沖で漁の網に掛かった三菱製重爆撃機「飛龍」のエンジンだそうです。
立て看板によれば
平成22年に詳細な調査をして飛龍のエンジンと判明したそうですが
帰宅後にネット検索してみたら発見当初から最近まで米軍のB-29のエンジンと
されていたらしいです。案外調べないor判らないもんなんでしょうかね?
階段を登って広場に戻ると先客のご家族は既に撤収された後でした。
私も着た道を戻り、山頂駐車場から蒲郡を見下ろしましたが
藤棚とか電飾されてました。
しかも「恋恋(こいこい)ストリート」とか何とか謎の看板もある?
すぐ近くに比島観音や各部隊の慰霊碑が山ほど(ほんとに山ほど)あるのに??
いまいち意味が判りません。
※電飾は夕方5時からだそうですが、日が暮れると冗談抜きで寒いのにねぇ。
蒲郡。

この左の方には太平洋が見える事から、南方で戦っていた部隊を中心とした
慰霊碑が数多くあります。
何せ寒いし、何か雲行きも怪しい感じだったので撤収しましたが案の定、
しばらくして霧雨が降ってきました。
が、山を降りてしばらくして信号待ちしていたら虹が出てました。

何となく「お参りの礼に見せてやる」と言われている様な気がしました。
今回たまたま安倍総理が就任1周年で靖国神社に参拝したので、
A級戦犯・・・三ヶ根・・・と思い出してお参りに行ったわけですが、
そういう意味も込めて安倍総理に感謝&来年以降も是非続けて行って頂きたいです。