一方、ゼロクラ発売時のムック本(歴代主査インタビュー)には、次のような記述がありました。
「当初はスタイリングも大変好評であったのに、発売初年の夏にオーバーヒートによるトラブルが続出。それ以来、スタイルについても(一転して)見切りが悪い、バンパーを擦っただけで錆びてくるといった苦情が殺到するようになり、針の筵となった」(4代目担当の小室主査の発言要旨)

↑ トヨタクラウン(モーターマガジン社)
また、東京トヨペットの社史にも同様の記述があり、「これを契機にお客様の信頼を失い、他社への乗り換えが続出し、創業以来の危機を迎えた」とまで書かれていた(社史は日比谷図書館で閲覧したものであり、画像なし)
つまり、「発売当初はスタイリングも好評で、売れ行きも好調であったが、オーバーヒート続出というトラブルを契機にスタイルまで悪く言われるようになり、他社への乗り換えが多く発生した」という説だ。
そこで、販売台数について調べてみると、
クジラ、230ともに'71年2月の発売だが、クジラの出足は好調だった事がわかる。
一方で、230は発売から2年以上も経った'73年の夏頃に、過去最高を記録している。
通常は発売直後に販売台数のピークを迎える(910ブルや初代FFファミリアのように徐々に人気が上がるケースや、バブル景気時など一部に例外もあるが)
ところが、230は発売直後でも4ドアHT('72年8月追加)を加えた直後でもなく、'73年に一番売れたのはどうしてなのか?
これは、クラウンからセドグロへの代替が、発売の2年後つまり初回車検を迎える頃に集中したからではないか。
即ち、多くのユーザーはクジラのスタイリングに拒否反応を起こしたのではなく、一度買ったものの、数々の不具合に嫌気が差して、230に乗り換える人が続出したと考えれば、辻褄が合う。
ある事件を契機に、一転して奈落の底へ落ちるという事はよくある。
例えば、ホリエモン。当初は「時代の寵児」とマスコミから持て囃されたが、逮捕を契機にバッシングの嵐となった。
また、最近の例で言えば、「排除します」発言で梯子を外された小池知事、コーチの暴力映像流出で風向きが大きく変わった体操の宮川選手など、枚挙に暇がない。
こうなると、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とばかりに、エクボでさえもアバタとなり、バッシングの対象となってしまう。
もちろん、トヨタ自工も看板車種の欠陥を放っておけるはずもなく、早急に対策を行っている。

↑ クジラ前期(改良前・後) 間違い探し?ではありません。
具体的には、オーバーヒート対策のため、急遽バンパーに穴開け(エアインテーク)を実施した。
また、後期モデルでは、メッキバンパーの採用のほか、プレスラインも一部手直しするなどして外観を一新するとともに、目に見えない部分に於いて62項目にも及ぶ改良を施した。
しかし、一度付いた悪評はそう簡単に払拭されるものではなく、歴代で唯一セド・グロにリードを許したまま、'74年10月の5代目登場により販売を終えた。

↑ 62項目の改良を行ったと、信頼回復を訴える新聞広告 トヨペットSAや2代目コロナと同様に、先進性を焦りすぎたが故の技術的敗北
P.S.
では、今まで通説とされてきた「スタイリング原因説」のA級戦犯は、一体誰なのか?

↑ モーターファン別冊 新型クラウンのすべて(1987/12発行)
このモーターファン別冊「新型~のすべて」というのは、要するに新車販売促進用の宣伝本だが、まさかその中で「過去のクラウンに欠陥があり、そのせいで売れ行きが落ちた」と書けるはずもなく、やんわりとスタイルのせいにしたというのが、そもそもの始まりではないでしょうか。
一方で、評論家連中は「日本のユーザー、特に高級車を選ぶようなユーザーは保守的で、車の本質ではなく、見た目の豪華さに惑わされて車選びをする連中が多い」と批判してきた。
彼らにしてみれば、この「保守的なユーザーが拒否反応を起こした」という説は、日頃の自説とも合致する願ってもないストーリーだったため、「それ見たことか」と便乗し、これが通説となってしまった・・・まあ、そんなところでしょうか。
※一部画像は借用・加工。
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2018/12/22 10:01:42