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2018年07月22日 イイね!

「昭和4×年男」の想い出(4)夏休み 後編


 さて、夏休みの想い出といえば、宿題(自由研究)に近所の公園でやったラジオ体操、学校のプール開放日・・・などいろいろありますが、子供の期待度の大きさでいえば、やっぱり普段は出来ない家族旅行でした。

 という訳で、今度は海水浴編です。

↑昭和の江ノ島海水浴場(借用画像) 当時は、どこの海水浴場に行っても人の波で、まさしく「芋の子洗い」状態でした。

(2)旅行(海水浴編)
 小学生の時に行った海水浴は、九十九里と三浦、そして熱海でした。
 熱海は、バブル前後で良くも悪くも大きく様変わりしましたが、昭和30年代に新婚旅行のメッカと言われただけはあり、昭和50年代においても観光地としてのネームバリューは非常に高く、狭い市内にはホテルや旅館、企業・官公庁の保養所が林立していました。

 現在では海岸沿いも整備され、海もきれいになってサンビーチでも泳げるようですが、当時は街中で(小市民だった私ら家族が)泳げるのは市営プールぐらいで、海水浴をする場合、錦ヶ浦の崖の先にある曽我浦海水浴場まで足を延ばす必要がありました。
 この曽我浦海水浴場は、海岸が砂浜でなく石ころで、おまけに浅瀬が狭く、波も高く・・・と、今思うと海水浴場としてはちょっとどうかな?という感じでしたが、子供にとっては「プールでなく海水浴」というだけで嬉しかったですね。

 ただ、残念ながら、こちらはバブル頃に乱開発(某リゾートホテルによるプライベートビーチ化)されてしまったので、曽我浦で泳いだ経験がある人は、40歳以上の年代でしょう。

↑古地図ならぬ、古看板(借用画像) 昭和40年代頃のもの

 さて、思い切り泳いだ後はやっぱり体が冷えるもので。
 家では、昭和55年にレオーネからスターレットに買い替えましたが、何が嬉しかったかというと、シートがビニールからファブリックになったことです。
 海パン1枚で乗り込んだ時、ファブリックシートだとまるでバスタオルを羽織ったかのように、肌触りが全然違うし、何より冷えた体には丁度良い温かさでした。

 今はビニールシートの車はほとんど見かけませんが、代りにレザーシートが増えました。でも、昭和世代のオジさんには、どうもこのレザーシートの感触って「日光の手前(死語)」なんですよね。
 だって、冬は冷たいし、夏は熱いし・・・それを内臓ヒーターで温めたり、ファンで冷やしたりするぐらいだったら、ファブリックシートでいいと思いますが。

P.S.
 某リゾートホテルは、先日の「逆」台風で大変な被害にあったようですね(因果応報?)

Posted at 2018/07/22 17:55:24 | トラックバック(0) | 日記
2018年07月22日 イイね!

「昭和4×年男」の想い出(4)夏休み 前編

 
 アラフィフになった今は、「夏」と聞くと、「暑いのはいいから、早く秋が来ないかな~」と切実に願うようになりましたが、子供の頃は、「いつまでも夏(=正確に言うと夏休み)が続けばいいのに・・・」と考えていました。

 私が子供だった昭和50年代前半は、夏といっても昨今のような異常な暑さではありませんでした。実際、8月も20日を過ぎると(晴れても)最高気温が30度に届かない日が増え、プールに行けば、見上げた空の高さと吹く風に秋の気配を感じ、夏の終わりを文字通り体感したものです。

 今回、改めて過去の気温を調べてみたら、今年同様に梅雨明けが早く、例年に比べ暑かった昭和56年で、7月の東京の平均気温は26.3℃(今年は、昨日までで早くも28.3℃)、また7月と8月を通しても、猛暑日は0日でした(そもそも当時は、猛暑日という言葉もありませんでしたが・・・)

 なので、夏が嫌いになったのは単に年のせいだけでなく、こう連日のように猛暑日が続くと、子供でもうんざりしているのかもしれませんが・・・
 とまあ、前置きはこのぐらいにして、当時の夏休みの想い出を。

(1)旅行(帰省編)
 当時は、一般的に企業の夏期休暇も3日程度と短く、それもお盆の時期に一斉に取るという時代だったので、小さい頃は田舎に帰省する時も、母親と子供たちだけで先に行き(1週間ほど滞在)、父親は後で来るパターンでした。
 因みに、父親はブリヂストンタイヤ(現:ブリヂストン)でエンジニアをしていましたが、土曜半ドンを経て完全週休2日に移行したのは、確か80年代に入ってからの話でした。松下などの一部企業は先行していたみたいですが、70年代は上場企業も役所も殆どが土曜半ドンという時代でした(それも隔週とか)

 私の場合、田舎が南九州だったので、毎年帰省するという訳にはいかず、また今と違って飛行機も高かったので、小学校に上がる前は日向までフェリー+国鉄で帰った記憶があります。日豊本線ではホンモノのSLにも乗りました(観光用以外で普通に走るSLに乗ったのは、これが最初で最後)

↑日豊本線のC55(借用画像) トンネルに入る前には、皆で一斉に窓を閉めます。同線が無煙化されたのが昭和50年3月とあるので、乗ったのは49年の8月ですね。


↑途中駅で見掛けたレールバスの同型機(借用画像) それまでは「機関車やえもん」の絵本の中でしか知らなかった乗り物。

 因みに、飛行機で帰省した時も、経由便の方が安かったのか、それしか空きがなかったのかはわかりませんが、途中で大分の空港に寄った記憶もあります。
 今はネットで直前までチケットが買えますが、当時は切符を買うのも一苦労で、搭乗予定日よりかなり以前に、ターミナル駅にある日本交通公社(現:JTB)まで出向いて行き、買い求める必要がありました。また、LCCどころか、何とか割みたいな格安チケットもなく、飛行機に乗る時は子供でも正装して乗ったものです。

続きはまた。
Posted at 2018/07/22 13:07:05 | トラックバック(0) | 日記

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