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LGtouringのブログ一覧

2018年11月24日 イイね!

フロンテとミニ


昔から、人の名前を覚えるのは苦手ですが(笑)、車の名前を覚えるのは得意でした。

4歳になる頃には、引っ越しで乗ったのが(3代目)トヨエースだとか、帰省先で乗ったタクシーが(ブラボー)コロナだとか、街を走ってる車の名前が大体言えたようです。
(もしかして神童だった?今はしがねえ○○だが・・・)

そんな私ですが、さすがに初代フロンテは街中で見かけることがなかったせいか、この車を初めて知ったのは、中学生の頃、(以前にも紹介した)「日本のクルマ100年part2」という本で見た時でした。


↑ フロンテFEA 1963~

その時の印象は、「ミニにそっくりじゃないか!」というものでした。

ミニは1959年に登場しており、フロンテはベースとなったバン(スズライトTL)こそ1959年ですが、ソックリさんのFEAだと1963年なので、長年「初代フロンテはミニのパクリ」だと思い続けていました。

しかし、改めて調べてみたら、ミニにも数タイプのモデルがあり、一般的なミニ、というか私がミニと言って思い浮かべるのは、MKⅡと呼ばれるモデルでした。


↑ MKⅡ 1968~ (借用画像)

この(FEAに似ている)MKⅡは1968年のデビューで、FEAの5年後になります。


↑ フロンテのベースとなったスズライトTL(ライトバン) 1959~


↑ MKⅠと呼ばれる最初のミニ 1959~ (借用画像)

ちなみに、初期モデル同士の上記2台を見比べると、基本フォルム以外にはあまり共通点は感じません。

なので、これだけだと他人の空似かな~?と思いますが・・・


↑ フロンテFEA-Ⅱ 1965~(写真は、1966の最終モデル)


↑ クラブマン 1970~ (借用画像)

このように、フロンテは1965年のマイナーチェンジで「まるでミニのクラブマン」みたいなデザインになるのですが、クラブマンの方がこれまた5年遅い・・・と、ここまで来ると、偶然にしてはちょっと。








・・・いやいや、この時代に日本車をパクルってのはないでしょう。

となると、もしかして外部デザイナーを使ったんでしょうか?

そういえば、FEA-Ⅱとクラブマンは、バンパーとウインカーの上下関係だけが逆なのが、かえって作為的で怪しい?

日本車の外注デザインは、1961年(市販は翌年)のミケロッティに依頼したスカイラインスポーツが最初だと言われています。

一方、ミニは(車両の)設計者であるエンジニアがデザインも行ったと言われていますが、畑違いのエンジニアのデザインとしては完成度が高い、いや高すぎる?

もしかして、2台とも影武者デザイナーがいたのではないでしょうか!?

因みに、フロンテは1967年のフルモデルチェンジで、全く別の車に生まれ変わりました。
(FF→RR、直線基調の実用主義→流行のコークボトルラインを採用etc.)
Posted at 2018/11/24 19:04:48 | トラックバック(0) | 日記
2018年11月20日 イイね!

歴史は繰り返す?


昨日から、ゴーン逮捕のニュースで持ちきりですが・・・

どうも現時点でニュースを総括すると、「日産が、ゴーン解任の社内クーデターを、東京地検特捜部と組んで(司法取引という形で)一気に行った」という事でしょうか。

そこで、どうしても思い出されるのが、日産の川又克二会長&塩路一郎自動車労連会長の「二大天皇」の事です。

昭和の時代、長年に渡って日産を私物化してきたのが、まさしくこの二人で、(人事権等を盾に)恐怖政治を行っていました。

昭和52年6月、社長が石原になって、この二人を何とか排除しようと試みるも、なかなか進まず、結局塩路を労連会長の椅子から引摺り下ろせたのは、昭和61年3月になってからのことでした(川又も同月、後を追うように病死)

この時、日産は最終的にフォー○スなどのマスコミを使い、「塩路は、組合員の代弁者と言いながら、実際には組合や会社持ちでヨットや高級車を複数所有し、豪邸に住んで銀座で豪遊するような、とんでもない労働貴族である」と暴露させた事で、世論を味方にし、ようやく追い落としに成功しました。

しかし、この方法は、当時三越(岡田)と並ぶニ大企業スキャンダルとしてマスコミから取り上げられたため、日産の企業イメージの悪化は避けられず、対消費者という自動車メーカーの立場上、ある意味「ギリギリの戦略」というか、下手すると刺し違えしかねない方法でした。

ところが、その後に久米社長の下で行われた社内改革が実を結び、日産の業績はそれこそ「軌跡のV字回復」を成し遂げました(901運動であるとか、シルビアやシーマといったヒット車が立て続けに生まれた)

にもかかわらず、今回もまた同じ轍を踏んでしまったというのは、ゴーンやその取り巻きのせいだけでなく、そういう企業風土を生み出す「日産マン」一人ひとりに長年染み付いた官僚主義、ぬるま湯根性が抜け切れていなかったからではないでしょうか。

今度は、ゴーンのような人物ではなく、久米のような「本当の救世主」が再び現れると良いのですが、それが長続きするかどうかは、結局は社員一人ひとりにかかっているのだと思われます。


↑ こんな車は、二度と出ないでしょう。
Posted at 2018/11/20 19:54:02 | トラックバック(0) | 日記
2018年11月19日 イイね!

バブルへGO?(山中湖編)


バブル期へのタイムトリップ第二弾は、夏のテニス合宿で賑わった山中湖です。

当時は、夏はテニス&冬はスキーというのが若者の間でブームになっており、
「テニス(スキー)をせずんば、人にあらず(?)」という時代風潮でした。

どこの大学でも、非公認のオールラウンド系サークルが乱立していた時代で、
彼らが行く夏のテニス合宿のメッカ・・・が山中湖でした。


↑ 三国峠からの富士山&山中湖


↑ 山中湖周辺地図

1987年当時、東富士五湖道路は山中湖までしか開通していませんが、
道路状況は、現在とさほど変わっていません。

ただ、地図上に表示されているホテルやレストランは、改廃業が激しく、
今も営業を続けているのは、半分以下でしょうか。


↑ 山中湖庭球倶楽部(ニュー山中湖ホテル)

その名もズバリの山中湖庭球倶楽部、まだ真新しい白亜のリゾートホテル。
(この写真では、エントランスの植栽もこれからのようです)


↑ ニュー山中湖ホテル跡地(上記写真の左端方向から撮影)

晴れていれば、富士山がよく見える一等地にありました。

バブル崩壊後は、リーズナブルな宿として営業を続けていたようです。
しかし、10年ほど前に廃業したようで、現在はご覧の有様です。

それにしても、わずか20年ほどで取り壊しとは、もったいない限りですね。
ただ、廃墟と化した施設も多い中、更地になっているだけ幸せな方かも。
若者ばか者に荒らされてしまった施設は、見るに耐えないので)


↑ ステーキのあさくま 山中湖店

静岡が本拠のチェーン店ですが、普通のファミレスより洒落ていました。
学生時代に、一度だけここで食事をした記憶があります(誰と・・・?)


↑ ほうとう小作 山中湖店

記憶は薄れていますが、どうも現在の「ほうとう小作」の場所だったようです。
(建物は和風にリフォームされていますが、玄関の庇&右の煙突跡に注目!)

ほうとう小作は河口湖などにも店舗があり、結構流行っているようです。
数年前に食事をしたことがありますが、個人的には特に美味しいとは(ピー)


↑ 道志渓谷

国道413号(道志みち)は、'87年当時はまだ未舗装区間があったようですね。


↑ 道志みち最終(山中湖付近) 右は昭和41年頃(車は初代スカイライン)

なお、道志みちは八王子で風速45メートル超を記録した台風24号の影響で、
神奈川県内で大崩落が起きており、通行止めが続いているようです。
Posted at 2018/11/19 15:28:15 | トラックバック(0) | 日記
2018年11月17日 イイね!

ブルトレの思い出


スーパーカーブーム世代の私ですが、それは同時にブルトレブーム世代という事にもなります。
(もうちょい年上だと、SLブーム世代でしょうか)


↑ 以前に紹介したケイブンシャの大百科シリーズ(借用画像) 

私も鉄道大百科やブルートレイン決定版は持っていました。


↑ 決定版 ブルトレ・特急FILE

この本は、何年か前に本屋で見つけて購入したものですが、サイズと言い内容といい、ケイブンシャの大百科シリーズのパクリオマージュ本でしょう。


↑ あさかぜ(東京~博多)

あさかぜは、私が2歳ぐらいの頃、叔父の結婚式に出席するために乗った人生初のブルトレですが、自分では何も覚えていません(笑)

一方、自分でもよく覚えているのが、高校2年の修学旅行の時に乗った「はくつる(上野~青森)」です。

当時の母校の修学旅行は、夏休みに(途中、農家民泊付きで)北海道を一周するという時代の最先端?をいくものでした(往復は空路)
ところが、前年に日航機事故(御巣鷹山)が起きたので、私の代では急遽陸路(電車)+航路(青函連絡船)に変更されてしまいました。


↑ 581(583)系電車寝台

はくつるは、東北本線を使って上野から青森まで行くブルトレで、昭和39年10月の運転開始時は「あさかぜ」や「はやぶさ」、「富士」などと同様に客車寝台でした。
しかし、昭和43年10月(所謂ヨンサントオ)の改正以降は、スピードアップのため電車寝台に変更されました。

58#系は、昼は座席特急なのに、夜は寝台特急に変身するカメレオン電車でした。
いかにも日本人が考えそうな、世界を驚かせたアイディア車両でした。


↑ 写真


↑ イラスト(「はくつる」のものではありません)

座席というか、寝台の場所決めについては、予め学校のHRで決めていました。
担任が、「体力のあるヤツが上、ひ弱なのが下に寝ろ」というので、上段が同班のK君、下段がT君、中段が(普通の?)私でした。
(ふたりとも、今頃どうしているのかな?)

因みに、58#系にはボディサイドに行き先表示板を小さくしたような「謎の小窓」がいくつかあるのですが、これは上段と中段に寝る人用の明かり取り?用の小窓なんです(内側はシェードつき)

夜中になかなか寝付けず、小窓のシェードを開けてふと外を見ると、寝静まった田舎の国道を、一台の大型トラックが並走していて、それが電車(線路)から近づいたり離れたり・・・
なんていう単調な光景が続いていましたが、なぜかそれが面白くて、しばらく眺めていたものです。

帰りは、青森から盛岡までが特急で、盛岡から新幹線でした。
(当時の東北新幹線は上野~盛岡間だった)
みんな若かったとはいえ、さすがに疲れましたね。
Posted at 2018/11/17 16:52:04 | トラックバック(0) | 日記
2018年11月12日 イイね!

バブルへGO?(南軽井沢編)


古地図やガイドブックを手に散歩・・・なんていうのがちょっとしたブームだったりしますが、
ふと、思い立って昔(バブル期)のドライブガイドを古本屋で入手しました。


↑ ドライブと旅の本

発行元は近ツーで、初版は1987年。なお、北関東版は、初版でなく改訂版(91年)になります。
折り目がなく、愛読者はがきが挟まれていたことから、今で言うバーゲンブックでしょうか?
※昔は、こういった売れ残りはこっそりと古本屋に流れていた(←赤線の入ったエ○本とか)

これからは、この本を手にバブルの思い出探しの旅(?)に出掛けて見たいと思います。
で、さっそく紅葉ドライブを兼ねて、南軽井沢へ行ってみました。


↑ 地図

上信越道はまだなく(紺の破線が計画中)、碓氷バイパスが有料道路でした。
もちろん新幹線もまだで(計画線もひかれていない)、信越線がバリバリ現役でした。

当時、軽井沢に行くには、高崎で降りて18号というのが一般的なルートでしたが、
今回は、裏ルートを使いました(といっても、藤岡ではなく下仁田までは高速利用)
ちょうど、紅葉が綺麗な時期でした。

※裏ルート・・・国道254号→県道43号(現もみじライン、当時は女街道)


↑ 三越エレガンス(別名シュベルニー城)跡地

バブル世代のナウなヤング(!)には馴染みが深い南軽井沢のレイクニュータウンですが、
ランドマークであったシュベルニー城は既に解体されて、バラの庭園になっていました。


↑ 在りし日の三越エレガンス(季節営業のため、冬季は休業していた)

そういえば、千ヶ滝には西武デパートもありました(行ったことないけど)


↑ レマン湖(軽井沢湖)

レマン湖も、改装され(中ノ島が広くなった)雰囲気が変わっていました。

因みに、中ノ島は現在「軽井沢レークガーデン」という有料ゾーンになっていますが、
残念なことに、今年は11月4日で営業シーズンを終えていました。


↑ 昭和40年代のレイクニュータウン(借用画像)

管理事務所などの建物が、いかにも当時っぽいですね。


↑ 昭和50年代以降(借用画像)

特にバブル期には、夏ともなると多くの若者でごった返していました。

しかし、四角い人工池をレマン湖とか、三越シュベルニー城とか、命名センスがスゴい・・・
(レマン湖は琵琶湖ほどの大きさで三日月型、シュベルニー城もレマン湖畔にはない)
Posted at 2018/11/12 11:52:04 | トラックバック(0) | 日記

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「荷重移動を考えて走ろう(EBDの誤解) http://cvw.jp/b/2036415/48479188/
何シテル?   06/10 16:44
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