~前半より続く
【基礎力を確かめよう、の模範解答です】
3.ローレル文明
※参考資料のコーナー
ルーチェ発売(1966/8、1500発売。1800は1968/12発売)
フローリアン発売(1967/11、1600発売。1800は1970/10発売)
ローレル発売(1968/4、1800発売)
マークⅡ発売(1968/9、1600&1900発売)
【日産王国の盛衰】
日産王国は、マラトンの戦いにおいてプリンス皇国を制圧し、一時は大トヨタ帝国をも上回る領土を得ましたが、プリンス皇国では、第一回日本グランピックにおいて、神聖スカイラインが優勝したのを契機として、主神スカイラインを中心としたスカイライン文明が栄えていました。
ニッサンムラビ王は、このプリンス人の主神スカイラインと、ダットサン人の地主神ローレルを合体させ、「ローレル・スカイライン信仰」を確立することで、メトロポリタンの統一と旧プリンス人との融和を図りました。なお、後の時代にローレル・スカイライン信仰者の一部から、八の字族なる新たな民族集団が生まれますが、この民族は集団で暴走・略奪を繰り返したため、社会問題化することになります。

八の字族による破壊行為が横行し、世の中が乱れた
一方、日産王国には厳しいカースト制度があり、上からモーター(祭司層)/プリンス(政治・軍事的支配層)/ブルーバード(商工農民層)/チェリー(奴隷層)という4大階層に分かれていましたが、一般民衆たる「ブルーバード層」はハイオーナーカー文明の恩恵には授かれず、貧しい暮らしを強いられていました。
しかし、時の王タナカ=カクエイによる国民所得倍増計画に基づく様々な社会制度基盤の発達に伴い、彼らから豊かな生活を欲する民衆運動が起こり、日産王国は各地で混乱しました。そこで日産王国は、ブルーバード層にも恩恵を与えるべく、いわゆる「ブルG」を与えるが、このブルG文明は、それほど栄えることなく衰退しました。

トイレットペーパーの不作による恐慌が続き、すぐに衰退したブルG文明
やがて日産王国は、マスキー法典によるナップス復讐法により急激に衰退し、75年頃には終焉を迎えますが、かの大トヨタ帝国も、スカイライン文明に対しては一目置いていたのです。
これは、1977年に大トヨタ帝国が、スカイライン文明を真似たチェイサー文明を推奨したことからも、容易に推測することができます。
【近代バブル社会の到来とルネッサンス】
さて、諸各国において様々な発展をとげたハイオーナーカー文明であるが、それが最も栄えたのは近代バブル社会であります。そして、この近代バブル社会を席捲したのが、「ルネッサンス」を唱えた大トヨタ帝国のマークⅡ、チェイサー、クレスタの三兄弟文明に他なりません。
これに先立ち、大トヨタ帝国は、1980年に5番目の領土として地中海のクレタ島の開墾を人々に奨励し、これが後に栄華を誇ったクレスタ文明の発祥の地となります。クレタ島の王ヤマザキ=ツトムは、マークⅡ文明を好んだナガシマ=シゲ王、同じくチェイサー文明のクサカリ=マサ王らと共に日産王国の聖都トウキョウへの侵攻を決意し、トウキョウの手前ヤマナシ桃源郷において、三兄弟の契りを交わしました。
この契りの後、80年代中盤に一挙に日産王国を攻め立てるが、当時「名ばかりのGT戦士」しか残っていなかった日産王国には対抗馬がなく、ダットサン人たちは集団で大トヨタ帝国へ移住するようになります。これを「ダットサン民族大移動」と言います。こうして、大トヨタ帝国によって「近代バブル社会」がほぼ統一され、ルネッサンス文明が花開きます。
また、領土の大半を失った日産王国においては、かつて独自の文化を誇ったスカイライン文明が広まっていたことは前述の通りですが、やがてこのスカイライン文明も「ソフトマシーン」を謳い文句に、ルネッサンスに取り込まれてしまいます。
このように、近代バブル社会における大トヨタ帝国の権力は絶大で、他の諸国は追随に精一杯の状態で、独自の文化が育まれることはありませんでした。
では、何故大トヨタ帝国はそれだけの権力を持ち得たのであろうか。その答えがここにあります。マークナ・カルタ。この「いろはカルタ」には、門外不出とされたハイオーナーカーのセールスマニュアルが全てまとめられている。その一節をのぞいてみよう。
「い」 色は白 パールがともに 人気です (70系以降、この2色が大人気となり、ブームを呼ぶ)
「ろ」 ローズ色 内装色が 自慢です (同様に、70系で赤紫系の内装色の人気が炸裂する)
「は」 ハイメカの エンジン積んで お買い得 (80系でノーマルのグランデ系もDOHCに換装)
このいろはカルタによって、大トヨタ帝国はその独裁を確固たるものにしていくのであった。

「ろ」ローズ色の内装が民衆を虜にした
さて、今日「ルネッサンスの三大発明」と呼ばれているものが、ツインカム24、ECT、TEMSの3つです。このうち、大トヨタ帝国が独自に開発したものは、ECT、TEMSの2つです。日産王国においては、順にDOHC、スーパートルコン、スーパーソニックサスなどと呼ばれていましたが、後にツインカム、E-AT等、似たような呼び名に改められてしまいます。この辺りの事情からもいかにルネッサンスの力が強力であったかが見て取れます。
【市民革命】
しかし、80年代後半になると、ハイオーナーカー民主化の目がようやく芽生え始めた。それは日産王国におけて始まった7月革命がきっかけであった。
ハイオーナーカー民主化、その第一歩とは・・・冒頭にも記した「セフィーロ教」の発表であった。1988年7月、大トヨタ帝国の存在を全く感じさせない、自由な発想の文明が誕生したのである。これを俗に「7月革命」と言います。
更に、かつてはルネッサンスに取り込まれたスカイライン文明も、新たにハイオーナーカー文明とは全く違った形で再現されました。これにより、狩猟に飢えていた若者を中心にスカイライン教が復活し、沢山の信者が生まれます。
こうした地味ながらも民意をとらえた政策を打ち出した日産王国は、再び栄華を取り戻します。
また、こうした民主化運動の流れは、周辺の諸各国においても加速しました。そうした中から、89年にはホンダ王国にインスパイア文明が、そして90年には三菱帝国にディアマンテ文明が誕生します。そして、91年になると、マツダ朝ヒロシマでは、ルーチェ文明に変わって全く新しい様式を備えたセンティア文明が誕生します。これは、しなやかな曲線模様を特徴とするもので、「アール・ヌーヴォー(=新しい芸術)」と呼ばれました。

トウキョウではなく地方都市国家において、新しい芸術が花開く
【再び研究室】
ここで我々が忘れてならないのは、ハイオーナーカー文明の歴史に大きな1ページを刻みながら、それ以後、姿を消していったかつての勇者の存在です。中でもルーチェ文明は、始めは地方都市国家で細々と始まったのであるが、後に「ロータリゼーション」によって、日産王国のローレル文明を凌ぐ勢いを得ます。しかし、結局主流となることはなく、消え去る運命にありました。
いずれにしても、彼ら勇者の活躍を心に留めておくことこそ、彼らへの最大の賛辞なのである。
※ 当企画は、オリジナル番組の構成を基に、作者が創作したフィクションであり、オリジナル番組の放映元フジテレビジョン、あるいはホイチョイプロダクションとは何の関係もございません。また、今後放映する予定もいっさいございません(笑)
Posted at 2021/09/06 18:31:56 |
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