この記事は、
貰い事故で賠償義務!!?について書いています。
黄色実線はみ出しの正面衝突と聞いています。(過失相殺の原則でいけば、掘れば掘るだけ、過失なんて言葉が出てくるのがおかしいような状況が、たくさん発掘されそうです。)
なんでだろうな~って考えた結果、裁判官の割とシンプルな思考にたどり着きます。
死亡した側は、事実上の無保険運行。だれも救われないが、どうしたらいいか。
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このケースであれば、被害者側は刑事・行政はおそらく無罰(ここで裁判官の微妙な知恵が働く)
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相互が走行しているのであれば、「過失は双方存在する」のが前提
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何らかの過失をでっちあげて(お互い走ってるという、条件をフル活用)
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地位を利用して、「相手に過失がある」と一方的に言い渡して、相手の保険会社から、人身傷害の解決金を引き出す
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無保険運行でも救済(シャンシャン)
たしかに、袖擦れ合うも多生の縁、降りかかった不幸を皆で助け合うということは、とても美しいことではあると思います。
行き過ぎた個人主義、自己責任思想に対する警鐘ととらえるべきではと思います。
ただ、その辺の状況をきちんと説明したうえので判決言い渡しでないと、誰も納得できません。
発生しなくてもいい過失が発生するということは、相手方に無用な不利益が発生するということです。これをどう吸収すべきかをきちんと話し合ったのかが、疑問であったりします。
(一つの具体論で言えば、認定した慰謝料を、相手方の不利にならないように、相手方負担分を還流するとかですね。)
←こんなこと続けてると、そのうち割引のために、使えない保険で運行する輩ばかりになって、保険会社そのものが保険引き受けを拒否しかねませんが…。
死人が出た事故、しかも、一方的にぶつけられて「あんたも悪い」って言われたら、ぶつけられた側は、本来負うものでない「死者を出した」という重荷を背負うことになるのではないでしょうか。
高裁でひっくり返ることは想像に難くない(配慮が無になる上に、時間が無駄です)のですが、もうすこし、皆が納得するように、そのあたりの状況を発信し、伝達する必要があるのではないでしょうか。
本来、この国はもう少し人にやさしい世の中だったと思うのですが、私をはじめ、余裕がなくなると、だんだんしなくてもいい綱引きをする羽目になるのかなあと。
ちょっと書いておきたかったので、記録することにしました。
追記:裁判官はあくまで判断する立場の人間であるため、起訴に至るまでに、相手側が個人で雇った弁護士、もしくは交通事故ADRの相談員、罪悪感はあるが払う気のない相手方保険会社などが入れ知恵した可能性が高いとは思います。
発生した賠償額的に、現実解ではないかとも思いますが、まずは、そういう状況が発生すべきでない十分な保険に加入すべきではないかと思います。自分に言い聞かせてるようで、いささか胸の痛む事故ではあります。
Posted at 2015/04/20 15:30:46 | |
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