2015年05月14日
深夜の首都高で背筋が凍る
5月。そう思い出すのは、納車間もない愛車180SXで夜の首都高に繰り出した時の事。
あれはおいらが21歳、16歳の彼女を隣に乗せ、さらに後席にはその友人の女の子という
今では考えられない両手に花ー!笑。は、さておき、おいらも乗り出しの180でイケイケ
彼女も友人も、そりゃ夜のドライブでワクワクってなもんですよ。
そう、当時湾岸MIDNIGHTが流行っていたこともあり、これはもう首都高だと意気込む訳
ですハイ。
では早速いってみよー!と、それは素ノーマルの180を街中からフルロールさせながら
なんとなくわかる、首都高入り口へGO!当時はナビなぞありましぇーん。でも、あら不思議
先輩の横で、感覚も合わせて覚えているもんでしたあの頃は。
年齢的にも、経験的(浅い)にも怖いものなどありはしません、発進のたんびにキュッキュ
とスキール音立ててれば満足。ノーマルでもフルブースト、アクセルは全開です。
2輪時代に多少鍛えてあった速度感が役に立っているのかいないのか、怖さはない。
あるのは無知無謀が故に、TPOをわきまえずひたすらガンガンいくだけの強気さ加減。
当時加熱気味とはいっても、クリアな瞬間はあるもので、その時もあのトンネルの入り口
の遥か手前からやけに空いているなー、とは感じていた。が、このあとの起こる悲劇を
このときは全く予測することはできるわけがない!
ゆるい右コーナーのあとそのトンネル入り口はゆるい左コーナーとなっており、先は見づらい。
しかもこれが、下っているのだ。
手前の右コーナーですでにイケイケだったおいらは、多少オーバースピードであったことは
解っていた。が、これまた、どうにかなるだろうと、そのまま左コーナーへ多少ズルズルいわせ
ながらも、ステアリングを切り込んでいく。
アウトインアウトは基本だ。
そのときもこれが不幸中の幸いであった。
公道ではあったが、このセオリーは守っていた。が、浅はかすぎた・・・。
その先に嫌な予感。すごーーーーーーーーーく、いやーーーーーな予感のテールランプ
がトンネルの壁に反射して見えるそのえもいわれぬ光景。
まさかの最悪のシナリオ。
オーバースピードのままフルブレーキ!するも、ステアリング切ってるじゃんとケツが浮くのが
解る。ノーマルシートでも背筋が凍るほど解るそれは、とっさに最悪の事態を予測させる。
この16歳の子2人に万が一のことがあったらと、後悔する時間などまったくないはずなのに
その、それは恐ろしい時間はゆるりと過ぎていく。
片側2車線のイン側から、スピンが始まる。
キャッキャ騒いでいた子らも事態に気が付き、もう何を言ったのか言わないのか覚えていない
そのなんとか、その時、浅い経験ながらも出来るすべてを注ぎ、5体のすべてで操作する。
奇跡が起こった。
たまに起こるから奇跡であって、常に使うことは出来ない。
清水和夫さんの言葉を、おいらはこれ以降(たぶん…)胸に刻むこととした。
約一回点半して180は止まった。しかも無傷。いや傷は胸の中にふかーーーーーく付いた。
はず。
手は、それはもう汗びっしょり。体のいたるところから変な汗がでた。経験したひとならわかる
はず。彼女と友人も、安堵のため息を放つ。
本当に良かったと思った。と、同時にここは公道であることと、自分の油断に対し、深く反省
した。本当に!さらには、他者を巻き込まず、これも幸いであった。
帰り道はひどく、ゆっくりしたスピードで流す。皆、その瞬間を共有したせいか、楽しかったー
とは決してならない。なにかこう、重苦しい空気が車内にあふれる。
彼女と友人をおろしたあと、ひとり家路につく。
あの瞬間を思い出しただけで背筋が凍る、今でもゾッとする。そうあのトンネルを見るたび
思い出す。ウパ青年21歳の春であった。
ブログ一覧 |
車暦 | 日記
Posted at
2015/05/14 18:24:52
今、あなたにおすすめ