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ウパパパのブログ一覧

2016年11月25日 イイね!

運転するよろこび

ここ最近増えつつある、高齢運転者による事故。
以前から他人ごとではなく、つい最近父に続いて、母も免許を返納しました。
そしていつかは私も…、と考えるようになりました。
この先あと何年自分で運転出来るのか、そしてどんな車に出会うのか。
そんな思いを巡らせながら、逆に過去どんな車に携わったのか、その時代のエピソード 
とともに、ここで振り返ってみたいと思ったのです。

まずマークII初期型。これは自分で運転してはおらず、父の運転する姿を助手席または
後部座席で眺めていたものです。この頃は高速道路の整備が今ほどされていない事から
東京⇒父の実家、山形まで、お盆のたびに14時間くらいかけて行った事を、よーく覚えて
います。後部座席の兄弟3人ぎちぎちになりながら、でもまったく苦痛ではなくワイワイと
楽しかった思い出しかありません。父は大変だったろうなぁ。。。そう言えば確かマニュアル
であったと記憶しています!

お次はこちら、これもマークIIですが、私が小中学の頃よく父と釣りに出掛けたものです。
これはもうオートマでした。家族全員、集中ドアロックに最初戸惑ったのを記憶しています、笑。

父はマークIIが大好きだったのでしょう、乗り継いでいます。私もようやく免許を取り、初めて運転
したのがこれでした。とにかくパワステが軽く、オートマも快適で、父に借りては乗っておりました。

さて、免許を取って初のマイカー、実はハイエースなんです。当時、ミニバイクレースをしていた
事から、トランスポーターとして購入したものです。あこがれのスーパーGLではないものの
やたら重いステアリングと、愉快なコラムシフト、滑るように効くブレーキもいい思い出です。
環八の下り陸橋の登りで、ついにクラッチが滑り大渋滞を招き、父の4tクレーンに助けに来て
もらったのもいい思い出です。。。皆さんごめんなさい!

さていよいよ走りのマイカーの登場。MR-IIです!スーパーチャージャー付きで、軽さも相まって
速い速い。納車日は雨にも関わらず、調子に乗って踏むわけですよ。当然、雨の環八でスピン
幸い大したダメージはなく、中央分離帯に軽くフレンチキッス、そんな具合です。
乙女峠でコントロール不能になった事を今でも思い出し、ゾッとします。最後はベイブリッジを
超えたあたりでS/Cが焼き付き、あちこち傷んでいたことから、泣く泣く廃車となりました。

その後は先輩方の影響で86をGTV、GTアペックスと乗りました。重ステでしたがGTVは良かった
です。すぐにエビスドリフトようにナンバーを切ってしまったので、ミサイル号と化しました。

さて180君の登場です。人気であったため高価でした!ターボパワーに脳が麻痺したものです。
過去のブログに書いたとうり、実に色々な思い出があります。これはミューサーキットでの
ショットですね懐かしい。

モデファイを繰り返し、最終形態でしょうか、もう完全にドップリと浸かってしまっています。
これは筑波サーキットでのショットですね。当時フロントに255を履いていて驚かれたものです。

180君と並行してタイプMにも乗っておりました。高回転の伸びが気持ち良いエンジンでした。

さて、意外に高い価格でチューニング車両を買い取って頂けたことで、それをもとにボクスター
を購入します。購入に至っては過去のブログのとおり、衝撃的なものでした。
初のオープンカーということもあり、走りはもちろんあちこち遠方にも足を運んだものです。
サーキット走行もしました。しのいや茂原を走行しました。ABSの優秀さにも感動したのを
覚えています。

911にいつか・・・。で、993型に乗り換えます。ボクスターのそれとはまた違う空冷のサウンド
はレスポンスが素晴らしく、コクピットの形状も相まってそれは地上の戦闘機のようでした。
ハンドリングはソリッド感抜群で、想像するよりは扱いやすかったです。この車の乗り味は
今でも忘れることが出来ません。あと、一度はあの後部座席に座ってみたかったのです。
感想は。。。反省部屋の椅子。。。?

BMWの6気筒と、どこまでも回っていくようなあのオートマのD感。528iにも乗りました。
夏場にエアコンが故障し大変なことになったのが記憶に残っています。。。BMのアルピンホワイト
はやはり良い色ですね!

りーちゃんが生まれた事、ホンダ車に乗ってみたかったことからインサイトに乗ります。
BMWから約1年半車を所有していなかった私には、いろんな意味で新鮮な車でした。

そして今のゴルフ6君にたどり着きます。
今となっては特に真新しい装備はありませんが、操る楽しさはFFにネガをもっていた私を
良い意味で完全に裏切ってくれて、今の私のライフスタイルに合っているのだなと感じます。
もうすぐ8マンキロを超えようとしていますが、本当に故障が少なくそれも助かっています。
年明け、休みが取れそうなので東京から福岡まで小旅行をもくろんでおります。( *´艸`)ププ

ボーナスで限定解除(2輪)もしたいなぁ・・・独り言。。。

Posted at 2016/11/25 19:33:06 | コメント(1) | トラックバック(0) | 車暦 | 日記
2015年06月25日 イイね!

関越160キロスピン

6月、そう思い出すのは、当時乗っていた地獄の180SX君(過去Blog参照)のオイル交換

をする為、東京の杉並からわざわざ高速を利用し、埼玉の坂戸まで定期的に通っていた

まさにそんなある日に、事件は起きるのである。今となっては、笑い話のひとつではあるが

長く乗っていると誰しもそんな話のひとつやふたつ、いやみっつよっつ・・・?さておきその日は

最高の?路面コンディション。昼間であったが、路面は雨上がりの為ウエット。だが、天候は

晴れ。わかる人にはわかるこのコンディション。

そんな状況からか、つい大目にアクセルを踏み込むおいら。

昼間であっても、チューンドされたこの精密機械から織り成す金切り音とともに、タコ足から

中間までステン、後部はチタンのそのただの筒からは、何かこうありえないが生命の雄たけび

に似た、怒涛の音色を吐き出していると感じることができる。

ご存知、高速道路は一枚モノでできてはいない。長めに出来てはいる板の継ぎはぎで

当然、継ぎ目があり、その継ぎ目で多少なりショックがある。それに加え、アスファルトの

良し悪し、劣化、諸々あるのも事実で、この時もそれには当然気がつきながらも上記のように

走りに没頭しているおいらがいた。


その瞬間はいつも突然やってくる。


明らかに、少し先の路面の色が違っているのが見える。あれは日差しの照り返しで光って

いるのか、はたまた新設したアスファルトの為色が違っているのか。

速度にして約160キロほどで巡航していたため、その瞬間は瞬く間にやってきた。


160キロであってもまずフロントタイヤが乗るのがわかる。つぎにリアタイヤがその路面に

乗ったその瞬間に、おいらの腰センサーが不気味なあのズレを感じた。


その時、この路面は劣化しており、排水が悪いせいか水が浮いていて光っていたのだと

時すでに遅くも突然わかった。

まず、後輪が滑り出すことで、排気音が突然ファン!と上がる。レスポンスの良いエンジン

だと、こんな時のアクセル調整が難しい。

速度もあいまって、滑り出し直後からこれは操作不能であることが、理解したくは無いが

おいらでも理解できた。後輪が滑る事で、今度は次は右フロントが中央分離帯にあたる

速度からか、縁石に鼻先をこする程度ではすまない。軽くぶつかったようでも、クシャッと

バンパーについで、ボンネットが捻じ曲がる。

さぁ、お次はスピンの始まりだ。

右回転の惰性がついたその1,2tの鉄の塊は、自らを止めることは出来ない。

今度はケツがあたる。幸い、ハッチゲートのガラスまでは割れなかった。意外に冷静に

そんな状況がわかっている。リアはまるで、かのCRーXのごとく後部が良く見える、そんな

外観になっていた。

この時は本当に、今度ばかりは自らの死を覚悟した。と、同時に、すいてはいたものの

周囲のかたがたを、なんとか巻き込まずに、収束して欲しい。そう願った。


スピンしながらも、おいらの180は後続車両の合間を奇跡のごとくかいくぐり、尚も止まる

ことを知らない。その避けて下さったかたのひとりとは、偶然にも目が合った。本当の

話である。

約4~5台は、すり抜けていったろうか、ここでまた奇跡が起きた。

スピン状態かつ慣性で滑りながらも、路面との摩擦抵抗でいずれは止まるときがくる。

だが、最悪の場合は路側帯にドカンだ。

この時はまたしても自分の幸運さに感謝した。なんと、180は路側帯でも、あの広くなっている

緊急停車スペースに見事にはまり込んでとまったのだ。

衝撃に耐えようとしていたおいらの体はヘナヘナと体中の力が抜けていくのがわかる。

と、同時に都合よく神に感謝した・・・。

落ち着いて、車を降り状況を確認する。意外にも前後のダメージはあるものの、水とオイル

ガソリンはもれていない。不幸中の幸いだ。

こんなとき、自分の居直りの速さに驚く。なんと、ガムテ補修で目的を達成するためそのまま

坂戸のショップまで自走してしまう。オイル交換ついでに、やりたかった改造。板金は余計

だったけど、お願いしてしまおう。こんな具合だ!

ウパ青年26歳の6月であった。

おっと、オチを忘れていました、ショップの店長は、それはもう目を丸くすると言うのはこう言う

ことなのかと思うくらいに、まるで漫画のように驚き、何があったのー?!

そんな感じでした。




奇跡。それはごくたまに起きるから奇跡であると、今は自分にきつく言い聞かせています。
Posted at 2015/06/25 11:28:22 | コメント(2) | トラックバック(0) | 車暦 | 日記
2015年05月28日 イイね!

電撃ネットワークな板金屋カツミさんその②

さてそんなカツミさんとの衝撃の出会いではあったが、初めての自動車板金屋との出会い

という事もあって、やってもらう作業のすべてが新鮮だ。もちろんディーラー修理等のレベル

ではないので、やれ車内あちこちに作業汚れ防止の養生などはほぼ皆無(笑)

同時にボディのスポット増しと、フレームやタイヤハウス内のひび割れ溶接もお願いしたため

興味本位から、作業を手伝う。

カツミさんが板金をされている間に、おいらは内装をベキバキとはがし、エアコンもこの際

取っ払う。車内を7Pロールバーで囲い、改造パーツを取り付ける。廃車になったエンドちゃま

から譲り受けたSP-Gと33Rのブレンボ一式を移植する。イメージは当時熱かったJTCC!



そんな作業を、同時に進めていたが、当然カツミさんのほうが速い。


切った張ったで、テキパキとボディパーツをはずしていく。フェンダー、バンパー等は結構

簡単にはずれるもので(今の車とは違うはず!)あれよいうまにホワイトボディな感じに。

そして、ひん曲がったフレーム等を、地面から伸びた大型のチェーンで引っ張り、修正を

掛けていく様子は、まさに衝撃。なるほどである。

パテ盛りしたフェンダーラインを、牛乳瓶めがねの奥で、眉をひそめた目が鋭く光っていた。

お金はなるべく掛けずにとお願いはしていたが、職人のプライドなのか要所要所は力が

入っている。残念ながら、屋根の板金は見ることは出来なかったもののそんなかんなで

地獄の180君は再び復活をとげた。当時はまだ珍しかったチタンマフラーが地響きを奏で

震える。びっくりするような安い金額を支払いながら、西荻の繁華街をけたたましく、おいらの

180が走り抜ける。ボディもビシッと仕上がり最高の気分だ!


そんなカツミさんは、おいらの車の作業の傍ら、その隣にあったガンメタのBMW。当時から

してももうかなり古い型であったろう、ボンネットが前から開くタイプだったと思う。その車を

それは大事そうに、ちょっとずつ板金をしていたのが印象的であった。





そんなカツミさんとの付き合いは続いたが、テクが上達すれば板金とは、疎遠になるもの。





そしてつい最近、今は洗車場が併設されたこの場所で、6君を洗車している。



最近、風のうわさできいたところ、約10数年前に突然居なくなってしまったそうだ。


心配ではあるが、きっとどこかで女学生を横目に見ながら、流しの板金屋をされているに

違いない。

そんなカツミさんが大好きであった。
Posted at 2015/05/28 10:17:07 | コメント(1) | トラックバック(0) | 車暦 | 日記
2015年05月24日 イイね!

電撃ネットワークな板金屋カツミさん

走りをしていた方であれば、恐らく誰しもお世話になるであろう自動車修理業者。

そう、板金屋!

私も例外ではなく、度々お世話になるのだが、その存在を知るきっかけは人それぞれだろう

今だからこそ、事故⇒保険屋にTel⇒対応⇒大きな不便もなく保険処理で解決。

こんな感じだろうか・・・

が、走りをしている野郎共にとって保険などはなるべくお金を掛けたくは無いもの。

掛けるならガス代、消耗品、改造費などなど、出したらキリが無い・・・


そんな彼らの強い味方なるものが、そう板金屋なのだ。

やれ縁石にのせ過ぎてボコ!スピンしてベッコリ!どアンダーで、グサッ!実に事故も様々

私も出来る限りの補修は自分でしてきたが、どうしても自分では出来ない範囲はあるもので

道志峠での事故で、さすがに手に負えなくなった180君をあえなく修理に出すことに。

とは言え、いったい何処に出すの?!

そりゃなるべく『①安い、②早い、③仕上がりはそこそこ』でもう十分である。

またまたエンドちゃまの出番である。(過去のブログ参照)

電話一本、あー、それならカツミさんかなぁ~、OK電話しとくー。

と、いつもの軽いノリ。

で、教えられた日時に、東京杉並の西荻窪にある、西荻自動車へと、事故後ガムテ補修
そのままの180君で、堂々横付け!今なら即、整備不良でお縄になる外観。

爆音を聞きつけたであろう、その工場から、小柄な青い作業ツナギを着たおっさんが

重そうな鉄扉を開けてヒョコヒョコと出てきた。



薄汚れた青つなぎに、黒い安全靴。歳は60前後ってとこか、差し歯とともに金歯が見え隠れ

牛乳瓶めがねに、髪型はまるであの・・・・そう、電撃ネットワークの南部さん笑!

その片手にはスタンガンならぬ、サンダーならぬ、板金ハンマーだったろうか、もうなんでも良い。

ファーストインプレッションは、このおっさん、大丈夫か!?



おいらの180をみるやいなや、エンド君から聞いてるよ~ぉ?まーた派手にやってるね!

オッケーオッケー、大丈夫、任せて~、と。

値段はあれかい?やーすくやっとくから、心配するなと、安心して良いんだか悪いんだか。

近所にある女子高からの帰り道だろうか、数人の女子高生にクスクス笑われながらも

おいら会釈・・・。おっさんニヤニヤ。そんな出会いであった。

後編へ続く・・・!
Posted at 2015/05/24 20:54:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車暦 | 日記
2015年05月14日 イイね!

深夜の首都高で背筋が凍る

5月。そう思い出すのは、納車間もない愛車180SXで夜の首都高に繰り出した時の事。

あれはおいらが21歳、16歳の彼女を隣に乗せ、さらに後席にはその友人の女の子という
今では考えられない両手に花ー!笑。は、さておき、おいらも乗り出しの180でイケイケ
彼女も友人も、そりゃ夜のドライブでワクワクってなもんですよ。

そう、当時湾岸MIDNIGHTが流行っていたこともあり、これはもう首都高だと意気込む訳
ですハイ。

では早速いってみよー!と、それは素ノーマルの180を街中からフルロールさせながら
なんとなくわかる、首都高入り口へGO!当時はナビなぞありましぇーん。でも、あら不思議
先輩の横で、感覚も合わせて覚えているもんでしたあの頃は。

年齢的にも、経験的(浅い)にも怖いものなどありはしません、発進のたんびにキュッキュ
とスキール音立ててれば満足。ノーマルでもフルブースト、アクセルは全開です。

2輪時代に多少鍛えてあった速度感が役に立っているのかいないのか、怖さはない。
あるのは無知無謀が故に、TPOをわきまえずひたすらガンガンいくだけの強気さ加減。

当時加熱気味とはいっても、クリアな瞬間はあるもので、その時もあのトンネルの入り口
の遥か手前からやけに空いているなー、とは感じていた。が、このあとの起こる悲劇を
このときは全く予測することはできるわけがない!

ゆるい右コーナーのあとそのトンネル入り口はゆるい左コーナーとなっており、先は見づらい。

しかもこれが、下っているのだ。

手前の右コーナーですでにイケイケだったおいらは、多少オーバースピードであったことは
解っていた。が、これまた、どうにかなるだろうと、そのまま左コーナーへ多少ズルズルいわせ
ながらも、ステアリングを切り込んでいく。

アウトインアウトは基本だ。

そのときもこれが不幸中の幸いであった。

公道ではあったが、このセオリーは守っていた。が、浅はかすぎた・・・。







その先に嫌な予感。すごーーーーーーーーーく、いやーーーーーな予感のテールランプ
がトンネルの壁に反射して見えるそのえもいわれぬ光景。

まさかの最悪のシナリオ。

オーバースピードのままフルブレーキ!するも、ステアリング切ってるじゃんとケツが浮くのが
解る。ノーマルシートでも背筋が凍るほど解るそれは、とっさに最悪の事態を予測させる。

この16歳の子2人に万が一のことがあったらと、後悔する時間などまったくないはずなのに
その、それは恐ろしい時間はゆるりと過ぎていく。

片側2車線のイン側から、スピンが始まる。

キャッキャ騒いでいた子らも事態に気が付き、もう何を言ったのか言わないのか覚えていない
そのなんとか、その時、浅い経験ながらも出来るすべてを注ぎ、5体のすべてで操作する。




奇跡が起こった。





たまに起こるから奇跡であって、常に使うことは出来ない。





清水和夫さんの言葉を、おいらはこれ以降(たぶん…)胸に刻むこととした。





約一回点半して180は止まった。しかも無傷。いや傷は胸の中にふかーーーーーく付いた。


はず。


手は、それはもう汗びっしょり。体のいたるところから変な汗がでた。経験したひとならわかる
はず。彼女と友人も、安堵のため息を放つ。

本当に良かったと思った。と、同時にここは公道であることと、自分の油断に対し、深く反省
した。本当に!さらには、他者を巻き込まず、これも幸いであった。


帰り道はひどく、ゆっくりしたスピードで流す。皆、その瞬間を共有したせいか、楽しかったー
とは決してならない。なにかこう、重苦しい空気が車内にあふれる。


彼女と友人をおろしたあと、ひとり家路につく。


あの瞬間を思い出しただけで背筋が凍る、今でもゾッとする。そうあのトンネルを見るたび
思い出す。ウパ青年21歳の春であった。

Posted at 2015/05/14 18:24:52 | コメント(2) | トラックバック(0) | 車暦 | 日記

プロフィール

「半壊しかけていたPCをSSD化してやっとこさ復活!噂通りこの速さは脅威的(-"-)」
何シテル?   02/26 22:38
16歳で高校在学中に原付免許を取得。禁止であったバイク通学を始めたのと同時に、近所のバイク屋さんを通じ当時加熱していたミニバイクレースにのめり込む。秋ヶ瀬、桶川...
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