
さて今日は私が日々過ごす時間の中で時には仕事を通じ、時には家族でドライブや買い物、旅行
その中で車に対する想いと、それを取り巻く社会環境の変化を通じ、ふと20代の頃に過ごす事が出
来た決して忘れる事の出来ない日々を振り返り、ブログに記したいと思いました。
私が普通免許を取得したのは21歳の時で、周囲からするとむしろ遅かったと思います。と、言うのも
当時はミニバイクレース(ご存知の方はさておき名前からは想像出来ない程スピード感等は本物で
す)にのめり込んでいた為、出遅れたとでも言うのでしょうか。そんな頃、アルバイト先の先輩が運転
するAE86の横に乗せてもらい奥多摩の峠を攻めに行った(今、峠を攻めるとか言うのかな。。)のが
車の運転を楽しむといった行為の入り口だったかもしれません。

その時の衝撃はすさまじく、さらには路面がウエットだったこともあり時に流れるテールを素人ながら
にもコントロールしながら疾走する車内の助手席で、カチコチにしがみつきながらも興奮したのを覚
えています。2輪でもある程度のレーシングスピードは経験していたにもかかわらず、4輪独特とでも
言うべきかタイヤのグリップレベル(4輪なので当然と言えば当然^^;)の高さに驚いたものです。
その後、趣が4輪に移行しつつあるなかで初代MR2を購入。ジムカーナに参加したりしましたが
私の扱いが悪かったためわずか1年程で廃車に。。その後フルノーマルで程度の良い日産180SX
を購入。周囲の影響や自己知識でちゃくちゃくと改造し、自分が目差したい理想の車に仕上げて行っ
たつもりでした。
当時、ドリフトコンテスト(通称ドリコン)にも参加し、小さな大会ではあったが幸運にも優勝出来たこと
もありました。

そんな最中、2輪でも通っていた箱根の○ラインには週2~3回アルバイトが終わった後22時過ぎから
出発し、20Lのジェリ缶を積み込み明け方4時くらいまで来る日も来る日も走り込んだ。雨であれば雨
の練習にもなり、タイヤも減らないとむしろ喜んだものです。ですが良い事ばかりではありません
時にはムチャをし壁等に激突。経験から補修グッズは常に携行し、時にはロワアームやタイロッド
をメガネレンチで代用し東京まで帰った事もしばしば・・。現地で壊す為、当然修理は可能な限り自分
で行った経験から今でも大抵の事なら自分で直せ、役に立ってはいるかもしれません。ジャッキアッ
プでパワステのASSY交換を完遂したのも良い経験となっています・・・。

時に修理不可能と判断した場合、当時この峠の主的存在であったセリカXXの方にレッカーを呼んで
頂いた事もありました。同じ走り目的で時を同じくして居合わせたと言う理由だけで、あれこれ親身に
なって対応頂いた事に対し、感謝です・・今は、エンコ(古っw)した場面に出くわすと率先して助ける
よう心掛けています。
走り込む中でこれまた色んな場面にも出くわす訳です・・走りこんで数年経ち、路面のシミがある
箇所なども覚え、上達してもやはり上には上が居るわけで、わずか1~2コーナーで見えなくなる
素ノーマルでフルロールさせて消えるGTRや、上りでもべらぼうに速い86。下りで同乗をお願いした
ところ久々に死ぬかと思うほど恐怖を感じました(笑)なんでもトヨタの営業さんらしく、会社帰りな為
スーツにハーフグローブといういでたち!車は86の素ノーマルにタイヤはなつかしのM7あたりにWi
nmaxのパッドくらい。。やはりイニシャルDはノンフィクションなのです。
その後、気持ちを改め一から走りこみなおしたのは言うまでもありません^^;
今思うと、とてもかけがえの無い充実した日々でしたが、周囲の方々に迷惑を掛けつつも走り続け
る事が出来た環境に感謝すると共に、会社の部下に欲しい車は何?と聞くとミニバンに憧れている
と言うから時代の流れを感じずにはいられません。あの頃は免許を取ると自動的に?!車やバイク
に流れる時代背景(おおげさかも)が後押しし、さらに悪い(失礼)先輩に誘われて峠を攻めに行く
行為が自然でもあった気がします。
そんな経験を得て、今私が乗っているゴルフが自分にとってのいかなるシチュエーションにも耐え
運転の楽しさを与え続けてくれる類まれなる存在なのだと改めて痛感しています。
Posted at 2014/02/20 14:31:12 | |
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