2014年07月21日
続いた雨があがり、今日は午後から快晴ー!でも明日から仕事だー><
さて、今日兼ねてから考案していたクルマの任意保険をそのまま更新するか否か・・・
TVはもちろんネットでも話題の、保険会社数件一括見積もりサイト(保険の窓口だったかな)
会社によっては2万円も違う事にビックリ・・・さては内容が違うのであろうと目を凝らして
確認するも違いは無し!うーむ、数千円ならともかく数万円ともなると安いほうに流れる
のは致し方なし。何が違うのか、今はハロースイス~のとこだが目星を付けたのは堤氏のCM
でおなじみのあそこ^^ロードサービスも細かく保証されており、これまた細かい設定の地震
保険が気に入った(実際あっても他社だと縛りがきつい)事もあり、決定ー♪
皆さんも一度試してみては?!時間も掛からずお手軽な反面、今個人情報の漏洩が騒がれて
居る中ちょっと怖いきはしますが・・・。
Posted at 2014/07/21 13:42:57 | |
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よもやま話 | クルマ
2014年07月20日
暑い・・・夏になると思い出す、かつて過ごした日々の事を思い出す
日中から降り出した雨が深夜近くに止むと、よし!と決起し180に乗り込みいつもの山へ向かう
まだETC等無い時代。高速を乗り継ぐのに必要な小銭を準備しておく。給料前は246、1国を駆使し
国道135号線へ給料後は東名、小田厚と乗り継ぎ西湘バイパスから見える真っ黒な海をチラ見しな
がら135号へ入る。途中あえて旧道を選ぶのは、自身のコンディションを整えると同時にマシンの調
子を把握する為で、深夜の雨上がりを選ぶのは、タイヤの消耗を抑える事が出来るのと何よりマシ
ンから出る「音」が何しろとびきりに良い。理屈は解らないが、何かこう音響効果の整った密室でその
音の波長の先端まで感じる事が出来るようなとても心地よい空間になる気がするのだ。
もちろん仲間は誘わない。とびきりのこの瞬間、時間をストイックに独り占めしたい衝動に駆られ
虎視眈々と走りを楽しむ。
燃料の一滴も無駄にせずにそのフルバランス取りされたエンジンパーツの一つ一つがきしめき合っ
て金切り声をあげながらまるでレシプロエンジンと錯覚するかのように回り、チタンパイプを抜けて高
音を奏でながらはじき出されるのだ。
海岸線にあるカラオケ店を右折しその先にある鉄橋の脇道を登っていく。途中、お化けが出そうな
トンネルを抜け恐ろしくスピードの乗る直線を抜けた先にその山の入り口はある。
スタート直後からうっそうと茂った森林エリアをかなりテクニカルなブラインドコーナーが続き
一見角度が解らず刺さりそうな右コーナーを抜けるが私は二輪時代から通っていた為、その入り
口からすでに右フロントタイヤがのるラインを思い描いている。
毎回わかってはいても直前の左右連続コーナーの間隔が良いせいか、ついその先のギャラリー
コーナーは進入から角度を付けたくなる。
若干オーバースピードで進入、ブレーキングでフロント荷重を十分残しつつステアリングをグググッと
切り込むと、当然軽くなっているリアが慣性で滑り出すのをSPGに据えた腰センサーが感じ取り
ドリフト状態となる。ここで慌ててブレーキ又はアクセルを入れようものならたちまちスピンだ
アングルが安定するのを見計らって、ジワッと若干戻したアクセルを入れる。ここでレスポンスが
良すぎるエンジンだとコントロールに悩むが路面が濡れていると、ローパワーの方がコントロール
はし易い。決してアウト側にはらんではいけない、ここは公道であることは勿論逃げ場は無いのだ
立ち上がった後は上り傾斜角のきつい高速ステージが続く。山頂のあの食堂や、昼間は見える
白く大きな電波塔はもうすぐだ。この区間は本当に死にそうな位スピードがのり、これまた昼間
見える壮絶な眺めの高低差をともなった崖と隣り合わせな為、アドレナリンを抑えるのに必死だ
最後の高速左コーナはフロント荷重が抜け易い。上り傾斜角がきついのと見た目に道幅が広く
なっている区間なのでついオーバースピードになりがちだ。
山頂で戻るか長尾、乙女でもうひとっ走りするか、とびきりウマい缶コーヒーで休憩しこれまたとびき
り鮮明に見えるオリオンの星空を眺めながらやがて赤らんでいく地平線を見ている。
この時カーステレオからは私の好きなRebeccaの真夏の雨が流れていた。
Posted at 2014/07/20 23:08:09 | |
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よもやま話 | クルマ
2014年07月17日
ふー・・・暑い!
外で何かすると、あっという間に汗だくに(+_+)あれ?確か今年は数年振りの冷夏のはずだったのに
話が違ーう!と、これから?何にしろ逃げ場無しの暑さに、早くもバテ気味ー・・・。
さておき、自らの恥をさらしますが夏になると思い出すひと夏のある出来事のお話でも^^
あれは私が小学校低学年の夏休み中の出来事。
クラスで仲の良かったY君の家に、いつものように遊びに行く事に。
彼自身は一年中ランニングシャツに半ズボン、虫取り網が良く似合い時に鼻が垂れているといった
元気印の少年であった。何でも良く知っていて、特にTVアニメや流行りの真似事をクラスで披露し
輪の中心に居る人気者であった。そんな彼の家にマンガ本目当てに遊びに行ったある日の事。
その日はY君のお父さんが休みだったのか、初めて対面をした。
Y君のお父さん「こんにちは、いらっしゃい」
ウパパパ少年「こっ、こんにちは・・」基本声小さい
Y君のお父さん「良く来たね、今日は良いものがあるからこれをあげよう」
何を貰ったのか今はもう思い出せないが、私は嬉しさのあまり顔がほころび無言のまま
貰った物に夢中になっていたんでしょう。Y君のお父さんがすかさず強くはなく優しい口調で
Y君のお父さん「おや?人から何か頂いた時には何か言うんじゃなかったかな?」
私は金縛りにあったかのごとく、ドキッとするとともにこれまた何も言えないまま・・・
Y君のお父さん「何も言えないのなら、これはあげられないよ」と、言われやっとこさ
ウパパパ少年「あっ、あ、あ、ありがとうございますっ!!!」
Y君のお父さん「うん、ではこれをあげる。ゆっくりしていってね」と。
きちんと建設的に説法してもらった事に対し私は、この人は臆する事無くおいらの為を思って
言ってくれたんだな~、と子供ながらに感銘を受けた事を忘れられずにいます。
以来、Y君のお父さんへは敬意の念を感じながらも、今後また色んな事を教えてもらいたい一心
でY君ももちろんの事、さらによく足を運んだものです。
大げさかもしれませんが、この出来事は今の私の人間関係における交際の仕方に多少影響を
及ぼしたかも知れません。それは、自分の苦手意識のある人にこそ自分に無い物を持っている
事が多々あり、その人と交流を続ける事でつい以来からの自分の固定観念で物事を判断しそうな
瞬間に、また違った角度から冷静に考える事が出来、結果ベストな判断を行えた経験があります。
今日は休みでしたが、さー明日から又どんな小さな事でも積み取り、良い職場環境を整えて
あげれたらと思うのです。
Posted at 2014/07/17 20:05:35 | |
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よもやま話 | 日記
2014年07月13日
さて、先週から3歳になる我が娘り~ちゃんが喘息で入院・・・さらに
私は夏風邪でフラフラ・フワフワ~・・やっとこさ回復とドタバタ劇が続きブログあっぽー
出来ずじまいでした^^;
兼ねてからブログに書きたかった新章と言うか、私が今まで出会った(起こった)出来事
をなるべく車がらみのものを主として、記して行きたいと思います。
自己紹介にもありますが、元々2輪から4輪へ転向(2輪4輪は問わず好きである)するきっかけ
と言うか、彼との出会いは今からもう20年程前になるでしょうか
当時高校生だった私は、時給が良い事から始めた宅配ピザのアルバイトをしており
ここだけの話、やれ「あそこの常連○○さんちまで4分で行った」であるとか
「あそこの信号はこのタイミングで行くと、その先も引っかからない」とか
「ここをちょっと逆走すれば、あの道に出れる」等、楽しみながら働けた時代が懐かしくもあり
いかにバイトと言えど、ガードレール数センチまでバイクをバンクさせ疾走する事に青春を
掛けていた気もします。
そんなある日、店長から「あんたに雰囲気近い大学生が入るよ」と・・・。ふむ
数日後、その男はやってきた。
当時は駐車違反の取り締まりがほとんど無く、1日停めていても(邪魔にならぬところなら)
平気なほどだった。
爆音の180SXでやってきたその男は、当時私が出会ってきた大学生とはかけ離れた
風貌をしており、悪の匂いがプンプン。たかだかアルバイトに出勤するのに爆音改造車で
ドーンと来て路駐。金髪をなびかせながら、私とは上記の内容で意気投合する部分が多く
時に上回る事をしでかす事で、互い一目を置く存在になったのかもしれません
私の同級生も私が誘った事から、同じバイト先にいて彼をエンドちゃまの愛称で呼び
私はエンド君と呼んでいた。
そんなある日、エンド君から「走りに付き合わない?」との誘いから、バイトが終わった22時
過ぎあたりからあの爆音180SXの助手席に乗り込み、箱根へ・・・
ストイックに淡々と走りを詰めるスタイルの私とは対照的に全体的にルートを決め
たまに流れるテールをコントロールしながら、鼻歌交じりに走りを楽しみ、そして一服
する彼を見て4輪も面白そうだなと、そのあたりから感じ、のめり込んで行った事を覚えています
その後すぐに教習所へ行き、挫折しそうになりながらもなんとか取得!すぐに車が欲しくなり
バイト先の他の先輩からのすすめで、初期のMR-IIのS/C付きを購入
エンド君と連日バイトが終わった後、2台または数台で奥多摩や箱根、時には首都高へも
繰り出した。そういえば出会った時から彼は角度調整付きのピロアッパーを組んでいて
後に流行った鬼キャンに近い事を実践していた。途中、ネジが緩んで角度がずれて
よく直していたのを覚えている(笑)そんな彼が、いきなり次の愛車に選んだのがこれまた
後に流行った、4枚ドアのJZX90型のマークIIツアラーV!もちろんマニュアルで
ダークグリーンのそのマシンは納車間もないと言うのにすでに車高調に社外マフラーと
怪しいオーラを放っていた。決して一発の速さがあるわけでも無いエンド君であったが
こういった先駆的なものを実践しており、流行りだす頃にはやめていると言う憎たらしい
一面も持っていた。その姿はどこかかっこよくて、しかも友好的且つ面倒見も良かった事から
自然と周囲には人が集まるのである。
マークIIにはだいぶ乗っていたが、その後にゼロヨン仕様のドンガラ(運転席以外なくロールバーだらけの室内をこう呼んでいた)の32GTRに乗り換え筑波を1分切ると豪語し、車作りに励んでいた。
これまた後に加熱していった、筑波分切りのばいぶ前の話である。
その後、彼との付き合いは付かず離れづで続くも彼自身、定職に付くとかとは無縁で
根っからの遊び人気質とでも言うのか、途中病気にもなったりで相変わらずブローカー稼業
を細々としている。
彼がいたからこそ、今の私の車に対する考えがありそもそも6君も彼に頼んで探してもらった
シロモノである。そこには、決してピカイチの個体を探してもらいたい、等というものではなく
彼エンド君に探してもらった車に乗りたいと言う私の願いでもあった。やはり最後は人なのだな
ーと私の人生観としてはそう思い、そうしたいのである。
さて、後輩が通勤バイクを探しているとの事。奴に電話してみようかな・・・
Posted at 2014/07/13 23:33:09 | |
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よもやま話 | 日記