『夢中になれるもの』とはいったい・・・
すべてを忘れそれに没頭させてくれるもの。本当にすべてを忘れては困るのですが(笑)
必ず誰しもにあるわけではないかも知れません。が、幸運にもそれに出会うことが出来た
私の小言です、お付き合いくださいませ。
さて、その記憶の糸を辿ってみると・・・あれはウパ少年の幼小時代にさかのぼる・・・
『絵』
絵画教室に通わせてもらっていたこともあったせいか、描くのは好きでした。ただ、デッサン
よりは空想したものを絵であらわすような、大胆なものだったのを覚えています。学校の先生
がたからは絶賛の嵐であったようで、街の展覧会などにもでていたようです。のちにこの方向
で某有名高校に推薦をとるも、まさかの不合格!あまりにも偏差値が高すぎました。国語で
すらさっぱりの世界でした。笑えるようで笑えない話ですね。今考えると夢中になれたようで
なれなかったのでしょう。このあと急に絵に対する想いは冷めていくのでした。
『スポーツ』
そんなウパ少年。小学校では野球をかじりますが、なにか違和感バリバリ。仲の良い友人たち
と勢いで始めたためか、途中からはもう頼むから自分のとこに玉を飛ばさないでくれと祈って
いたとかいないとか!ひどい話ですね。中学ではサッカーです、何ミーハーな?そうです何か
こうかっこいいスポーツに思え、先輩方もそれはもうかっこいい訳ですよ。この年齢の先輩とか
って本当にすごい年上にみえたものですね。で、案の定またもやまさかの違和感か何なのか
続かないわけであります。これで球技全般に向いてないのが分かっただけでも良かったのか!
『オートバイ』
さてやっとここに辿り着くわけです。ことのはじまりはこうです、仲間3人で一発試験に意気揚々
乗り込むもおいらだけ落ちる奇跡(笑)もちろん翌日ガッコさぼって猛勉強したうえで合格しました
さ!免許とったらそりゃバイク欲しくなるわけです。当時時給560円くらいだったでしょうか、必死で
バイトしました、貯めました10数万!で、もちろん中古で探すわけで、千葉にお目当てのバイク
NS50Fあったあった12万くらいだったでしょうか、コミコミ。おいおい千葉までどうやって行くんだい
さらにおまえさん乗ってでも帰るのかい?そうだそうだ親父が4トンクレーン持ってるジャンと
こんな時ばかりは父にお願い。まぁ、出来ないことは無いけどもよウパ、本当にこれで良いの
かいと、それは問題なしよと、あっても分からないしと、電話一本押さえてもらって、本当に親父の
クレーンで吊り上げて積むもんだから、バイク屋さんも唖然(笑)実話です。さて初の自分のマシン
が手に入ったこの嬉しさといったらそれはもう天にも昇る嬉しさ。当然バイク通学禁止のおいらの
高校。諸先輩がたに混じり憧れのバイク通学、秘密の学校脇の公園スペースに軒並みとまっている
バイクに肩を並べるこの嬉しさ!もさることながら、そりゃもう速いのなんの。なにせ普通のチャリ

からこいつに変わったわけですから当然。馬7頭<ですよ。即効リミッターカットで90キロ近い
世界が間近になり、嬉しさで無意味にとにかく走り回る。

その後は過去のブログにある流れになって行くわけですが、心の底から本当に夢中になれた
ものをあげるひとつがこれにあたるわけです。いきなりおもちゃクラスから飛び道具へ変化
した衝撃がありましたね、試験場で乗ったパッソルとはまったく比較にならない楽しさ!パッソル
も乗り方によっては楽しくなったやも知れませんが・・・。
そうそうヘルメットはAraiで決まり。社長の怪我のエピソードに惚れ、これしかないと。余談ですが
髭剃りはシックしか使いません。なぜなら多少なり2輪に従事していた者として、かつてシック
がスズキをスポンサードしていたことがあったからです!

スズキといえばこのひとご存知テキサスの暴れん坊の異名をもつケビン・シュワンツ
あの神がかり的な走りは危うさもあってすごかったですね。

月日は流れ、モータースポーツに多少なり携わってきた者として、今所有しているゴルフ6君を
頼もしい相棒としてはもちろん、いろんな場面で満足させてくれる事に感謝しつつも、ごくたまに
仲間内でカートで発散することもあります。これがですね、仲間内でも本気バトルになるくらい
楽しいものですよ。
