2014年01月08日
2011.3.11『焦燥・苛立ち・不安』
宮古市の映像が映ったのは、確か3時10分を過ぎた頃だったと記憶しています。
宮古市の津波襲来の映像と、陸前高田市への津波接近の連絡。
位置的に考えれば、陸前高田市への津波の接近の方が先だとは思いますが、私は宮古市の映像が先だったように記憶しています。
ともかく、職場の室内は一気に空気が変わりました。
(これは大変なことになる)
誰もがそう思い直したはずです。少なくとも、私はそうでした。
テレビでは、まだ宮古市の映像を映し出していました。
車だけでなく、建物までも飲み込んでなお、水の量はどんどん増していきます。
どす黒い水でした。これが海の水だとは、にわかには信じられませんでした。
そのうちに、画面が切り替わりました。
『あっ!!』
私は思わず声をあげました。
前の職場のすぐ近くが映ったからです。
高台のトンネル出口付近から港方向を映した、定点カメラからの映像でしたが、水位がどんどん増していくのが目に見えて分かりました。
港に停めてあった車を次々と飲み込み、軽々と押し流し、堤防を越えていきます。
映像では、不思議と勢いや凄まじさは感じませんでした。
津波と言えば、怒濤の勢いで高波が襲ってくるものだと思い込んでいたのですが、映像では際限無く海の水が増えていく様子が映し出されているだけで、私の思い込みとは全く違っていました。
イメージで言えば、風呂に入ってお湯が溢れるようなもので、流される車は、まるで風呂に浮かべたオモチャのようでした。
カメラのせいなのか音も全く聞こえず、しかしそれが逆に言い知れぬ恐怖を掻き立てました。
テレビ画面には、港のすぐそばを走るバイパスの高架橋も映っていました。
高架橋は10メートル近い高さがあったと思いますが、その橋脚がジワジワと黒い水に飲み込まれていきます。
勢いが弱まる気配はありません。
(もう止めてくれ!!)
私は心の中で叫びました。どうにもならないと分かっていながら、それでも何度も叫び、祈りました。
前の職場は、映像で写し出されている場所の本当にすぐ近くにありました。
比較的背の高い建物でしたが、海抜ゼロメートルの所に建っていたため、このままでは全て津波に飲み込まれてしまうと思ったからです。
私が前にその場所にいたときは、津波警報が出ても誰も避難しませんでした。その程度の危機感でしかありませんでした。
もし、今そこで仕事をしている皆が、あの当時の危機感のままだったら…
(誰も助からないかもしれない…)
しかし、現地の正確な情報は分かりません。
焦燥の中で、みんなは私なんかと違うから、きっと逃げていてくれているはずだ、何とかみんな逃げていてくれ、建物が無事であってくれと祈ることしかできませんでした。
そんな中、高架橋の上で停車し、避難していたはずの車のうち、何台かが動き始めるのが見えました。
『何やってんだ!そっちに行ったら死ぬぞ!戻れ!』
誰かが悲鳴をあげるように叫びました。車が移動した方向は、高架橋から低い場所に向かって降りていく方向だったからです。
こうしている間にも、水はどんどん増えていきます。
ゆっくり動いていた車は、ついに画面の外に出て見えなくなってしまいました。
その車がその後どうなったのか、分かりません。
高架橋の橋脚の半分くらいが水に隠れた辺りで、また画面が切り替わりました。
この後は、順番の記憶が曖昧になっています。
時間が経過したこともありますが、どれもあまりに衝撃的な光景であり、その光景を見たことしか記憶に残っていない、ということもあります。
なので、この後は、私が見た映像の記憶を書き記します。
宮城県の名取市では、田園地帯を物凄い早さで黒い波が走っていました。その姿は、まるで襲い来る悪魔のようでした。
その黒い悪魔から逃げようと、車が必死で走っている様子が映りました。
しかし、波の方が早く、車が今にも追い付かれようとしたその時、また画面が切り替わりました。
久慈市では、一艘の漁船が、黒い煙を吐きながら、大波でうねる沖合いに逃げようとしているところでした。
『あれは駄目だ!!』
誰かがまた叫びました。
逃げているのは小さな漁船で、進行方向からは大波が迫っており、乗り越えられるとは到底思えなかったからです。
漁船は波に向かって真っ直ぐに突っ込んで行き、上下に大きく揺られました。
これも波に飲まれるのか。そう思った時、また映像が切り替わりました。
(後に、この漁船は助かったと聞きました。)
再び映し出された宮古市の映像では、もはや黒い濁流が渦を巻いている様子しか見えませんでした。
さらにまた、前の職場の近くの映像が写りました。
水位はさらに増していて、あと少しで高架橋の上の道路にまでかかるところでした。
道路では、数台の車がなす術なく立ち往生しています。これ以上、逃げ場はありませんでした。
(もう少しで全部流されてしまう)
ですが、幸いにも、水位がそれ以上上がることはありませんでした。水の勢いが止まった時、室内にいた皆が、安堵のため息を漏らしました。
しかし、このように映像で状況が確認できたのは僅かで、ほとんどの市町村は状況が全く分かりませんでした。
さらに、テレビの映像でいたずらに不安を煽られ、皆苛立ちと焦燥感ばかりが募りました。
そんな沈鬱とした空気に支配された室内に、再び悲痛な叫び声が響きました。
『陸前高田市は壊滅!陸前高田市は壊滅状態!!』
室内がどよめきました。
『壊滅?壊滅ってどういうことだ?!』
嫌な想像ばかりが先行しました。
何がどうなっているのか。
どこまでやられたのか。
みんなやられてしまったのか。
詳しい状況は、全く分からなかったのです。
目の前に映し出される映像に対して抱く、どうしようもない焦り。
何もできないことに対する苛立ち。
何がどうなっているのか全くわからず、これからどうなってしまうんだという不安。
まだ、最初の揺れから一時間も経っていませんでした。
ブログ一覧 |
東日本大震災 | 日記
Posted at
2014/01/09 00:02:19
タグ
今、あなたにおすすめ