
知る人ぞ知るブログ「月刊エンスー」の様に月に一回必ず定期的な更新というのを続けたいものですが、なかなか。
忙しい日々の中で変わらぬスタンスで続けるのは難しいものです。
「月刊」と言う言葉からふと「月(moon)」を連想してしまいましたが、先日10月8日は中秋の名月でした。とても月が綺麗な夜でした。
天気も良く、夜中ながら街灯の無い道も歩けるくらいの照度でした。

↑2025年は10月6日。この日、GoProで露光時間2秒として撮ってみました。もっと露光時間短くして良かったなぁ…眩しい。
じゃあ、歩けるのなら、夜中の照度でも車は運転できる?
免許取り立ての頃、特に夜は見えない部分が多くて、怖かったのを覚えています。経験が長くなるにつれ、だんだんと慣れていったのですが。
かつて黒澤元治さん著書の本(新ドライビングメカニズム)を読んでいた際、夜中の鈴鹿でも全開にして走れたし、わずかに光があるなら全てが見えなくて良い、という一節がありました。見えている点と点を結ぶ、それでちゃんと走れる、と。

↑この手の本、結構ドライバー毎の個性が出る小話が面白かったりします。
簡単にしか書いていませんでしたが、かなり含みのある表現だなと思います。
まず、点を拾い上げることですが、限られた視界の中から見えたものが必要な情報か否か、これを判断できるのは経験から来るものと思います。
さらには見えたものからその周辺を想像できなければ、本当にただの点で終わってしまいますし。
なので、点を集めると言う行為は、経験者の為せる技ということなのだと。
次に、点と点が見えたとして、それを結ぶのには、やはり長い経験が必要です。
その間がどうなっているのか、それを補足する情報は過去の自分の経験から来るものであり、さらにそれを裏付ける確固たる自信がなければ、自身を信用して攻めきれることも叶いません。
点と点を繋ぐと言うのは一見すると、走行時のライン取りの話に見えますが、転じて、それは概念的な話にも。
思えば、自分が車に乗り始めの頃、良く「タイヤの使い方を学べ」と言われたものですが、そもそもタイヤの減り方と、運転の仕方は自分の中でリンク付けされていなくて、悩んだものです。
〜この運転したらタイヤはどうなるんだ?フロントは?リアは?右は?左は?タイヤの内側?外側?…〜
考えても良く分からないので、一回走りおわったらタイヤを確認して、また走って、またタイヤを確認して、というのを繰り返した記憶があります。
これは点を一つずつ観察する行為。
そしてだんだんと「タイヤの減り方」「運転の仕方」という点が、線へとつながって見えてくる様になり…

↑とは言え、今でもタイヤの使い方は分かった!とは言えないなぁ…
ともすれば点をただただ拾い集めるだけ集めて、なかなか線にならないこともあると思います。
でも関係ないと思っていた点が、時間をかけてゆっくり、ゆっくりと繋がっていくことも。
ちょっとした一例を書いてみましたが、皆さんも「点」から「線」に、そんなエピソードあるのでは無いでしょうか。
点を線に。
あの本の著者、黒澤さんの人生が重なると、どうしても、ただのサーキットのライン取りだけの話には思えないんですよね。
Posted at 2025/10/10 00:24:08 | |
トラックバック(0)