四高桜公園

一九四一(昭和十六)年に琵琶湖で遭難死した四高漕艇(そうてい)部員をしのび、滋賀県高島市の県道沿いの「四高桜」から接ぎ木した苗木百二十本が二十五日、湖畔に造成された「四高桜公園」に植樹された。県道拡幅で桜並木が消えることを知った地元住民が三年前に「四高桜を守り育てる会」を結成し、金大OB約百人も新たに加わった。関係者は鎮魂の思いを後世に引き継ぐため、四高桜の「子孫」を金沢へ移植する構想を明らかにした。
四高桜は、一九四一年四月に琵琶湖で合宿中に強風でボートが転覆、亡くなった四高漕艇部員とOB十一人の死を悼んで翌年、湖岸にソメイヨシノ一千本が植えられた。
桜の枯死が進み、県道の拡幅工事で伐採の恐れが生じたことから、二〇〇三(平成十五)年、地元住民と四高OBら七十人で「四高桜を守り育てる会」が結成された。滋賀県から提供された琵琶湖岸の敷地約五千平方メートルに、会員が当時から残る古木約百本を移植し、「四高桜公園」の名称で整備を進めてきた。
「守り育てる会」メンバーで金大OBの池田幸男さん(72)=大津市=が昨年十二月、全国の同窓生に呼び掛けた結果、約百人が入会し、自宅で苗木を育て始めた。植樹祭に参加した池田さんは「住民の地道な取り組みに感謝の気持ちでいっぱい。十一人のクルーを思い出す美しい桜並木をよみがえらせたい」と感慨に浸った。
植樹祭には嘉田由紀子滋賀県知事、海東英和高島市長、橋本哲哉金大副学長、四高OBら約百二十人が参加。橋本副学長は「いずれ金大キャンパスにも四高桜を植え、桜に込められた思いを引き継いでいきたい」と語った。
●「桜は亡くなった友そのもの」 交流会で追悼歌を合唱
「思ひ出づる調べも哀し 春浅く水藻漂ふ志賀のうみ…」。高島市内の旅館で開かれた交流会では、四高、金大OBが「四高漕艇班遭難追悼歌」を合唱し、湖底に散った十一人のクルーをしのんだ。
遭難死した佐野実さんと同期生の坂田重男さん(85)=さいたま市=も駆けつけ、「桜は若くして亡くなった友そのもの。再び美しい花を咲かせてくれる日を見届けたい」と目を潤ませた。
坂田さんは一九四二(昭和十七)年四月に営まれた一周忌法要の際に行われた四高桜の植樹にも立ち会い、桜の歴史を見届けてきた一人。寮歌「南下軍の歌」などを熱唱し、寮で枕を並べた友の在りし日を振り返った。
★〔四高漕艇部遭難(しこうそうていぶそうなん)〕
全国屈指の実力を誇った四高漕艇部が琵琶湖で合宿中の1941(昭和16)年4月6日、滋賀県高島町沖でボートが転覆し、部員とOBの計11人が死亡した。警察の捜索打ち切り後も、金沢の金石港漁協組合員が漁網を持ち込み、高島町の住民も参加して懸命の捜索を続けた結果、転覆から66日目に最後の遺体が収容された。四高生の悲劇は人々の琴線に触れ、「琵琶湖哀歌」は全国で流行した。
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