
敬老の日(9月第3月曜日)
「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し長寿を祝う日」というのが祝日法によるところの敬老の日の定義。1951年に制定された「としよりの日」が1966年に「敬老の日」となった。らしい。
9月15日としたのは聖徳太子が四天王寺に悲田院を設立した日と伝えられているためとか。
さて、年寄りとはいったい幾つからその範疇に入るのだろう?
歳を重ね、ある年代を超えると急激に身体の変調が現れてくる。
目がしょぼしょぼして小さい文字が読みにくいとかションベンの切れが悪いとか。
次第に日々の疲れが取れにくくなって少しくらい休んでも疲れが取れない。
さらに歳を取ると溜まった疲れがわけの分からん病気を発症させたりするわけね。
還暦を過ぎると限りなく将来に不安を覚えることになる。健康はもちろん年金とか。
「セカンドライフ」とか言われて余生を楽しむような風潮があるけど現実は厳しいのだ。
クルマのように壊れたり劣化した部品は交換すればまだ現役で頑張れる。
科学や医学の進歩によって人間もいずれ同じように長生きできるかもしれない。
しかし、今の世の中を考えると果たして長生きをしてそれで幸福になれるかチト疑問。
少子高齢化といわれて久しいが国や行政はほとんど無策に等しい。何もできていない。
統計によると現在の日本で65歳以上は何と人口の20%オーバー!
団塊の60歳以上となれば軽~く40%位になるとかw
昔から年寄りはいろんな経験を積んでいるから物知りと云われた。
が、半分当たっているけど半分はウソだ。だって片っ端から忘れちまうから。
人の名前は云うに及ばず時には自宅の電話番号さえも「あれ,何だっけ?」。
結婚記念日とかカミさんの誕生日、果ては得意先との約束さえも。
忘れるというよりも記憶が途中から途切れ、「私は誰?」現象。
何よりも年よりは頑固でいけない。自分の経験が絶対と考えているから聞く耳持たない。
時代の変化などは眼中になくKYなのは年中行事。だから若い人に嫌われる。
つーか若い人の話の輪にはなかなか入っていけないのが実情。ジェネレーションギャップ?
ま、若い人も話の輪に年寄りが入るのはイヤだろうし。老兵は去るのみってか。
「敬老の日」、どうにもネガティブになっていけねぇや。
Posted at 2008/09/15 18:16:37 | |
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