
§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection
ぼくはたぶん、考えられるうちの最上のシチュエーションで、そのクルマと出会ったのに違いない。突然の秋となった、山あいの避暑地。いまにも泣き出しそうな空。つまり、頭上からの余計な陽光のない天候。ヒーターもクーラーも要らない絶妙な9月の某日……。マツダRX-7カブリオレの試乗会とは、そのような日であった。
クルマを受け取り、数キロ走って、雨を恐れてクローズド・ルーフとしていた室内から這い出た。屋根を外そう。降ったら、それはその時のことじゃないか!
覚えたばかりのマニュアルは、こうだ。サンバイザーを降ろし、ルーフ両端のフックを外し、スイッチを捻る。重厚な黒のルーフは、まず上方へ跳ねて、そしてシートの後ろ側のスペースへ向け、手を触れることなく畳み込まれていく。電動の仕事が終わった時点で、手で、もう、ひと畳み。トランクからトノ・カバーを取り出し、かつてルーフであったものを覆う。
できた! ボディのウェストラインから上には、傾斜したフロント・ウインドー以外には何も持たぬ別種のクルマが、そこに現われた。
この時、ドアは単なる仕切り板となり、深いコクピットに潜り込むための穴であることを止める。ルームミラーは、リヤ・ウインドーの透明さを探し求めて微調整する必要が、最早ない。グイッと空に向けてやればよい。
サンルーフでもキャンバストップでもなく、このクルマはフルオープンなのだということを実感したのは、実は、このルームミラーを調整した時だった。ほんとに、後ろに、何もないんだ!
そして、下半身を今日のテクノロジーに浸し、身体の上部を大気と自然に任せるという、自閉と解放が混じり合ったような不思議な時間が始まる。フルオープン・ドライビングとは、そのような刺激であり、悦びである。
身体の下部を包むハードが、RX-7というスポーツカーであることは、この場合、さして意味を持たないだろうか? いや、そんなことはない。ごく低い着座位置、俊敏な挙動、すべてのレスポンスが速くて鋭いこと。そこから、クルマが乗り手に要求してくる緊張感とデリカシー。これらがあって、その刺激と感覚は増幅される。
ついでに、自分の手を汚すこともなく、屋根が開閉する。そのオートマチックぶりも、やはり欠かせぬ魅力だ。オープンにできるということだけでなく、どのようにそれが可能か。
そのような意味も含めて、マツダRX-7とは、何と贅沢なクルマであろうか。リムジンよりもサルーンよりも、スペシャリティ・クーペよりも、このカブリオレを選ぶことの方がずっとずっと贅沢だと、ぼくは思う。
それは、ここに述べたような得難いエクスペリエンスを与えてくれるビークルであるという意味において。また、オープンカーであることから生じる、日常使用の上でのさまざまな非・快適さや不便さも抱え込む、その度量において。あるいは、「日常使用」という状況をRX-7においては考えなくて済むのだと言い切れる“リッチ”さにおいて。
──さらば、カブリオレ、さらば、箱根。贅沢な時間との遭遇を終えて、いざ帰らん、雑踏の中へ。4ドアセダンでの東名の帰路は雨だった。
(1987/09/29)
○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
サバンナRX-7カブリオレ(87年8月~ )
◆最も美しいRX-7だと思う。ルーフは、フルオープン、タルガトップ風、クローズドと段階変化活用ができるが、そのどの形状をとっても繊細で美しい。このカブリオレに比べると、ノーマルの屋根付きはひどく“GT臭く”思える。ファストバックのクーペは単なるポルシェ・イーターで、敵のフィールドでムリヤリ闘わされているようでもある。いわゆるノッチバック・クーペを好む個人的趣向でしかないかもしれないが、これは「7」を超えた存在だ。
ブログ一覧 |
80年代こんなコラムを | 日記
Posted at
2014/09/05 07:50:26