
いまwebに掲載中の90年代に書いたコラムは「昭和名車伝」という“くくり”になっている。このタイトルは当時の編集部が付けたもので、私自身は「昭和」という語を用いることはほとんどない。使い方によっては便利な言葉なのかもしれないが、ただ、「時代」の区切りとしてはあまりにも長すぎると思うからだ。
たとえば「昭和的」といった場合に、60年以上ある「昭和時代」のいつ頃を指しているのか。何より「戦前」と「戦後」という言葉があるくらいで、第二次大戦を挟んで、その前と後では、この国の社会や政治の形態はガラッと変わっている。そうであっても、その前も後も「昭和」という同じ語である。仮に「昭和」という言葉が出て来たとして、その書き手や話者は、いつをイメージしているのか?
……なーんて真っ正面から問題にするのはおそらく野暮なので(笑)、察するに、5~10年だと「ちょっと前」、15~20年以上だと「かなり前」という共通の認識がある。そして、その「前」が1989年より以前であったら、ひとつの表現として「昭和」を使いたくなる。まあ、そういうことなんだと思う。
この「昭和名車伝」という企画は1995年時点のものであり、「ちょっと前」あたりがいいのかなと、80年代のモデルを中心にした。それに「かなり前」としての70年代ネタも絡ませて……という選択基準だった。そんな記憶があり、60年代とそれ以前は、歴史の彼方として選考外としていた。
もうひとつ付け加えると、「名車」という言葉も広く解釈し、成功や評価にとらわれず、注目車や一部にはウケていたが……とか、そんな機種もいくつか登場するはず。要するに、ネタにしやすい(書きやすい)クルマを採り上げた(笑)という勝手なシリーズでもあったので、「名車」という言葉にはあまり囚われずにお読みいただければ幸いである。
……なんてことをボンヤリ考えていたら、たまたま『昭和史の論点』という新書版(文春新書)の本が目に入ったので、パラパラとめくってみた。これは坂本多加雄、秦郁彦、半藤一利、保阪正康という碩学の四氏が「昭和史」を座談会のかたちで語ったもので、第一章は、ワシントン会議が行なわれた1921年(大正10年)から始まっている。そして終章は、1945年の敗戦と、その後の1948年(昭和23年)頃までである。つまり、1920年代から50年代までが、この本での「昭和」で、出版された2000年の時点で既に「歴史」になっている時期を語るというコンセプトだったのだろう。
そして基本テーマは、太平洋戦争への道とその戦後であり、それに関わるおよそ30年間を採り上げている。そのテーマに関わることとして、社会、政治、国際関係などを主たる「論点」としており、クルマとその歴史についての言及は、当然ながらない。ただ終章で、敗戦後の連合国による日本占領とその政策という部分で、「クルマ視点」からの発見がひとつあった。
あるムック本で日本車の歴史について記す機会があった時、私は1950年代について、以下のように書いたことがある。
「自動車産業は、占領軍が当初は乗用車の生産をごく少量しか許さなかったこともあり、荒廃した国土の復興を支えるためのトラックや二輪車の生産から、そのスタートを切ることになる」
「占領軍が乗用車の生産を許可する(台数制限を大幅に緩和する)のは、戦後4年を経た1949年のことだった」
これは事実関係として間違ってはいないはずで、そして1950年に勃発した朝鮮戦争による「特需」によって景気が浮揚し、自動車産業だけでなく、日本のすべての産業が大いに“潤う”ことになったというのも、歴史的な事実であると思う。
ただ、なぜ占領軍(進駐軍)が、占領開始後数年を経た時点で、日本の産業界が活発化することを許したのか。その理由についてはよく知らなかったし、実はあまり考えたことがなかった。
(つづく)
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クルマ史探索file | 日記
Posted at
2015/05/10 00:20:52