
さて、前回はフォードにとっての歴史的な“ベスト25”のクルマ(注1)を見ながら、大資本の図々しさ(?)の方に、なぜか話が行ってしまった。世界企業の大フォードにはそうした部分も当然あるのだろうが、ただ、20世紀の初めに、ヘンリー・フォードという人物が「廉価なクルマ」は作れるのだと主張したこと。そして、実際にプロダクトとしてそれを生み出し、そのクルマを人々も受け入れた。この歴史と事実は、やはり凄いことだと思う。
……というのは、それまでに馬車はあったし、それを作るコーチビルダーもいた。したがって、そのまま「馬」が「エンジン」に替わっただけという社会。それまで通りに、いわゆる富裕層だけが贅を尽くした“馬なしの馬車”に乗る。そういう状況に移行しても、何もフシギはなかったはずだし、実際にも初期のクルマはそうやって“馬なし”状態で稼働し始めたと思う。
しかし、ヘンリーという人は、馬車と自動車は違うと直感していたのだろう。20世紀に新登場した自動車なるものは、社会的な意味でも、それまでの馬車とは異なるものになれる。このことに気づいた。もしくは、そう思い込むことにした。
言い換えると、“馬なし”でも「ビークル」が動かせることができるようになった時、その“自動車”なるものは「大衆」こそが使うべきである。このように最初の最初から思っていた技術屋がいて、それがヘンリー・フォードであった……らしいのだ。
フォード・モーターという会社を興し(1903年)、かの「T型」で大成功する(1908年)ことになるが、ヘンリーが「T以前」に作ったアルファベットの「A」から「S」までのクルマ。それらの2万台で、彼がトライを重ねていたのは、みな安価なクルマであったという。
そういえば、この「 THE FORD CENTURY 」で、フォードの草創期を語る章には、33代目の米大統領になるハリー・S・トールマンの、こんな言葉が寄せられていた。「人間が歴史を創るのであって、歴史が人間を創るのではない。指導者不在の時代には、社会は動かない。勇気と能力を兼ね備えた指導者が、状況を変化させる機会をつかみ取ったときこそ、社会が進歩するのだ」
そして、この「フォードの方法」とコンセプトは、単にアメリカの一部で行なわれただけでなく、大西洋を挟んだヨーロッパにも影響を与える。歴史家のエリック・エッカーマンは、その著書「自動車の世界史」で書く。
──1910~1920年代に、「アメリカから学ぶものがあると考えた少数のヨーロッパ人がいた。アンドレ・シトロエン、ヴィルヘルム・フォン・オペル、ウィリアム・モーリス、ハーバート・オースチンといった人々である」。彼らはアメリカを旅行し、フォードのベルトコンベアを視察した。中でもシトロエンは、アメリカ車を分解して研究した。
そして、これらの人々が自身の名前を冠した自動車を1920年代に作って売ったことによって、ヨーロッパ車に変革が起きるのだ。1919~21年、シトロエンの「タイプA」が登場。これはベルトコンベア式で作られた最初のヨーロッパ車だった。コンベア化はフォードに遅れること6年だった、とエッカーマンは記す。
そして、1922年。シトロエン社の技師サロモンがシトロエン「5CV」を開発。1924年には、オペルがその「5CV」を無断で真似して、ライセンスなしで16735台を生産した。(後にこれは裁判沙汰となる)オペルではフォードにならって、ユーザーサービスと交換部品の定価制度が導入されていた。
さらに英国では、1922~39年という17年間、オースチン「セブン」が約30万台生産された。これは、フランスのローザンガール、ドイツのディキシ/BMW、アメリカのアメリカン・オースチン/バンタムとして、それぞれライセンス生産される。
またイタリアでも、1925年に、フィアット「509」のコンベア生産が開始されて、9万台が作られた。そして英国モーリスは、1925年に「カウリー」と「オックスフォード」を1年間で5万4000台販売した。
これら成功したクルマはすべて、1リッター前後のエンジン、フロントエンジン、後輪駆動。信頼性がある交通手段として認められた。フランスとイギリスでサイクルカーを、ドイツでは超小型車を一掃した……と、エッカーマンは指摘する。
つまり「大衆車」が作られることで、ヨーロッパのクルマ社会も変わった。そして、シトロエン、オペル、モーリスといったそれらの“旗手”たちの教師となったのが、ヘンリー・フォードであり、彼が創出したそのメソッドだったのだ。
(つづく)
(タイトルフォトは1911年のT型の広告。1916年には360ドルまで下がった、というキャプションが付いている。「THE FORD CENTURY」より)
○注1:フォードにとっての歴史的な「25台」とは、以下のモデルです。この「THE FORD CENTURY」では、その(デビュー時の?)価格が付記され、それがなかなか興味深いので、ここでもそのまま転載します。(レンジローバーがちょっと安すぎる気もしますが?) → 大変失礼しました。レンジローバーとエスコートの価格は、単位がポンドでした。お詫びしつつ下記のように訂正致します。なお、コルティナはドル表記で間違いありません。
・1914 フォード モデルT (550$)
・1928 フォード モデルA (550$)
・1939 マーキュリー エイト (930$)
・1941 リンカーン コンチネンタル (2778$)
・1948 フォード F-シリーズ〈トラック〉(1232$)
・1949 フォード (1949$)
・1950 マーキュリー (3430$)
・1954 ジャガー Dタイプ (10000$)
・1955 フォード タウナス〈ドイツ・フォード〉(1473$)
・1955 フォード サンダーバード〈シボレー・コルベット登場は1953年〉(2944$)
・1956 コンチネンタル マークⅡ (9960$)
・1960 豪州フォード ファルコン (2274$)
・1961 リンカーン コンチネンタル (6067$)
・1961 ジャガー Eタイプ (5595$)
・1962 フォード コルティナ (1820$)
・1964 アストンマーチン DB5 (12775$)
・1964 ボルボ 1800S (3920$)
・1964 1/2 フォード マスタング (2308$)
・1968 フォード エスコート (761ポンド)
・1969 マーキュリー マローダー (4074$)
・1970 レンジローバー (1529ポンド)
・1971 マーキュリー カプリ (2821$)
・1986 フォード トーラス (11322$)
・1990 マツダ ミアータ (13800$)
・1991 フォード エクスプローラー (17656$)
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Car エッセイ | 日記
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2016/03/08 10:25:58