2016年08月25日
映画『おもひでぽろぽろ』の「スバルR-2」が絶妙だ! 《2》
タエ子のナレーション。
「あの時、むろん姉さんたちは、熱海になんか行かなかった」。
おばあちゃんとタエ子だけが熱海に行ったが、しかし、祖母は一度風呂に入ると、マッサージを受けながら部屋で寝っ転がっているだけ。
「すっかり退屈してしまった私は、グリム風呂を手はじめに、人魚風呂、レモン風呂、三色スミレ風呂と、お風呂のハシゴをしたあげく、大きなローマ風呂にたどりついた時には、すっかりノボセていて……」
ここで、たった独りでラジオ体操をしているタエ子のシーンが挟まる。自分以外に誰もいないので、規定のラジオ体操のフリでなく、勝手なアドリブで身体を動かしているのが可笑しい。
場面は、熱海でのタエ子へ。風呂に入りっぱなしの少女は、大きな風呂の中で倒れてしまった。
「……あえなく、卒倒」「期待の一泊旅行は、あっけなく終わり、あとには、長い長い夏休みが待っていたのだった」
「この間、姉妹で集まった時、姉さんたちについ、この話をしてしまった。『そうそう、そんなことがあったっけ』と大笑いになり、あの頃の思い出話に花が咲いた」
そんな思い出話のひとつが、初めて食べたパイナップルのことだった。缶詰ではない果物のパイナップルで、末娘のタエ子が父にねだり、それに応じた父が銀座の千疋屋でわざわざ買ってきた。しかし、目の前にパイナップルがあっても、その食べ方がわからない。「これ、どうやって食べるのかな」「輪っかに切るのよ」「どうやって?」「知らない」……と姉たち。
その翌日か。情報を得てきたらしい長姉が勢いよく帰って来た。
「ただいまーっ、パイナップルの食べ方わかったわよ!」
中華包丁が取り出され、パイナップルが切り分けられていく。
「気をつけて切れよ」「出刃包丁の方がいいんじゃない?」
だが、せっかくのパイナップルだが、その一片を口にした家族の顔は揃って歪んだ。「硬い」「たいしたもんじゃないな」「あんまり甘くないのね」「缶詰と、ぜんぜん味が違うよ」
期待よりおいしくなかったので、賢明な(?)姉たちはすかさず、パイナップルをタエ子に押しつける。「タエ子にあげる」「あたしも」
タエ子だけは意地を張って、硬い果物を食べ続けるが、姉たちはさっさと食卓から去って行った。「なーんだ、つまんないの」「バナナの方が、ずっとおいしいわね」「やっぱり果物の王様はバナナかしらね。バナナ食べよっと」
この時、茶の間のテレビからは、「♪どうせ私をだますなら 死ぬまで だましてほしかった」という「東京ブルース」(西田佐知子)が流れていた。
さて、場面は東京駅へ。改札に向かうタエ子は泉屋の袋を持っている。これは姉に頼まれた、本家の娘ナオコへの土産。泉屋のクッキーは定番の洋菓子だ。
タエ子のナレーション。
「ローマ風呂で卒倒し、初めてパイナップルを食べた、あの年。ビートルズの来日をきっかけに、グループサウンズが流行しはじめ、あっという間にエレキブームが到来した」
画面はワイルド・ワンズの『思い出の渚』、そして、ナナ子が電話で言っている。「そう、“ミッシェル”。ビートルズは歌詞がいいのよね」
物語の設定が、またひとつ明らかになった。タエ子が「あの年」と言っているのは「1966年」。そして、この年に小学生(10歳か)だったタエ子が27歳になっているので、この物語の「現在」は1983年頃ということになる。
ちなみに、“ミッシェル”や“ガール”を含むビートルズのLPレコード『ラバーソウル』が発売されたのは1965年の12月。1966年に“ミッシェル”の感想を語るナナ子は、ビートルズの最新版をいち早く聴いていた。
タエ子のナレーションが続く。
「美大の一年生だったナナ子姉さんは、いつも流行の最先端。ミニスカートも真っ先に穿いて、みんなとおんなじように、階段は紙袋でおシリを隠して上った」
「高二の秀才だったヤエ子姉さんは、それでも、宝塚の何とかさんに、すっかりお熱」
このシーンでヤエ子が持っていたブロマイド。そこに写っていた宝塚の男役は、当時のビッグスター“マル”こと「那智わたる」であろう(たぶん)。
さらに、タエ子は語る。
「姉さんたちの思い出話は、自分のアイドルやファッションのことが中心だった。昭和41年(=1966年)頃、姉さんたちには懐かしい青春の日々」
「でも、私は当時、小学校5年生。ファンになったジュリーのタイガースも、まだデビュー前で、学校と家を往復するだけの生活に、たいした思い出があるはずもなかった」
この物語は、主人公を含む家族の構成を押さえておいた方がいいかもしれない。岡島家は、父と母、祖母、そして女だけの三姉妹。全員が登場するシーンでわかるが、長姉と次姉は大学生と高二で、身体にしてもオトナ。ただ、小学生のタエ子だけが身体のサイズも頭の中もコドモで、ひとり未成熟なのだ。
オトナ(姉)たちはタエ子を子ども扱いし、子どものタエ子は、それを時には利用しつつも、オトナたちに反発する。そういう関係で、この家族ではタエ子だけがいつも疎外され意地悪されているという見方は、おそらくハズレである。
また、映画がタエ子にとってのいやな記憶だけを拾い集めている……のでもない。ただ、いやなことに較べれば、幸せだったことや時間は、コドモはあまり憶えていない。要するに、そういうことである。現にいまのタエ子は、長姉が嫁いだ先の家(山形)に、その姉に指示された通りの土産を持って、嬉々として農業体験に行こうとしている。仲の良くない姉妹はこういうことはしない。
東京駅のプラットフォーム。寝台特急にタエ子が乗り込んだ。被さるナレーション。
「あの晩、姉さんたちと別れて、ベッドに入ってからだった。5年生の時の、こんな思い出ともつかぬものが、突然、私の胸に次々とよみがえって来たのは──」
「飼っていたゴンという犬のこと、運動会のこと、楳図かずおのマンガに怯えたこと、電気鉛筆削りに憧れたこと」
「こうした、ほんの些細なことまでがありありと思い出され、それはまるで映画のように私の頭を占領し、現実の私を圧倒してしまった」
山形へ向かうタエ子の旅は、こうして、「小学5年生」の時の記憶と一緒に移動する、ちょっと厄介な時間になってしまった。
(つづく)
◆今回の名セリフ
* 「そう、“ミッシェル”。ビートルズは歌詞がいいのよね」(ナナ子)
* 「楳図かずおのマンガに怯えた」(タエ子)
* 「こうした、ほんの些細なことまでがありありと思い出され、それはまるで映画のように私の頭を占領し、現実の私を圧倒してしまった」(タエ子)
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Posted at
2016/08/25 13:14:51
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