
ジムニー初代 LJ10(1970)
1970年代にカー雑誌が「いま買える乗用車 全アルバム」といったテーマで特集記事を作ったとして、このジムニーがその誌面に登場することはなかった。不整地走行などの用途に用いられる特殊な自動車だというのが当時のカー・メディアの認識で、このクルマは「乗用車」というジャンルに入っていなかった。ライトバンや商用ワゴン車は“自家用車”ではないというのと同じで、このクルマもまた「商用車」として分類されていた。
ただ、たとえば標高が高くて、冬期にはかなりの雪が降るといった地域のガレージには、3ボックスのセダンと並んで、背の高いジムニーが並んでいる。そんな光景は、1970年代から見られた。冬場でも夏場と変わりなく行動するための足の確保として、降雪がある地域では、ジムニーを一台持つのは“生活の知恵”だったのだと思う。
そして、1980年代の半ば以降から1990年代。「RV」といった言葉も出て来て、人々が「乗用ユース」に用いるクルマの範囲が一気に拡大した。ヘビーデューティなクロカン車さえ“街乗り”で使われるようになり、「乗用車」という限定が逆に意味を持たなくなる。そんな“脱・セダン”の時代になり、ジムニーの立ち位置も変わった。いま1970年代を回顧的に見るなら、このモデルはもう欠かせない。
そのことに気づくと、自動車メーカーとしてのスズキが1970年という時点で、ジムニーを自社のラインナップに加えたこと(コンセプトはホープ自動車で、そのアイデアと製造権を当時の鈴木自動車工業が獲得した)。そして、その後もずっとラインナップから外さずに、時代に合わせてモデルチェンジを行なった同社の「先見性」には、ただただ感服するしかない。ちなみに、三菱のパジェロ・ミニは、アメリカからSUVといった用語が渡って来始めた1994年の登場で、トヨタのスモール・クロカンとして注目されたRAV4も、ほぼ同時期のデビューだった。
なお、1970年代ジムニーのエンジンは、2サイクルだった。そして同社は、他の軽自動車が4サイクル・エンジンになっても、ジムニーについては2サイクルの搭載を長くキープした(1987年まで)。これはオフ走行で有利な太い低速トルクは、2サイクル・エンジンの方が優れていた(時期があった)からで、そうした“こだわり”にも支えられ、ジムニーは半世紀近い時間を三代のモデルで生き続けて今日に至っている。
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00年代こんなコラムを | 日記
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2016/10/20 14:56:46