2016年10月24日
映画『耳をすませば』~少女「雫」の世界と“コンクリート・ロード” 《2》
少女・雫が「カントリー・ロード」に自作の新しい詞を与えたことでもわかるように、この映画は単なる初恋物語やラブ・ストーリーを超えて、月島雫がどのように自分を発見し、さらに自己変革していくかという力強い物語になっている。
そういえば、雫が男子(聖司)と、夕子の言う「両想い」になった際の、少女二人のやり取りがおもしろい。雫は、せっかく自分でも関心があるハンサムな男子と“そんな関係”になっているのに、少しも喜ばないのだ。恋の成就より、自分がいまどういう状況にあるかを気にする。彼女はまだ進路を決めることができず、それはつまり、自分が「何ものでもない」ということ。それが雫にとっての大問題で、そのことだけで頭がいっぱいになってしまう。
それに気づいた友人の夕子が、さすがに呆れて雫に言った。
夕子「なんで? 好きならいいじゃない? 告白されたんでしょ」
雫「それも自信なくなった……」
夕子「私、わかんない。私だったら毎日手紙書いて、励ましたり、励まされたりするけどな」
これは雫に告白した少年・聖司が、イタリアにバイオリン製作の修業に行くことが決まったことを受けている。しかし、夕子にこう言われても、雫は「自分よりずっと頑張ってるヤツに、頑張れなんて言えないもん」と呟く。
夕子「そうかなあ……。雫の聞いてるとさ、相手とどうなりたいのか、わからないよ。進路が決まってないと 恋もできないわけ?」
その通りで、月島雫は、彼女にとっての「何か」が整わないと、恋はできない少女だった。
友人は、さらに言う。
夕子「雫だって才能あるじゃない? “カントリー・ロード”の訳詞なんか、後輩たち大喜びしてるもの。私と違って、自分のことはっきり言えるしさ」
こう言われても、雫は嬉しくない。そして、聖司の言葉を、そのまま夕子に返した。
雫「“俺くらいのヤツ、たくさんいるよ”」
夕子「えっ?」
雫「ううん、あいつが言ったの。あいつは、自分の才能を確かめにいくの」
ただ、こうして言葉にしてみて、雫はようやく気づいたようだ。
雫「だったら、私も試してみる。決めた! 私、物語を書く」「書きたいものがあるの。あいつがやるなら、私もやってみる」
夕子「でも、じき中間テストだよ」
雫「いいの。夕子ありがとう。何だか力が湧いてきた」
こうして雫は、「誰かに恋することができる自分」になるために、自らに課題を設定する。そして中間テストも無視し、その「自分試し」に取り組む。この映画が単なるラブ・ストーリーではない所以である。
また雫は、恋人の聖司が中学生なのに既に「進路」を決めていることに衝撃を受けるが、これは彼が選んだ職種とも関連しているだろう。少年・聖司の望みは、バイオリン作りの職人になることだが、こうした専門の職人は、ヨーロッパでは13~15歳でその職種の徒弟となり、親方に師事して修業を始める習慣がある。言い換えれば「中学生」という年齢で、ヨーロッパの人々は生涯の仕事を決めて、それに就く。
ただ、これは「欧・日」の違いというよりも、職種の問題であるかもしれない。日本でも芸事や音楽の修業は幼い頃から始めるし、また「職人」と呼ばれるような仕事なら、年少の頃から始めた方が結局は有利なのではないか。また、極端な例だが、歌舞伎役者の息子であれば、生まれた時にその職業はもう決まっている。
しかし一方で、日本の「普通」の中学生なら、まずは高校に行くことがその“仕事”であろう。この映画でも、雫には大学生になっている姉がいるが、雫から「お姉ちゃん、進路って、いつ決めた?」と訊かれた大学生の姉は、「いま、探してるとこ」と応えていた。
つまり日本の場合、コドモの時点では、職業は決めない。「学校だけは行きなさいよ」とは親のセリフだけではなく、一種の社会的な要請でもある。大学で学ぶとは、言い換えれば、そのまま学者になる場合は別として、22歳までは職業は決めなくていいということである。人生の中でのそんな“ペンディング”が、この国では社会的に許容されている。
(つづく)
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2016/10/24 08:01:04
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