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家村浩明のブログ一覧

2015年10月26日 イイね!

初代インプレッサとWRC その2

初代インプレッサとWRC その2デザインについては、実験の小荷田として、今度の「55N」で造型的にやってもらいたいことがあった。それは「ムダな空間を運ばない」デザインにしてほしいということだ。

仮に、かなり「四角なクルマ」を作ったとする。(スバルでいえば、たとえばレオーネはそういう造形だっただろう)すると、居住空間は絶対値としては広くなる。しかし、当然だが人間の身体はスクエアではなく、肩から頭に向けてはすぼまっている。そうすると、乗員の頭の横のあたりに、三角形の“何にも使っていない空間”が残ってしまう。これを小荷田は「ムダ」と言った。

もちろん、狭苦しい室内でいいということではない。大柄な外国人でも十分乗れるようなコンパクトカーにしたいし、またヘルメットをかぶって乗っても、頭上には最低限こぶし一個分くらいの余裕があるクルマにしたい。でも、ムダはいやだ! これが小荷田の考えだった。

人はきちんと収容しつつ、しかし無意味な空間は作らないようにする。そのためにはクルマの上半身は、適切な「R」とともに、ルーフに向けて絞り込まれていてほしい。小荷田のそんな要求を取り入れつつ最終的にまとまったのが、いま、われわれの前にあるインプレッサのデザインなのである。

そしてもうひとつ、小荷田は今度の「55N」でやりたいことがあった。それはドライビングポジション、あるいはドライバーと路面との関係を、もっと“低く”することである。シートにしても、それまでの腰掛けるようなスタイルではなく、足を伸ばす感じで、つまりスポーツカー的なものにしたいと小荷田は望んだ。この「55N」では、一時期のスバルの野暮ったさ(?)を払拭して「若い人がもっとワクワクする、そういうスバルを作りたかった」(小荷田)のだ。

       *

ただ、デザイナーの加藤にとっては一種の「枷」になることであっても、実験の小荷田にとっては、スバルの水平対向エンジンはいいことづくめだった。まず、レイアウト的に、このエンジンなら左右対称にできる。そして、重心が低い。また「縦置き」エンジンであるために、4WD化がシンプルにできる。

さらに、ラリーのようなハード走行を考えた場合に最も注目すべきは、ドライブシャフトが左右等長で、かつ、それが長いということだった。この駆動系であれば、左右不等長から生ずるトルクステアがない。そしてドライブシャフトが長いのは、サスペンションの作動ストロークを長くとっても、ジオメトリーの変化が少ないことを意味した。この点は、市販車の乗り心地の確保だけでなく、ラリーという場でも、その素性という意味では強力な属性となる。

       *

1990年初頭にコンセプトとして「三本の柱」が立ってから半年後、ついに「55N」に2リッター・ターボ・エンジンが載ることが正式に決まった。1.5~1.6リッター級のコンパクトなボディに強力なエンジン、そして4WD。これこそ、今日のWRC戦線での定番というべきウェポンのスペックである。

実は伊藤は、この正式決定より3ヵ月ほど前に、ジュネーブ・ショーの帰りに英国プロドライブに立ち寄っていた。そしてその時、プロドライブ代表のデビッド・リチャーズに「55N」というモデルがあることを話していた。

リチャーズは、既に製作中だった「ラリー・レガシィ」を示しながら、「これよりホイールベースで80mm、全長で200mm、短くできないか?」と伊藤に尋ねてきた。果たしてそれは「55N」のサイズに、ほぼ等しいものだった。スバルの市販車の企画と「ラリー屋」プロドライブとしての願望が、ここでミートしてシンクロした。

       *

そのWRCでは、この年のアクロポリス・ラリーでレガシィが鮮烈なデビューをしていた。結果的に「壊れ」はしたものの、レガシィはデビュー戦のSS(スペシャル・ステージ)1で、何とトップタイムを叩きだしたのだ。スバルは速い! このことは一躍、世界が認める事実となった。そして、この「55N」にターボ搭載が決定した時点で、このクルマがスバルの「次期WRC車」のウェポンとなることは誰の目にも明らかだった。

ただし、後に「WRX」と名付けられることになる強力なバージョンのためだけのプロジェクトチームは、とくに設けなかった。またレガシィのチームが、この「55N」の開発にスライドしたということもなかった。「55N」のスタッフでレガシィに関わっていたメンバーは、唯一、チーフの伊藤だけだった。

そして、このターボ車だけについては、その開発の状況を定期的に、社内のラリーチームである「小関グループ」とSTiに報告するということになった。しかし現実的には、そんな報告をSTiに上げるまでもなかった。それを待つことなく、久世隆一郎の方からビシビシと「55N」についての要求が入りだしたからである。「全体から細部まで(要望が)いっぱい、しかも具体的に来ましたね。ただ、それに便乗して、こっちでもやりたいことを通した。そういう側面もありまして(笑)」(小荷田)。

(つづく)

(文中敬称略)(JAF出版「オートルート」誌 1997年)
Posted at 2015/10/26 22:47:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 新車開発 Story | 日記
2015年10月25日 イイね!

初代インプレッサとWRC その1

初代インプレッサとWRC その1コードネーム「55N」──。この名で開発された日本のコンパクトカーが、デビューして2年後には世界の頂点に駆け昇る。このことを予測した人が、果たしてどのくらいいただろうか。1995年、その「55N」、つまりスバル・インプレッサは、ついにWRC(世界ラリー選手権)でメイクスとドライバーの二冠を獲得、世界一のクルマという座に就いた。

ただ、このクルマの開発に携わっていた人々は、その「55N」が「WRC」という世界と密着して生まれてきたことを知っていた。このクルマが世界一になるのは、彼らにとっての目標であり、また必然でもあった。「55N」の開発には、市販車作りの段階から、世界ラリー選手権(WRC)という大きなターゲットが入っていた。

1995年に獲得したその「世界一」というリザルトは、彼らにとっては意外ではなく、むしろ狙いすまして取った快挙であった。世に「これはハンパじゃないクルマだ」と評されるモデルがいくつかあるが、この「55N」(=インプレッサ)もまた、そういう名車たちと同じように、明確なテーマとスタンスのもとに開発が進められたクルマだったのだ。

その企画が始められたのは、1989年の5月。「STi」(スバル・テクニカ・インターナショナル)は、この前年に設立されていて、既にレガシィは街を走っていた。そして、STiの久世隆一郎は英国プロドライブとのコンタクトを始めていた。

ただし、この「55N」の開発初期の段階では、WRC参戦の件は、社外秘というより“社内秘”にされていたという。なぜなら、そのことをあまり早くから明らかにしてすると、その方向にばかりスタッフの意欲と熱情が走ってしまう。そんな恐れがあると、上層部が懸念したのである。見方を変えれば、トップがそういう心配をしなければならないほどに、スバルの開発陣にはラリー好き、コンペティション好きが多いということか。

        *

その「55N」がターゲットとしたのは1.5~1.6リッター級の激戦区。そこで、きちんと通用するセダンを作る。これがメインテーマであり、開発スタッフにはこのことがまず徹底された。ベース車はレガシィで、そのメカニカル・コンポーネンツを使う。そしてレガシィとジャスティとの広い隙間を埋める中間車種とする。これがコンセプトである。

そして、その基本構想は「三本の柱」としてまとまっていた。その構想が明らかにされたのは1990年の1月だった。まず、セダンのしっかりしたものを作る。さらに、新しいワゴンもラインナップに加える。そして、もうひとつ用意するのが「ピュアなスポーツセダン」。新型車「55N」はこの三種で行く。

この最後の言い方に、ちょっとだけ“含み”がある。実は開発スタッフの間でも、WRCに向けての暗黙の了解はあったという。このへんの微妙な事情を、チーフエンジニアの伊藤健は次のように言った。「まだその話(WRC)は出すな、半年は我慢しろと、上からは言われてましたね」。車両研究実験部の小荷田守も言う、「はじめはターボはナシだと聞いていました。少なくとも研究実験には、そういう情報は来なかった」。

        *

ただ、デザイン部の主査である加藤秀文は、早い時期からターボ車の存在を知っていたという。ゆくゆくはターボ、あるいは2.2リッター・エンジンまで搭載するのではないかと読み、そのためのエンジンルームのスペースは取っておこうと考えていた。そして、少なくともその当時のレガシィで使っているエンジンは、すべて収められるようにしてくれ──。こういう内々の要請はあったと加藤は言う。

ただ、スバル独特の水平対向というエンジンは、デザイナーにとってはけっこう制約が大きいものなのだという。加藤によれば、このエンジンでは前部のオーバーハングがどうしても長くなる。それと、左右方向にスペースを食うために、クルマの前部に大きくてスクエアな空間を用意する必要もある。

「つまり、クルマが四角くなっちゃうんですよ、どうしても」と加藤。でもインプレッサは、むしろ丸っこいクルマのように見えるが? 「事実としてカドを切れないクルマなんで、では、それをどう見せるのか。たとえば、ランプの格好なんかを工夫するわけですね」(加藤)

ランプの切り方で、いかにもカドを削ぎ落としたように見せる。また、バンパーも薄くして、かつレガシィと同等の強度を持たせるようにする。それから、エンジンより前に位置する補機類は立てて、かつ短くするよう、エンジニア側に協力を求める。このようにして始まったのが、インプレッサのデザイン・ワークだった。

(つづく)

(文中敬称略)(JAF出版「オートルート」誌 1997年)
Posted at 2015/10/25 22:53:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 新車開発 Story | 日記
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「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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