
デザインについては、実験の小荷田として、今度の「55N」で造型的にやってもらいたいことがあった。それは「ムダな空間を運ばない」デザインにしてほしいということだ。
仮に、かなり「四角なクルマ」を作ったとする。(スバルでいえば、たとえばレオーネはそういう造形だっただろう)すると、居住空間は絶対値としては広くなる。しかし、当然だが人間の身体はスクエアではなく、肩から頭に向けてはすぼまっている。そうすると、乗員の頭の横のあたりに、三角形の“何にも使っていない空間”が残ってしまう。これを小荷田は「ムダ」と言った。
もちろん、狭苦しい室内でいいということではない。大柄な外国人でも十分乗れるようなコンパクトカーにしたいし、またヘルメットをかぶって乗っても、頭上には最低限こぶし一個分くらいの余裕があるクルマにしたい。でも、ムダはいやだ! これが小荷田の考えだった。
人はきちんと収容しつつ、しかし無意味な空間は作らないようにする。そのためにはクルマの上半身は、適切な「R」とともに、ルーフに向けて絞り込まれていてほしい。小荷田のそんな要求を取り入れつつ最終的にまとまったのが、いま、われわれの前にあるインプレッサのデザインなのである。
そしてもうひとつ、小荷田は今度の「55N」でやりたいことがあった。それはドライビングポジション、あるいはドライバーと路面との関係を、もっと“低く”することである。シートにしても、それまでの腰掛けるようなスタイルではなく、足を伸ばす感じで、つまりスポーツカー的なものにしたいと小荷田は望んだ。この「55N」では、一時期のスバルの野暮ったさ(?)を払拭して「若い人がもっとワクワクする、そういうスバルを作りたかった」(小荷田)のだ。
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ただ、デザイナーの加藤にとっては一種の「枷」になることであっても、実験の小荷田にとっては、スバルの水平対向エンジンはいいことづくめだった。まず、レイアウト的に、このエンジンなら左右対称にできる。そして、重心が低い。また「縦置き」エンジンであるために、4WD化がシンプルにできる。
さらに、ラリーのようなハード走行を考えた場合に最も注目すべきは、ドライブシャフトが左右等長で、かつ、それが長いということだった。この駆動系であれば、左右不等長から生ずるトルクステアがない。そしてドライブシャフトが長いのは、サスペンションの作動ストロークを長くとっても、ジオメトリーの変化が少ないことを意味した。この点は、市販車の乗り心地の確保だけでなく、ラリーという場でも、その素性という意味では強力な属性となる。
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1990年初頭にコンセプトとして「三本の柱」が立ってから半年後、ついに「55N」に2リッター・ターボ・エンジンが載ることが正式に決まった。1.5~1.6リッター級のコンパクトなボディに強力なエンジン、そして4WD。これこそ、今日のWRC戦線での定番というべきウェポンのスペックである。
実は伊藤は、この正式決定より3ヵ月ほど前に、ジュネーブ・ショーの帰りに英国プロドライブに立ち寄っていた。そしてその時、プロドライブ代表のデビッド・リチャーズに「55N」というモデルがあることを話していた。
リチャーズは、既に製作中だった「ラリー・レガシィ」を示しながら、「これよりホイールベースで80mm、全長で200mm、短くできないか?」と伊藤に尋ねてきた。果たしてそれは「55N」のサイズに、ほぼ等しいものだった。スバルの市販車の企画と「ラリー屋」プロドライブとしての願望が、ここでミートしてシンクロした。
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そのWRCでは、この年のアクロポリス・ラリーでレガシィが鮮烈なデビューをしていた。結果的に「壊れ」はしたものの、レガシィはデビュー戦のSS(スペシャル・ステージ)1で、何とトップタイムを叩きだしたのだ。スバルは速い! このことは一躍、世界が認める事実となった。そして、この「55N」にターボ搭載が決定した時点で、このクルマがスバルの「次期WRC車」のウェポンとなることは誰の目にも明らかだった。
ただし、後に「WRX」と名付けられることになる強力なバージョンのためだけのプロジェクトチームは、とくに設けなかった。またレガシィのチームが、この「55N」の開発にスライドしたということもなかった。「55N」のスタッフでレガシィに関わっていたメンバーは、唯一、チーフの伊藤だけだった。
そして、このターボ車だけについては、その開発の状況を定期的に、社内のラリーチームである「小関グループ」とSTiに報告するということになった。しかし現実的には、そんな報告をSTiに上げるまでもなかった。それを待つことなく、久世隆一郎の方からビシビシと「55N」についての要求が入りだしたからである。「全体から細部まで(要望が)いっぱい、しかも具体的に来ましたね。ただ、それに便乗して、こっちでもやりたいことを通した。そういう側面もありまして(笑)」(小荷田)。
(つづく)
(文中敬称略)(JAF出版「オートルート」誌 1997年)
Posted at 2015/10/26 22:47:11 | |
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