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家村浩明のブログ一覧

2016年09月17日 イイね!

映画『おもひでぽろぽろ』の「スバルR-2」が絶妙だ! 《14》

卓抜なエンディングだ。そして、「幻の子どもたち」に引っ張られるような格好で、タエ子は東京へ行く電車から降りたのに、トシオに会うと、「子どもたち」にはロクな挨拶もせずに彼らを置き去りにするのが、ちょっと泣ける。ラスト、呆然と佇む「5年生のタエ子」は、その寂しさに涙をこらえていたのではないか。

さて、タエ子が電車に乗ってからはセリフが一切ないので、そこから先は「妄想」するしかないのだが、まず、何故タエ子は、東京へ向かった次の駅で、電車を降りたのか。これはタエ子が、本家のおばあちゃんに一度「返事」をしたかったからだと、私は思う。

ホームステイの最後の晩、縁談話が出た時に、タエ子はただ黙っているだけで何の意思表示もしなかった。そして、帰りの駅のホームで、見送りに来てくれたばっちゃんは、彼女にもう一度言った。「あのこと、考えててけろな。タエ子さん」

優しいばっちゃんは本気なのだ。適齢期の娘だから、ちょっと声をかけてみたとか、そういうのではなかった。対してタエ子は、いやも応も、また可能性のある/なしにしても、訊かれたことについて何もコメントをしていない。(これは、いけない)……と、タエ子は気づいた。

タエ子は「対トシオ」ということでは、駅のホームで、今後のことについては一応の話をしている。トシオは、スキー客としてタエ子がまた来ると思っているし、タエ子は、次に冬、トシオに会ったら農業の話をしようと決めている。二人はまだ、そのような「仲」だ。

ゆえに、高瀬駅まで戻った時にタエ子が最初にしたのが、本家への電話だった。この時は本家のお母さんが受話器を取ったが、そこでタエ子は、「あの件について、おばあちゃんに返事をしたくて」とでも言ったのではないか。「私、お話ししたいので、一度、本家に戻ります。……あ、ここですか、駅前の公衆電話です」

そして、様子を察したばあちゃんが、トシオに声をかけた。この時トシオはタエ子の見送りのあと、ばあちゃんたちと一緒に本家に戻って、そのまま庭にいたのだろう。
「タエ子さんが駅に戻ってきたって。お前、迎えに行くか?」
もちろんトシオは、「行きます、行きます!」と答えたのだろうが、ただ、これはたぶん、タエ子が電話を切った後ではないか。そういう段取りになったことを、タエ子はおそらく知らない。

だからタエ子は、駅前で誰かを待つことはなく、路線バスを使って、自力で本家に向かおうとした。そして、そのバスとトシオのスバルがすれ違い、互いに気づいて……というのが、セリフなしの画面で描かれた状況だったのではないか。

もしもの話だが、タエ子が既にトシオに「恋して」いて、彼の腕の中に飛び込みたくて高瀬駅に戻ったのであれば、駅から直接トシオのところに向かえばいいと思う。また本家に連絡を取るにしても、トシオを呼んでくれと頼むのではないか。しかし、そういう“恋愛状態”ではないので、タエ子は本家に連絡した。その後に、バスから降りたタエ子とスバルで来たトシオが出会った時でも、二人はまず、互いに深く一礼している。

そして、「幻の子どもたち」(これはたぶん、トシオには見えない。だからトシオはイタズラ小僧に転ばされそうになった)を置き去りにして二人が向かった先は、ばっちゃんの待つ本家であっただろう。

「農家の嫁になる、私にも、そういう可能性がある。こんなこと、私、一度も考えたことがなかったんです。だから、ただただ驚いてしまって、何もお応えができなくて」
「あ、いまでも、何の覚悟もできてないということでは、あの時とまったく同じなんですけど」
「でも、考えてみます、私。田舎のこと、農業のこと。そして、トシオさんのことを、もっと……」

タエ子は、大好きなおばあちゃんに、このような話をしたのではないか。この時のタエ子は、成虫の立派な「蝶」となっていたかどうかはともかく、少なくとも十日前に紅花を摘み始めた頃の“サナギ状態”ではなかった。タエ子は山形の田舎で脱皮し、ひとつ「殻」を破っていた。

また、タエ子のいくつかのトラウマは、トシオという存在によって、それが「傷」ではなくなった。これから先は、もし、タエ子の前に「小学5年生の私」が登場しても、パイナップル事件のように単なる「過去」として、家族や友と一緒にそれを迎えられるようになるのだろう。

ただし、たとえば数年後に、タエ子とトシオの二人がどうなっているかは、まったくわからない。何といっても二人は、「知り合い」になって「十日」が経っただけなのである。田舎の生活、また、生きものを相手にする仕事、そして、そんな農業の辛さとおもしろさ──。何よりタエ子は、自身のトラウマはいくつか“溶けた”かもしれないが、トシオという青年については、まだ何も知らないに等しいのだ。

(了)
Posted at 2016/09/17 15:28:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマから映画を見る | 日記
2016年09月16日 イイね!

映画『おもひでぽろぽろ』の「スバルR-2」が絶妙だ! 《13》

鉄道の駅前(高瀬駅か)に、トシオのスバルが駐まっている。場面変わって、駅のホーム。タエ子と、タエ子を見送る人々。……そうか、スバル(軽自動車・四人乗り)で駅まで来たので、ここには四人しかいないのだ。ホームにいるのはタエ子、本家のばあちゃんと孫のナオコ、そしてトシオ。

ばあちゃん「忘れものはないかい?」
タエ子「はい。大丈夫です」
トシオ「じゃ、冬に来るのを待ってますからね」
タエ子「ええ。それまでに少し勉強しとくわ、農業」
トシオ「あれ、スキーじゃないんですか。まあ、もっとも実践あるのみですけどね、スキーは」

ちょっと微妙なやり取りがおもしろい。次に「東京の女」が山形に来るのは、冬のスキー観光の時なのだとトシオは信じている。一方のタエ子は、そもそもスキーにそんなに興味はないし、今度、トシオに会う機会があるなら、その時はもっと農業の話をしようとイメージしている。二人はやっぱり、まだ何も「気づいて」いない。

タエ子に近づいて来たばあちゃんが言った。
「あのこと、考えててけろな。タエ子さん」
トシオ「え? なに? ばっちゃん」
ナオコ「なあに?」
ばあちゃん「いやあ、オレとタエ子さんのヒミツ」
トシオ「うーん、昨日は何か変だったもんなあ」

そしてこの時、タエ子は言う。
「ごめんなさい。今度は大丈夫。もう『5年生の私』なんか連れてこないから」

ホームに電車が入ってきた。「待ってけろー」と、地元のお爺さんが駆け込み乗車した。タエ子は、もう電車に乗っている。
「元気でね、ナオコちゃん」
電車のドアが閉まった。「さよならー」とナオコが叫ぶ。

車内では、隣のボックスに収まった先刻の爺さんが、禿げた頭の汗を拭いている。タエ子は、窓から身を乗り出して、駅の方を見て手を振った。爺さんが持ち込んだラジカセからは、歌謡曲が流れている。歌っているのは「都はるみ」。♪さようなら さようなら 好きになった人……

ここで映画はいわゆるエンドロールになり、キャストやスタッフなどのテロップが流れ始める。ただし、ドラマは続く。

エンディングの歌が始まった。「好きになった人」に続いて、実は同じ歌手(都はるみ)なのだが、歌い方がまったく違うので、そうは感じられないという演出が渋い。

この歌は、タイトルが「愛は花、君はその種子」というのだそうで、私自身はこの歌を、この映画のこの場面で初めて聞いた。ベット・ミドラーが映画『ローズ』に出演した時の主題歌で、それに日本語の詞を付けたものだが、私はこの映画を見ていない。……というか一度見たのだが、何も憶えていない。

「ローズ」とは、あのジャニス・ジョプリンの異名である(自身で、好んで名乗ったのだったかな)。ジョプリンの歌を聴いていた者としては、この映画『ローズ』は公開当時は逆に見る気がせず、後年になって、まあ一度だけは見ておこうかとDVDを借りた。ただ内容は全篇にわたって、シロウトの私が見ていても(これはちょっと違うだろ……)ということの連続。また、映画としてもおもしろくなく、主題歌を記憶することもなかった。

ところで、『ローズ』がジョプリンの伝記映画という触れ込みだったために、ジャニス自身も、この映画で使われた「ザ・ローズ」という曲を歌っている……という理解が一部にあると聞くが、それは誤解です。彼女の音源をいくら探しても、この曲は出て来ません。またジャニスの遺族が、この映画を彼女の伝記として認めていないということは、私は近年になって知った。

さて、洋楽「ザ・ローズ」+日本語の歌詞という都はるみの「名唱」(ほんと、これは巧くて凄い!)とともに、画面では、映像だけによるドラマが進む。

♪やさしさを 押し流す 愛 それは川
♪魂を 切り裂く 愛 それはナイフ

東京行きの電車の中。タエ子が座っていると、小学5年生のタエ子、そしてそのクラスメイトたちが現われた。幻の「5年生のタエ子」は、27歳のタエ子の腕を心配そうに掴む。

♪愛は花 生命の花 きみは その種子

「5年生のタエ子」に腕を引っ張られたのが契機となったか、27歳のタエ子は荷物を持って立ち上がった。そして、ドアの方へと向かう。「幻の子どもたち」が飛び上がって、嬉しそうに歓声をあげる。

電車が次の駅に着いた。東京方面行きから降りて、反対方向に向かう電車に乗るタエ子。出現した「5年生」たちも、タエ子について電車を乗り換えている。

ふたたび電車が止まり、タエ子は、先刻までいたプラットホームに降り立つ。そして改札を出ると、すぐに電話ボックスに入った。路上では「幻の小学5年生」の集団が立ちふさがって、路線バスを止めている。

本家で、タエ子からの電話を受けたのはお母さんだった。それを見たばあちゃんが、庭にいたトシオを呼んだ。

「5年生のタエ子」が、27歳のタエ子の手を引いた。タエ子は無事、路線バスに乗ったようだ。

♪愛なんて 来やしない そう 思うときには
♪思いだしてごらん 冬 雪に 埋もれていても

トシオのスバルが走っている。そのスバルと路線バスがすれ違った。タエ子がバスから降りた。

♪種子は春 おひさまの愛で 花ひらく

スバルが停まり、トシオが、こっちに向かって駆けて来る。そのトシオを、「幻のイタズラ小僧」が身を挺して転ばそうとした。それにつまづいて、前のめりでタエ子にぶつかりそうになるトシオ。二人は一礼し、頭を下げ合う。

並んで歩く二人。トシオはタエ子の旅行ケースを持っている。背後の「幻の子どもたち」は、そのへんの木片を組み合わせたのか、手製の“相合い傘”を作って二人に差し掛ける。

サイドビューを見せているスバル、トシオとタエ子が乗っている。そのスバルと一緒に走ろうとする「小学5年生」たち。しかし、クルマの方が子どもの足よりも速い。

スバルが加速し、子どもたちを置き去りにした。
(さようなら、小学5年生の私)

リヤビューを見せて走り去ったスバルを見送る、幻の「小学5年生」たち。独り、微妙な表情で「10歳のタエ子」が立ちすくむ。
(「小学5年生の私」が、「27歳のあなた」に会うことは、もう、ないのよね……)

(つづく)

◆今回の名セリフ

* 「あれ、スキーじゃないんですか。まあ、もっとも実践あるのみですけどね、スキーは」(トシオ)

* 「あのこと、考えててけろな。タエ子さん」(本家のばあちゃん)

* 「今度は大丈夫。もう『5年生の私』なんか連れてこないから」(タエ子)
Posted at 2016/09/16 15:27:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマから映画を見る | 日記
2016年09月13日 イイね!

映画『おもひでぽろぽろ』の「スバルR-2」が絶妙だ! 《12》

映画『おもひでぽろぽろ』の「スバルR-2」が絶妙だ! 《12》夜の田舎道をスバルが行く。車内の二人。フロントウインドーではワイパーが動いている。トシオの横で、語り続けるタエ子。

「アベ君はね、家が貧乏らしくて、体育着も持ってなかった」
「アカじみてて、袖でズズッて鼻こすりあげたり、鼻くそグリンて指でほじくるの」
「それで、ちょっとイヤな顔すると、すぐ『何だよ、ぶっとばされんなよ!』ってスゴむの」

「女の子はみんな、ひそひそ、アベ君のウワサをするの」
「だけど私、その仲間にだけは入らなかった。こそこそ陰口言いあって嫌うのは、いちばん悪いことだって気がしてたから」

そして夏休み前、アベ君は、またまた転校することになった。先生は「みんなとひとりずつ握手してお別れしましょう」という提案をする。仕方なく、それに従う生徒たち。

「アベ君は、みんなの席を回って、握手して歩くんだけど、コチコチに緊張してた」
「最後に自分の席に戻って、私と握手して、終わるはずだった」
「私が手を差し出すと、アベ君が言ったの。『お前とは握手してやんねえよ』って」

運転席のトシオが、横目でタエ子を見た。トシオの左手が、一瞬“何か”をしようとして動いて、でも、結局何もせずにスバルのサイドブレーキを引いた。

「アベ君のこと、いっとう汚いって思ってたのは、あたしだったのよ」
「アベ君はね、そのこと知ってたの。だから、握手してくれなかったんだわ」
フーッと、トシオがひとつ息を吐く。
「私、子どもの頃からそんなだったの。ただ、いい子ぶってただけ。いまも、そう」

灰皿からシケモクを取り出したトシオは、シガーライターでそれに火をつけた。
「だったらバカですよ。そのアベ君は、実はタエ子さんが好きで、別れたくなかったから、握手しなかったのかもしれないじゃないですか」

「まさか。アベ君が好きだったのは、学級委員の小林さんよ。あたしには強がってばっかり。ズボンのポケットに手を突っこんで、ヨタッて歩いてみせるのよ」
「だって、ほかのみんなとは一人残らず握手したのよ。しなかったのは、私だけよ」

小学5年生の時の「アベ君」を巡るタエ子のトラウマは、本当は汚いと思って嫌っていたのに、級友たち(女子)にはそうでないフリをしていたこと( → 偽善)。しかし、当のアベ君には、それを見透かされていた。加えて、もうひとつ。アベ君にタエ子だけが差別され、級友の中でひとり握手してもらえなかった。その屈辱も絡んでいたようだ。

雨の中。スバルの車内で、傲然とトシオは言った。
「これだから困るなあ、女の子は! 男の子の気持、全然わからないんだから」
いつになく“上から目線”のトシオの物言いに、タエ子が口を尖らせる。
「何よ、知ったかぶりして!」

しかし、トシオは余裕たっぷり。そして、タエ子と映画の観客に向けて、あたかもミステリー・ドラマの最終章で探偵が事件を解明する時のような“謎解き”をして見せる。
「じゃあ、当てましょうか」
「アベ君は、そんなに(ケンカが)強くなかったでしょう。男の子にはスゴんだりできなかった。転校生だから、友だちもいない」
「タエ子さんは隣の席だったし、強がりを言ったりしやすかったんですよ」
「いじめることで、タエ子さんに甘えていたんです」

「第一(アベ君が)みんなと握手なんか、したいはずないですよ。(でも)タエ子さん(だけ)には本音が出せたんです。『お前とは握手してやんねえよ』って」

……時制が過去に戻って、タエ子・小学5年生。その視界の中に、アベ君とその父らしき二人連れが入って来た。この時のアベ君はよそ行きを着ているのか、いつもと違って身なりが整っていた。タエ子は本屋の前にいて、胸には雑誌「マーガレット」を抱えている。

しかし、せっかく身綺麗にしていたアベ君は、タエ子がそこにいることに気づくと、急にポケットに両手を突っ込み、肩を揺すって歩いて、ペッ!と唾を吐いた。すかさず、隣の父が息子の頭を殴る。「汚ねえことすんな!」

目の前を通り過ぎて行くアベ君父子の後ろ姿を見送ったタエ子は、急に姿勢を変えて背中を丸め、ペッ!と唾を吐いた。さらに、その姿勢のまま商店街を歩いて、そこかしこに唾を吐いていった。ペッ、ペッ、ペッ!

それは、タエ子なりの「贖罪」だったのだろう。少女タエ子は小学5年生の時点で、自身の「偽善」に気づいていた。(10歳って、実はそんなにコドモではない)

「私……。アベ君に悪くて後ろめたくて。必死に、アベ君の真似をしたの」
「でも、手遅れよね。そんなことしたって」
「アベ君をイヤがって苦しめたことは、取り返しがつかないもの」

停めていたスバルの車内から、トシオが空を見上げた。
「あー、雨やみましたよ」
ドアを開けて、外に出た二人。月は満月だった。

辛い記憶から話題を変えようとしているのだろう、トシオは「このへん、夜走ってると、タヌキやテンによく出くわすんですよ」と笑った。そして、ふたたびクルマに乗り込み、「そろそろ帰りましょうか」と、タエ子に言った。

トシオは「田舎の音楽、かけますか」と、車内に、例のハンガリーの民族音楽を流す。田舎の夜道を、二人を乗せたスバルが走っていく。

車内のタエ子。(ナレーション)
「私は、自分がトシオさんを、どう思っているのか。トシオさんは、私のことをどう思っているのか。初めて、考えようとしていた」
「偶然とはいえ、私のひねくれた心を、当のトシオさんに解きほぐしてもらうなんて」
「どうして、これほどトシオさんに甘えることができたのか、不思議だった」

「トシオさんが、私より年上に思えた」
「私がいま、握手してもらいたいのは、トシオさんだった」
そして、自分にだけ聞こえる声で、タエ子は呟く。(握手だけ?)

目を閉じたタエ子は、空想の世界へ飛んでいた。チロル風とでもいうのか、そんな牧場に囲まれた景色の中で、タエ子は馬車に乗っていた。荷台には干し草が満載で、その上にタエ子とトシオがいる。この時のタエ子は、これまで見せたことがない穏やかな笑顔をしていた。

ナレーション。
「この気持ちは、何なんだろう……」
「トシオさんを、そばに感じながら、私は一心に考え続けた」

(つづく)

○フォトは山形・高瀬地区の紅花畑。web「やまがたへの旅」より。

◆今回の名セリフ

* 「アベ君のこと、いっとう汚いって思ってたのは、あたしだったのよ」(タエ子)

* 「タエ子さん(だけ)には本音が出せたんです。『お前とは握手してやんねえよ』って」(トシオ)

* 「私がいま、握手してもらいたいのは、トシオさんだった」(タエ子)
Posted at 2016/09/13 12:44:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマから映画を見る | 日記
2016年09月12日 イイね!

映画『おもひでぽろぽろ』の「スバルR-2」が絶妙だ! 《11》

本家を飛び出して、夜の田舎道を歩きながら、タエ子は言っていた。「農家の嫁になる。思ってもみないことだった。そういう生き方が私にもあり得るのだというだけで、ふしぎな感動があった」

しかし、こうした「歓び」以上に、この時のタエ子には「羞恥」があったであろう。彼女は、とにかく(自分が)恥ずかしかった。だから、縁談話のその場にいることができずに、外へと走り出た。

(ナレーション)
「自分の浮わついた田舎好きや、真似ごとの農作業が、いっぺんに後ろめたいものになった」
「私には何の覚悟もできていない。それをみんなに見透かされていた」「いたたまれなかった」

この時の自分自身について、タエ子はこのように説明する。ただ、ここで彼女が言うように、「みんな」、つまり本家の人たちが彼女を「見透かしていた」かどうかはちょっと疑わしい。農家の嫁として農繁期の忙しさがわかってるの? 山形の冬の寒さに耐えられるの? あの時の彼らはタエ子に対して、たとえば、こんな問い詰めをしていたわけではなかった。

そもそも、ばっちゃんや本家のお母さんは、そんなに意地悪ではない。それにタエ子は、「嫁に参ります」とは言っていない。だから「何の覚悟」も(まだ)「できてない」のは当たり前であり、そしてタエ子は前にも見たように、相手が山形の農家であれ東京の会社員であれ、「結婚」を具体的にイメージしたことがない。

したがって、この時の彼女の「説明」(ナレーション)には、ちょっと「?」な部分があるのだが、ただ、タエ子が「縁談」「農家への嫁入り」というキーワードに触れた際に、自分自身についてはこういう解釈をした。ここでは、その点が重要なのだろう。

あるいは、以下のような見方は可能かもしれない。私(=タエ子)が山形に来て、農村はいいところ、農家の仕事は大好きです、というフリをしてしまった。だから、本家の人たちは、それなら「ここに、嫁に来なさいよ」と親切にも誘ってくれた。でも、実は自分にはそんな「覚悟」なんてない(正確には、想像したことがない)。私の軽率な行動が、みなさんに誤解を生じさせた。私は何ということをしてしまったのか……。

ただ、どちらであっても、突然の縁談話によって、タエ子の中に浮上した言葉はひとつであった。ナレーションには登場しない、つまり彼女自身はこの言葉を使ってないのだが、それは「偽善」である。

タエ子は自問していた。私は、自分に対して正直だったか。自分自身にウソをついてないか。さらには、私はいつだって「偽善者」で、今回もまた、こんなに良いところで、こんなに良い人たちに、またまた偽善的な行動をしていたのではないのか。

そして、この「偽善」という言葉が、タエ子が最も思い出したくないことのひとつ、ココロの奥底にずっと封印していたトラウマを掘り起こすことになる。それが雨の中に突如出現した小汚い少年と、彼の一言だった。「お前とは、握手してやんねえよ!」……

夜の路上で、タエ子が雨に濡れ始めた時に、折りよくヘッドライトを光らせて、トシオのスバルが走ってきた。
「どうしたんですか、こんなとこで」
「何でもないの、ちょっと歩きたくて」
「濡れちゃってるじゃないですか、とにかく、早く乗って」

スバルの助手席にタエ子を導き、さらに、お袋が作ったというお土産の入ったビニール袋を見せるトシオ。今夜はタエ子の最後の晩なので、本家にそれを届けに来たのか。

車内で、タエ子は、慌てて言った。
「あの、本家には行かないで」
「え、どうして?」
「お願い! どこでもいいから走って」

クルマの中でトシオと肩を並べたタエ子は、堰を切ったように、小学5年生の時の“おもひで”(トラウマ)を語り始める。

「私の友だちに、アベ君ていう男の子がいたの」
「転校してきたの。私の隣の席になったの」

(つづく)

◆今回の名セリフ

* 「お前とは、握手してやんねえよ!」(アベ君)
Posted at 2016/09/12 11:36:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマから映画を見る | 日記
2016年09月07日 イイね!

映画『おもひでぽろぽろ』の「スバルR-2」が絶妙だ! 《10》

映画『おもひでぽろぽろ』の「スバルR-2」が絶妙だ! 《10》タエ子とトシオの「縁談」は、ばあちゃん独りだけの先走りなのか。それとも、実はばあちゃんだけが「事実」を見ていたのか。この点は、この段階ではどちらとも言えないのではないか。

たしかに、タエ子とトシオは一緒に農作業をして、二人だけの蔵王デートもした。ただトシオとしては、「東京から来た若い女」を“田舎人”として、しっかり「もてなしたい」のだろうし、またタエ子にとってのトシオは、憬れの「農業世界」に導いてくれて、さらに、いろいろなことを教えてくれる。そんな“お役立ち”の青年だという気配もあった。

そもそも、トシオ、そして(縁談を言い出したばあちゃん以外の)本家の人々は、タエ子が「東京人」であるということを大前提に、彼女に接している。山形に来てはくれるが、しかし、十日もすれば、また東京へ帰っていく人ということである。

また、トシオにとってのタエ子は、秘かなアコガレの人であったのかもしれないが、もし、それを意識してしまったら、また構わず「恋して」しまったら、タエ子が東京へ帰った後は、ただ寂しく辛い時間が過ぎるだけになる。アコガレの人だから一緒にいるのは楽しいけれど、しかし、そのアコガレは、自分に対しても隠しておかねばならない(認めてはいけない)もの。これが駅でタエ子と出会って以後の、トシオの立ち位置と姿勢だったはずだ。

一方、タエ子はどうだろう? 「10歳」の頃と「27歳」の時点と、これら以外の彼女が一切描かれないので想像するしかないのだが、たとえば、いわゆる恋愛経験やその挫折は、27歳まで、タエ子にはほとんどなかったのではないか。そして、結婚という状況が身近になったことはなく、だから、それについてのリアリティもない。奨められた見合いも簡単に断わってしまう。

また、同性の友人関係だが、タエ子が十日間も東京から“消える”に際して、彼女が友だちの誰かに連絡を取った気配はない。もちろんこれは、ストーリー上で煩雑になるために、実際には何人かに先の予定は伝えていたが、たまたまそれは画面としては描かれなかっただけかもしれないが。

ちなみに「1983年」という時点では、携帯電話はまだ出現していない。(レンタルの開始が1985年からだそうだ)

そして、タエ子がナオコに語った、エナメルバッグ~父親によって頬を張られた件。また、トシオに語った分数の割り算がわからなかった件。あるいは、夕陽の中で二人に語った、学芸会での好演~劇団への誘い、その夢が父親のひと言で断たれたこと。これらを、タエ子はこれまで、友だちでも恋人でも、自分以外の誰かに語ったことはあったのか。

これは家族間でも同じで、姉(次姉)が当事者だった“エナメルバッグ事件”にしても、その後に、家族の間でこれが話題に上ったことがあったとは思えない。(同じ「小学5年生」の時の事件や記憶でも、硬かったパイナップルとか、熱海の温泉でノボセた件などは、タエ子にとっては「傷」にはなっていない。ゆえに27歳にもなれば、「あの時は……」と、姉たちと一緒に笑い話として愉しんでいる)

トラウマとは「精神的外傷」とか「心的外傷」などと訳すらしいが、エナメル・バッグ、父親の殴打、分数の割り算、また、芸能界断念といった事件や記憶は、すべてタエ子にとってのトラウマだったはずだ。そしてそれらは、思い出すことさえしないように、また簡単には記憶を取り出せないようにして、ココロの奥底に仕舞って(秘めて)おいた。

そうであったのに、何故タエ子は、そんな「過去」(トラウマ)を、山形の地で、さらには会ったばかりのトシオやナオコに、告白に近いカタチで公開していくのか。

タエ子が山形へ向かう列車の中で薄々感づいていたように、彼女に「サナギの季節」がふたたび巡ってきたからか。彼女にとっての“第一次サナギ症候群”が小学校5年生の時だったとすれば、27歳のタエ子は、図らずも第二次の“サナギ症候群”の中にいる? そして、そんな“症候群”をもたらす「触媒」となったのが、寝台列車、本家の人々の畑での笑顔、紅花の手に痛い感触。さらには、山形の田園風景と、そこで出会ったトシオのストレートさだった?

……あ、「クルマ屋」のひとりとしては、それらに、トシオが出迎えに乗ってきたのがスバルの「R-2」だったことも付け加えたい。あの時、駅前でタエ子を待っていた、木訥な佇まいの白いクルマ。そのスバルがタエ子のココロに、ポッと小さな灯火のようなものを灯したと思いたい。

さて、タエ子がばあちゃんに「縁談」を持ち出され、たまらず、本家を飛び出してしまった場面に戻ろう。

この時に、たとえばタエ子がトシオに何の関心もなかったなら、残念ながらそれはちょっと……と言えば、それで済むことだったのではないか。一方、「え、トシオさんがそんなこと言ってるんですか?」であれば、「じゃあ、ここに呼んでくださいな」と、まずはトシオの気持ちを確かめる。ちょっとダイレクトすぎるかもしれないが、これはこれで、タエ子にとっては確認と区切りになったはずだ。

しかし、話はそのようには展開しなかった。
そもそも、タエ子は何故、「耐えきれず」に、縁談話の茶の間から去ってしまったのか。このことに思いを巡らせると、この映画の鋭さと非凡さが改めて見えてくる。

(つづく)
Posted at 2016/09/07 01:23:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマから映画を見る | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

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「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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