
~『最速GT-R物語』 史上最強のハコを作った男たち(双葉社・1996年)より
◆「レーシングカー批評」……
R33GT-Rというクルマは、もちろん1996年時点でのパリパリの現役機種であり、まだ歴史の中での評価を急ぐ必要はないはずだ。しかし、このモデルの、とりわけその誕生について、仮に幸せだったか、それともあまり幸せでなかったかという設問を立ててみた場合、その答えはどうひいき目に見ても決して前者ではない。
1993年8月にR33スカイラインの基準車が登場してから、このR33GT-Rが実際にデビューするまでの1年数ヵ月……。その間、これほどまでに「待ち望まれなかった」新型車というのは、日本車の歴史上なかったし、これからもないだろうと思う。まだ見ぬR33GT-Rというクルマは、マーケットにジャーナリズムに、なぜかとても手酷い扱いをされつづけた。
どうしてこんなことが起こってしまったのかというと、ぼくは、ひとつは「レース」のロジックのせいだと思う。モーターレーシングというフィールドは、ときに呆れるほどにシンプルな断言と、そして同時に、絶望的なほどコンサバティブなロジックや価値観に支配されることがある。この場合は、「大きくて重いものより、小さくて軽いものの方が速い。そして、ホイールベースは短いほど運動性がいい」という物理的な法則だった。それが、次期GT-R否定のために、がっしりと適用された。
もちろん、単純な速さ較べだけなら、そのロジックは正しすぎるほどに正しいかもしれない。まったく同じ度合のチューニングで(つまり「R33」としてではなく内容的にR32のままで)R32とR33が同じ場所を走るという設定なら、それはおそらく重量だけの勝負になる。
(ただ、この仮定自体が既にして、あまり現実的ではない。なぜなら、日本メーカーの、いや日本だけではなくすべての自動車メーカーの新型車というのは、必ずや何か新しい「開発」をともなうものであり、数年後に「同じ度合」で世に出て来ることはないからだ)
だが、もしそうだとして、つまり「小さくて軽い方が速い」として、ぼくはひとつ不思議に思うことがある。その“正しい物理学”を確認するというのは、クルマの、あるいはモータースポーツのファンとして、さらにはジャーナリストとしてでもいいが、それを確認することによって、いったい何が新しくて、そして何が「わかった」ことになるのだろう? むしろ、その強固な法則に挑戦してみようというクルマが、もしあるのなら、ファンとして、あるいはジャーナリストとして、その方がよほど興味をそそられることではないのか?
当時の、次期R33はどうも「よくなさそうだ」という判断は各自の自由だとして、だからといって、次期GT-Rにはまったく期待しない、いや作るべきではないとまで論議が飛躍したのは、やっぱりいまでも、ぼくにはちょっと理解の外である。
さらに、もうひとつ。当時に散見された「R33GT-R否定論」には、その出発点での重要な誤解があったと思う。それは、GT-Rとはレースをするための単なる「素材車」だという考え方である。そうするとクルマを計るモノサシは、レースの道具としてどうなのかという、たったひとつだけになる。
「大きくて長くて重い」とは、その意味では絶望的であり、それだけでほとんど忌み嫌われてしまう。次期GT-Rのスタイリングやディメンションを見ただけで、その「評価」ができるという驚くべきウルトラ技のよって来たる所以は、おそらくこのへんにあった。
もちろん、GT-Rとレース活動との関係というのは、歴史的に見てもたしかに密接であり、メーカーとしても、それは望むところだったはずだ。しかしその結果、R32とR33のGT-Rは、自動車批評ではなくして「レーシングカー批評」の対象にされてしまったのではないか。
◆“羊の皮”を被っていなかったR32
そしてもうひとつ。R32とそのGT-Rというモデルの「スカイライン史」の中での位置づけという問題もある。ぼくは、むしろR32というのが、スカイラインの歴史の中での異端児であり、極めて特殊なスカイラインなのだと思っている。その特殊さが、同時に何かに徹したものとしての魅力も生んでいた。
しかしぼくには、これは基準車も含めてだが、R32はあまりにも「スポーツカーの文法」で作られすぎているように見える。古風な形容を承知でいえば、このクルマは“羊の皮”を被っていないのだ。R32は、いわば始めから“狼”であった。そして歴史的に見ても、セダンとしての要件を充たさないようなスカイラインは、レアであるというより、実は存在しない。
ただ、当然ながら、1990年代に“羊の皮……”などというのは死語だった。「GT-R」という記号ですら、R32ではじめてお目にかかったというカスタマーやファンも多かったに違いない。
そういう名前の超高性能車がいきなり出現し、そして、レースでも活躍した。R32でしかGT-Rを知らない人々にとっては、それが「スポーツカー」なのか、セダン・改の「GTカー」なのかということはどうでもよかった。そして、せっかくのそういうクルマが、次期モデルでは、ことによったらいまより“遅くなる”かもしれない? そういう可能性がありそうだという風聞が立ち、時のジャーナリズムやファンをあげての騒ぎになった。これが当時の「R33GT-R否定論」の中身だったのではないか。
嗚呼、それにしても、次期GT-Rはもっと良く(速く)なるかもしれないという期待論にならなかった理由は、やっぱりちょっと謎のままである。すべては、R32とR33を較べての、スタイリングの「好み」に端を発していて、それにちょっとばかりの物理学的なリクツが付いていた。そういうことだったのかもしれないのだが……。
(つづく)
Posted at 2014/12/30 10:18:17 | |
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90年代の書棚から 最速GT-R物語 | 日記