
~『最速GT-R物語』 史上最強のハコを作った男たち(双葉社・1996年)より
今度のクルマは、いったいオレたちに何をさせようというんだ……? R33GT-Rを作っていくプロジェクトの中で、この「仕事が見えない」という感じを抱いていた部署が、厚木のボディ設計のほかにもうひとつあった。クルマ(市販車)の現物を実際に組み上げる役を担う村山工場である。
一台の新型車を作りあげるために、メーカー内の各部署は力を出し合う。その時、そこにはおのずと“相場感”というものが生じる。車両設計部のエンジニア・田沼謹一は、それに「契約」という言葉を宛てたが、A車を作るのにはこのくらいのパワー(労力)を出せばいいはずという経験から発した社内共通の認識である。
だが、評価ドライバーの加藤博義を中心とする栃木の実験部は、独自の判断で――というより彼らにとっての必要から、各部に補強を施してガチガチに強化した超・高剛性のボディを作ってしまった。“メイド・バイ・ヒロヨシ”のこのボディなら、「GT-R」としての要件を充たす。これと同じものを作ってくれ!
このオーダーが厚木に行き、ボディ屋の田沼謹一が設計をやり直す。こうして、R33GT-Rの「セカンド・プロト」作りが進行するが、その場合、あくまでも村山で量産できることというのが条件になる。GT-Rは、ホンダのNSXのように、専用の工場で組むという方式は採っていないからだ。
ただ、仮の話だが、もしニッサン上層部が、R33のGT-Rは村山以外のどこかに専用の施設などを新設して作るという決定をしたら、必ずや村山からの猛反発に遭っただろう。R32の時から、世界一のクルマ(GT-R)を作っている工場というのは、村山の人々にとっての誇りと勲章なのだ。
とはいえ、工場としてできないものは困るし、何よりクルマを最終的に組み上げる部署としての責任というものがある。また、メーカーの各セクションのうちで、最も顧客と近いのは工場だという自負もある。そのために村山には、完成車をテストする検査部があるし、また工場としてのテストコースも設けてあった。
R31の時に、まずゼロヨンなどの加速テストができる直線路を作り、それに加えて、タイトなコーナーが連続するミニ・サーキットまでが敷地内にあるのだ。これはアップダウンがある全長1.2kmほどのコースで、北海道・陸別のプルービング・グラウンドのミニチュアというべき格好になっていた。工場試作車に一番先に乗れるのは、実は実験部じゃなくてウチなんだ……と明かすのは、その検査部でR33GT-Rの生産を立ち上がらせた、村山の「走りのテスター」獅子倉和男である。
この獅子倉のほか、厚木との窓口となって図面などを受け取るのが生産課の篠塚友良。それを受けて現場へ展開し玉成していく技術課の久松太久司。そしてその現場で、実際にクルマの生産を担当する製造部組立課の工長が恩田賢一。その恩田らが組んだ完成車が、獅子倉の検査部に行く。クルマを生産する村山工場の仕事はこのように回るが、この四人が、スカイラインとそのGT-Rを作り、GT-Rに強いこだわりを見せる村山の“GT-R四人衆”と呼ぶべきメンバーであった。
ただ、R33でもGT-Rをやるというのは、村山側にとってはやや唐突な感があったようだ。一般的にはデザイン検討の頃というから、かなり早い時期に、新型車の開発には工場の技術部が加わるはずであり、図面(設計図)を描くという段階には、既に工場も深く関与しているものだという。したがって、それがなかった以上、次期GT-Rを作るというのは、もう1サイクル遅らせてもいい、あるいは遅らせるのではないかというのが、工場側の感触だったのである。
だが、実験部による新しいR33GT-Rの開発は着々と進んでいた。そして、彼らの“自作”によるボディまでできた。それを厚木の田沼が必死で「翻訳」して再設計しているが、そのボディとはどうやら、棒やら板やらがいっぱい付いた、市販車としては信じがたいシロモノらしいのだ。「そんなものは、工場では組めない!」、村山側はこう何度もはっきり言って、厚木に断っていた。
しかし、実験部(栃木)の意思も強固だ。これをやらなくては「GT-R」じゃないという。この間のマネージメントに奔走したのが専任主担の吉川正敏で、田沼が設計した「セカンド・プロト」をどう工場で組むかというのが彼の一時期の大テーマとなった。吉川の“村山詣で”が始まる。「頼むよ、作ってよ。ボディについては加藤がこう言ってるし、そこから田沼も何とか生産性を考えての新設計をやってるし、ぜひ、新しいGT-Rのために工場も協力を──」
村山側の言う「板とか棒とか」が何種類も厚木からやって来た。これらのパーツを加えて組むと「GT-Rになる」のだという。でも村山としては、手間や時間がかかること、さらには一人の作業員では組めないパーツが持ち込まれることさえあり、工場のシステムを考えると、いくらGT-R作りに意欲があっても、そんなことは簡単には引き受けられない。
それまでも、実験部の「あと何秒、HPG(陸別)でツメたい」という要求に、工場試作車を作った側として、「じゃあ、やろうか」と何度も協力し、クルマを作って(変更して)きた。だが、プロトタイプならそういうことがあってもいいが、工場ラインでの生産となると話のレベルが違う。
そして、組立を依頼される側としては、ついにこういう疑問も出てくるのだ。厚木の設計が持ってくる大量の「GT-R用」という、ラインでは組めそうもないパーツの山がある。しかし、「だいたいこの部品、効く効くというけれど、ホントなのかよ?」ということである。
たまらず、村山側は独自にテストをすることにした。ボディのどこかとどこかを連結する「棒」や、剛性を上げることに効果があるという「板」、そして肉厚の違う新パーツ。厚木の設計が持ってきたこれらの見慣れない部品を、彼らのいうように全部付けたクルマを作ってみる。一方で、そういうものをまったく付けないクルマを用意する。この二つの仕様を並べて、実際に走ってみることにしたのだ。
村山としての実走のテスターは、もちろん獅子倉である。工場には小規模ながら、きちんとしたテストフィールドもある。自分たちでテストしてみて、もしもそんなにはっきりと効果があるのなら、その時点で、あらためて考えてみようというわけだ。
……やってみた。明白だった。獅子倉は、二台のクルマで一回ずつ、120km/hでダブルレーン・チェンジをしただけで、笑いながらクルマから降りてきた。「参った、効くよ、これは!」
クルマがガシッとする。挙動がダイレクトになる。何かをした後の収まり具合が違う。収束性には格段の差がある。そして、レスポンスの違いは最も顕著だった。新パーツを付けたクルマは、ドライバーの意志が、気持ちいいほど瞬時に、クルマの全身にピッと伝わった。テストした二種類のR33は、まさに別のクルマであった。
そういうことなら、これらのパーツのすべてを組む前提で、それにはどうしたらいいかを、厚木とツメよう。村山は決定した。これで、GT-R作りの最終行程へのルートがようやく見えてきた。
(第18章・了) ──文中敬称略