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家村浩明のブログ一覧

2016年05月20日 イイね!

「 SUBARU 」でいいのか?

「 SUBARU 」でいいのか?スバルの富士重工が社名の変更を決定したという。「富士重工」ではなく、同社の主たる商品のクルマの名である「スバル」を社名にしてしまおうということで、もちろん、これには何の異議もない。たとえば、「スバル株式会社」、あるいは「株式会社スバル」といった社名は、シンプルでなかなかいいと思う。

ただ、この社名を欧文で……というか、アルファベットを用いて表記する際にはどうするのだろう? ニュースなどによれば、新社名のローマ字表記は、現在も車名として使われている「 SUBARU 」をそのまま用いるようだ。しかし、この“英文”を、欧米人をはじめとする「世界」は「スバル」と読んでくれるのか? 

外国語には弱い私がこの手のことを書くのはおこがましいのだが、たとえば一部の米国人は、この「 SUBARU 」を、無理やりカタカナで表示すれば、“ソゥボウルー”みたいに発音するのではないか。まあ、彼ら米人の場合は、「ホンダ」を“ハダァ!”という感じで読むし、トヨタも、あえて強調して書けば“タヤーラ”だったりするので、アメリカ訛りはあまり世界標準にはならないのかもしれないが。
(アメリカですごいなと思ったのは PONTIAC で、これはほとんど“ポーニヤ”あるいは“パーニャ”だった = TはNの音になる)

……と、たとえばアメリカがこうだとして、では、欧州圏とかアジア、南米も含むスペイン語圏などでは、果たしてどうなのかということ。「世界」はどのくらいの確率で、「 SUBARU 」を「スバル」に近い音で読んでくれる? 「ローマ字」で書けば、それをそのまま“ローマ字読み”で発音してくれるのは、おそらく日本だけである。だから「マツダ」はあえてローマ字(ヘボン式)表記にせず、多くの国や地域で“マツダ”と読んでくれるであろうスペル、すなわち「 MAZDA 」にしているはず。

この点でしっかり割り切ってるなと思うのは、そして感心するのは、韓国の場合だ。かの国のクルマ・メーカーである「現代」は、欧文表記が「 HYUNDAI 」である。私たちはこれを、いつものローマ字読みで“ヒュンダイ”と呼び習わしているので、そうか、韓国・朝鮮語では「現代」をそう読むのか……と解釈しがちだが、これはどうも違うらしい。

「現代」は、韓国・朝鮮語の発音では「ヒョンデ」に近い音であり、そこから、英米人に自分たちと同じように“ヒョンデ”と読んでもらうには、どういうスペルにしておけばいいか。そういう発想とアプローチから、ブランドの「 HYUNDAI 」は生まれたらしいのだ。もともと、国内市場がそんなに大きくないこともあって、始めから海外市場を志向していた「現代」は、そのようにして、「ヒョンデ」の世界化を企図した。

車名と、そして新社名となる「スバル」を、どのようにアルファベットで表記すれば、世界の多くの場所で「スバル!」と呼んでもらえるか。浅学な私は何の提案もできないが、しかし、せっかくの機会である。ローマ字式の表記は日本ローカルであることをもう一度確認し、「スバル」という美しい日本語を、その「音」のままに世界化するにはどうしたらいいか。富士重工=スバルの“英断”に期待して待つ。
Posted at 2016/05/20 03:11:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | Car エッセイ | 日記
2016年05月04日 イイね!

クルマの「室内」を考える 《3》

クルマの「室内」を考える 《3》では、どうして「高い着座位置」のクルマが流行る(増える)傾向になってしまったのだろう? 何かの機会で、自分がいつも乗っているクルマとは着座位置が異なるクルマに乗ったとする。その場合に、ヒップポイント(HP)が「低→高」であると、人は簡単に順応できる。……というか、HPが変わったことに気づかない場合さえある。しかし、逆の「高→低」では、人の背筋や腰のあたりが敏感に気づくのだ。(あ、これ、いつもより低いよな?)……こうして、一度高いHPを体感してしまうと、それを身体が記憶して、HPが低いクルマを避けるようになるのではないか。

より楽に、クルマには接したい。何のストレスなく、クルマには乗り込みたい。快適じゃないクルマって、ちょっとイヤ……。さまざまなタイプのクルマに触れているうちに、ほとんど無意識のまま、人は、従来のセダンよりも高い着座位置のクルマを求めるようになっていると見る。クルマの中で低い位置に収まって、そして“寝っ転がって”運転するようなスポーツカーやスポーティ・セダン。それを求めるマーケットやニーズは、少なくともこの日本市場では縮小の傾向にある。こんな考察を行なっておくこともムダではないと思う。

         *

さらには、ミニバンの隆盛から、シートが多用途化とカスタマイズの方向へ進化しているということがある。パセンジャー・カーとは異なり、ミニバンにはスペース的な余裕もある。その余裕を前提に、マーケットからの要求もあって、より“リッチな”シートが求められるようになる。それがいわゆるキャプテン・シートで、この傾向は留まるところを知らず、ついに航空機のファーストクラス並みを謳うシートが登場するに至った。

また、シートのアレンジでは、シートを外すことなく、車体のどこかに巧みに隠して収めるというのは、日本メーカーの得意ワザである。この点では、海外メーカーの場合は、しばしば、シートは外せるようにしましたので自由に処理してください……という設定にすることが多い。これはやはり、クルマを使うことと広いガレージや倉庫を持っていることがセットになっている欧米ならでは、ということであろうか。

         *

日本のクルマの「室内」は、乗用車系でも、そのボディ形状が“脱セダン”を果たしたモデルもあり、バンやSUVなどのその他のジャンルでも「乗用車」として使ってしまうという習慣も加えて、クルマの「室内」をどう使うか、どうアレンジするか。着座位置の変化という潮流も含んで、「室内」と「人」の関係では、その自由度が大きく拡がりはじめていると思う。

また、着座位置の変革とは、人の身体が楽であるような座り方を、まず確保することに始まる。そして、そうした「人と椅子」とのセットを車室内に置いてみて、そこから、自動車全体のレイアウトやパッケージングを決めていく。クルマ作りの段階で、このような順序で新型車のレイアウトや造形がなされることが多い。

カッコいいクルマを作りました! どうぞ、この(低い)室内に潜り込んでください……というのが、いわば20世紀的な、クルマが「先」に来る作り方だったとすれば、そうではなく、まず「人」ありき──。そして、「人」を優先に、「人と椅子」のセットをクルマとして包み込む。こういう思想とともに、1990年代半ば以降の日本のクルマは、そのレイアウトとパッケージングによって、世界に率先して新しいクルマ(実用車)の歴史を創っていったと考える。

ただ、このことに、案外気づいてないのが、私たち日本人カスタマーであるようだ。それはおそらく、そうした日本の「新しいクルマ」があまりにも身近にあること。そして、そこで静かに提案されている新しいクルマのかたちとインターフェイスを、多くの人が無意識のうちに歓迎し、その快適性を享受しながら積極的に受け入れているからであろう。

(了)

( JA MAGAZINE 自動車工業 2008年10月号「車室内環境として──役に立つ、安らぐ“居住空間”を考察する」より加筆修整)
Posted at 2016/05/04 06:50:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | Car エッセイ | 日記
2016年05月02日 イイね!

クルマの「室内」を考える 《2》

クルマの「室内」を考える 《2》「室内」の色が“脱・黒色”を果たしつつあった頃、とくに日本車に向けて放たれた非難のひとつに「質感」の不足ということがあった。また、この「質感」なるものは、色味が明るいと妙に目立つものらしい? ただ、この用語はしっかりと定義されないままに使われることが多く──というのは、この言葉は「室内」パーツの品質レベルを問うているのでもないようで、なぜなら、パーツの素材として用いられているのは、欧州車でも日本車でも同じプラスチックだからだ。いまにして思えば、あの「質感」への非難は、要するに日本車のデザインに対してのヒフ感覚的な不満と苛立ちであったのかもしれない。(フシギだが、日本の“自動車ジャーナリズム”は、日本のクルマについての悪口を異様に好む)

そして、そんなファッション化の時代に、「室内」における“おもてなし”機能も併行して進化していった。たとえばエアコンは「オート」がスタンダードとなり、デジタルで温度の数字を設定することが、ドライバーにとってのエアコン操作ということになる。エンジンの各種の制御がコンピュータになると同時に、車体の各所でマイコンが活躍するようになり、メーターのデジタル化も強力に進行した。

また、室内の重要パーツであるシートに目を向けると、1990年代半ば頃に、日本車のシートは長足の進歩を遂げた。この展開を牽引したメーカーのひとつがトヨタで、社内にシート研究のプロジェクト・チームを起こし、いいシートとは何かという研究と実作を開始していた。その結実としてのシートが装着される起点のモデルとなったのは、初代のRAV4、そして同時期のビスタ/アルデオだった。

トヨタのこの研究は、シートの基本形状のあるべきかたち(どういうラインで人体を支えるか)にまで踏み込んだもので、具体的には、ランバーサポートがそれまでの人間工学的な位置とは異なっていた。そして、こんな研究に触発されるようにして、他の完成車メーカーやシート・メーカーも、シートの改良を進めていくことになる。

人間工学といえば、この1990年代中葉にはもうひとつ、「室内」にとってほとんど革命といってもいい“事件”が起こっていた。それは着座位置(ヒップポイント=HP)の変更と、それに伴うパッケージングの大変化である。この革命の秘かな火種となったクルマは、1993年・秋に登場したワゴンR(初代)だった。

そして、このクルマが行なった提案を、それは単に「軽」という枠内だけで起こったことではなく、ワゴン型ボディという車型だけのことでもないと考えた国内メーカーが複数あった。本家のスズキ以外で、この「パッケージング革命」をリードしたモデルをひとつ挙げるなら、それはトヨタのプリウス(初代)になる。このモデルは世界初のハイブリッド車として、その駆動システムだけが話題となりがちだが、実はパッケージングにおいても、それ以後の日本車に大きな影響を与える提案を行なっていたのだ。

人が椅子に座る時、その椅子(の座面)が地上からどのくらいの高さであれば、人体の各部に負担がかかることなく、スムーズに座れて、かつ快適だろうか? これについて、ワゴンRが地上から「620ミリ」の高さにシート座面(着座位置)を設定したことを受けて、乗用車(セダン)なら、果たしてどのくらいが可能で、そして適切なのか。こうした探究の結果、いくつかのメーカーから、高めに着座位置を設定した市販モデルが登場するが、それらは期せずして、ある「高さ」(ヒップポイント)で共通していた。それが地上からおよそ「600ミリ」という位置である。そして、このノウハウというかファクトに対して、“本家”のスズキ以外で、最も忠実、かつ継続的にクルマ作りとパッケージング革命を行なったのがトヨタであった。

         *

さて、ここで述べているのは乗用車(パセンジャー・カー)におけるパッケージングやインターフェイス、つまりクルマ作りでの変化だが、これとほぼ時を同じくして、カスタマー側でも新しい潮流が動き始めていた。それは、乗用車とは分類されないビークル、「非・セダン」系のクルマを一般乗用ユースに「転用」してしまうというトレンドである。

それまでの分類としてはオフロード系であったり、また、商用車系のワゴンやワンボックス車であったりというクルマを、作り手の思惑とはまったく関係なく「乗用車」として日常的に乗ってしまう。1993年のワゴンRがスムーズにマーケットに受け入れられたのも、この志向と無関係ではないはずで、1990年代後半のSUVブームやワゴン&ミニバン志向も、この「非・セダン」志向というベクトルの中で捉えるべきものだ。

そして、これら「非・セダン」がほぼ例外なく、高いHP(着座位置)を持ち、一方、「脱セダン」傾向の乗用車でも、その着座位置が上がっていく。「非・セダン」傾向とは同時に、高い着座位置のクルマに乗りたいというカスタマーの、実は自分でもあまり気づいていないクルマへの新志向だった。

また、着座位置が変われば、当然クルマの中で、人の顔の位置も変わってくる。メーカーによっては、ヒップポイントという言葉が開発用語にない場合があるが、「アイポイント」の変化といった言い方で、このパッケージングの変革を捉えていたメーカーもあった。

そして、こうした高い着座位置にドライバーが収まると、そのドライビング姿勢にも変化が生じる。寝っ転がるような格好にならず、逆に、背もたれを立てて運転する。つまり、姿勢が基本的にアップライトになるのだ。その結果、スピードなどの各種メーターの配置にも変化が起こった。その変革のひとつが、プリウスやヴィッツ系が最初に採用した「センターメーター」である。

それまでの、足を前に投げ出すかたちで、オーバーに言えば寝っ転がるように運転する姿勢であれば、メーターは丸いステアリング径の中にあった方が見やすい。しかし、ハイ・ヒップポイント&アップライト・ポジションでは、ステアリング径の中以外の場所に、メーターを置いてほしくなるのだ。

(つづく)

( JA MAGAZINE 自動車工業 2008年10月号「車室内環境として──役に立つ、安らぐ“居住空間”を考察する」より加筆修整)
Posted at 2016/05/02 22:20:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | Car エッセイ | 日記
2016年05月02日 イイね!

クルマの「室内」を考える 《1》

クルマの「室内」を考える 《1》いま、私たちがクルマに乗りながら、スイッチやボタンあるいはツマミなどの操作を何気なく執り行なう。そして、その操作によって得られる環境──。それはちょっと時を(たとえば100年でも200年でもいいが)さかのぼれば、当時のどんな権力者や王侯貴族であっても不可能な贅沢の享受である……という説を聞いたことがある。なるほど、そうかもしれない。

今日のクルマは、まず、雨や風から人を守ってくれる。そして望むなら、まったく外の風に当たらずに長距離を移動することもできる。寒いぞ!……と思えばヒーターを入れればよく、また、暑くてたまらん!と叫び出す前に、クーラーを作動させることもできる。さらに、こうした単なる冷暖房だけでなく、クルマの「室内」は総合的なエア・コンディショニングが可能で、温度だけでなく湿度もまたそのコントロール下にある。

さらには、もし音曲がほしいなら室内の複数の箇所からサウンドが鳴り響き、それに映像を加えることも近年では容易だ。また、情報の獲得という点でもクルマはスゴ腕で、最新のニュースとその解説に始まって、詳細な地理と、それを活かすための最新データ(ナビゲーション)も、いまやクルマに乗っているだけで簡単に手に入れられる。

栄耀栄華を極めたであろうかつてのキングやクイーンたちは、駕籠や輿、あるいは馬車や牛車などに乗って移動したと思われるが、その際の移動空間、つまり「室内」には、果たしてどのくらいの快適装備があっただろうか。ヨーロッパ大陸で、自身は平民であったが、王侯貴族に音楽を提供するために各地を巡っていた“楽聖”モーツァルトは、しばしば、馬車によるその移動の辛さを手紙や日記に記しているという。

それは、貴族ではないモーツァルトが乗っていたのが、街の乗合馬車や安手の馬車だったからではないか? そういう見方はもちろん可能だが、しかし、彼よりもリッチな階級が用いていた同時代の馬車に、乗合馬車とは次元の異なる懸架装置(サスペンション)や有効なエアコンディショナーが装備されていたとは思えない。

馬車が「馬なし」になって“原動機”が馬から内燃機関になり、その走行速度が上がって懸架装置が急速に進化し、さらには、そのビークルにおける室内の密閉度も上がった。馬車の時代にはさして進化しなかったであろう「快適性能」が、なぜ「馬なし」の状態になったら、いきなり著しく向上したのか。それはおそらく、産業革命とその結果である工業化によって、原動機以外のハードウェアも同時にかつ劇的に進化したからであろう。

さて、そろそろ話を現代に戻すが、今日の自動車における、そんな「車室内環境」や「居住空間」はどのような状況にあるか。それを考察するのが本稿に与えられたテーマである。そして、インテリアとか内装とかいろいろな言い方があるが、ここではそのへんを総合的に示す語として「室内」という語を用いることにする。また日本において、クルマという製品もしくは商品の「大衆化」が成ったのは1960年代以降と思われるので、話はそれ以後に限定することをお許しいただく。

         *

そんなクルマにおける「室内史」で、まず想起するのは「色」の問題である。1960~70年代の黒色から、1980~90年代の淡色志向へ。そして今日ではふたたび、ダークな色味が重用されているというのが、大雑把なその歴史ではないか。

かつて、クルマの室内の色は、圧倒的に黒だった。この記憶と印象は間違ってはいないはずで、この理由のひとつにスポーツカーへの志向があったと思う。つまり、クルマ(=乗用車)のあるべき理想像としてスポーツカーやスポーティカーがあり、一般乗用車(セダン)であっても、スポーツカーに近いものほどよろしいという時代風潮である。ただ、黒い室内はメーターを際立たせるという意味では機能的と思われ、ドライバーが無用な視線を「室内」細部に向けないという点では実用的でもあった。

しかし、1980年代の半ば頃だろうか、クルマがそれまでよりもさらに「一般化」して、「クルマ好き」と分類される層以外によっても積極的に使われる状況が到来する。そのときに起こったのが、いわばクルマの「ファッション化」で、同時にクルマとその「室内」はデザインがさらに重視されて、服やアクセサリーと同じように、その色味も評価されるようになった。黒だけじゃダサいでしょ!……ということである。

こうして、たとえばベージュの一色といった「室内」も登場するのだが、ただ、同時に「映り込み」の問題も浮上したはずだ。明るすぎるインテリア・カラーは、晴天時、つまり陽光が強い時など、クルマのウインドーにそれが鮮やかに映ってしまう。これを避けようと、「室内」の上半分というべき部分だけを黒っぽいカラーにするという作戦も採られたが、こうするとインテリアは意図に反して(?)常にツートーン・カラーになってしまう。

こうした実験を重ねていくうちに、とくに2000年代になってからは、一部の例外を除いて、明るすぎるインテリアは消滅の方向に向かったのではないか。ただ、そうであっても、さすがに“真っ黒”が用いられることは今日では少なくなり、ダークなトーンで全体をまとめるという手法が多いようである。

(つづく)

( JA MAGAZINE 自動車工業 2008年10月号「車室内環境として──役に立つ、安らぐ“居住空間”を考察する」より加筆修整)
Posted at 2016/05/02 07:46:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | Car エッセイ | 日記
2016年04月26日 イイね!

フォードの不在……《11》

フォードの不在……《11》優れた「量産メーカー」がひしめく日本マーケットで、海外から来た同じようなタイプのメーカー&ブランドが成功するのは容易ではない……。そのことに気づいても、フォード車がこの国のマーケットから消えてしまうというのは、やっぱり残念である。

その理由はいくつかあるが、ひとつは、フォードが文字通りにグローバルな、スケールの大きいクルマの「量産」メーカーであること。20世紀の初頭から世界展開を開始したそのキャリアと実績をもとに、今後の世界市場に、どんなクルマを送り出してくるか。そのフォードの動向に、ひとりのカスタマーとして、これからもリアルタイムで接していきたい。そしてそれをニュースや映像で知るのではなく、実車に触れたいし体験(試乗)もしたい。

何より、「欧州フォード」という存在がおもしろい。英フォードと独フォードが融合したであろうこのメーカーが出してくるクルマは、コンセプトと生産はドイツ産かもしれないが、しかし、“民族系”のVWとは微妙にテイストが異なっている。もちろん、フランスやイタリアのクルマとも違うわけで、コンパクト系のフィエスタやフォーカスは、ヨーロッパに生まれながらも、ヨーロッパに「特化」してないところがある。そんな“世界性”が盛られたクルマが日本市場から消えてほしくない。

それに、フォードが大衆車ブランドの先駆であり“雄”であるのなら、量産ブランドがひしめく日本マーケットでこそ、“優等生の弟子”たちに、フォードとしての一定以上のシェアや存在感を見せつけるべきだ。そもそも、そうしたアピールや拡販のための活動を、フォードは「ここ」でやったか? さまざまなPRがなされたけれども、ついに、このマーケットとカスタマーはフォードに反応しなかった……といえるのか?

たとえば、「米国フォード」と「欧州フォード」が作るクルマは、同じフォード車であっても相当に違う。このことがきちんと、作り手側からマーケットに語られたことがあっただろうか? また、フォードは実はモータースポーツにも熱心であり、なりふり構わずル・マン24時間レースにメーカーとして「勝ちに行った」こともある。そのル・マンを勝ったフォードGTはウルトラ・スポーツとして市販された。

また、いっときのF1を席巻した軽量コンパクトな「DFV」エンジンの“苗字”は「フォード・コスワース」である。そして、そのコスワース・チューンによるラリー車は、1960年代のエスコートRSに始まって今日のフィエスタまで、WRC(世界ラリー選手権)での有力なコンテンダーであり続け、ツーリングカーのシエラやカプリは、サーキット・レースで活躍した。コルチナ・ロータスという“羊の皮を被った狼”的な公道バージョンもあった。

つまり、「フォード」とは、モータースポーツ・シーンひとつを取っても、このように、けっこうドラマやネタを抱えているメーカーなのだ。しかし、こうした事象や歴史がフォードのブランド戦略やPRに活用されたという記憶は、そういえば、とくにない。

また、以上は「欧州フォード」絡みだが、“デトロイト・フォード”にもサンダーバードやマスタングといったアメリカン・スポーティ車の系譜がある。そしてGMのキャディラックに対してはリンカーンがあり、近年のSUV志向に応える仕様としてはエクスプローラーもある。こうして見ると、アメリカ版フォードもなかなかPRのネタには事欠かないはず。「ブランド性」という言葉があまり好きではない……というか、私にはよくわからないというのが正直なところだが、仮にフォードというメーカーとそのジョブをPRしようとするなら、また「ブランド性」を創出しようとするなら、それなりにネタはあったと思う。

しかしフォードは、そうした“イメージ戦略”を、この日本マーケットでほとんど展開しなかった。それでは、成熟しきったこのマーケットでの売り上げが年間数千台というのは、むしろ当然の帰結ではなかったか。そんな無策ゆえの結果をもとに、もうこのマーケットには関わらないというのであれば、それはちょっとオトナの判断ではないとも思う。

2016年に、日本市場からはいったん撤退する。そして、たとえば中国マーケットの方に、フォードとしての全力を傾注する。それは、それでいい。でも、世界に冠たる「量産」メーカーの誇りとともに、いつかふたたび、この日本マーケットに還ってきてほしい。まあ確かに日本の場合、輸入車の全体でも年間30万台程度で推移するマーケットであるわけで、そんな“小さなパイ”を分け合うような競争は、“大フォード”としてはおもしろくも何ともない……かもしれない。でも、フォードが本気になることで、その“パイ”自体が大きくなるとしたらどうだろう?

あるいは、「量産メーカー」の雄であるフォードが真に“売る気”でこのマーケットを見たら、つまり外から日本を見れば、日本メーカーとは違った戦略や車種のセレクトがあるかもしれない。フォードはこんな機種が日本には合っていると考える。世界企業としての、そんな選択も見てみたい。さらには、合弁を強いられるので簡単には行かないかもしれないが、巨大市場の中国をベースに「アジア・フォード」のような拠点をつくるのであれば、そこから「アジア車」として、どんなモデルが出てくるか。フォードのそんな“アジア解釈”にも興味がある。

とにかく、日本マーケットとカスタマーは、フォードを否定したのではなく、フォードが“見えなかった”だけだったと思う。そして、見えないから、買うこともできなかった。フォードって何? どういうメーカーで、どんなクルマがある? フォードは日本で何をしたい? こうした「PR」がないと、このマーケットでクルマ(とくに外国車)を売るのはむずかしいのではないだろうか。

(了)

○タイトルフォトは1960年代エスコート・ラリー、「THE FORD CENTURY」より。

追記:フォードの「情熱と興奮を呼び起こす25台」をセレクトしたのは、「THE FORD CENTURY」(フォード百年史)の著者ラス・バナムであるかのように書いた箇所がありますが、これは間違いです。これについては「自動車産業にかかわる人々が選んだ25台」という記述がありました。お詫びしつつ、ここで引用しておきます。
Posted at 2016/04/26 02:32:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | Car エッセイ | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

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「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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