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家村浩明のブログ一覧

2016年02月22日 イイね!

イグニスに乗った 《1》

イグニスに乗った 《1》──どうですか、このクルマ?
A「……あ、これくらいのサイズ、いいですよね。クルマに、余計な大きさは要らないです。現にいま、乗ってるのも小さいし。これ、全長が4メートルくらいですか?」
──3700ミリですね。
A「え、そんなに小さいんですか! そうは見えないですね、逆に。へー。……で、幅が1660(ミリ)? フーン、どこ行ってもラクですね、それなら」

──駐車する場合など?
A「そうです。タワー(パーキング)っていうんですか、時々(カゴの幅が)狭いことってありますよね、古い駐車場なんかに。……あ、それでいうと全高は?」
──1595ミリですね。
A「えーと、それって、たとえばワゴンRよりは?」
──あのクルマは、最新の5代目で全高が1640ミリ。スティングレーがそれよりちょっと高いという設定。
A「あ、全然(ワゴンRより)低いんですね。じゃあ、まったく問題ないなあ!」

──カッコウはどうですか?
A「いいと思います。何と言うか、バンみたいというかワゴンみたいというか、よくわからないというか(笑)。クロスオーバー? 組み合わさってる? ああ、そういう言い方するんですね、最近は」
──メーカーは、過去の自社のクルマのいろんなディテールが、このクルマには入ってると。たとえば、ヘッドライト回りはセルボで、Cピラーの造型がフロンテ・クーペで、ピラーのブラックアウトはスイフト風とか。
A「うーん、そこまでは(スズキのクルマを)憶えてないなあ(笑)。フロンテ・クーペっていつの話? でも、2ボックスのセダンみたいでもあるし、小さなバンみたいでもあるし、SUVっていうんですか、あの手のやつもフェンダーあたりに(要素が)入ってる気もする。あの、クロスオーバーって、そういうことでは?」

──おっしゃる通り。でも、このクルマにオフっぽい感じってあります?
A「微妙に、感じますね。雪や泥とは言わないけれど、河原くらいは似合いそうだし」
──オフ走りもする? クルマを見る際には、そういうことも?
A「いえ、走ったりはしません(笑)。でも河原みたいなところに入れるなら、クルマで行って水遊びくらいはしたいかな、夏とか」

──そういう意味ではSUV的な機能は邪魔にはならない? このクルマ、地上高は180ミリあって、アプローチアングルとかデパーチャーアングルもけっこう確保してありますが。
A「もちろん、あっていいです。……あ、『SUV』っていうのはオフでもOKみたいな、そういうことですよね?
──言葉としては、スポーツ・ユーティリティ・ビークルの略ですね。ただ近年は、それに何かが組み合わさっていて、クロスオーバーSUVという使い方が多いですけど。たとえばマツダのCX-3は、そう名乗ってました。
A「あー、CX-3……。でも、あのクルマ、街で乗るには『オフ臭いな』みたいな感じはあります、ちょっと。まったく個人的なアレですけど」

──やっぱり、クルマは街で乗る機会が多い?
A「……というか、毎日のことですから。山暮らし、してるわけじゃないので(笑)。
──選択も、それを重視して?
A「……ですね。オレは街で目立ちたいんだとか、そうやってクルマに乗るつもりなら、話は別でしょうけど。そうじゃないし」
──別に、目立ちたくはない?(笑)
A「はい!(笑)フツーでいたいです。クルマに乗ると人格変わるとか、そういうのもイヤだし」

──ブイブイ走ったりもしない?(笑)
A「なんか、そういうことに使うんじゃない気がする、クルマって。あの、街を歩きながら、人混みで、いちいち(誰かに)カランでる人っていないですよね(笑)。そういう道具じゃないと思う」
──じゃ、どういう道具?
A「……うーん、うまく言えないですけど、(クルマに)乗ると落ち着くとか。気に入ったTシャツ着てるとキモチいいとか、そういうことみたいな……。クルマも似てるんじゃないですか」
──競走とか、コンペティションのためのものじゃない?
A「あ、それ! そうです、“競走”も、それから“競争”もしたくない。誰かのためにクルマに乗ってるわけじゃないので。だから、較べるとか、そういうこともしないし」

(つづく)
Posted at 2016/02/22 13:10:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | New Car ジャーナル | 日記
2016年02月15日 イイね!

「クロスUP!」についてのメモ 《2》

「クロスUP!」についてのメモ 《2》 * ただ、彼の地(ヨーロッパ)には、日本まではあまり伝わってこない感じはあるが、1920年代の「サイクルカー」に始まって、その後の「マイクロカー」「バブル(風船)カー」にもつながる軽量・小型“自動車”の系譜があり、その「文化」は21世紀の今日でも何ら変わってはいない……ようだ。

* その文化があるゆえに、トヨタは00年代後半に超・小型車の「iQ」を作ったのであろう。欧州のそんなマイクロカーのカルチュアに、トヨタが参画した。こう考えれば、あのクルマのナゾも解けるし、一気に合点がいく。

* そして、こんなことも考える。ヨーロッパのディープな事情は体感としてはわからないが、たとえば1950年代の西独時代に、航空機ではないメッサーシュミット、その「KR200」に乗っていたのは、階級的に最下層である人々だけだったのか? 半ば想像になってしまうが、そうではない人々も、あのメッサーシュミットには乗っていたのではないか。かつてのサイクルカーや今日のマイクロカーの存在を、「階級」だけで捉えていいのか?

* もちろん、ヨーロッパという地では、ある階級の人々は必ず、それに適した“階層”のクルマに乗る。このことは、知識としては知っている。だから、かつての英国BLMCは、内容的には「ADO16」でまったく同じであるクルマに、ヴァンデン・プラとかウーズレーとかモーリスとかMGといった異なるバッジを付けて、それぞれの階級・階層に向けて販売した。

* ただ、そういう現実がある(あった?)一方で、ヨーロッパの場合、クルマというエクィップメントについての許容範囲が広いというか、さまざまなタイプのクルマが地域内にあっていいのだという文化や慣習が、同時に存在するように思う。(トヨタの「iQ」が“小さい高級車”とまでは言わないにしても、装備的には上級車と同じであったのは、マイクロカーと階級が無関係であることの証左か?)

* そういえば、クルマの元となった馬車も、馬に引かせるという点では同じでも、ずいぶんと粗末な馬車と、その一方で絢爛豪華な馬車とがあった(ようだ)。「ビークル」に大小や形状の違い、そしてグレード差があるのは、用途や、それを使う階級が異なるのだから自明のこと。乗り物についてのこうした感覚や習慣が「馬車の時代」からずっと存在するとすれば、それが20世紀以降のヨーロッパと、そこでのクルマに適用されていても当然ということになる。

* ……あ、話がちょっと逸れすぎている(笑)。ヨーロッパ文化についての探究は今後の課題として、VWの「UP!」だ。そもそもヨーロッパでの「セグメント」なんてのは、ニッポン庶民がこの国でクルマに乗る際にはどうでもいいことだった。その「UP!」に、かすかにクロスオーバー(SUV)的な衣装を着せた。それがこの「クロスUP!」である。

* 運転席に乗り込むと、印象がクリーンというか、とにかく明るい感じ。ちょっと“非ドイツ的”な感覚さえある(ラテン車にありそうだ)。ボディの赤い外板色が室内にあることが、そんな印象を生んでいるか。その意味ではこのクルマの場合、ボディのカラーを何にするかによって、インテリアの雰囲気はかなり変わりそうである。

* そして、たとえばポロやゴルフから乗り換えると、ドアミラーの鏡面に余計なもの(室内の光りものパーツなど)が何も映り込まない。その意味でもクリアで、これはストレスがなくていい。VWは、ゴルフにしてもポロにしても、ドアミラーに何が映るかもチェックしながら、インパネのデザインやミラーの位置を決めていった方がいい。

* そして、普通にオートモードにしておけば、アクセルを踏むだけでクルマを動かせるが、1速から2速に変わる際などに、一瞬“息継ぎ”のような状態がある。あるいは、1速から2速へは必ず、一種の“継ぎ目”を経て変速されるというべきか。この“継ぎ目”感は、右足すなわちアクセルペダルを仮にジワーッと踏んだとしても消えることはない。

* そこまでわかれば、さっさとドライバーが自分の手でミッションを操作してしまえばいい。こう判断してそれを実行してしまうのは、ニューモデルを試乗する者の姿勢としては、あまりよくないだろうか?(笑)でも、いきなり個人レベルに話を持っていけば、私なら、このミッションはそのように扱う。

* すなわち、クラッチペダルなしで変速できるクルマ。つまり、「2ペダルのMT車」として乗るのだ。そして、たとえば時速60キロまで加速するとして、どういうアクセルワークで、どういうタイミングでシフトアップすると滑らかに変速できるか。そんなことを探っていく。

* ただ、スポーツ・バイクやMT車で「変速」を体感してきた人なら、これは自分でチェンジしちゃえばいいんじゃね?……と思いついて、それを実行するかもしれない。しかし、50ccの原付から250ccのスクーター、そして四輪ではCVT車だけを乗ってきたような“無段変速育ち”の人々に、この「変速」という概念を説明するのは結構むずかしいような気もする。

* ちょっと見方を変えれば、アクセルを踏めば、後はクルマ任せで……という、いわば受け身の姿勢ではなく、このミッションは、どういう操作をすれば《快》なのだろうかと、ポジティブに、というか積極的に、クルマやそのメカニズムに関わっていく。そういうスタンスで、このクルマには乗るというアプローチなら、「UP!」のシフトと“格闘”するのは、逆におもしろいテーマである……かもしれない。

* 乗り心地は、粗っぽさはもちろんないのだが、でも、すごく優しかったり、柔らかく乗員を運んでくれたりという、その種のホスピタリティは一切ない。素っ気ない外観と飾り気のない内装に見合った、そういう意味では見事にモードが揃った、素朴な走りの味があるだけ。こうした全体的な「挙動」のまとめ方には、何も文句はない。

* 「道具」という言葉が好きな人。道具である以上、装飾は要らないと思う人。道具だから、それはシンプルであればあるほどいいし、そして道具は使いようなので、使い手が的確に働きかけないと道具もうまく機能しないし──。

* ……以上のようなフレーズに、ふと立ち止まってしまうようなタイプの人にとっては、この「クロスUP!」が全身で醸し出している《素》のフィールとその佇まいは、なかなか新鮮で、そして気持ちのいいものではないだろうか。

* 基本的にクルマ(量販車)というのは、皆さまに買っていただきたい商品であるので、どうしても「いかがですかぁ?」「ワタシ、キレイでしょ~」と、カスタマーに媚びつつ迫って来ることが多い。

* それに対して、このクルマのように、ホスピタリティなし、あるのは、ただ「道具感」のみ……。そんなタイプとキャラのクルマって、国内外を問わず、実はそんなにないと思う。Aセグメント「クロスUP!」に価値あり! ある視点からの、これが結論だ。

* (ただし、あくまでもMT車が好きだったり、また、MTの運転についてのキャリアが多少なりともあるという人にとっての「価値」なので、念のため)

(了)
Posted at 2016/02/15 09:06:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | New Car ジャーナル | 日記
2016年02月15日 イイね!

「クロスUP!」についてのメモ 《1》

「クロスUP!」についてのメモ 《1》 * VWによる「UP!」というモデルには、ずっと注目してきた。その理由のひとつは廉価車であることだ。安価な商品をどう作るかは、作り手の腕の見せどころ。使い手(受け手)としても、廉価は歓迎しつつ、いったいどういうクルマなのかが気になる。

* もっとも、最初はネーミングに釣られて、日本のクルマによくあるようなハイト系のボクシー・ミニがVWから登場したのかと思った。だが、この(個人的な)期待はハズレで、パッケージングのアイデアとコンセプト、そしてヒップポイント(着座位置)にしても、VWのスモールであるポロとさほど変わっていない。

* ただ、ここでポロの名前が出たが、さまざまなところで、ゴルフ~ポロのラインとはまったく「違う」クルマですよ~……と主張してくるのが、この「UP!」ではないだろうか。異文化というならその通りだし、「階級」という言葉を用いるなら、そういうことであるかもしれない。

* ヨーロッパという地には、結局、住んだこともないし、彼の地における「階級」について、実感的に何か言うことはできない。ただ、旅行者ではわからない深いところで、いろいろありそうだと想像をするだけだ。日本の「メーカー人」で、欧州に駐在(居住)経験のある方は少なくないが、彼らも「階級」についてはあまり語っていない(知る限りではだが)。

* さて「UP!」だが、結論めいたことを先に書けば、これは「VW車」とは別の地平に咲いた「異文化」(階級違い)のクルマとして作られている。ゆえに作り手は、VW系との「差異」が生じることを少しも恐れていない……という感じか。

* たとえば室内にしても、すべてが“内装部品”で覆われているわけではない。インテリアでは、外板と同じ鉄板が一部で剥き出しになっている。したがってこのクルマは、室内に座っていても、自分のクルマのボディカラーを視認できる。

* ドアミラーも、少なくとも日本導入初期の「UP!」は鏡面操作が手動だった。そのため、左側のミラーを調整するには、クルマを降りて行なうこともあった。さすがにこれは改められて、最新の「UP!」では左右どちらのミラーも電動で調整できるが。

* ミッションも、VWゴルフと同じレベルのものは付いていない。MTをベースにした「2ペダル」のATで、オート・モードなら自動変速するが、ただし変速ショックは大いにある。また、クルマを滑らかに動かすための半クラッチ的な操作も、あまり上手ではない。VW系の2ペダルATは上出来という印象があるので、その分、同じメーカーの最廉価「UP!」の“非・洗練”が際立つ。

* 欧州的には、ゴルフがCセグメントでポロがBセグメント、そして「UP!」がAセグメントという位置づけ(階級)であるらしい。これで見ると、C/Bは近接しているのに、BとAの間はひどく開いているように感ずる。言い換えればVWによって、Aセグ車は「差別」されて……という表現が適当でないなら、Bセグメント以上の車種とはハッキリ区別されて、Aセグメント「UP!」は作られている。

* ……と一瞬、慨嘆してみたものの、これはVWだけでなく、メルセデスにとってのスマート、フォードにとってのKa、あるいはルノーのトゥインゴにしても、この種のコンパクトカーを、欧州メーカーは上級車とはかなり「違ったクルマ」として作るのが普通のようだ。Aセグメントは“異文化”でいいのだという暗黙の了解が、作り手と受け手の双方にあるのか?

* 日本だって軽自動車と普通車では違うだろ、という意見はありそうだが、しかし日本のクルマの場合は、軽と普通のクルマで、内容的にそんなに“段差”はない。安価(軽)になるといきなりミッション型式が変わるとか、ウインドーが手巻きになったりということはない。軽自動車にはナビは要らない……といった設定も行なわれない。

* ……というか、軽自動車も普通車も「買う人」が同じだからではないか、日本の場合は。たとえば、最小サイズ車を求める人々に特有のものの考え方や行動様式があるとは思えず、ゆえにメーカーは、ミニ・サイズなので「違うクルマ」を提供する……という作戦は採らない。また、そんな「違い」を誰も求めてはいない。

* 一方で、Aセグメントだけはクルマが別次元のように「違う」とすれば、その事実から、小さいクルマはそうであって(異文化であって)いいのだと考える社会やマーケットがそこにある……ということにならないか、たとえばヨーロッパの場合?

* ここで「階級」とか「階級社会」とかいったあまり馴染みのない、ゆえに強力な(?)言葉を持ち出すと、このAセグメントの問題にしても、一気に何でもが“解釈”可能になってしまう……のかな?

* つまり日本の場合は、「階級」レス社会であるゆえに、メーカーは「違うクルマ」を提供することはない。そして「階級レス」とは一階級しかないってことに等しいから、それに対応するクルマとその文化もまた一種類になる。日本のクルマを形成しているのは、そうした“均質化社会”と、そこからの何とはない要請だと、まあ、そんな見方である。

(つづく)
Posted at 2016/02/15 01:25:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | New Car ジャーナル | 日記
2016年01月18日 イイね!

プリウスに乗った 《3》

新型プリウスについてのメモを、もう少しだけ──。今回の最新モデル、その特徴を短く言うと、「許容範囲」が広いということになるのではないか。

プロトタイプの段階での公開・試乗はクローズドな場所で行なわれたが、その「場」には、いわゆるミニ・サーキットが含まれていた。もちろん「ミニ」なのでストレートも短く、最高速はそんなに出ない。小さいコーナーが連続する“ツイスティな”道で、さらには多少の起伏もあるコースだ。

そういう場で、さまざまなドライバーが乗れば、クルマが「曲がる」際にはいろんなタイプの「入力」が行なわれることは容易に想像できる。場合によってはドライバーが慌てて、いきなり不用意で乱暴な「入力」が行なわれてコーナーになだれ込む。そんなこともあるかもしれない。

しかし、ミニ・サーキット走行時にどんなことが行なわれようと破綻を来たすことはない。このクルマの「足」なら、何をされても受け止められる。そんな自信があったから、メーカーはそんな「場」を選んだはずだ。

そして、発表後の試乗会の場は、一転して市街地の真ん中である。私はミニ・サーキットのような場でプリウスがどんな感じか、だいたい把握したつもりだったので、街ではひたすら“遅く”走ることに専念した。そして、できるだけ、いろいろな路面(サーフェス)を探した。

クルマが平らな状態、ドライバーが何も「入力」しない状態で、このクルマはどう走るのか。また、その状態から、ほんのちょっと「入力」した際にはどんな動きなのか。こんなことを観察しながら、交通の流れとともに「街」を走った。そんな中で浮かんだ語が「許容範囲」だった。

ドライバーが何もしない時、また、ブレーキやステアリングなど何かの操作をした時、その操作がかすかな時、そして激しい時──。いろいろな操作、つまり「入力」に対してクルマが返してくるものが、いつも安定している。想定以上の、余計な反応を返さない。

もちろん、こういうクルマは独りプリウスだけでなく、世の中には多々あるわけだが、挙動のリニアリティというか、クルマの反応がイメージ通りというか、そうしたことを一瞬ごとに感じながら、さまざまなフェイズでクルマを走らせることができる。そんなシャシー性能になっているのが新型プリウスであった。

それと、着座位置(ヒップポイント)など「変わった」ことに目が行きがちだが、プリウスとして、代を重ねても変わっていないことがある。ひとつは初代から続くセンターメーターで、ヒップポイントが下がっても見やすいことでは同じ。フロントスクリーンと同じような位置に、それを見る同じ“視界”の中に情報を得るためのメーターがある。これは、センターメーターの先駆者としての、プリウスとしての継続である。

そして、もうひとつはパーキング・ブレーキ。相変わらずの「足踏み式」で、極めてアナログ的に(?)エイヤッと踏みつけて、そして、エイヤッと解除する。こんなブレーキ、この「電制時代」にボタンひとつで操作できるはず。そもそも“電制の極致”みたいにしてクルマを動かしているハイブリッド車だし、こんなパーキングも電制ブレーキにした方がずっと今日的だ……と思うのだが、この件、開発陣に確認する前に、自分で答えを見つけてしまった。

もし、何らかの理由で、クルマを動かすために隅々まで張り巡らした電制システムの「電源」が落ちたら? 何をしてもクルマが動かせない、そういう状況になってしまったら? そして、そうなった場所が、仮に坂道の途中であったら? 何はともあれ、いったんクルマを停めたい! そんな非常時に、デジタル制御は(それが働かなくなっているのだから)無力になる。

──あり得ないことかもしれませんが、そうした場合も考えますと、やはりパーキングブレーキだけは別回路と言いますか、独立して作動できるようにしておきたいのです。質問したわけではないが、もし、この件についての答えをトヨタ側に求めたら、このような返答があるのではないか。

ちなみに、最新どころか、ほとんど“未来車”というべきFCV車の「ミライ」においても、トヨタは、この足踏み式によるパーキングブレーキを変更していない。クルマに「電子」は有効だから積極的に採用するが、しかし、もとはと言えば、クルマは「機械」の組み合わせ。2015年の東京モーターショーに、あの奇っ怪な「 KIKAI 」を展示したのは、遊びでもジョークでもなく、メーカーの本気だったのだと、最新のハイブリッド車に乗って、あらためて気づいた。

(了)

Posted at 2016/01/18 09:02:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | New Car ジャーナル | 日記
2016年01月16日 イイね!

プリウスに乗った 《2》

プリウスに乗った 《2》……うーん、いまにして思うと、じゃあ“EV感覚”って何だったのだろうかと、逆にちょっとフシギになってくる。無理やり思い出してみると、あの感覚は、おそらくは、ある種の過剰さだった。トルクにしても、アクセルペダルを踏んでいる(システムに指示している)ドライバーの感覚やイメージ以上に、「電動車」はチカラが出ていた。また、そのチカラの出方には、ブワッというような唐突感が含まれていた。そしてそれとも似た感覚だが、二次電池などの重いものを積んだ巨大な“マス”が、ようやく動き出す。そんな風情もEVにはあったと思う。

もちろん、ガソリンエンジンにおいても、トルクはペダルの“踏みしろ”に応じてリニアに発生するわけではない。ただし、高回転域では爆発的にチカラが出ても、低中速域では、パワーもトルクもその出方はおとなしい。

そして、それに馴れてしまうと、それが「自然だ」という感覚になって、その「自然さ」と異なるものには、人はしばしば「違和感」という言葉を投げつける。そうした“人心”の動き、また、人の感覚と心理における機微といったことを、トヨタは深いところまで分け入ってみたのではないか。

そして、モーターの持つトルク感を失うことなく、しかし“過剰さ”は抑える。そんなチューニングであれば、電動時の走り、そのトルクの出方において、多くの人が「リニア」と感ずるであろうフィールになる。そこまで探索が到達し、ついでに、ヒューンというモーターの回転音も室内に入らないようにした。こうすれば、多くの人が「自然」と感じるはずだ──。

今回のプリウスは、そこまでやっているクルマのように思う。結果として、2010年代の「電動車」とその走行フィールは、初期の“電動アピール”の時代を終え、新次元に入った。そして、われわれが知る(体感する)ことのできる、その最初の成果が今回のプリウス(とミライ)なのではないか。

もちろん一方では、あの“電動感覚”は21世紀を切り拓くクルマの新提案と、その象徴だったのにぃ……とか、せっかくハイブリッド車(異種混交)を買ったのに、パワーソースを二つ持つという“優越感”を味わえなくなってしまった……といった文句を、今回のプリウスに向けることはできる。

ただ、そうした電動車的な要素を強調することは、このプリウスのテーマではなかった。ハイブリッド車だからとか、そうした前提ナシに、無条件で他車と較べてほしい。同じ地平に、一度、ハイブリッド車プリウスを置いてみたい。これがおそらく、この4代目でやりたかったことで、「お客様には、とにかく、クルマに乗ってみてほしいんです」と開発陣が言うのは、そういう意味だと思う。

さて、搭載電池のタイプが異なることによる「走り」の違いはない(感じられない)と先に記したが、とはいえ、シリーズ全モデルの走行フィールが同じというわけではない。そう、装着タイヤによる差異である。新プリウスでは、各グレードの「ツーリングセレクション」に17インチタイヤ仕様が装着されている。この大径タイヤを付けた仕様の乗り心地が悪い(固い)とはいわないが、でも、私のパーソナルチョイスは断然、15インチタイヤの“普通仕様”の方である。

この普通のバージョンによる、路面を掴みつつ、同時にしなやかに動きながら走っていくという滑らかさ。その度合いが、17インチ仕様ではやはり低下する(消える、とは言わない)。もちろん、見た目ということはあるのだろうし、17インチタイヤとしては良好な乗り心地なのかもしれないが、市街地などでこんなにイイですよ……という、せっかくのプリウスのホスピタリティを、違う“靴”を履くことによって失いたくない。これが私の意見だ。

それに、そもそもプリウスは、そんなに「スポーティ」方向に振らなくても、多くのカスタマーにとって十分なのではないか。プリウスの商品性として、そうした要素が、そんなに必要なのか。私としてはそんなふうにも思うのだが、しかし、この点も(繰り返しにはなるが)、仮に「走り」のパートだけを抽出されて評価されても、そこで他車との比較に耐えるものにしたい。それが、今回のプリウスの狙いであり、野望であった。

それと、こうしてすぐに比較とかライバル車の想定といったことにハナシを持っていくのが、メディアとそれに関わる者特有の習性であるらしい。VWゴルフがライバルですよね?……と訊かれるので、それをあえて否定はしていない。これが開発陣の立場で、実は、対抗モデルというのは何も想定していないというのが本音であるようだ。「ライバルを問われるのは、実はいつも困っています」と、開発陣の一人は苦笑いとともに語った。

さらには、セダンとしてまとめることにこだわったプリウスである故に、たとえばヒップポイントにしても、対旧型比で59ミリほど下げている。しかし、今回で呈示した新プラットフォームから生まれるモデルは、べつにセダン系とは限らない。これは容易に想像できることで、たとえばSUV的なコンセプト&パッケージングのモデルが、いずれ、このラインから派生してくるのは確実。高いHPのクルマについては、「プリウス以後」に注目しつつ待つべし、ということであろう。

(つづく)
Posted at 2016/01/16 23:24:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | New Car ジャーナル | 日記
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「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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