
「マクラーレンって、すごいよねえ! 鈴鹿でピット見せてもらって、びっくりした。モニターが8個とか10個とかあって、もう、あらゆるデータがわかる。たとえば予選で、いつどうやって出ていけばクリアラップを取れるか。こんなことまで、チームとしてちゃんと把握してるんだ」。星野は、今日のF1について、こう語った。また、「あれはすごいクォリティだと思ったね」とも言った。
そういえば星野には、現・F1ドライバーであるハインツ・ハラルド・フレンツェンをF1に「送り込んだ」という伝説がある。1990年代に入ると、当時の日本のトップ・カテゴリー「F3000」には、世界中から、各国のF3を卒業した若いドライバーがやって来るようになった。なぜなら、このF3000は、当時、世界で最もF1に近いカテゴリーだったからだ。
今日のF1界の主役、たとえばミハエルとラルフのシューマッハ兄弟、エディ・アーバイン、そしてハッキネンとサロの二人のミカ。彼らはすべて、実はわが「日本F3000」の“卒業生”たちである。
そして、この国にやってきた彼らは、ひとつの目標もしくは強大な“壁”を日本で発見することになった。「ホシノサン」である。ここには、彼らよりもはるかに年長ながら、しかしまったくアグレッシブさを失っていない驚異のファスト・ドライバーがいたのだ。
“事件”は、そうした状況の中で起こった。場はスポーツランド菅生。星野は言う、「菅生のインフィールドにね、自分でバイクに乗って、走りを見に行ったんだ」。そこで星野は、それまで聞いたことのないエンジン音を聞いた。(音が違う、あれは何だ? そして、こんなことしてるのは、いったい誰だ?)……ちなみに星野は、少なくとも日本のサーキットであればどこであっても、あるコーナーでのエンジン音を聞くだけで、そのドライバーのタイムを言い当てることができる。
(菅生の)「インフィールドで、ひとりだけ4速に入れてたやつがいた。それがフレンツェンだった。それまで誰もが、あそこでは3速までしか使えなかった。俺たちがずーっとやってきて、でも、とうとうできなかったこと。それを初めて菅生を走るドライバーがあっさりとやってしまう。世界には全然違うやつがいるんだと、はっきりわかった」
この時の星野を包んでいたのは、ライバル心とかいったケチなものではなく、むしろ感動だったであろう。だから星野は、セッションが終わるとすぐに、そのヤングタイガーのピットに自身で出向いていく。そして、自分の気持ちを正直に吐き出した。「おい、こんなところでアルバイトしてちゃダメだ。すぐにでも、F1に行け! キミはそういうドライバーだ」
驚いたのはフレンツェンだった。あの偉大なホシノサンが、自分のピットにわざわざ来て、強い口調で何か言っているのだ。しかし、星野の言っていることの内容を知らされたフレンツェンの瞳は、みるみる潤みはじめた。……ありがとう、ホシノサン、本当にありがとう!
日本F3000に1年だけ在籍したハインツ・ハラルド・フレンツェンは、この翌年、ザウバーのセカンド・ドライバーとしてF1デビューを果たし、1997年には強豪ウィリアムズ・チームに抜擢された。星野一義は、そんなフレンツェンの卓越した資質を、誰よりも早く見抜いた。
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少年時代から今日まで、やりたいと思ったことはすべて可能にしてきたという星野一義。その星野が、願いに願って、しかし唯一、届かなかった世界がある。それが「F1」だった。
だが、「ドライバー星野一義」が、F1からはるか遠いところにいたと考えている日本人ファンは、ひとりもいないであろう。たとえ39歳でのF1デビューでもよかった。強力なホンダ・エンジンで、星野一義が、もし1987年以降のF1を走っていたら?
だが、この“幻のグレーデッド・ドライバー”は、いま、静かに言うのだ。「俺は、F1へ行かなかったんじゃない、行けなかったんだよ(笑)」
(了)
(「F1 Quality 」誌 1999年 Thanks to Mr. Masami Yamaguchi 文中敬称略)
○タイトルフォトは、ウイリアムズ・ホンダをテストドライブする星野一義。ホンダのファン感謝デーにて。キャメル/ロータスのコクピットには中嶋悟が収まっている。 photo by [STINGER]Yamaguchi
Posted at 2016/03/18 13:47:02 | |
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