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家村浩明のブログ一覧

2016年06月23日 イイね!

「2016ル・マン」のためのメモ その2

* 勝者はトヨタではないという結末の後に、メインストレートに止まっていた5号車はノロノロと動き出した。停止していたのはコントロール・ラインを過ぎた場所だったので、チェッカーを受けるには、サルテ・サーキットをもう一周して来なければならない。ドライバーの中嶋一貴はシステムから何とかパワーを捻りだしたのか、コース上で5号車をゆっくり動かしている。

* だが、結果を先に言ってしまうと、一貴の努力は徒労に終わった。5号車は何とか一周して(あるいはどこかでショートカットして?)フィニッシュラインに達し、チェッカーフラッグを振ってもらったが、それは“遅刻”と判断された。出場車は最終周回を「6分以内」で走らなければならない。そういう規定があるようで、トヨタの5号車はそれをクリアできなかった。

* ル・マン24時間レースの結果表、その「45番目」にトヨタ5号車の名がある。しかし、44番目までのクルマにはそれぞれ周回した回数が書かれているのに(首位に対してマイナスxx周というように)5号車についてはその記述がない。結果はない、もしくは記録なし、つまりは失格か? ちなみに「45番目」というのは、リタイヤしてフィニッシュできなかったエントラント・リストのうちの最上位だ。

* ……そうか、「ル・マン」というレースは、そのクルマが「24時間」経過後に、コースのどこで、何をしているか。それを問う競技なのだろう。だから、最終周回についても、そのクルマがどういう走りをしていたかという規定(6分以内)があるのだ。

* 極端な話だが、たとえばクルマが不調でちゃんと走れないが、でも完走という記録は残したいとする。それならと、残り1時間からフィニッシュライン手前にクルマを止めて待機。そして「24時間」が過ぎたら、何らかの方法でラインまでクルマを動かし、チェッカーを振ってもらう。しかし、そういうゴールの方策は認めないということだ。

* エントラントには、最後まで「レーシングカー」であることを求める。それがル・マンの精神なのだ。イマイチ意味不明だったポルシェ2号車、残り10分でのピットインも、この規定を思い出すと納得もできる。

* 最後まで、レーシング・スピードで走り続けよ! 「ル・マン」のこのスピリットに対する、出場者としての敬意。それがあの最後の給油とタイヤ交換だったのではないか。そして、その通りにラストまで「レーサー」であり続けたポルシェに、レースの神様は最後に静かに微笑んだ。

* レースの神様、あるいはル・マンの女神、彼らへのリスペクト。こんなことを、ふと思ってみる。そして、いきなり後出しジャンケンみたいな言い草になるが、今年のトヨタが掲げた「トヨタよ、敗者のままでいいのか」というコピーは、神々へのリスペクトという点では果たしてどうなのか。

* 私は、このコピーと記事をweb上で見つけた時、どこかの意地悪なメディアが、トヨタとそのル・マンへの挑戦をあざ笑うためのサイトを、わざわざ作ったのかと思った。でも、そうではなく、これはトヨタ側がこのコピーとともにル・マン情報を発信しているものであったらしい。(何かを嘲笑している記事やページは好みではないので、このサイトには行かなかった)

* 「トヨタよ、敗者のままでいいのか?」……これはなかなか“強い”コピーだ。しかし、強力で雄弁である分、あまり上品ではない。このコピーがなぜ品格に欠けるのかというと、これは言葉による一種の“傷害罪”だからだ。

* こういう強い言葉を投げつけあっても問題がないのは、身内に限られる。家族とか社内とか、これはそうした「内向き」専用のコピー。そうであるにも関わらず、また、そのことに気づかず、この言葉がwebという公的な場で使われた。だから、収まりが悪いのである。

* ただし、この言葉がすごくマジメな局面で生まれたものであることは、容易に想像できる。たとえば、エンジニア同士で、また社内のスタッフが連れ立って、飲み屋にでも行った。そこで酒が回り、誰かが(上司かな)「おい、俺たちは“負け”のままでいいのか?」と問題提起した。それに対してスタッフ(部下)が、「何言ってるんですか、部長。イイわけないでしょう!」とやり合った。

* そして、その次の日から、朝、各スタッフのコンピュータ画面に、あるメッセージが出るようになった。それが「トヨタよ、敗者のままで……」というやつでしたねえと、レース後にでも、スタッフのひとりが外(メディア)に向けてバラす。そういうツールとしてなら、このコピーは有効だし効果もあると思う。

* そもそも「敗者」というのは、何かへの挑戦が終わった後に、もうそれはやらないのだという段階で、そして一度の勝利もなく、そのチャレンジを終えることになった時に、「負けました……」として使う言葉ではないのか。挑戦を続けている限り「敗者」ではなく、(競馬用語を使えば)単なる“未勝利馬”であるに過ぎない。

* また、そんな言い方をすれば、ル・マンの女神だって頬をふくらませて不機嫌になるのではないか。「あーら、いつ私があなたを“敗者”と言ったのよ?」と。ル・マンの女神は、トヨタのことは挑戦者として、それも、きわめて勤勉なチャレンジャーであると毎年思っているはずだ。

* そして、トヨタ側が「ル・マンに勝つためには、いったい何が足らないんでしょうか?」という質問を、もし、したなら、今年こそ女神はそれに答えてくれるのではないか。「あと必要なもの? それは《運》ね」と──。

* ……いや、いきなり《運》が出て来てオカルト風になってしまったが(笑)、しかし、いまやトヨタはクルマも戦略も何の問題もないはず。今年のトヨタは、ポルシェより速かったし、燃費でもライバル二社より優れていた。そういう“地平”に達した時に、そこから先の展開として「幸運」を求めてもいい。それがレースで、その段階になって、「運も実力のうち」と女神が結果を決めてくれるのではないか。

* さて、こうして筆が躍っているついでに(笑)言ってしまうけれど、2017年の「ル・マン」はトヨタが勝つと思う。今年だって、「ル・マン23時間55分」レースならトヨタの勝利だった。

* ポルシェとは来年も、いい勝負ができる。そして、気をつけなければいけないのはアウディではないか。今年のアウディは速くなかったが、ただ問題はあのスタイリング。あんな奇妙なレーシングカーを作ったということは、彼らは他社が見ていないものを何か見つけたとも考えられる。その発見と今年の失敗が組み合わされた時、ひょっとしたら“大化け”があるかもしれない。

* でも、それで言うなら、トヨタにしても「今年」に留まってはいないはずだ。そして、敗北からではなく、今年の「ル・マン23時間55分」レースでの勝利。そこから得たことは、計り知れないレベルのものであるはず。いまのトヨタは、これまでとは違ったステップに立っている。

* ……あ、でも「敗者」としてル・マンに行くのは、来年は、もうやめましょうね(笑)。何か闘うためのコピーを掲げるにしても、もっとポジティブなものを! それに、勝者と敗者を決めるのは、それこそが「女神」の権限で、そこに人は立ち入れないものです。

(了)
Posted at 2016/06/23 00:24:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | スポーツcolumn | 日記
2016年06月22日 イイね!

「2016年ル・マン」のためのメモ その1

* 悪夢のような結末で、その衝撃と余韻がなかなか去らない。2016年の「ル・マン24時間」は、トヨタ・チームがほとんど掌中にしていた勝利を逃した。

* 長い24時間レースも、残り10分となった頃、首位のトヨタと同一周回で「2位」を走行していたポルシェの2号車がピットインした。給油とともに、四本のタイヤを交換。もちろん、首位のトヨタはコース上にいる。

* このポルシェのピットインで、サルテ・サーキットで取材していたほとんどすべての観戦記者は、首位トヨタの勝利を確信し、速報のための記事を書き始めたはずだ。トヨタ、ついにル・マンで初勝利、30年来の悲願を成就──。(実際にも、「トヨタ勝利」の記事をアップしてしまったwebサイトがあったという)

* この時の、ポルシェのピットインの意図は何だっただろう。タイヤをフレッシュにして、少しでも首位との差を縮め逆転を狙ったか? しかしこの時、レースの残り時間は10分だった。そして、サルテ・サーキットは一周するのに、どんなに速いクルマでも3分半はかかる。

* この時のポルシェ2号車は、首位のトヨタから約30秒遅れていた。そこから停止し、タイヤ交換作業の時間が加われば、その差はさらに拡がる。新タイヤで、仮に一周につき「5秒」縮めたとしても、「24時間」までに3周しかできなければ15秒しか縮まらない。

* ポルシェは、2016年のル・マンで「最速」であることを示したかった。このピットインについては、こういう意見がある。レース中の最速ラップは、ポルシェではなくトヨタの6号車(可夢偉!)が記録していた。もし、優勝できないのであれば、ファステストラップだけでも獲っておきたい。ポルシェ陣営は、こう考えたのだろうか。言い換えればこの時点で、ポルシェは2016年ル・マンの優勝を諦めたということだ。

* そのポルシェ2号車は、3位のトヨタ6号車に対しては「3周」のリードを持っていた。だから、ピット作業に数分を費やしても、2位の座が脅かされることはない。それならタイヤ交換も含んで、ピットでやれることはすべて行ない、クルマをフィニッシュへと向かわせる。「2位」を盤石なものとするための、そんなピットインだったのかもしれない。

* ふと気づけば、今年のル・マンでは、残り1時間となっても、同一周回数で2台のクルマが競い合うという緊迫したレースだった。そんな歴史的なデッドヒートの「2016ル・マン」だが、この2位ポルシェのピットインによって、その終幕がようやく見えてきた。

* 思えば、「ル・マン」をめざしたトヨタの“旅”は長かった。空白の期間も含んで、初挑戦から30年の時間が経ち、そしてその間、トヨタはル・マンで、何度「2位」になったことだろうか。そういえば終盤に、首位に迫って走行していてタイヤがバースト! しかし、それでもそのポジションをキープした“激しい2位”もあった。( → 1999年、この時のドライバーは片山右京)

* シルバー・コレクターとかブロンズ・コレクター。この種の言い方は、レースの世界ではあまりしないような気がするが、ル・マン24時間でのトヨタ・チームは、女子陸上のマリーン・オッティ選手も苦笑してその座を譲りそうな“銀メダル”の収集家だった。しかし、トヨタのそんな未勝利の歴史に、ついに、あと数周あと5~6分も走れば、終止符が打たれる。

* ……とすべての観客が思った時に、「ノーパワー、ノーパワー!」という悲痛な声が無線に載った。リミッターが効いたようになって、アクセルを踏んでも車速が上がらないようだ。報告したのは、首位にいたトヨタ5号車・中嶋一貴である。

* ここから先は、あっという間だった。それまでトヨタが積み上げてきた「23時間55分」の優位は、たった数分間で、非情なほどに呆気なく否定された。システムのどこかがおかしくなったのか、5号車はストレートに止まって動かない。その横を、2位だったポルシェの2号車が駆け抜けて行く。2016年ル・マンの首位は、もうトヨタではない。

* え? え? こんなことが? 目の前の事態が意外すぎて、声にもならない。レースは最後まで、何が起こるかわからない。そのフレーズは知っていても、でも“それ”が、いまここで起こっている? 

* サルテ・サーキットの時計が「24時間」が経過したことを告げた。その「後」で、最も長い距離を走行したクルマがコントロール・ラインを通過した時、それが「ル・マン」のフィニッシュである。そして、ポルシェの2号車がチェッカーフラッグが振られる中をレーシング・スピードで通過して、2016年のウイナーが決まった。

(つづく)
Posted at 2016/06/22 17:09:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | スポーツcolumn | 日記
2016年06月19日 イイね!

【F1】モナコからカナダへ 《1》

今年のモナコ・グランプリはおもしろかった。“常勝メルセデス”に対抗できる速いクルマが出現したからだ。そのレッドブルを駆るダニエル・リカルドは、木曜日のフリー走行から速く、土曜日の予選では2番手のメルセデス/ルイス・ハミルトンを「コンマ6秒」ちぎった。

ポールポジションから普通にスタートできれば、コースは「抜けないモナコ」であり、決勝では十分に勝機がある。レッドブルがそんな態勢を作ったグランプリ・ウイークになったが、ただ、そんな状況をスクランブルするかもしれない要素がひとつだけあった。天気予報では、決勝レースが行なわれる日曜日は激しい雷雨になるというのだ。ドライという条件下で着々と築かれてきたリカルド/レッドブルの優位は、雨とウェットタイヤという新条件では、果たしてどうなるのか?

しかし実際の日曜日では、ツキ(という言葉を使うが)はまだ、レッドブルとリカルドにあったようだ。予報通りにウェットのレースになったが、その雨がひどすぎたのである。そのため普通のスタートができず、レースはペースカー先導によるローリング・スタートになった。これで、スタート時の混乱や1コーナーでの渋滞といった可能性は大幅に減る。

そして、その通りに雨のモナコは“スムーズに”始まった。レッドブル/リカルドは、ウェット・タイヤでも速かった。危なげなく首位をキープし、そしてクルマは、ここではレッドブルが最速であることが既にわかっている。今年、メルセデスは「一敗」したが、それは二人のドライバーがスタート直後に絡み合ってコースから消えたからだった。しかし、このモナコでは、そんな事件は起きていない。今年初めて、メルセデス以外のクルマが、コース上でメルセデスを破ってグランプリに勝利する時が来た。

……と思ったのだが、やはりレースは何が起こるかわからない。レッドブル/リカルドはタイヤ交換時に10秒近くを失い、ピットインの回数も優勝者より多かった。そして一度他車に先行されてしまうと、モナコでは、いくらクルマが速くても抜き返すことはできない。

レッドブル・チームには確かにミスはあった。ただ、リカルドのモナコ初勝利を“強奪”すべく、虎視眈々と狙っていた男はいた。それがルイス・ハミルトンで、彼は雨が弱くなり、リカルドを含む他車がインターミディエイトに履き替えても、レイン・タイヤのままで走り続けた。そして、そこから最も柔らかいドライ・タイヤに交換。その後、もう一度ピットインするのではないかという予測を裏切って、そのタイヤをフィニッシュまで保たせた。たった一度のピットストップでレースを終えたハミルトン、対してリカルドはツーストップだった。

とはいえ、ルイスがこのモナコで「勝てる」という確信のもとにレースしたとは思えない。レッドブルの速さをよく知っていたのはどこよりもメルセデス・チームとルイスであり、だから彼らは“王道”ではないタイヤ戦略を採った。ピットインの回数を減らし、そして、柔らかいタイヤで延々とコースに留まる。言い換えると、ギャンブルの要素も含んだはずの、そんな捨て身の作戦で、ようやくメルセデスはレッドブルと対等に闘えたのだ。

        *

モナコがシャシー(車体のメカニカル・グリップ)の勝負だとすれば、カナダは“パワー・サーキット”だといわれる。そのカナダでは、本来のポテンシャルを見せつけるように、予選でメルセデスがフロントローを独占した。そしてここでは、メルセデスへのチャレンジャーとしてフェラーリが浮上し、ここでも速かったレッドブルの二台を挟んで、予選でフェラーリが3位と6位だった。上位の6台すべてを「3チーム」が占め、いま速いのはメルセデスとフェラーリとレッドブルだということが改めて知れたグランプリになった。

日曜日には雨も降ることはなく、決勝でルイス・ハミルトンがスタートで出遅れて、フェラーリのセブ(ベッテル)が先行した。しかしルイスは慌てず騒がず、路面温度が低いことを察知して、ウイリアムズのボッタスと二人だけ、タイヤにおける「ワンストップ」戦略を実行した。そしてスタンダードな「ツーストップ」を行なったセブ(ベッテル)をあっさりと退け、ボッタス、セブとともに表彰台に上がった。

ルイス、モナコに続いての連勝! そして彼のレース後のコメントの中に、“あのフレーズ”があった。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」──。

(つづく)
Posted at 2016/06/19 09:34:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | スポーツcolumn | 日記
2016年05月03日 イイね!

【スポーツ column 】レスター・シティ!

英国サッカーのプレミア・リーグで、岡崎慎司選手が属する「レスター・シティ」がリーグ優勝を達成。創立して130年以上もの間、ずっと弱小だったチームが“プレミアで勝つ”というのは、英国人にとってはあり得ないことであるらしい。ただ、その“あり得なさ”の度合いが一日本人としてはイマイチ実感できない……と思っていたら、ネットでこんな記事を見つけた。

何でも賭けの対象にしてしまう英国のブックメーカーは、もちろん、プレミア・リーグでレスター・シティが優勝するかどうかでオッズを設けていたが、その倍率が5000倍だったというのだ。

ちなみに、先に「世紀のジャイアント・キリングだ!」として騒がれた、ワールドカップ・ラグビーでの日本対南アフリカ戦。ここでの南アの勝利はブックメーカーでは「1倍」だったという。つまり、南アが勝つのが当たり前で、賭けてもらっても元金を返すだけ。一方、日本の勝利は「34倍」だった。つまり、みんながあり得ないと思っていても、ある一試合での勝敗であれば、せいぜいこのくらいのオッズということなのだろう。

しかし、レスター・シティのリーグ優勝、そのオッズは「5000倍」である。一試合の勝敗と、シーズン通してどんな順位かというのは比較にならないとしても、この違いは相当なものだ。そして、あるネット記事は、「レスター・シティの優勝」よりも低いオッズがあるとして、以下のようなことを載せていたのである。

……いやぁ、これが可笑しい! たとえば、「今年、ネッシーが見つかる」というのが500倍だ。そして、「オバマ大統領が月面着陸はウソだったと明かす」が、同じく500倍。しかし、この二つって、いくら500倍がついても買おうとは思わないのではないか。そして、さらにその“上”がある。オッズ1000倍が「ウイリアム王子に三つ子が生まれる」こと。また、2000倍が、何と「エルビス・プレスリーは生きている」! そして、あり得ないことの極めつけ、「ローマ法王がレンジャーズでプレイする」というのが4000倍だという。

このレンジャーズとは、英フットボールのクイーンズ・パーク・レンジャーズのことで、これは要するに、そもそもいま何歳であられるのか、ともかくそのローマ法王陛下がサッカー・チームに加わってピッチを走り回るということ。「ネッシー発見」に始まって、どれもみな、笑っちゃうくらいにあり得ないことなのだが、しかし、「レスター・シティの優勝」は、これらを超えているのだ。ゆえに「5000倍」であり、そのくらいに起こり得ないことというのが、英国民の判断だったのだろう。

たとえて言えば、日本のJリーグで、J1とJ2を行き来していたようなチームが、J1に上がったすぐの年に優勝したというような感じだろうか。ただ、日本のプロ・サッカーリーグは始まって歴史も短く、レスターの苦節百数十年……といったドラマには及ぶべきもない。

またプロ野球でも、弱小だった大洋ホエールズや近鉄バファローズでも優勝したことはあるし、そもそも日本のプロ野球の場合は「地域」に根ざしていないので、もし弱小であれば、親会社にさっさと見切りを付けられ、捨てられるか、どこかに売られてしまう。野球チームが同じ状況で何十年も続くことは、まずない。(広島カープは、その例外のうちのひとつだが)相撲にしても、平幕力士の優勝は、そんなに珍しいことではない。

……と、ボンヤリ考えているうちに、ようやく、私たち日本人にも実感できそうな事例を思いついた。それは、東京六大学野球のリーグ戦で、東大が優勝すること! これはオッズ500倍でも誰も買わない“馬券”になりそうだが、英国でのレスター・シティの優勝とは、この「東大優勝」以上の、圧倒的な“あり得なさ”だったのだろう。

でも、そんなレスター・シティの奇跡の優勝に、日本人選手である岡崎慎司が、それも中心選手(FW)として関わっているのは快挙だ。時間軸で見るなら、岡崎が加入した今シーズンから、弱小レスター・シティの快進撃が始まった……らしいではないか。岡崎はFWでありながら守備にも意欲的であり、試合開始時からピッチ中を縦横に駆けめぐって、そのため、後半になるとお役ご免でベンチに退くことも多い。

スタメン選手でありながら途中交代するその回数では、岡崎はダントツでリーグ一であるらしいが、そんな献身的なところも、英国のファンはちゃんと知っているようだ。やったね、慎司! そのままずっと走り回って、プレミア・リーグを掻き回し続けてくれ。そして、かつてのパク・チソンがそうであったように、アジア選手の存在価値を欧州のフットボール界に知らしめてくれ。コングラチュレーション! 
Posted at 2016/05/03 16:18:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | スポーツcolumn | 日記
2016年03月18日 イイね!

スポーツcolumn 【F1】星野一義 日本で最もF1に近かった男 《3》

スポーツcolumn 【F1】星野一義 日本で最もF1に近かった男 《3》「マクラーレンって、すごいよねえ! 鈴鹿でピット見せてもらって、びっくりした。モニターが8個とか10個とかあって、もう、あらゆるデータがわかる。たとえば予選で、いつどうやって出ていけばクリアラップを取れるか。こんなことまで、チームとしてちゃんと把握してるんだ」。星野は、今日のF1について、こう語った。また、「あれはすごいクォリティだと思ったね」とも言った。

そういえば星野には、現・F1ドライバーであるハインツ・ハラルド・フレンツェンをF1に「送り込んだ」という伝説がある。1990年代に入ると、当時の日本のトップ・カテゴリー「F3000」には、世界中から、各国のF3を卒業した若いドライバーがやって来るようになった。なぜなら、このF3000は、当時、世界で最もF1に近いカテゴリーだったからだ。

今日のF1界の主役、たとえばミハエルとラルフのシューマッハ兄弟、エディ・アーバイン、そしてハッキネンとサロの二人のミカ。彼らはすべて、実はわが「日本F3000」の“卒業生”たちである。

そして、この国にやってきた彼らは、ひとつの目標もしくは強大な“壁”を日本で発見することになった。「ホシノサン」である。ここには、彼らよりもはるかに年長ながら、しかしまったくアグレッシブさを失っていない驚異のファスト・ドライバーがいたのだ。

“事件”は、そうした状況の中で起こった。場はスポーツランド菅生。星野は言う、「菅生のインフィールドにね、自分でバイクに乗って、走りを見に行ったんだ」。そこで星野は、それまで聞いたことのないエンジン音を聞いた。(音が違う、あれは何だ? そして、こんなことしてるのは、いったい誰だ?)……ちなみに星野は、少なくとも日本のサーキットであればどこであっても、あるコーナーでのエンジン音を聞くだけで、そのドライバーのタイムを言い当てることができる。

(菅生の)「インフィールドで、ひとりだけ4速に入れてたやつがいた。それがフレンツェンだった。それまで誰もが、あそこでは3速までしか使えなかった。俺たちがずーっとやってきて、でも、とうとうできなかったこと。それを初めて菅生を走るドライバーがあっさりとやってしまう。世界には全然違うやつがいるんだと、はっきりわかった」

この時の星野を包んでいたのは、ライバル心とかいったケチなものではなく、むしろ感動だったであろう。だから星野は、セッションが終わるとすぐに、そのヤングタイガーのピットに自身で出向いていく。そして、自分の気持ちを正直に吐き出した。「おい、こんなところでアルバイトしてちゃダメだ。すぐにでも、F1に行け! キミはそういうドライバーだ」

驚いたのはフレンツェンだった。あの偉大なホシノサンが、自分のピットにわざわざ来て、強い口調で何か言っているのだ。しかし、星野の言っていることの内容を知らされたフレンツェンの瞳は、みるみる潤みはじめた。……ありがとう、ホシノサン、本当にありがとう!

日本F3000に1年だけ在籍したハインツ・ハラルド・フレンツェンは、この翌年、ザウバーのセカンド・ドライバーとしてF1デビューを果たし、1997年には強豪ウィリアムズ・チームに抜擢された。星野一義は、そんなフレンツェンの卓越した資質を、誰よりも早く見抜いた。

         *

少年時代から今日まで、やりたいと思ったことはすべて可能にしてきたという星野一義。その星野が、願いに願って、しかし唯一、届かなかった世界がある。それが「F1」だった。

だが、「ドライバー星野一義」が、F1からはるか遠いところにいたと考えている日本人ファンは、ひとりもいないであろう。たとえ39歳でのF1デビューでもよかった。強力なホンダ・エンジンで、星野一義が、もし1987年以降のF1を走っていたら?

だが、この“幻のグレーデッド・ドライバー”は、いま、静かに言うのだ。「俺は、F1へ行かなかったんじゃない、行けなかったんだよ(笑)」

(了)

(「F1 Quality 」誌 1999年 Thanks to Mr. Masami Yamaguchi  文中敬称略)

○タイトルフォトは、ウイリアムズ・ホンダをテストドライブする星野一義。ホンダのファン感謝デーにて。キャメル/ロータスのコクピットには中嶋悟が収まっている。 photo by [STINGER]Yamaguchi
Posted at 2016/03/18 13:47:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | スポーツcolumn | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

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「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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