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家村浩明のブログ一覧

2015年04月10日 イイね!

【90's コラム】あの英国車を“着て”森林浴を……

英国に旅して身にしみて実感するのは、この国では「一日の中に四季がある」という言葉である。いや、そのようにして夏が来るのはいいのだが、その逆が困るのだ。そして寒くなるだけでなく、ちょっと油断していると雨まで降りだす。その変化の激しさには、どうしても戸惑ってしまう。日本人なので季節の変化にはべつに抵抗はないが、それは数ヵ月単位だという思い込みがある。しかし英国では時間単位での変化攻撃に遭うのだ。

こういう環境で、たとえばオープン・スポーツカーに乗るというのは、けっこう覚悟が要るなと、日本人としてはまたまた弱気の虫が顔を出す。そしてここで、おそらく“人種”が分かれる。雨も降るからこそ、数少ない好天を全開でエンジョイする。このようにポジティブに考えられるかどうか──。

その愉しみの方法として、クルマの屋根をフルに取り去りたい。こういう発想であれば、寒さはもうネガにはなるまい。始めからトレンチコートでも着て、寒さや雨に対応した格好でクルマに乗ればいいのだ。オープン・スポーツと英国紳士との関係を、ヤセ我慢がどうこうと評すより、クルマも外套のひとつなのだと考察してみる方がわかりやすいのではないか。

さて、こんな英国の雨だが、東洋からの軟弱な旅行者にとってひとつだけ、とても良いことがある。それは、郊外を旅する者の視界を占める草原と樹々、その「緑色」がとても鮮やかになること。英国はナショナル・レーシングカラーとしてグリーンを選んでいて、その理由は寡聞にして知らないが、ただ、雨に濡れたこの国の「緑」を見てしまうと、それは瞬時に納得できる。(そうか、ブリティッシュ・グリーンは、雨を纏った英国の森の色だったか……!)

そしてそんな思い込みは、さらに願望も生む。その色をした森の中を、ラリー車でカッ飛ぶのもいいが、じっくりクルマで散策走行したら、もっと良いのではないか。ゆっくりと「緑」を呼吸したら、どんなに気持ちがいいことか。

実は、極寒の季節に行なわれる「RACラリー」には、二度ほど行ったことがあるのだ。まるで北極探検隊の出で立ちの現地の人々と一緒に、雨と泥の中でラリー車の走りを見ていたが、その時、クルマでの森林浴という夢想も浮かんでいた。そして、その夢のためのクルマを英国から探すなら、ちょっと贅沢ではあるが“あの一台”しかないとも思っていた。

その圧倒的なオフの走破力。英国の森でちょっと迷っても、また穴に落ちても、あのクルマならきっと何とかなる。何より、強力な全天候性が素晴らしい。どんなに英国の森が寒くても、レンジローバーのインテリアに包まれている限り、時を忘れての“緑ウォッチ”ができよう。

──と書くと、ヤァ、森林浴こそオープン・カーでやれ!……と叱られそうだ。たしかにそれは一理あるが、ただ、いまは少しだけ、暖かい夢を見ていたい。何も構えず、服装は軽装のまま、美しいブリティッシュ・グリーンとクルマで遊ぶ夢を見させてほしい。

(「週刊ダイヤモンド」誌 1997年)
Posted at 2015/04/10 18:11:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 90年代こんなコラムを | 日記
2015年04月05日 イイね!

【90's コラム】ルノー・メガーヌ ~フランス車の新しい地平

新登場した「メガーヌ」というクルマに至って、ついに、いわゆる「フランス車」というジャンル分けが過去のものになったのではないか。例の“限りなく柔らかい”と形容できる乗り心地とシート設定で、他国のクルマにはない特有の乗り味を示していたのが、かつての(80年代までの)フランス車だったが、このクルマはそこから大きく方向転換している。

もちろん、そのような「国際化」への気配は、昨今のフランスのニューモデルのすべてに見られる傾向だった。だが、このメガーヌはとりわけ、その要素が強い。端的に言うとメガーヌは、ドイツ車だといわれても通ってしまうボディ剛性とタイトな乗り味になっている。

ただ、さすがに、こと乗り心地に関しては非常にウルサイ客を抱えている(?)国のクルマとして、ボディを硬くしても、またロールを減らしても、乗り心地における全体的なマイルドさは失っていない。(ただし、16Vバージョンは除く)

こうした乗り心地、あるいはシートの厚み、そして、そのシートによる身体の支え方の見事さ。こうしたフランス車としての基本は外すことなく、しかし、国際マーケットでの評価に耐え得る内容を持つ。それがメガーヌという「ネオ・フレンチ」車であろう。

ともかく、メガーヌのその高いボディ剛性には驚く。そして、しっかりしたボディは同時に、静粛性の高さにも貢献している。要するに、何となくクルマ全体がガタピシしていて、いろんな音が入ってくる……という、かつての“フランスの常識”を大きく超えているのがこのモデルなのだ。

そんなメガーヌだが、これはルノー「19」の後継モデルであり、VWゴルフ、オペル・ベクトラ、フォード・モンデオ、プジョー309など、これらの強力なモデルがひしめく欧州2リッター級という激戦区への、ルノーからのチャレンジャー。そして、最後発のモデルであることを利して、いわば「仏・独」のいいところを一緒にして国際マーケットに問う。そんなクルマの作り方も随所に見られる。

ただ、ハッチバック、クーペを問わず、インテリアでは、われわれ日本人にはどうも各スイッチ類が身体から遠く感じられる。つまり、もう少し手や足が長い方がもっとイイのに、と思ってしまうのだ。居住性においても、たとえばクーペでは、もっとシートを後方に下げて座れるなら、額のあたりの窮屈感(フロントウインドーが近すぎる)も減るのに……と思う。

この点では、オペルのティグラでも同様の問題があった。どうも欧州のクーペは、われわれのような手足の長さでは、適切で快適なドライビングポジションにならないものが少なくない。

また、今回のメガーヌ・シリーズでの最速バージョンである「16V」仕様は、パワーはあるものの、高回転域では極めてノイジーだ。また乗り心地の面でも、路面から入ってくるショックがダイレクトで、かつ大きい。スポーティ仕様とはいえ、プジョー306のGSiという例もあることだし、「フレンチ・スポーツ」として、快適性にももっと気を遣ってほしいと思った。

それと、デザインは「楕円」というコンセプトで徹底していて、それは認めるとしても、そのあまりのこだわりぶりを示すインテリアには、ちょっと辟易する部分がある。さらには、これは好みの問題かもしれないが、顔つき(フロントマスク)も、けっこうコワい?

さて、このメガーヌだが、試乗の時点では、まだ価格が発表されていない。ただ、それもどうやら、ライバル車並みの範囲に落ち着く模様。静粛性、足とシート、ジワッとした感じの(柔らかすぎない)乗り心地には魅力があり、日本市場でも、十分な競争力があると見た。

(「カーセンサー」誌、1996年7月)
Posted at 2015/04/05 20:06:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 90年代こんなコラムを | 日記
2015年04月02日 イイね!

【90's コラム】MG-F、上陸!

「MG」というのは、誰にとっても身近で、そして安価で軽量のスポーツカーを提供しつづけ、それぞれの時代で、おカネモチではないがモータリングを愛する人々によって、ずっと支持されてきたブランドだ。今日でもUカー市場には、60年代のオープン・スポーツである「MG-B」が出回って、このブランドへの根強いファンが存在していることを示す。

その「MG」の名が、ローバー・グループから15年ぶりに復活。単に名前がよみがえっただけではなく、いかにもMGらしいモデルとともに、この日本マーケットに帰ってきた。「F」を名乗るそれは、ミッドシップのスポーツカーで、もちろん2ドアのドロップヘッド・クーペ(オープンカーの英国流の言い方)。そして、価格を先に書いておけば、エアコンを含んで239万円である。

エンジンは、ローバー・オリジナルであるコンパクトな「Kシリーズ」の中身を1.8リッターに拡大したもの。それがミッドシップに載るが、巧みなパッケージングで、リヤには深くて広いトランクスペースが確保され、何と、ゴルフバッグが2個収まるというのはちょっと驚く。

ただ、この実用的なトランクは、案外この「MG-F」というモデルの本質と関係がありそうだ。たまの休日に“異次元”のモータリング感覚を味合わせてくれる──そんなビークルこそがスポーツカーだという考え方もあろうが、この「MG-F」のコンセプトは断じてそうではない。何故なら、まずは、まっすぐ普通に走っているときの乗り心地と快適性が非常に大切にされているクルマだからだ。

エンジンも中速域でのトルクが豊かなセッティングで、そのあたりのレスポンスが鋭い方が、実はクルマとしても速く走れる。そんな現実もあるけれど、まずは基本的にユーザーに対して、どのような走りをなさってもいいですよ、それに対応しますよ……という姿勢で、このクルマが作られていることが、このエンジンからも見える。

また、エンジンとシャシーの関係を始めとして、種々のバランスを重視した“まとめ”になっており、それもまた、このクルマの特性である扱いやすさと「曲がりやすさ」の実現につながっていると思う。クルマ全体の挙動に、粗暴なところや極端な部分がないのは、さまざまな走りの局面で非常に安心できるし、また、ひとたびドライバーとして“攻めて”みたいという時になっても、この「リニアさ」は、クルマの動きがわかりやすくていいものだ。

そのような意味で、MG-Fを走らせながら思い出していたのは、実はホンダのビートだった。スタイリングにも、同じミッドシップ車としての共通イメージがあるが、走りを「まとめる」際の思想でも共通したものを感じる。つまり、速さの追求よりも、ドライバーとクルマとの密接な関係性を創ること。そうした“対話性”の確立が「スポーツ」なのだという姿勢である。

……いや、言い回しが堅苦しくなってるが、要するにこの「MG-F」というクルマは、多くの人にとって扱いやすく、かつ、その性能をその人なりに引き出して楽しめるようにまとめられているということ。

ユーノス・ロードスターのヒットで、スポーツカーをカジュアルに乗るというトレンドがある今日、この「MG-F」は、より乗りやすくて日常の使用にもすぐれる、そのライバルが出現したということかもしれない。価格の設定も、ユーノスに充分対抗できるレベルである。

(「カーセンサー」誌 1995年)
Posted at 2015/04/02 07:01:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | 90年代こんなコラムを | 日記
2015年03月31日 イイね!

【90's コラム】グランパたちのリンカーン

「この種のクルマ? グランド・ファーザーがアメリカにいる限りは、ずっと不滅だろうね(笑)」。米フォードのラージ&ラグジュアリー・カー・ビークル・センターでリンカーンを担当しているエンジニア、エド・ナロッカ(Ed Nalodka)氏は、微笑みながら、自信とともにこう言った。

地球環境保全、温暖化への対応、省エネ……。「いま」という時代は、いろいろな声をクルマに投げかけて来る。しかしアメリカでは、4~6リッターの巨大な多気筒エンジンを積んだビッグ・セダンが、リンカーンに限らず、まだまだ作られ続けている。そしてリンカーンでいえば、タウンカー・グレードだけで年間9万6000台が生産され、それにコンチネンタルとマークⅧを合わせると、約20万台というのが年間のセールス数なのだ。

こういうビッグ・セダンに、果たして「未来」はあるのか? 日本人からのこの質問に対するアメリカの作り手側の答えが、冒頭に掲げたコメントだったのだ。キーワードは「お爺ちゃん」、もっと具体的には60歳以上の人々の存在である。

「既にリタイヤした彼らにとっては、クルマは(奥さんと)カップルで使うもの。だから、これ以上大きい必要はない。ミニバン? あれは家族がたくさんいるときのクルマだよ」(エド・ナロッカ)

さらにエドは、重要なのは「6人乗り」であることだと言った。これは家族を乗せるからというのではなく、同じような環境にある友人たちのカップルを乗せることがあるからである。彼らは一緒にゴルフに行ったり、互いの家を行き来したりするが、そのときの単位はあくまでもカップル(=2人)。故に、シートは2の倍数でなければならないのだ。前席がバケットシートになっていて、5人乗り仕様である欧州車や日本車のプレスティージ・カーが、彼らグランド・ファーザーたちの選択の対象にならない理由は、実はこの一点にある。

そして、もうひとつは価格。「外国車は高いんだ」とエド。アメリカでのリンカーン・タウンカーの価格はベースが37000ドル程度で、装備をおごっても4万ドル前後で収まる。一方、日本車はといえば、レクサスLS400は52000ドルであり、インフィニティQ45はベース車でも47900ドルする。それなりに稼いでリタイヤしたとはいえ、ここでの1万ドルの価格差はやはり気になるということであろう。

──ちょっとリッチな、アメリカのリタイヤした人々。もう子どもたちも独立していて、夫婦二人だけの暮らしになっている。そして、クルマは生活の必需品だ。クルマを使いはじめてから既に数世代以上というアメリカでは、こういう状況にミートしたリンカーンのようなクルマが必要なのだった。

では、この日本だが、クルマと人が本格的にかかわって、せいぜい1.5世代だろうか。クルマ社会と“熟年”(注1)がどう組み合わされるのかというのは、実はこれから先の問題。また、アメリカとは“リッチ度”も違うはずで、そんな日本モータリゼーションは、未来にどのような答えを出すか。

たとえば、現状では一見ポジショニングがなさそうなトヨタの新“リッチ・コンパクト”の「NC250」(プログレ)というセダンがある。これはベンチ・シートではないが、こうした観点からは、これから先に、けっこう“アリ”なクルマであるようにも見えるが……?

(「ドライバー」誌 1998年)

○注1:熟年
かつて「女中さん」を「お手伝いさん」としたのと同様の、マス・メディア得意の(?)言葉の“言い換え”だったが、いま見ると、何のことだかわからない? 「老年」や「老人」という言い方がいけないとして、たしか一般公募もして、この言葉を“作った”のではなかったか。しかし言葉は生き物であり、そうした「官製」の用語がそのまま、人々の言葉として流通するわけではない。今日では「シニア」という外国語が、これに代わって使われているのではないか。
Posted at 2015/03/31 08:32:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 90年代こんなコラムを | 日記
2015年03月28日 イイね!

【90's コラム】カローラとは何か?

【90's コラム】カローラとは何か?トヨタがカローラを日本の「大衆車」として、この国に、さらには世界に氾濫させたため、日本のクルマは、たとえばエクィップメント偏重といった奇妙な方向へ“成熟”してしまった……という、もっともらしい説がある。本当だろうか? 

このカローラ(初代・1966年)に先立つこと数年、トヨタはパブリカというコンパクト車を、同社が考える国民車として世に呈示していた。当時の官製の「国民車構想」ではエンジンは500ccとなっていたが、それに敢然と反旗を翻しての、実際にクルマを作る側からの現実的な大衆車の提案だった。(パブリカは空冷2気筒の700ccエンジン。軽量かつ安価というこのクルマのコンセプトは、後に「トヨタS800」としてスポーツカーに活きることになる)

しかし、このメカ的にも庶民的な、また、ゲタ的ともいえるクルマのパブリカを、日本の「大衆」は決して歓迎しなかった。作り手としては、小型の大衆的なモデルだからこそ……というメカニズムの選択で、それがたとえば空冷2気筒のエンジンだったのだが、そうした大衆のために「別仕立て」にしたようなクルマを、現実の大衆は望まなかったのだ。60年代当時の大衆が渇望したのは、それまでに存在していたフツーのクルマ、そのサイズ的な、そして価格的な「大衆仕様」だった。

1966年という同じ年に、トヨタからカローラ、そしてニッサンからはサニーがデビューする。この年が実質的な日本の「大衆車・元年」であり、この時にトヨタとカローラが掲げた伝説的な広告コピーが「隣のクルマが小さく見えます」であった。さらに事実としてエンジンは、サニーの1000ccに対してカローラは1100ccであったため、「プラス100ccの余裕」という勝利宣言的なコピーも生まれた。

サニー1000は、なぜカローラ1100に敗れたか? それはサニーもまた、パブリカと同じ轍を踏んでしまったからではないか。大衆や庶民は、「大衆」であるが故に「大衆車」を欲しがらない! この逆説に気づかなかった。初めて、そして、ようやく買うクルマだからこそ、ずっと憧れて眺めてきた上級車や“普通のクルマ”と同じもの、その縮小版が欲しい。この庶民の切実な夢と願望を、ニッサン&サニーは見抜けなかった。(サニーは、メカ的には上級車と同じFRだったが、装備は簡素であり、見栄えや内装もチープだった)

一方、パブリカという簡潔なクルマで一度“失敗”していたトヨタは、大衆の、そんな切なくて秘かな夢を肌で知っていた。軽自動車(むろん当時もあった)にちょっと何かをプラスしたようなコンセプトではなく、そして価格としては安価なクルマ。求められているのは、そんなモデルではないか。これがカローラのテーマであり、ニッサン初の大衆車サニーとの差異がここにあった。

とはいえ、この「大衆車を、大衆車らしく作らないでくれ……」(!)というニッポン庶民の願望は、誰にも責められないと思う。よくヨーロッパの小型車が引き合いに出されるが、あれは大衆車というより「階級車」なのではないか。クルマに夢など託さない(託せない)ロワー・レベルの人々の、その生活に必要な、そして庶民が自身で行動するための移動用具。それ故のコンパクト車で、それが彼の地における小型車や大衆車なのではないか。

東洋から距離をおいて見た場合に、そうしたクルマが機能主義的に映ったとしても、虚飾を求めず機能を追ってああいう小型車が出現した……のではないと思う。販価を考えれば、走る機能以外のものはクルマに盛り込めないのだ。だから、欧州の小型車はシンプルで、余計な装備が付いていない。

一方で、カローラとサニーが登場した1966年のわが国は、「戦後」ということでは既に20年が経っていた。その間ずっと、表面的には“階級なき年月”を過ごしてきた戦後日本の庶民が、初めて「クルマ」というものを買おうとしている。それが60年代の中葉から後半である。

その時に、もう、ふたたび戦前のような「階級」には出会いたくない。上級車とはメカニズムが違うクルマ、安価さを追求して「大衆」のためだけに作りましたよ……というようなモデルを、わざわざ買いたくもない。こうした無意識の感覚が、当時の大衆や庶民にあったように思う。故に、60年代前半にいくつか生まれた「大衆的」で小さなクルマたちには、庶民はさしたる反応を示さなかった。

もちろん、たとえば大卒初任給で見れば、1966年は60年に対して2倍(2・5万円)になっていた。64年には東京オリンピックも行なわれ、東海道新幹線も走り始めた。そんな背景もあっただろう。“昂揚の70年代”に向けての助走が始まっていた、そんな時代だったからこそ、人々は、ようやく登場した「大衆的」ではない小さなクルマ(カローラ)に喝采した。

ともかくカローラは、販売戦争でサニーに勝つ。そして、その勝因のひとつはカローラの“非・大衆性”だった。カローラは、欧州的な意味での大衆車ではなかったのだ。あるサイズに限定された「小さなトヨタ車」であり、故に人々(大衆)の支持を得た。このように考えると、カローラと、その後の日本クルマ史の謎も解けてくるのではないか。

そして、マーケットとカスタマーがそのようであったが故に、クルマの作り手もまた、カローラに「大衆車」としての限定をしなかった。クルマ作りにおいて、大衆車だから……と諦めることもなかった。カローラの全モデルが4バルブでインジェクション仕様になった(1987年)としても、この国では、それはむしろ必然であったのだ。

世界のクルマ史にカローラが与えた衝撃は少なくないが、そのひとつが、クルマ作りにおけるこのような“限定解除”だったのではないか。そしてその影響か、コンパクト・カーにも最新の技術を惜しげもなく注ぎ込むことを、いまやヨーロッパのメーカーがやっている。彼の地の「階級車」は、日本の大衆車によって、その概念は打ち砕かれた。これが「大衆車・元年」(1966年)から30年を経た、クルマ世界の現在であろう。

○タイトルフォトは初代カローラ。トヨタ博物館にて。

(「ドライバー」誌 1996年)
Posted at 2015/03/28 08:25:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 90年代こんなコラムを | 日記
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「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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