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家村浩明のブログ一覧

2016年05月09日 イイね!

フェアレディZ Z31 (1983)

フェアレディZ Z31  (1983)アメリカにおいて、ファスト&スポーティ・パーソナルカーとして確固たる地位を築いていたニッサンの日本名フェアレディZは、1983年に大きく変貌した。ここから海外マーケットでは「300ZX」となったが、その名の通りにエンジンは3リッターが主流となり(国内向けには2000ccも残った)、またセミ・オープンともいうべき「Tバールーフ」のバージョンがシリーズのメインに躍り出た。

排気量のアップは、つまりはトルクのアップである。そして、ボディのオープン化は「空」との一体化だった。これらの改変がめざした先は、“もっとアメリカン!”であり、さらに言うなら「カリフォルニア!」だった。この年、フェアレディZは“Zカー”としての色を強め、それまで以上に「米車」となることを選んだ。

この新300ZXが、ここまで“ウェストコースト的”になった理由というのは、やはりある。このモデルの基本デザインを作ったのは、ニッサンがアメリカ西海岸に開設した海外子会社のデザイン・スタジオだった。サンディエゴの丘の上にあるこのスタジオ(NDI=ニッサン・デザイン・インターナショナル)は、このZだけでなく、ニューRV(テラノ)のデザインやキャノピータイプ車の提案など、こと“遊びっぽい”クルマに関してはその後も独自のアイデアを示して、1980年代のニッサン・デザイン全体に新風を吹き込むことになる。

(ホリデーオートBG誌「80's 絶版車アルバム」2000年4月より 加筆修整)
Posted at 2016/05/09 05:04:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2016年05月07日 イイね!

サバンナRX-7 FC3S (1985)

サバンナRX-7 FC3S (1985)ロータリー・スポーツRX-7のセカンド・ジェネレーション。そして、「サバンナ」の名を冠した最後のモデルでもある。初代のRX-7は軽量設計のピュアスポーツで、車重も1トンそこそこというところでまとめられていた。

しかし、この1980年代半ばになると、高速性能はさらに上がり、同時にボディ剛性や安全面といった“ピュア・スポーツ性”以外の部分での要求が市場から出て来る。また、初代がヒットしたがゆえにユーザー層も広範になり、単なるファン・カーとして成り立っていればそれでいいということではなくなっていた。

そういった状況の中でマツダが選択したのは、RX-7を初代よりもグレードアップし、そして「グランツーリスモ」(GT)方向に寄せるということだった。このセカンド・ジェネレーションは、車重は300㎏プラスの1・3トン級になり、ボクシングでいえばフェザー級からミドル級になったくらいに、クルマとして成長している。

その車重増加に合わせてエンジンも強化され、初代の12Aロータリーに換えて、13Bユニットにツイン・スクロールターボを装着して搭載。このエンジンは、後年のマイナーチェンジ時(1989年)には過給圧を電子制御するなどして、205psの出力を持つに至る。

ただし、重量が増したから走りのシャープさは失われてもいいなどとは、スポーツカーにこだわってきたマツダは微塵も考えなかった。……というか、それだけは絶対に言われたくないぞ!というのがメーカーのスタンスであり、走りの「切れ味」をシャープにしたという点では、これは初代以上だったのではないか。

とはいえ、速くて、重くて、そして絶対にダルでないように……という三要素を組み合わせたデリケートなセッティングは、このクルマの挙動をかなりナーバスにした。ハンパな腕ではちょっと扱いにくいような、そして、そうした“尖った繊細さ”を操ることが本格スポーツだと謳うような、そんなキャラクターをこのクルマに与えることになる。

さらに、そのピュア性をさらに極めようとしたのが、2シーターとして軽量化した“アンフィニ”(フランス語で「無限大」)バージョンで、これがRX-7のシンボルとなり、後にはマツダのチャンネル名として採用されることになった。そのほかにも、フルオープンとなるカブリオレが加わったりと、この二代目は“硬軟”両面にわたって、その守備範囲を大きく広げたモデルであった。

(ホリデーオートBG誌「80's 絶版車アルバム」2000年4月より 加筆修整)
Posted at 2016/05/07 21:21:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2016年05月06日 イイね!

カローラ・レビン/スプリンター・トレノ AE86 (1983)

カローラ・レビン/スプリンター・トレノ AE86  (1983)1980年代における最大の“伝説”が、このAE86レビン/トレノである。その「ハチロク伝説」は80年代に端を発し、90年代においてもさらに光り輝いた。……とはいえ、この伝説の発端自体は、実はそんなにドラマチックなものではなかったのではないか。

もとをたどれば、1959年の「ミニ」からということになるが、スモール&コンパクトにクルマをまとめるための「FF化」という大きなトレンドは、もちろん日本車にも波及していた。そして、ホンダやスバルのような最初からFFでコンパクト車を作ってきたメーカー以外にもその影響は及び、1980年代の日本車は、ミッドクラス以下のほとんどのクルマがFFになっていた。もちろん、トヨタのカローラもその例外ではなく、1980年代にFFの新パッケージング車として再生する。

ただ、このカローラというモデルは異様に種類が多かった。スペース効率にすぐれたこのFFという方式に基本レイアウトを変更したくとも、カローラ系のすべてのモデルに同時適用するということがむずかしかった。となれば、シリーズの中ではマイナーな存在が後回しになることになる。それがスポーツ系であり、要するにレビン/トレノは「FF化」というニュー・ウェーブに乗り遅れたのだ。後の“ハチロク人気”を最も意外と思い、また苦笑もしていたのは、スポーツ・カローラの「FF化」を間に合わせられなかったメーカー自身だったのではないか。

……とはいえ、周りを見ていれば誰でも察しがつくのは、いずれは、このレビン/トレノであっても、その駆動方式は(FFに)変更されるだろうということだった。そして誰いうとなく、これは「最後のFRレビン/トレノだ」ということになり、そこから、この型式名「AE86」がなかば神格化されていく。

ただ、この時代のFRからFFへという流れは当然であり、他のモデルでも、こうした変革期を迎えていた。では、なぜ、この「AE86」だけが“伝説”になったのだろうか? ひとつは、この「86」の車体が小さかったことだ。スターレットがFFとなった後では、このクルマが事実としても最小のFRとなった。

そしてもうひとつは、その搭載エンジンであろう。軽量のツインカム4A-Gは軽快にシュルシュル!と吹けたが、いかんせん“下”(低速トルク)がなかった。このパワーユニットから、クルマをちゃんと動かすための相応のチカラを引き出すには、上(高回転域)まで“回して乗れる”、それなりの腕とエンジンへの愛が必要だった。このことが人とクルマの密着度を高めて、そうしたハイ・テンションとともに、ドライバー主導による「ハチロク伝説」が形成されていった。

(ホリデーオートBG誌「80's 絶版車アルバム」2000年4月より 加筆修整)
Posted at 2016/05/06 21:46:44 | コメント(1) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2016年05月05日 イイね!

バラードCR-X AS/AF (1983)

バラードCR-X AS/AF (1983)FF=前輪駆動というのは、いまでこそちょっと違うかもしれないが、長いことホンダの基本姿勢として現場の開発レベルにまで浸透し、開発陣に強力に君臨していた「社是」だった。したがってホンダのエンジニアは、どんなにスポーツカー好きであれ、また《走り》好きであっても、FF方式以外のクルマを作る(市販化する)ことは、基本的にはできなかったのである。

それでも、メーカーに“好き者”はいる。ましてや、ホンダである。……というわけで、量産シビックのコンポーネントを使い、FFでどこまで「スポーツできるか」を突き詰めてやる!というようなモデルが1980年代に出現した。それが、このCR-Xだ。

あえて小さく見せるようにしたそのスタイリングは、いかにもスポーティ! そして、いったん「曲がって」みたときに、このクルマはドライバーを驚かせた。その回頭性の鋭さはFFということをまったく感じさせず、フィールとしては、むしろテールが出るような感じでコーナリングができたからだ。アクセルを“踏んで曲がれるFF”という、のちの一連のタイプRに連なるホンダFFスポーツの原点がこのモデルであった。

(ホリデーオートBG誌「80's 絶版車アルバム」2000年4月より 加筆修整)
Posted at 2016/05/05 21:16:14 | コメント(1) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2015年12月05日 イイね!

【00's コラム】同時代は「似る」Ⅱ ウイッシュの場合

【00's コラム】同時代は「似る」Ⅱ ウイッシュの場合スタイリングとしてSUVまでは跳んでなく、しかしミニバンよりはスマートかつシャープ。そして“乗用車寄り”に立ち位置を設定しつつ、場合によっては5人以上乗れる許容量がある……と、そんな現代ニッポンのニーズをまんま一台にしたような新型車が登場した。トヨタのウイッシュである。

そしてこのクルマ、立ち上がりの販売状況を見ても、まずは上々のスタートをしたといえそうなのだが、一方で、ひどくネガティブな反応もあるようだ。それはどうも、このクルマのディメンションやサイズが、既に市場に出ている「某社某モデル」に近似しているということらしく、たとえばボディサイズの数値では一部が同一であるともいう。

そのあたりの“ソックリぶり”をもって、後発車ウイッシュは、先発モデルのマネをしたけしからん機種だ!……ということらしいのだが、ただこれ、ジョークならともかく、クルマがそうやって(何かのデザインをマネして)作られているというのがそもそもハズレだし、また、評論としてなら、それはかなり粗雑でもある。

まず、誤解を恐れずに言えば、クルマという商品の場合、「同時代は似る」という大原則がある。逆にいうと、あるメーカーから、他の競争相手とは似ても似つかないものが出てきたら、それは「時代」と対した場合に何かのファクターが欠けていた。あるいは、何かの要素を故意に抜いて無視した結果の“個性”である。たとえば今日、「空力」を考えなければ、他車とは異なる独自のスタイリングができあがるだろうが、それがマーケットで評価されるかどうかは、また別の問題になる。

クルマとはしばしば、「外的な条件」によって、その企画や要件が左右される。この場合の条件とは、有形無形のレギュレーション、また市場の状況などで、無理やりまとめてひと言にすれば、それはやっぱり「時代」ということだろうか。クルマは、人(エンジニアやデザイナー)が作るのではなく「時代」が作っている。だから、おもしろいし興趣も深いのだ。

ハナシはちょっと飛ぶが、そうした外的条件、もっと言えば「規格」に則ってクルマ作りをすることにおいては、ジャンルは大違いだが、F1マシンと軽自動車がその双璧だと思う。この二つはともに、それぞれのジャンル内では、ライバル同士であっても、基本的なレイアウトや造形での区別が付かない。フォーミュラ・ワン車の格好は、同時期・同時代であれば、みんな“同じ”である。

そして話題の(?)ウイッシュの場合だが、サイズは5ナンバー枠にする、3列目のシートを設定、市街地での駐車を考えて全高も抑える……というのが、このクルマの要件だった。レギュレーションは一見なさそうに見えて、しかし実際は、ほとんど軽自動車並みにきびしい。それがこのクラス、このジャンルでの「規格」で、この点においては、このクルマに先発したことを誇る「某社某モデル」も、まったく同じだったはずだ。

クルマのコンセプト・ワーク、デザイン・ワークは、新型車として発表される何年も前に、それぞれのメーカーの奥深いところで行なわれている。したがって、互いに相手のマネをすることは、まず不可能。どこがどこのマネをしたウンヌン……よりも、ほぼ同時期に、異なる二つのメーカーが同じようなコンセプトでクルマを企画し、生産・販売した。このことの方がよほどニュースであり、ジャーナリズムが探究するなら、むしろこのネタの方を突っ込むべきであろう。

(「ワゴニスト」誌 2003年記事に加筆修整)
Posted at 2015/12/05 19:28:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
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「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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