
第7章 完走! part2/2
橋本は、それまで座っていたピットウォールの“監督席”を初めて離れた。そして、歩いた。独りになりたかった。誰もいないところって、どこだろうか。ピット裏に、NSXを運んできたクレマーのトレーラーがあった。ちょっと覗いてみた橋本は、その中ががらんどうであることを発見する。
何にもないトランスポーターの空間に身を潜めて、橋本は、まず目をつぶった。10分くらいもそうしていただろうか、そして、そのトランスポーターの中を歩いた。歩き回って、また腰を下ろした。(こりゃ、檻の中を歩き回る熊だな……)橋本は、ひとり苦笑いをした。
先ほどのクレマーの助言が頭をよぎる。その通りなんだろうなと思う。ドライブシャフトのスペアなんて、そう何本もあるものじゃない。ミッションという走りの中枢部がトラブったのも痛い。完走は、むずかしいかもしれない。1台に集中し、止めた2台はスペアパーツとする。これは長いこと24時間レースを闘ってきたクレマーの、当然のノウハウだった。正しい……、きっと正しい。
でも……と、橋本はあることに気づいた。3台のNSXの“症状”はそれぞれに異なっている。この3台がこれから走り続けていくと、クルマはどうなるのか。エンジニアとして、それを知りたくなったのだ。
また、こうも思った。ここでオレがクレマーに「イエス」と言えば、2チームのレースは終わってしまう。栃木から来ている五人のメンバーは、誰もこの状況に不平を言ってない。止めたくない!
もし、クレマーが言う通りに3台リタイヤとなったら、自分が判断ミスをしたと責任を取ろう。いま一番大切なのは、できるところまで“やり切る”ことだ。(オレは、やりつづける!)
橋本は、トレーラーを出て、ふたたびピットウォールに戻った。橋本がチームやクルーの視界から消えて、およそ1時間が経っていた。橋本がスタート時と同じように“監督席”に収まったことが、クレマーへの返事だった。
(どのNSXも、止めないぞ!)
*
「チーム国光」47号車のドライブシャフトは、その後も折れ続けた。いつも左側だった。要するに、一時間ほどコースを走ると折れるのだ。そのたびにドライバーは巧みにNSXを操り、なだめすかしてピットに帰り着く。ドライバー交代とドライブシャフト交換が同時という、これは凄まじい“ルーティン”だった。
テストあるいは練習でクルマの様子を探りつつ走るのと、本番レースとでは、負荷がまったく違っていた。またバンピーな路面は、しばしば、一瞬クルマを浮かせる。そして着地した時には、突然の大負荷がかかる。さらにサルテ・サーキットは右コーナーが多い。
さまざまな条件に、47号車のドライブシャフトは耐えられなかった。長いピットストップで、47号車の周回数が見る間に減っていく。ル・マンの「完走」とは、ひとつはチェッカーを受けることが最優先だが、もうひとつ、大きなハードルがある。それは首位車の70%以上のラップ数を走り切ること。そうでなければ「完走」にならないのだ。
遅い(!)ポルシェは、しかし、着々と周回数を重ねていた。止まらない。首位車の「70%」というクリアすべきバーが少しずつ上がっていく。
午後2時50分、つまり、残り1時間10分。「圭ちゃん、行ってよ」。高橋国光はチェッカーまでの最後のドライブを、自らの意志で土屋圭市に譲った。(ル・マンっていいよ、凄いよ。フィニッシュすると、それがわかるよ)。国光は圭市に、心で言った。
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ガショー組の48号車、清水組の46号車は、それぞれミッションと新しい燃料配管系を移植してからは、ほぼ順調だった。完走はできそうだった。問題は3台目の47号車だ。だが、そのNSXのドライブシャフトは、残り40分でふたたび折れた。またしても左側だった。
NSXのドライブシャフトは左右不等長で、折れるのはいつも左側だった。これまでに2台のNSXが、実に7本のドライブシャフトを“消費”していた。そして、この時に47号車に換装されたドライブシャフトは最後の一本というか、橋本健と丸谷武志のアイデアから生まれた超スペシャルのパーツだった。
スペアパーツとして、右側用のドライブシャフトは山ほど残っている。橋本が丸谷に訊く。「これ、左には付かないのか? カバーの長さは確かに違うけど、インナーだけなら、左用として付くんじゃないか?」
そのパーツを付けた土屋圭市の47号車は、午後3時45分にピットを後にした。残りは15分だ。
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ファイナルラップを迎えた土屋圭市は奇妙なことに気づいた。オフィシャルが旗を振っているのはわかるが、その旗の動きが変なのだ。それは、「行け、行け」とも「ほら、押すぞ」とも取れるような、そんな合図を圭市に送ってきていた。ヨタヨタとチェッカーに向けて走り続けるNSX。止まるなよ、行くんだぞ。旗は、そう語っているようだ。
(このオフィシャルの人たち、オレのクルマがどういう状態なのかを知っている!)
圭市は、思いっきり驚いた。首位なんかじゃないぜ、こんな、完走するかどうかもわかんないようなクルマだぜ。でも、こんなクルマのことまで、この人たちは、24時間、しっかり見ててくれたんだ……。このことに気づいたとき、もう、旗はぼやけて見えなかった。ヘルメットの中で、土屋圭市は泣いていた。
*
(ああ、やったあ……。完走だあ……)ピットウォールの“監督席”から、橋本健は立ち上がった。諦めなくてよかった。この8ヵ月、そしてこの24時間。ともかく、ル・マンを“やれた”、終わった。そして、完走した。
やったあ! 安堵と満足感で大きく息をついている橋本の方へ、外国人メカニックの一人が握手を求めて近づいて来た。あ、あいつ! 全然寝てないはず。壊れちゃ直し、壊れちゃ直しで、ずっとやり続けて。あいつだけじゃない、みんな、みんな……。そして、栃木の連中も……。
(あ、ヤバいよ、来ないで。そんな顔で、こっちへ来ないで……。だって、オレ……)
メカニックの顔がかすんで、そして歪んだ。一度噴き出した涙は、もう止まらなかった。橋本さん……と、誰かの声がする。橋本健は、精いっぱいの声を張り上げた。「泣いてねえよ、目から汗だよ」
(つづく) ──文中敬称略
○解説:『 Le Mans へ…… 1994レーシングNSXの挑戦 』
この記事は、1994年に雑誌「レーシングオン」、No.174~NO.180に連載されたものに加筆・修正し、1995年3月に、(株)グラフィティより刊行された小冊子、『ル・マンへ……1994レーシングNSXの挑戦』を再録するものです。本文の無断転載を禁じます。