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家村浩明のブログ一覧

2016年03月11日 イイね!

スバル・ヴィヴィオ サファリ・ラリー(1993) 《2》

スバル・ヴィヴィオ サファリ・ラリー(1993) 《2》したがって「サファリ」では、そのためのトータルな車体のチューンが要る。そこまで“やった”ヴィヴィオだったが、それでも「サファリ」を走り終えたラリー・ヴィヴィオのAピラーには、見事にクラックが入っていたという。競技スピードで、あと一日半走っていたらダメだった(クルマが壊れた)と、メカニックのひとりは洩らした。(こういう計算なり予測ができるというのも、なかなかスゴいことだが)

では、雨のない、超ドライの1993年サファリ・ラリーに参加した、3台のスバル・ヴィヴィオ4WDスーパーチャージャーの闘いはどうだっただろうか。

WRC(世界ラリー選手権)のワークス・ドライバーの中では最年少の新鋭コリン・マクレー(英)は、クルマを岩にヒットさせフロント・サスを壊して、初日でリタイヤ。全日本のトップ・ラリーストのひとりである石田正史は、河渡りでスタック。後にエンジンをオーバーヒートさせ、結局エンジンを壊してしまい、3日目でリタイヤ。

この二人はともに、「サファリ」は初挑戦であり、地元ドライバーであるパトリック・ジルの“予言”は恐ろしいまでに的中してしまった。「サファリ」は甘くない。そして「サファリ」だけの闘い方というのが、たぶんあるのだ。

ラリー4日目。パトリック・ジルは927.9キロのラリー・コースを、クルマをいたわりながら走り終えた。5日目は200キロちょっとのパレード・ランなので、ここまで来れば、ほぼ完走に等しい。この時のジル/ヴィヴィオの順位は、総合で12位。そして14位には、同じくヴィヴィオで参加のプライベーター、メキシカンのF・ピラセナーが続いていた。

そして、最終日。パトリック・ジルは、そのままの順位でフィニッシュ。軽自動車によるサファリ・ラリー初挑戦を、完走で終えた。ペナルティ・タイムは13時間5分。エントリー52台中で、完走したのはわずかに18台という中の一台となり、660ccミニカーによる初挑戦・初完走として、サファリ・ラリーに歴史を刻んだ。(ピラセナーは結局、総合15位だった)

「今年のラリーは大変にトリッキーで、本来のサファリに戻ったようだ。とにかく、われわれの第一目標は、少々おもしろみに欠けた今年のサファリに、何か新風を吹き込むことであり、それがこのヴィヴィオによる出場だ」「ヴィヴィオは、コーナーでは予想を超える速さを見せるが、直線ではたしかにハンディがある。しかし私としては、このヴィヴィオの参加で、サファリがもっと興味深いものになることを期待している」

ラリー初日を走り終えたパトリック・ジルは、こんなコメントを残していたが、その通りにヴィヴィオは大健闘。立派なリザルトを「サファリ」に残した。

また、今回3台のヴィヴィオを走らせたスバル・ラリーチーム・ジャパンは、全国のディーラーから選抜した16人のメカニックによってサポートするという“実験”も行なっていた。ラリーの経験はほとんどなく、海外旅行さえ初めてのメンバーもいたというこのチームだったが、結果は見事に、ジルとピラセナーの2台を完走させた。

トヨタ・ワークスは「サファリ」に“勝ちに”行き、1台も失うことなく上位を独占した。この完勝も見事だが、スバルが行なった二つのチャレンジとその成果もまた、十分に記録と記憶に値するものであろう。

(了) 

(「スコラ」誌 1993年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
Posted at 2016/03/11 07:47:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2016年03月10日 イイね!

スバル・ヴィヴィオ サファリ・ラリー(1993) 《1》

スバル・ヴィヴィオ サファリ・ラリー(1993) 《1》「実車を見て、その小ささにビックリした。これで本当に完走が果たせるのかどうか……。まあ、雨でも降れば大丈夫だと思うけど。ただ、クルマは見かけによらず、本当に速い。いかに転倒しないで走り抜けるかが、完走の秘訣となるだろう。3台のうちで、サファリ経験者はボクだけ。これは、ボクが完走できなければ、他の2台も完走できないと言っても、言い過ぎではないはず。だから、絶対に完走を果たそうと思った」

こう語ったのは、ケニア在住のラリー・ドライバーであるパトリック・ジルだ。この発言は、なかなか正直であると同時に、極めて的確でもあり、そして予言さえ含むものだった。

エントラント自身がビックリしてしまうような「小さなクルマ」とは、わが軽自動車規格そのままのスバル・ヴィヴィオである。トヨタ・ワークスの1~2~3~4フィニッシュに終わった1993年のサファリ・ラリーだが、今年は、このジルの言葉にあるような、もうひとつの“サファリ・ストーリー”があった。

あの「サファリ」へ、軽自動車で──。このチャレンジングな話が出たのは、1992年のサファリ・ラリー終了後の頃だという。「軽」としては“走り”を十分にツメてのデビューを果たした、ヴィヴィオというクルマの存在。そして、ケニアを走ることについては、長い間の挑戦で多くのノウハウの蓄積があるスバル・ワークス。これらの組み合わせが生み出した、ひとつの夢だった。そしてここには、ヴィヴィオの完成度の高さについての、メーカーとしての自信もうかがえる。このクルマならやれるんじゃないか、ということである。

いま国際的なラリーは、グループAあるいはグループNのカテゴリーでなければならない。要するにあくまでも市販車をベースに、規則に則ってのモディファイを行なう。したがって、ラリーで勝利したいメーカーは、ひとつのモデルのラインナップの中に、ラリー車の素材となるような4WDのハイパワー・バージョンをわざわざ加えておくのが当然のこととなっている。

このへんの事情はサーキット・レースでも同じで、レーサーの素材となるべき仕様を持つモデルが、グループAレースでは圧倒的に強い。スカイラインGT-Rがその身近な例であり、外国車ではBMW・M3とメルセデスの2・5-16がその究極だ。

また、グループAのレギュレーションでは、ボディの変更がほとんど許されないため、外観的には、巨大なリヤウイングが市販車の段階で付いていたり、フロントにエンジン系やブレーキを冷却するための大きな穴を、いくつも開けておいたりする。あるレーシング・メカニックは、新型車が登場するたびに、「これはレースで使えるか?」ということを手っ取り早く確認するのに、ボディ前面の穴の開き具合を見ると、ジョークっぽく語っていたものだ。

さて、そのヴィヴィオだが、サファリ参戦に際して、グループAでのエントリーを選択した。グループNでは、グループAに較べると改造範囲が限られていて、やはりサファリではむずかしいだろうという判断からだった。

これは言い換えると、「サファリ」という場はそれだけハードだということである。全長4000キロ、5日間。SS(=スペシャル・ステージ、タイムアタック区間)こそないが、逆に、リエゾン(つなぎの区間)もない。すべてのステージにアベレージ速度が設定され、そして、その指示速度が誰もクリアできないほどに高い。だから、4000キロの全区間が、いわば“SS”なのだ。

1993年のリザルトでも、ウイナーのワークス・セリカでさえ、その指示速度に対する「遅れ」、すなわちペナルティ・タイムは1時間54分なのである。要するに、とにかく速く走れ! ……というラリーだというのが、このことからもわかる。

そして、雨が降ればドロドロになり、河はあふれ、スタックを呼ぶ。晴れたら晴れたで、路面をカチカチにし、さらなるハイスピードをクルマに求めてくる。ホコリが舞って、動物も飛び出す。どっちに転んでも、「サファリ」はやっぱり“カー・ブレーカー”なのだ。そしてドライの方が、クルマにとってはもっとキツい。パトリック・ジルの「雨でも降れば……」という言葉を思い出してほしい。

その「キツさ」を最も具体的に示すのが、フロント・サスペンションへの「入力」の強さだという。ガンガン、ガツーン!と、絶え間なくフロント・サスペンションに衝撃が入ってくる。それがアーム類に伝わり、ボディのサスペンション取り付け部分に力が入り、ついには車体が変形して、クルマが壊れる。

とりわけ軽自動車の場合は、フロントからの「入力」がいきなりBピラー(センターピラー)にまで行ってしまう。そしてそのための補強は、「サファリ」の場合、国内ラリーを走るレベルのプラスαくらいでは、まったく追いつかないほどだそうだ。

(つづく)

(「スコラ」誌 1993年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
Posted at 2016/03/10 17:05:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2016年03月02日 イイね!

スカイラインGT-R R32グループA仕様

スカイラインGT-R R32グループA仕様かくして、強力にして新機構もいっぱいという「レーシング・マシン」が一台できあがる。だが、これでは一品製作のプロトタイプであり、グループAのレースに出場することはできない。では、どうするか。……その“レーシング・スペシャル”と同じものを「5000台」作って、売ってしまったらどうだろう? そうすれば、市販車をベースにレースをするというレギュレーションに、結果のところで見事に帳尻が合うのではないか。

この逆転の発想は相当にスゴいと思う。市販車をレーサーにするのではない。レーシングカーを市販車に仕立ててしまおうというのだ。それも、グループA(年間5000台販売)という規模で! 

これは「歴史の中」にいるヨーロッパのメーカーでは、逆に思いつかないコンセプトであるかもしれない。彼らはせいぜい、エボルーション・モデルを「500台」作ると、今度はその「市販車」をベースにしてレースをやってもいいことにしよう、ということくらいか。(RS500とか2・5-16とか)イメージする生産・販売の台数が一ケタ違う。また、そもそも過度のスペシャル性を排そうという基本精神が、グループAという規格にはあったことも、彼らは知っていよう。(そうなると「エボルーション」は、まぁちょっと矛盾だが……)

そして、そうした特殊車が年に5000台以上売れるという展望も、ヨーロッパ的ではない? 歴史こそやや短いが、しかし、妙に広くてブキミに深い……。そんなニッポン・マーケットを抱えているメーカーでない限り、こんなアイデア(レーサーを5000台売る)は思い浮かばないともいえる。

……フシギな“市販車”、スカイラインGT-Rのナゾは、こうして氷解する。すべては、グループAレースのために。いわば、フォーミュラ・グループA──。これがGT-Rの正体なのだ。エンジンの「2・6リッター+過給」という排気量も、重量規制のことを考えると、これがマキシマムにしてベストである、らしい。(3リッター・エンジンのスープラは、バラスとを積んでレースをしている)

そして、問題の駆動方式──2WDでも4WDでもない、フレキシブルなパワーの伝達。これはメカニズムだけが、ニッサンが生んだ新機構として、クルマよりも先に発表された。ちょうど4WDが続々と登場していたところでもあり、新4WD方式のひとつという“誤解”も一部で生じたハイテクで、後にGT-Rのものであることが判明したという経緯があった。

ただ、グループAにも乗る、あるレーシング・ドライバーは、この新メカの発表時点で次のように発言し、その本質を見抜いていた。「サーキット・レースで4WDは要らない。2WDで、それも後輪駆動がいい。ただ、コーナリングしてて、あ、ここでクルマの『前』が引っ張ってくれたらいいな、ラクだし、速いよな……と思う区間というのはたしかにある。たとえば、コーナーの立ち上がりの、ある部分で」──

ここでも、テーマはサーキットだった。たとえばアウトバーンで、最高速を誇りたいなら4WDでいいのだ。そうではなく、ちょっとトゥイスティなところを、より速く“駆け抜ける”ために、シャシー/駆動系で「やっておく」ことはないか。これが「FR+4WD」というGT-Rのメカニズムを生んだ。何のために? もちろん、レースのために、サーキットで速く走るために!

ニッサンというメーカーの、ある時期の夢と野望が惜しみなく注ぎ込まれた、恐るべき内容を持つ「市販車」──それがスカイラインGT-Rである。ここまで“レーサーしている”クルマに勝つには、同じことを、他のメーカーもするしかあるまい。そういうクルマが出て来るまで、GT-Rは確実に勝ち続ける。そして、そんなクルマは(ニッサン以外からは)おそらく出ないであろう。

(了) ── data by dr. shinji hayashi

(「スコラ」誌 1992年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
Posted at 2016/03/02 03:39:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2016年03月01日 イイね!

スカイラインGT-R R32グループA仕様

スカイラインGT-R R32グループA仕様いまにして思えば、「GT-R」とはちょっとフシギな市販車だった。まず、新スカイライン(R32)は、走りの面でもかなり充実したクルマとして仕上げられているが、そのシリーズ中での発展的な最高グレード……という作り方を、どうもGT-Rはされていない。つまり、あまりにも独自。あるいは、あまりにもコスト無視。一応「量産」の市販車としては、少しばかり翔びすぎている? それがGT-Rだった。

まず、駆動方式が並みのスカイラインと違いすぎる。それも、たとえばスタビリティ確保のためのフルタイム4WD採用とか、そういうありふれたものではない。あくまでも、後輪駆動のFR。それによって、クルマの運動性とドライバーの操作性を十分に確保しつつ、それに加えて、時に、四駆状態にもなるというシステムを開発。これを、たとえばスカイライン上級仕様バージョンの“ウリ”として新採用することなく(一車種、GTS-4があるが)あくまでGT-R専用のウルトラ・メカとして押し切ってしまう。

エンジンもそうだ。単にシリーズ最高峰でいいならツインターボ化するとか、そうしたもので十分に速いバージョンは作れるはず。また、スカイラインのシリーズ用のエンジンが「RB系」であるのなら、そのラインから選べばいい(2リッターと2・5リッターがある)とするのが“市販車の発想”というものであろう。しかし、GT-Rは、なぜか突然の2・6リッター・エンジンを敢然と積む。これはGT-Rだけのために出現した(?)フシギなパワーユニット。スカイライン系とは、いわば別立てで作られたのがGT-Rだ……。こう考えた方が、はるかにハナシが通るのである。

そして、グループAレースへ参戦後に投入された「GT-Rニスモ」という500台限定のいわゆるエボルーション・モデルでは、さらに興味深い“改良”が施されている。まず、セラミック・ターボという今日的な商品性を捨てて、タービンローターをわざわざ旧式のメタルに戻した。合わせて、出力特性を高速/高回転寄りにセットし、空力パーツを追加。さらには、フロントのバンパーに穴を開けておく。この両サイドの大きな穴は、たとえばフロントブレーキ付近へのフレッシュエアの供給には、きっと効果的であることだろう。

……エボルーション・モデルへの注視は、「GT-R」という存在についての意味とナゾを、少しずつ解くことになる。このクルマは「商品」ではなかったのだ、という現実である。もともと商品でないのなら、このモデルが抱えているさまざまなフシギも、もはや不可解ではなくなって来る。

視点を変えてみよう。世に「グループA」というレース・カテゴリーがある。年に5000台以上生産されていること、そういう条件を付けた、量産ツーリングカーをベースにしたクルマによるコンペティションだ。このレースの出場者、またメーカーは、どの市販モデルをグループA仕様のレーサーに仕立てれば、戦闘力を持てるか。それを考えつつ、そのメーカーのラインナップを探る……であろう。

BMWであれば3シリーズ、フォードならシエラ、メルセデスはW201系(190系)といった選択がなされ、然る後に、レースに向けてのモディファイが始まる。そして、レースに出るのだからという視点からの、スペシャル・バージョンがシリーズに追加されることがあるかもしれない。もちろんそれは、レースを闘うエントラント(出場者)側からのメーカーへの希望でもある。

M3は、わざと4気筒で、F2エンジンの血筋を引くエンジンを載せた仕様を設けた。メルセデスは2・5リッターの16バルブ・ユニットを作って載せ、ついでに車体にはどでかいリヤ・スポイラーを付けた。そして、シエラのRS500というのは、レーシングエンジン搭載といってもいい市販車である。

こうしたレギュレーション解釈ギリギリという「市販車」がいくつか生まれ、それらが「グループA」仕様の名のもとに、サーキットに戻ってゆく。そして、そういうスペシャル・バージョンを作っておかないと、グループAバトルで勝利を呼べない。そういうレース状況になっているのが今日でもある。

ただ、以上の3車にしても、はじめに市販車ありきで、そこからサーキットへ入っていった。そして、その中でのニーズに応えて“スペシャル化”が進んだというのが経緯であったと思う。いまでこそ、レースのための生産車という趣もあるが、一応は「市販車・改」としてグループAレースは行なわれている。そういう歴史を持つ。

ふたたび、世に「グループA」というレースがある、というテーマに戻る。ここに述べたようなその歴史を、極端に短縮する。もっと言えば、発想を逆にして組み立てる。どうせレースをやるんだから、そのニーズも少しは入れてクルマを作っておこうよ……というレベルを超える。もっと、踏み込む。

──グループAレースで「最強」たり得るマシンを、まずイメージする。基本メカニズムや搭載パワーユニットなど、クルマの根幹のところから、その「最強」を構想する。そのために「開発」が必要なら、もちろん、それを行なうし、ブツやメカは新たに作り出す。なにせ「チューナー」ではなく「メーカー」なのだから、その気になれば何でも作れる。その立場を、フル活用する。

(つづく) ── data by dr. shinji hayashi

(「スコラ」誌 1992年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
Posted at 2016/03/01 16:27:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2016年02月29日 イイね!

マツダRX-7 IMSA GTO 《2》

マツダRX-7 IMSA GTO 《2》この“ワークス4ローター”にゴーサインが出たのは、1989年のデイトナ24時間レースの開催中だったといわれる。ただちにアメリカで開発チームが組まれ、ル・マン24時間レースでも実績のある4ローター・ユニットが広島から海を渡った。エントラントは、米誌で「ロータリー・マエストロ」と称されるジム・ダウニング率いるダウニング・アトランタである。

このプロジェクトはマツダ・モーター・オブ・アメリカ(MMA)が主催者で、スポンサーとなったのは全米のマツダのディーラーだった。したがってクルマには、パーツ・サプライヤー以外のスポンサー名は記されていない。そしてドライバーには、それまでマーキュリー・クーガーに乗っていたピート・ハルスマーを引き抜いた。彼は4ローターRX-7のシェイクダウン時に、「これはイケる!」と直感したという。

4ローターRX-7は、1990年のデイトナに2台がデビュー、いきなりポールポジションを獲得し、24時間後でも2位というリザルトを残した。初優勝は同年の第3戦である。そして第11戦、サンアントニオのストリート・コースでの勝利が、マツダRX-7にとって、IMSA・GTシリーズでの100回目の優勝となった。1979年に初代RX-7がデイトナでデビュー・ウインを飾って以来、12年間、毎年途切れることなく勝利を積み重ねてきた成果だ。

そして、1991年。マツダはIMSA・GTOクラス全15戦のうち、1位5回、2位5回、3位3回という安定した成績で、ドライバー部門とマニュファクチャー部門で“二冠”を達成した。ドライバーのチャンプは、もちろんピート・ハルスマーだ。3位にもRX-7のプライス・コブが入った。

ワークスでは、マスタングのフォードと300ZXのニッサンが同点で、2位を分け合うという結果だった。ちなみにこの年は、マスタングが5勝、300ZXも5勝していて、いかに接戦であったかがわかる。……と同時に、こういう闘いになるようにIMSAがレースをプロデュースしている。そのことを示すリザルトでもある。

とはいえ、ワークス4ローターで“勝ち”に行って、そしてきちんと“勝って見せた”マツダも見事だ。この1991年のウイニングマシンは、1992年に全米各地のマツダ・ディーラーを“巡業”して回り、いまはエンジンの生まれ故郷である広島のマツダ本社に帰っている。

しかし、この4ローターRX-7は、別に博物館に収まってしまったわけではない。ギヤ・レシオなどはアメリカ仕様のままで、鈴鹿サーキットでテスト走行をしたところ、このクルマはあっさり2分10~11秒で周回して見せた。このタイムは、グループA/スカイラインGT-Rよりも3秒は速い! さすが、特殊材質などは使っていない(フレームは鉄製のパイプだ)とはいえ、純レーシングカーの面目躍如というところか。

また、こうした「スペースフレーム+カウル」というかたちでクルマを作った方が、市販車に改造を重ねるより、はるかにおカネがかからないともいわれる。しかし、それでいてまったく見知らぬ格好のクルマではなく、どこかで市販車のRX-7やフェアレディZとイメージをつなげて、レーサーに仕立てている。レースを見物するファンにとっても楽しい。やるなIMSA!……である。

世界的に「GTカー・レース」が始まろうとしている昨今だが、こういうIMSA的な方法というのも、大いに参考になるのではないか。ともあれ日本でも一度、レーシング・スピードでの、このRX-7の走りを見たいものである。

(了) ── data by dr. shinji hayashi

(「スコラ」誌 1992年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
Posted at 2016/02/29 14:18:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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