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家村浩明のブログ一覧

2014年11月19日 イイね!

第2章 『R』の原点 その2

第2章 『R』の原点 その2 ~『最速GT-R物語』 史上最強のハコを作った男たち(双葉社・1996年)より

1989年8月、R32GT-Rがデビューしてすぐに、つまり世間が新型車の登場に湧いている時に、厚木のNTC=ニッサン・テクニカルセンター内で始められたことがある。それは「要素技術」のテストであった。何のためにと言えば、もちろん、来たるべき「次期GT-R」のためにである。そして「要素」とは、次世代のGT-Rを構成することになる(かもしれない)新しいユニットのことだ。

R33スカイラインの主管・渡邉衡三は、R32GT-Rの「ニュル」でのテストで、極めてシビアな「走り」の状況で必要とされる技術的なテーマを発見していた。またR32スカイラインでGT-Rを作ったが故に、その改良を中心としたいくつかの問題点を把握した。これらを解決するための「要素」のテストも、そこには含まれていた。

ブレーキ、クラッチ、エンジンルーム内の熱、フロントバンパー下のエア整流。あるいは、ハイキャスの特性、4輪駆動アテーサET-Sのトルクの前後配分、タイヤの特性、さらには、後にR33の基準車にも設定されることになるアクティブLSD。これらのすべてが、この時、研究と開発とテストの対象とされた。

たとえば、R32のGT-Rに追加されたブレンボ・ブレーキ装着仕様の「Vスペック」は、実はこの「要素技術」の研究から生まれたものだ。また、このVスペックでは「回頭性」が向上したことが指摘されたが、それもそのはず、この先行テストを踏まえてのE-TSチューンの変更で、4WDの前後トルク配分の見直しが行なわれていたのである。

このように、次なるものをめざして活動を続けている以上、いずれは「R33GT-R」の実現と市販に到達したいというのは、その研究やスカイライン・プロジェクトに関わっていたスタッフ全員の、当然の願望であった。

もちろん渡邉衡三もそのひとりなのだが、ただ、不安もなくはなかった。たとえばR32GT-Rは、基準車に対して駆動システムから違っており、エンジンも2.6リッターの別物を新作した。これは当時の「グループA」レースのレギュレーションで、車両重量との絡みで最も有利とされた排気量であり、R32主管の伊藤が「シリンダーヘッドとクランクだけ、ちょっと変えていいかな?」と、社内の了解を半ば強引に取りつけ、まんまと2リッター「RB20」エンジンからの飛躍を果たしたという、いわくつきのパワーユニットだった。

つまりR32のGT-Rは、そのベース車に比べると、このような技術的な大きなジャンプと新しい武器があったのである。また、それまでまったく空白であったところに、16年ぶりに「GT-R」というハードパンチを繰り出した──この意義と衝撃も大きかったはずだ。

実験主担としてR32を作り、そしてR33の主管というポジションに就いた渡邉は、ひそかに自問自答していた。
(R32GT-Rは、仮に60点の出来だったとしても、それまでがゼロだったのだから60点分のインパクトがあった。またその評価にしても、つねにゼロと比べてのものだった)
(しかしR33の『R』は、もし90点のものを作ったとしても、既存のものに対して、たかだか30点が上乗せされたものでしかない)……

さらに、もうニューGT-Rを飾るべき新しい“武器”はないよという声が、他ならぬ社内の他部署のエンジニアから聞こえてきたのも、渡邉を考え込ませた。そうかもしれないのだ。(「やりたい」と「できる」は違う。あのR32を、果して超えられるのか……)そして、身内というべきスタッフの中にも、「ハンパなら(R33のGT-Rは)やめたら?」という者がいた。その通りだと、渡邉も思った。

その間にも、市販中のR32GT-Rのモディファイは着々と進行していた。クラッチが変わり、ブレーキが変わった。前述のように、4WDシステムのE-TSも見直されて、市販モデルに盛り込まれた。でも、これらは、次代のR33GT-Rのための“武器”としてテストされているものではなかったのか。たとえば、冷却性能が高くて強力なブレンボのブレーキシステムを、R33GT-Rの“目玉”とするより先に、R32に装着して市販してしまったのは何故だろう? 

これにはレーシング・フィールドからの要請もあったであろうが、次期GT-Rの「要素技術」テストを続けてきたスタッフにとっては別の動機が存在した。たとえばその中心にいたひとりであり、このR32GT-R・Vスペック仕様の完成に尽力してきた実験部の吉川正敏にとっては──。

吉川の見解というのは、こうだ。各種の「要素技術」のテストの結果、R33のGT-Rを「出せる」という確信が生まれた。そうなったからこそ、逆にR32もきちんとやっておきたいと思うようになった。ブレーキでいえば「要素」のテストの後、実際にクルマに積んでの一年間の確認期間を経て、ブレンボ仕様をデビューさせた。先行開発のテストと、市販化のための確認作業は同じではないので、ちょっと煩わしかったが、これでよかったと思っている。

R33GT-Rの姿が、吉川正敏の中で少しずつ見えてきていた。故に、R32で「要素技術」の一部を見せてしまったとしても一向に構わない。そういう展望なのである。その背景にあったのは、彼が自身で見てきたサーキットでの現実だった。吉川はモータースポーツ好きであり、自宅の居間(庭ではない!)にレーシング・ロータス・エランを飾っているほどだが、サーキットにもしばしば足を運んでは、グループA・R32GT-Rのレースを見続けていた。そして、その中でひとつ重要な発見をしていた。

サーキットでのR32GT-Rは、年々速くなっていく。しかし、基本的なハードは変わっていない。ということは、ソフトと“ツメ”でクルマはいくらでも変えられるということではないのか? (新しい武器というのは、新しいハードということだけじゃない)

「ハンパなら、やめたら?」と渡邉に言ったスタッフのひとりとは、実は吉川正敏であった。その当の本人が、先行テストを経た結果、R33のGT-Rに向けて本気になりはじめた。

(第2章・了) ──文中敬称略
2014年11月19日 イイね!

第2章 『R』の原点 その1

第2章 『R』の原点 その1 ~『最速GT-R物語』 史上最強のハコを作った男たち(双葉社・1996年)より

R33のGT-Rを作るという仕事が、いつ始まったのか。これを判定することは、なかなかむずかしい。いや、これはGT-Rに限ったことではなく、クルマ開発の全般に言えることでもある。技術は常にヴィヴィッドであり、いろいろな開発がさまざまなタイミングで行なわれているからだ。

たとえば「先行開発」という時期がある。そこで研究され確認された新技術がニューモデルに搭載されると、その先行開発がすなわち新型車のスタートだったともいえるが、しかし、それはやはりクルマの開発においては準備期間というべきであろう。

R33GT-Rの主管である渡邉衡三によれば、R32の開発時期、つまりR32が世に出現するより前に、R31GT-Xの“ドンガラ”(ボディ)を使っての、スカイライン・スタッフによる“社内秘”の「Rプロジェクト」が存在したという。

何故そんなテストが行われたのかといえば、R31で「グループA」レースに出ていたからである。当時、その「R31・改」に積んでいた400psのエンジンでは、最強のグループAレーシングカーであったフォード・シエラの500psには勝てない。

しかし仮に、エンジンを600psにしたとしても、単なる後輪駆動(FR)ではリヤのトラクションに不足が生じた。では、そのハイパワーを四つに分散しようということで試みに4輪駆動にしてみても、既存の4駆方式ではどれもアンダーステアが強くてコーナリング性能が落ち、サーキット・ユースでは役に立たない。さあ、どうする……? 

ここから、前後にトルクを配分する「トルク・スプリット」というコンセプトの新4WDがイメージされ、これは後に、市販車R32GT-Rの「アテーサET-S」として世に出ることになる。新技術あるいは要素技術が市販車に展開された一例である。

そしてもうひとつ、ここからわかることがある。80年代のGT-Rとは、ことレースという側面では「始めに600psありき」「600psで、どうレースする?」というプロジェクトだったということ。いわばこれがGT-Rの原点ともいえるのだが、しかし、これをもって開発のスタートということはできまい。

ただ、ここで注目すべきは、R30、R31、R32、さらにR33に至るまで、ニッサン内部では、『R』に向けての研究開発とテストがまったく途切れることなく続いていた。そしてクルマとは、そのようにして日常的に研鑽されているものだということである。

また、R32のスカイラインは、フェアレディZやプリメーラとともに、ニッサンが1990年にシャシー性能で世界一になることをめざした「901活動」の産物として評価を受けた。だが、その後、この活動のことが対外的にあまり言われなくなったのは、「901」の灯が消えてしまったからではなく、社内的にそれが基礎技術として行き渡ったからであろう。そのひとつの例としては、この活動で多くの「評価・開発ドライバー」が社内に育ち、以後のニッサン車の「走り」のレベルを底上げしていることが挙げられる。「901」は終わったのではなく、初期の役目を終えて深く浸透したのだ。

そしてこれは後日談になるが、シャシーだけが突出してもクルマ全体としての向上は図れないということで、エンジン部門でもこの種のディベロプメント活動が始まり、後にそれは軽量V型6気筒の「VQ」ユニットとして結実することになる。

(つづく) ──文中敬称略
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家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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