
~『最速GT-R物語』 史上最強のハコを作った男たち(双葉社・1996年)より
「結局、もとに戻した」──。R33GT-Rのエンジンをどうするか。この問題で、パワートレーン開発本部(鶴見)の松村基宏が出した結論がこれだった。「もとに」とは、R32GT-R用に仕上げた「RB26DETT」と、たとえばカムシャフトやターボの径は同じにするということである。
栃木でエンジン実験を担当する恒川康介、そして厚木のパワートレーン設計部の堀内朋房ら、R32に引き続いてGT-Rのエンジンを担当するスタッフたちの意見も、最終的には同様であった。「RB26DETT」というGT-R専用に作ったエンジンの基本性能の高さと、その総合的なバランスの良さは、90年代半ばに世に問うことになるニューR33GT-R用のパワーソースとしても十分なポテンシャルを持つ。そういう結論である。
もちろん、そこに至るまでには、さまざまなテストとトライがあった。安直に同じでいいと決定したわけではなかった。カムシャフトだけでも10種類以上のパーツを試作したし、ターボにしても、小径にして応答性の方向に振ってみたり、あるいは径を大きくして高回転域でのパワーを重視したりといったチャレンジをした。
しかし、「ターボを小さくすると、ちょっとGT-Rのエンジンにしては“細い”イメージになる。……といって、大きなターボでは、下でのレスポンスが落ちる」。恒川は、結局R32用と同じターボ径に戻った経緯を、こう振り返る。
そして松村は言った。「R32(GT-R)をやったときの“技術投入量”は凄かったということです。6連スロットルにしても、市販車としては、まだ、どこも追随してない。5年経っても古くならない技術が(R32GT-Rには)すでに入っていたと考えてほしい」
さらに松村は、このR32からR33での、2モデルに渡って同じエンジンという姿勢の積極的な意味について、その胸中を明かした。ともすれば「新しさ」に逃げてしまう傾向がなきにしもあらずだったこの国のクルマ開発に対して、継続あるいは熟成というかたちでの「開発」もあることを提案したいというのだ。
こういう松村の発想には、彼自身のモータースポーツでの経験が投影されているかもしれない。クルマというハードを用いて行なうスポーツであるレースは、ハイテクを駆使しての最新技術バトルというイメージが振りまかれているかもしれないが、その実、意外に“カタい”世界である。たとえば、最新の技術には実績という保証がない。「新しさ」とはあくまでもトライであって、勝利への方程式とはならない場合が少なくないのだ。これは、モータースポーツの歴史が語る定理でもある。
実は松村は、二代に渡るGT-R評価ドライバーの加藤博義がN1レースに出場していた3年間を、エンジニアとしてサポートしていた。この間、レースのエントラントという闘いの場に自らを置いたのだが、「この世界、変えない方がベターであることって多いですよね」とは、そういう現場での切実な経験から生まれた発言なのであった。
そしてN1とはいえレースであるから、当然そこにはチューニングがあった。松村はメーカーのエンジニアとして、レースを先行開発の一部と考え、そのレーシング技術を市販車として展開できないかという秘かなリサーチも怠らなかった。R33GT-Rのエンジン開発でパートナーとなる加藤とのコンビは、このときからすでに密接なものだったし、またGT-Rとコンペティションとの密着がこのエピソードでも知れる。
さて、こうしてR33GT-Rのエンジン開発におけるスタンスが定まった。基本はOK、そこから熟成せよ、である。
エンジンは、「RB26」としての継続性を持たせる。基本的に同一エンジンを使うということは、これがR33用の新ユニットを作る作業における目標レベルの下限となる。そして第二には、そこから性能的に進歩していることが求められる。これがエンジンのスタッフに課せられた「上げ代」(あげしろ)である。
その熟成の方向は、ひとつは、ニューモデルでは車両重量の増加が見込まれるので、パワー(これは上げられないが)もしくはトルクのアップが必須であること。そして、もうひとつ重要なこととして、感覚面での“磨き上げ”があった。同じ280psでも、いっそうのパワー感というものは新たに出せるはずであり、そして8000回転まできれいに吹け切る感覚的な伸びの良さも、もっと磨きたい。これがR33GT-Rに向けたエンジン屋としてのテーマとなった。
新エンジンの開発は、まずは全開状況で所定の評価基準を充たしているかどうかに始まり、続いて、アイドルなどの細部のチェックに入り、そして一定速から最大トルクに達するまでどう回るかといった細部の評価に入っていく。この段階では、エンジン作りはもう既に“味つけ”の領域に入っているが、ここまではベンチテストでもできる範囲である。以上をクリアして、はじめて実車に搭載され、実走しての総合的なテストに突入する。
エンジンについて、評価&開発ドライバーである加藤は、いったいどのようなものを良しとしているのだろうか。松村によると、「エンジンは、おとなしく仕事をしてくれれば、それでいい」とだけ加藤は言うそうで、これは言い換えると、まったく問題なくクセもなく、かつ、いつでも望み通りに……という注文であろうか。何気ないが、実は極めて水準が高い要求というべきだ。
その「おとなしく……」という加藤の要求のレベルの高さを示す挿話を、松村が語ってくれた。「ひとつの例ですが、3500回転から(アクセルを)戻して、もう一回踏むと、ほんのちょっとトルクが“やせる”ポイントがあったんですね。そういうのを、テストコースを走りながら、加藤は見つけ出すわけですよ」
加藤の横に乗っていた松村は、運転を代わってもらい、直線コースで言われた通りにやってみた。たしかにそういう傾向はあると、松村にもわかった。このときの原因は、混合比がほんの少し濃かったことだった。
アクセルをオンにして、次にオフにし、また開ける。こういった「過渡的な領域」はかなり重点的にエンジン屋としてテストし、コンピュータ制御で補っていたはずだった。また、その電子制御に、より高い「知恵」を持たせるため、そしてよりコントロールを速くするため、R33GT-R用のユニットは16ビットのハードに変更してあった。だが「加藤は、その(コンピュータの)“式のはざま”を探し出しちゃうんですね……」(松村)。
もうひとつ、松村がこのR33のエンジンで大切にしたかったことがある。それは「昂揚感」だった。あるいは、高回転域での「伸び感」といったものだ。「リニア感はもちろん重要なんですけど、ドライバーがこう期待する――でも、まったくその期待値の通りでは、実は不満なんですね。まず期待通りのレスポンスがあり、かつ、それにプラスアルファあって、はじめてドライバーは満足する」(松村)
できあがった新GT-R用のエンジンは、これでも中速域でのトルクは抑えてあるのだという。単にトルクを出すだけなら、もっと出すこともできる。だがそうすると、ドライバーの感覚として、そのようなエンジンは「上が伸びない」ように思えてしまうというのだ。松村や恒川らの言う、基本は同じにして熟成方向で特性を磨くということの中身は、このようなレベルであった。
(第9章・了) ──文中敬称略