
§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection
1984年が現行型のデビューの年であったから、今年で5年目に入ることになる「89VW」は、ようやく、なかなか買いやすいシリーズになった。その最大のポイントは、パワーステアリング装着モデルの拡大である。もはや、高価なGT系や「L仕様」にこだわる必要はない。最も安価な「CI」を購入しても、ステアリングにパワーアシストが付くというのは、日本のカスタマーにとって大きな幸福だ。
輸入車として初めて、3万台の大台を越えての、年間3万2500台という販売計画も、あながち強気とはいえないかもしれない。(ただし、ディーゼル・モデルには、以上の改良は成されていない)
投入あるいは導入の5年目にして、フォルクスワーゲン・ゴルフ/ジェッタは、ようやく「ニッポンの大衆車」という資格を有したのである……と言いたいところだが、いや、もうひとつ、VWはわれわれ「大衆」に越えるべきカベを設けている。われわれに「選良」(?)であることを求めている。
それは「左ハンドル」だ。これは、乗ってるうちに馴れますよ……というようなレベルの問題ではないし、また、本国仕様はやっぱりよいですよ……などというものでもない。
要するに、ハナシは簡単なのだ。この日本という国は、英国や英連邦諸国、あるいはタイ国や香港などと同じように、クルマは左側を走る。その際には、ハンドルは右側に──つまり道路に対してセンター側に設ける。これは、それこそ自動車の先達である欧州が、われわれに教えてくれた「セオリー」である。
その基本なるものは、この国でも正しく適用してもらいたい。それに尽きるのである。他の右側通行諸国に左ハンドル車を投入しているように、ここ日本には、右ハンドル車を持ってきてほしいのだ。
たとえばだが、VWの母国である西ドイツのマーケットに、日本のあるメーカーが本国仕様と称して、あるいは、これしかないからとして、右ハンドル車を持ち込み、拡販すらしたいと宣言したら? これは物笑いであり、排斥ものでもあろう。そんな“反対側”にハンドルが付いている乗り物は、日常使用のためのギアとしては不適切だからだ。
「なにゆえ、われわれは貴社の製造した“クルマのようなもの”に、あえて、特別な準備や練習をしなければならないのであるか?」……。西ドイツのオーディナリー・ピープルは、このような疑義を発し、そして、その右ハンドル車には見向きもしないであろう。クルマにおけるハンドルの「右」と「左」は、このくらいに違うものである。(そうではありませんか?)
VW側は述べるであろう、その通りに、われわれは右ハンドル・モデルも、きちんと日本市場に導入している、と。いや、ぼくが言いたいのはそうではない。右ハンドル車のみがこの国では売られるべきであり、一部の追加車種に限っては、時に例外として、また過渡期の措置としては、左ハンドル車があってもいいかなということなのだ。
たとえば、GTというバージョンを本国でシリーズに追加した。何とか早く、日本の市場にも、その新しさを伝えたい。サンプル用にやむなく、本国仕様のままの左ハンドル車を入れるが、それはそのための措置であって、待ってさえくれれば、ふつうのハンドルのものを提供する。……と、以上のようであってほしいと思う。しかし、VWの現状はこうではない。むしろ「右」の方がスペシャルだというのが、そのラインナップには窺える。
じゃあ訊くが、日本市場は年間、いったい何台のVW車を買っているのか。われわれの生産数に較べて、ごくごく少数ではないか。……というのがVW側の反論であろうけれど、これには、さらに言いたい。英国と英連邦諸国のマーケットはVWにとって、絶対に、少なくない数の消費地であるはずだ、と。そこでは、すべてのVWが「右」のはずだ、と。
ハナシがここまで来ると、VWサイドには、また「外車」屋には、ひとつの奥の手がある。原則や原理はともかくとしてのこの国の現状というやつで、これにはぼくも反論できない。「だって、日本人は『左』の方が好きじゃないか!」
……その通りである。そのような“好事家”が、けっこうな数で存在する。それがこの国の「外車マーケット」の実状で、そこのいくばくかのカタい数というのを捨てることもない。そのように外国メーカーが考えても、それは仕方ないことかもしれない。とはいえ、それはあくまでも趣味の世界の、倒錯や特殊例もアリだという世界でのハナシである。
折からカレンダーの季節だが、左ハンドル愛好者というのは、ナショナル・ホリデーが日本とは違っている外国のカレンダーを飾り立てて、それを「味」や「文化」と称し、日常生活のためには、周囲の人々が持っている和製の手帳を開かせる。そのような存在にも思える。
東名高速の料金所で、大型外車が来るたびにブースから出て、サイドウインドーに身を屈めて身体を突っ込み、料金収受のサービスしてくれる係員の姿がある。そこで“君臨”する左ハンドルの各車がある。切ない光景である。
──VWゴルフ/ジェッタは、こと「走り」に関しては、乗ってすぐにわかるというくらいに良いクルマであり(たとえば、その挙動のナチュラルさは見事だ)、またVWは、敬意とともにこの言葉を使うけれど、すぐれた「大衆車メーカー」であると思う。さらには、この日本において、少数限定マーケットにおける覇者であることに甘んじていたくはない、そうした意欲ある“輸出屋”であるとも思う。ベーシック・バージョンであるCIにおけるパワー・ステアリング導入も、その一例のはずだ。
だからこそ、そういうメーカーであるからこそ、次は「ハンドル」! 日本で売るフォルクスワーゲンの、すべての仕様を「右」に。VWに提言する。
(1989/01/24)
○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
フォルクスワーゲン・ゴルフ/ジェッタ(89年~ )
◆本国仕様というやつを愛でる。こういう奇妙な習慣が「外車界」にはあって、これがよくわからない。排ガス対策の有無などでパワーが違ってたりすることもあるらしいが、しかし、国内・地域内の法規は守ってほしいとまずは思う。どうしてそのように「欧州」を、また欧州製をそのまま押し戴くのか? 一方では、日本仕様をきちんと作ること。これが海外の作り手の、われわれへの礼儀であるとも思う。「右ハンドル」は、そのような姿勢のベース中のベースである。
○2014年のための注釈的メモ
1989年当時、「輸入車」はこんな一文を書きたくなるような状況でした。まだ、海外メーカーが日本法人をつくる前のことです。そして、タイトルに「植民地」といった生硬な言葉があるのは、87~88年頃に英国で見た光景がその因であったと思います。それはF1グランプリが行なわれるシルバーストン・サーキットの駐車場でのこと。そこに駐まっていたランボルギーニ・カウンタックは「右ハンドル」だったのです。
……そうか、英国人はクルマはこうやって使うんだ! 思わず、誇りとか気概とか、そんな言葉も浮かびました。英国で走らせる際は英国仕様で乗る、それが原理であり原則である。イタリア製のスーパー・スポーツであっても例外とはならない。頑固にして爽やかなブリティッシュ・スピリットがそこにありました。忘れがたいその記憶が、このコラムのタイトルを付ける際に甦っていたようです。
Posted at 2014/12/24 20:44:46 | |
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