
§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection
ニッサン・シルビアは、「FR」という駆動方式を復権させたという意味で、やはり画期的なモデルであったと改めて思う。
……いや、この言い方は正確ではないか。シルビアというクルマが操縦感覚において、人の心身を気持ちよくそそることに大いに成功した。その際に用いられたハードウェア上での作戦のひとつが駆動方式の選択である。しかし、それはむしろ出発点で、「シルビアのよろこび」を生んだ功績のすべてが「FR」によるものではないからだ。(だって、べつにワクワクしないFR車というのもいっぱいあるからね!)
とはいえ、よくできたFR車は大いに“走り心”をかき立てる。このことは明らかになったのであり、忘れかけていた感覚が還ってきた。「FR」は80年代末期に見事に再生した。さらには、そのような“遊びと余裕”のクルマ作りを、それも量産レベルで行なえるほどに、われらがドメスティック・カーのフトコロは深く、その力量は豊かなものがあった。このこともまた、シルビアは証明したはずだ。
もちろん今日では、見事な出来の「FFスポーツ」も、あまた存在する。FF車でも、十分にスポーツできる。しかし、クルマ(の前)に引っ張られて速く走るか、それとも、クルマの“上”というか全体に乗って、そして全身で一体となって移動するという点で、FFとFRでは、やはり感覚的に異なるというのが私見である。
FFは、「速さ」に人が随(つ)いて行く。一方FRは、その「速さ」に人が乗れて、カプセル全体の速度感に人が包まれる。またFFは、エンジン部とカプセル部に、速いFFであるほど、かすかだが或る分離感がある。端的には、FRスポーツは“腰に来る”のに対して、FFスポーツはむしろ“頭脳に来る”のだ。
さて、シルビアである。このクルマについて、作り手は頑強に「スポーツカー」と言われることを拒むのだが、その挙動の魅力は立派にスポーツであり、快にして「fun」である。むしろ、そのスポーツ性の主張が過ぎるかと思うほど。おそらく、FRルネッサンスを多くの人々に知らしめたいという作り手の戦闘意欲がこうさせたと察するが、その「FRの主張」は高らかであり、あえていえば過激でもあった。
そのシルビアから、青臭さにもつながる主張のカドを取り、反応を穏やかにして、かつ、乗り心地をずっとシルキーにする。……とは言っても、もちろん、FRスポーティ・カーという基本性格はそのままに。ニューカマー、ニッサン180SXとは、そのようなクルマである。メカニカル・コンポーネンツはシルビアと同じで、それに3ドア・クーペを被せて新パッケージとしたものだが、第二弾である180SXは、以上のように、ややマイルドにまとめられた。
これは、洗練と呼びたい。しなやかで、そして、おもしろい。そういうクルマだからだ。シルビアと同じように楽しく、そして乗り心地に粗さがない。足のポテンシャルも高い。それは硬くないだけでなく、したたかにタフでもある。
スタイリングも、ファストバック・クーペながらも、リヤ・クォーター部分のマスが大きくなることを慎重に避け、細身のシルエットになることを狙っている。たとえば、フォード・プローブのマッチョな印象とはだいぶ異なるもので、その造型はデリカシーに充ちたものだ。
この180と、そしてシルビアの、最後の弱点はおそらくシートである。インテリアのデザイン・ワークとも連動した極めてスタイリッシュなそれは、しかし、太腿やショルダーのサポート、背骨の収まり具合などに、まだまだ一考の余地がある。基本形状の、さらなる追究を望みたい。
だが、そうは言うものの、180SXの“シルキー・スポーツ”という全体としての魅力は、やはり雄弁であり、このことは忘れたくない。マイナス査定のみで、クルマを批評したくはない。
(1989/04/25)
○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
180SX(89年4月~ )
◆ファストバックとノッチバック。この二種を較べると、日本市場は圧倒的にノッチバック好きである。ヌルリとした背中を、どうも好まない歴史がある。ヒット作ソアラが、もしファストバックであったなら? ……いや、そんな愚かな選択をトヨタはしなかったし、これからもしないだろう。シルビア vs 180SXの販売面での勝負は、そのような意味では、始めからついていることになる。日本市場が何故ノッチバック好みなのかは大いにナゾなのだが、ひとつは独立したトランクの要求。そして、リヤ・クォーター部が太くて重い印象になり、いわば“風が抜けない”感じになるのを厭うのではないかと思う。
Posted at 2015/01/17 07:30:15 | |
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