
スタイリングとしてSUVまでは跳んでなく、しかしミニバンよりはスマートかつシャープ。そして“乗用車寄り”に立ち位置を設定しつつ、場合によっては5人以上乗れる許容量がある……と、そんな現代ニッポンのニーズをまんま一台にしたような新型車が登場した。トヨタのウイッシュである。
そしてこのクルマ、立ち上がりの販売状況を見ても、まずは上々のスタートをしたといえそうなのだが、一方で、ひどくネガティブな反応もあるようだ。それはどうも、このクルマのディメンションやサイズが、既に市場に出ている「某社某モデル」に近似しているということらしく、たとえばボディサイズの数値では一部が同一であるともいう。
そのあたりの“ソックリぶり”をもって、後発車ウイッシュは、先発モデルのマネをしたけしからん機種だ!……ということらしいのだが、ただこれ、ジョークならともかく、クルマがそうやって(何かのデザインをマネして)作られているというのがそもそもハズレだし、また、評論としてなら、それはかなり粗雑でもある。
まず、誤解を恐れずに言えば、クルマという商品の場合、「同時代は似る」という大原則がある。逆にいうと、あるメーカーから、他の競争相手とは似ても似つかないものが出てきたら、それは「時代」と対した場合に何かのファクターが欠けていた。あるいは、何かの要素を故意に抜いて無視した結果の“個性”である。たとえば今日、「空力」を考えなければ、他車とは異なる独自のスタイリングができあがるだろうが、それがマーケットで評価されるかどうかは、また別の問題になる。
クルマとはしばしば、「外的な条件」によって、その企画や要件が左右される。この場合の条件とは、有形無形のレギュレーション、また市場の状況などで、無理やりまとめてひと言にすれば、それはやっぱり「時代」ということだろうか。クルマは、人(エンジニアやデザイナー)が作るのではなく「時代」が作っている。だから、おもしろいし興趣も深いのだ。
ハナシはちょっと飛ぶが、そうした外的条件、もっと言えば「規格」に則ってクルマ作りをすることにおいては、ジャンルは大違いだが、F1マシンと軽自動車がその双璧だと思う。この二つはともに、それぞれのジャンル内では、ライバル同士であっても、基本的なレイアウトや造形での区別が付かない。フォーミュラ・ワン車の格好は、同時期・同時代であれば、みんな“同じ”である。
そして話題の(?)ウイッシュの場合だが、サイズは5ナンバー枠にする、3列目のシートを設定、市街地での駐車を考えて全高も抑える……というのが、このクルマの要件だった。レギュレーションは一見なさそうに見えて、しかし実際は、ほとんど軽自動車並みにきびしい。それがこのクラス、このジャンルでの「規格」で、この点においては、このクルマに先発したことを誇る「某社某モデル」も、まったく同じだったはずだ。
クルマのコンセプト・ワーク、デザイン・ワークは、新型車として発表される何年も前に、それぞれのメーカーの奥深いところで行なわれている。したがって、互いに相手のマネをすることは、まず不可能。どこがどこのマネをしたウンヌン……よりも、ほぼ同時期に、異なる二つのメーカーが同じようなコンセプトでクルマを企画し、生産・販売した。このことの方がよほどニュースであり、ジャーナリズムが探究するなら、むしろこのネタの方を突っ込むべきであろう。
(「ワゴニスト」誌 2003年記事に加筆修整)
Posted at 2015/12/05 19:28:23 | |
トラックバック(0) |
00年代こんなコラムを | 日記