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2016年01月04日 イイね!

リヤビューの物語 《2》

リヤビューの物語 《2》そして、1950年代から60年代前半にかけては、自動車文化史上での“事件”があった。それは、当時のアメリカ車が巨大な「テールフィン」を強調するデザインであったことだ。たまたま、1960年に製作というビリー・ワイルダー監督による『アパートの鍵貸します』を見ていたら、画面の中のニューヨークのタクシーがその高い「フィン」を持っていた。プリムスあるいはダッジとおぼしき画面の中のキャブと似た造形のアメリカ車は、当時の日本の路上でも同様に、少年たちのクルマへの興味を鼓舞するかのように“棲息”していた。

高級車であるというキャデラックの「フィン」はむしろおとなしく、テールが派手ななのはダッジとかシボレーとか、比較でいえば廉価なモデルの方だった。その「フィン」の高さではダッジが勝っていたが、しかし、派手ということではシボレーも負けていなかった。1959~60年頃のシボレー・インパラは、ほとんどテールグリルとでも呼びたいような、リヤ・コンビランプを中心とする厚化粧の“顔”をリヤの全面に貼り付けていた。

その頃に少年であった世代として、この「テールフィン」による“刷り込み”が後の「リヤこだわり」を生んだのではないかといわれれば、それはそうかもしれない。また、コドモの好奇心としてクルマに関心を持ち出した時期が、ちょうどセダン、そしてクーペの時代だったということも、後の「リヤこだわり」に影響していたとも思う。

たとえば今日のようなミニバン時代では、ことリヤビューにおいてはそんなに「デザイン代(しろ)」がない。これは衆目の一致するところであろう。こういう時代に、仮にクルマに関心を持ち始めた少年少女がいても、大きなテールゲートがあるだけで比較的変化に乏しい「リヤ」にこだわるという志向は生まれないのではないか。

         *

しかし、セダンを主役とする「乗用車の時代」においては、リヤビューは雄弁であった。ルーフ、リヤウインドー、トランクルームのそれぞれで、造形的に多様な選択肢があり、それらをどう組み合わせるかということでもバラエティがあった。ルーフをどこまで、どういう形状で引っ張ってきて、その先のリヤ窓はどのくらい寝かせて、そしてそれらとトランクの出っ張り具合をどう組み合わせるか……とやっていくと、ほとんど無限に近い「解」があったはずだ。

そしてこれに、「セダンの時代」だからこそ、じゃあ「クーペはどうするんだ?」という嬉しい難題が絡んでくる。セダンである限り、実用性や日常使用における有用性といった要素をどこかで気にしなければならないが、しかしクーペであれば、それらは一切無視していい。造形として、ただただ「美学」のみを追える。そのことがデザイナーに許されていただけでなく、実はカスタマーの側でも、その種の奔放さや非・日常性の具現化をクーペには望んでいた。

日本クルマ史上における1960年代は、クルマについて作り手と受け手の間で、このような合意があった「美的な10年間」ではなかったか。そして見方を変えれば、この時期のクルマ──いや自動車は、まだまだ、見て楽しむもの。さらにいうなら、見て憧れるためのものであり、クルマを“使い倒す”などというのは、庶民にとってはまったく想像の外にあった。

そんな“憧憬の時代”に咲いた最も美しいリヤビューといえば、やはり、イタリアに生まれて日本に降臨した、この貴婦人をおいてほかにない。また、ジゥジアーロというデザイナーの作品史から見ても、このクルマの優美さと「艶っぽさ」は群を抜いていると思う。そう、あの「いすゞ117クーペ」である。

当時のフローリアン・セダン(コードネーム117)のカスタム・クーペという出自だったこのモデルは、その生産においても、手作りの部分をいくつか残していた。そのひとつが、ルーフからリヤ・クォーターに連なる、柔らかい光を持つアルミ製の長いガーニッシュである。そのパーツは生産現場では「長刀」(なぎなた)と呼ばれ、きちんと「合わせる」のが大変な大型部品として、文字通りに手のかかる難物であった。このクーペが生産ラインに一台加わると、生産の“流れ”の速度が恐ろしく遅くなった……とは、いまに残る「117伝説」のひとつである。

ただ、このクルマは、当時の言葉でいう「外車」(輸入車)並み、あるいはそれ以上に高価であった。そんな117クーペに対し、その四分の一程度の価格で、しかし造形の切れ味では決してヒケを取らないという和製のクーペがあった。それが初代サニーのクーペである。このクルマの背中が見せたシャープさと軽快さ、そしてその「潔さ」に匹敵するデザインというのは、その後もなかなか登場しなかったと思う。

(つづく)

( JA MAGAZINE 2010年 Jan vol.44 より加筆修整)
Posted at 2016/01/04 21:45:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ史探索file | 日記
2016年01月04日 イイね!

リヤビューの物語 《1》

クルマのリヤビューにはこだわりますか?……と問われて、「もちろん。クルマはリヤビューですよ。それに、リヤビューが好きなクルマというのは、長く乗れますし」と、ほとんど反射的に答えてしまったのだが、しかし、答えた後でふと気づいた。こうした「リヤこだわり」というスタンスはそんなに普遍的なものではなく、ある世代に特有なのかもしれない、と。

たとえば、「なぜリヤビューなのか」を考えてみると、その理由は、リヤビューを見る機会の方が圧倒的に多かったからであろう。では、それはなぜか。クルマ、いや当時はもっと仰々しく「自動車」といっていたが、自動車はそれを見ようとする少年の前を圧倒的な速さで走り去っていくものだったからだ。

クルマ好きの少年にとってのナマで見る自動車とは、その後ろ姿を見送ることだった。視界から消えようとする自動車を指差して、「あ、※※だ!」「そう、あれは※※だね」──。友だち同士でこんな確認をしながら、自動車のリヤビューを懸命に追った。1950年代の後半から60年代の前半にかけて、都市の幹線道路の傍らには、こういう少年たちが少なからずいたはずである。

そして、そういう少年たちは、場合によっては目を付けたその自動車を自転車で追いかけることもした。もちろん、当然ながら、いまの言葉でいうチャリでクルマに追いつくわけはなく、少年たちの努力はあっけなく無に帰す。しかし、この場合も、必死で見ていたのはやっぱり自動車の後部であった。

そして、なぜ、そんな無意味な“追っかけ”をしたかというと、幹線道路といえども(業務用以外の)自動車が走ってくるという状況がまずレアで、なかでもクルマ好き少年のココロを揺さぶるようなモデルは、道端で待機していたとしても、滅多なことでは走って来なかったからだ。

        *  

この点について、ひとつ個人的な事情を書くことを許していただくと、筆者は小学校の高学年を、東京都大田区の「環七」(環状七号線道路)に面した立地の学校で過ごした。ちなみに、筆者が10歳の時とは1957年であり、その後、12歳でその小学校を卒業するまで、同じような興味と傾向を持つ友人と一緒に、休み時間のたびに校庭に出ていた。そして、学校と「環七」を隔てている金網に顔をくっつけ、目の前の片側二車線という広い道路を自動車やオートバイが疾走するのを見ていた。

付け加えると、ここで「疾走」としたのは決して誇張ではない。当時の大田区・環七は日本でも有数の、高速で走れる“いい道路”であった。近くには国道一号線も通っており、その一号線(第二京浜と呼ばれていた)と環七は松原橋で交わっていて、それは日本で最初というインターチェンジによる立体交差になっていた。1960年頃の「環七」と「第二京浜」は、いいクルマを持っている人たちがわざわざ走りに来る、そんな“高速道路”であった(らしい)のだ。

さらに後日談を加えると、60年代後半以降のモータリゼーションの急速な発展は、すぐに、増えすぎた自動車による騒音問題を引き起こすことになった。幹線道路に面したその小学校は、一転して、その立地自体が学校にとってのネガとなる。その結果行なわれたのは、学校と「環七」とを高い壁で隔てることだった。今日でもその学校は健在だが、外(環七)側からでは、ただ“隔壁”が見えるだけ。その壁の向こう側に小学校があることを想像することは極めて困難である。

(つづく)

( JA MAGAZINE 2010年 Jan vol.44 より加筆修整)
Posted at 2016/01/04 16:31:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ史探索file | 日記
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「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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