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家村浩明のブログ一覧

2016年01月23日 イイね!

トヨタ-7ターボ 《2》

トヨタ-7ターボ 《2》そして、それは次のような展開を生む。アメリカ西海岸、アマチュアのスポーツカー・レースを発端とするカンナム・レースだったが、そのヨーロッパ・スタイルのレースが、F1のドライバー/コンストラクターとつながったのだ。当時(60年代後半)のF1は、欧州ラウンドを終えた後、アメリカとメキシコでGPをやっていたが、その「F1組」がこの“カンナム”に注目し、続々と参加し始める。

ドライバーでいえば、ブルース・マクラーレン、ジョン・サーティース、ジャッキー・スチュワート、グラハム・ヒル、デニス・ハルム。コンストラクターではマクラーレン、ローラ、後にはポルシェ、フェラーリ、マーチ(現レイトンハウス)など。そうなると、これはもはや“草レース”ではない。これらのヨーロッパ勢に対して、アメリカ人として彼らを迎撃したのが気鋭のテキサス人ジム・ホールで、そのマシンが“怪鳥”シャパラルだった。

1966年からシリーズ化された「カンナム」は、はじめから大成功を収める。同時に、アメリカのレース・シーンに、貴重で国際的な歴史を刻んだ。1966年のチャンピオンは、ジョン・サーティース/ローラ。1967年から70年までは、ブルース・マクラーレンとデニス・ハルムが乗るマクラーレンの全盛で、20連勝という記録さえあるが、その連勝を止めたのはポルシェ908(3リッター)だった。

ブルース・マクラーレンの事故死は、このカンナム・マシンをテスト中の出来事である。また、日本グランプリでトヨタやニッサンと対決したのも、このカンナム用のローラやマクラーレンであった。

1970年、トヨタは負け続けの「日本グランプリ」のために、もの凄いプランを立てた。5リッターV8エンジンの「ターボ化」である。この「ターボチャージド・トヨタ-7」の出力は800馬力といわれ、現在のグループCカー並みで、当時としては驚異的なものだった。また、カンナムが「ターボ時代」となるのは1972年のポルシェからであり、その意味でも最先端だった。

だが、この驚異の「トヨタ-7」の目の前から、ライバルは突然消えてしまう。
「現下の自動車を取り巻く周囲の情勢から、安全公害問題に全力を尽くすべき時期である。大排気量プロトタイプ車による高速走行安定などに関する研究は、昨年までのグランプリ・レースにおいて、一応初期の目標を達成した」

「日本グランプリ」に2年連続で勝ち、1970年6月の全日本富士300マイル・レースに「R382」でワンツー・フィニッシュ(トヨタは不参加)したニッサンは、その次の日に、このような衝撃的な声明を発表した。

1970年の「日本グランプリ」に、ニッサン・ワークス出場せず……! この結果、秋の「グランプリ」というイベントそのものが中止となり、日本のレーシング・シーンは“冬の時代”へと入っていく。「ターボチャージド・トヨタ-7」は幻のモンスターとして、歴史と記憶の中のマシンとなった。「日本グランプリ」以外の闘いの場として、ひそかにイメージしたカンナムにも、ついに出場することはなかった。

1970年頃のカンナムは、常勝マクラーレンが衰退していた時期に当たり、各車がさまざまなトライとバトルを重ねていた時期だ。いわば過渡期であり、ターボによる圧倒的なパワーをもってすれば、トヨタ-7にとって「もし!」があり得たのではないかとも思われるが、もちろんそれも、すべて幻である。

そういえば1960年代後半から1970年頃というのは、日本のメーカーはモータースポーツの草創期でありながら、いや逆にそれ故にか、海外のレース・シーンに進出して、その力を試していた時期だった。ホンダはF1へ。ニッサンはサファリ・ラリーへ。マツダ(当時・東洋工業)はツーリングカー・レースで欧州へ。トヨタのカンナムへの夢は、そういう状況の中でのアメリカへの展開であった。

……ついに「時代」とミートすることがなかった800馬力の怪物マシンは、いま、静かなる日々をトヨタ博物館のフロアで過ごしている。さらば、60年代。そして、さらば、巨大ウイングの時代。

この「ターボチャージド・トヨタ-7」は、少なくともエンジンにおいては、日本の自動車工業がこの時点で既に世界レベルにあったことを示すモニュメントである。「国産車」の歴史の中のひとつの頂点として、長く記憶されるべきクルマであろう。

(了) ── data by dr. shinji hayashi

(「スコラ」誌 1992年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
Posted at 2016/01/23 20:53:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2016年01月23日 イイね!

トヨタ-7ターボ 《1》

トヨタ-7ターボ 《1》“怪鳥マシン”ニッサン「R381」が勝利した次の年の1969年から、「日本グランプリ」は秋の10月に開催される祭りとなった。そして5月には、もうひとつのグランプリが企画された。フォーミュラ・マシンによる「JAFグランプリ」である。スポーツ・プロトタイプカーとフォーミュラと──。日本のモータースポーツ界は、ようやくこのような態勢を作ったが、もちろん、圧倒的な人気があったのはスポーツカーの方であった。

1969年の「日本グランプリ」は、68年に続いて、ニッサン、トヨタ、そして有力プライベート・チームのタキ・レーシング。この3チームによる“TNT対決”で沸いた。そして、何と言っても5・5リッター・エンジンの「R381」が勝利をさらった翌年だ。各チームはそれぞれにビッグマシンを準備して、秋のグランプリに備えていた。

この年のレギュレーションは、富士スピードウェイ一周6㎞(当時)のコースを120ラップする。720㎞という、そんな耐久イベントに近い距離を、スポーツ・プロトタイプカーが走り、クルマは実質的にはどんなものを持ってきても(作ってきても)いいというものだった。

このようなルールでは、必然的に情報戦争となる。出場マシンの内容や有力ドライバーの動向、誰が誰と組むのか(セミ耐久なので、ドライバーは二人でクルーを組むことができた)など、さまざまな憶測やニュースが乱れ飛び、グランプリに向けて盛り上がった。

3リッターの「トヨタ-7」で、シボレーV8/ニッサンに歯が立たなかったトヨタは、この年、ついに5リッターのエンジンを積んだ。タキは、ほぼ当時のポルシェ・ワークスに近い態勢を「日本グランプリ」のために作り、4・5リッター・エンジン搭載のポルシェ917まで自チーム内に用意した。ともに、「対R381」ということで大排気量化したのだ。これに対するニッサンは、“怪鳥”「R381」に続けて「R382」というニューマシンを開発し、受けて立つという格好になった。

有力3チームが、それぞれ5リッター級のビッグ・レーサーを持ち込んでの「富士」でのデッドヒート! ……になるはずだったのだが、実際はそういうグランプリにはならなかった。ニッサン・ワークス、1968年に続いて、日本グランプリを制す! 

なぜなら、“レース巧者”ニッサンが「富士」に持ち込んだ「R382」には、もはやシボレーV8(5・5リッター)は載っていなかったからだ。積まれていたのは、秘かに開発されていた自社製のV型12気筒DOHC4バルブ。その排気量は、「トヨタ-7」よりさらに大きい6・0リッターだった。

グランプリ・レースは、「R382」のワンツー・フィニッシュで終わった。1位黒沢元治、2位北野元。二人ともコ・ドライバーにステアリングを渡すことなく、720㎞のレースをひとりで走り切った。トヨタは完走したものの、3/4/5位を占めるにとどまった。

トヨタ・ワークスは2年続けて、ニッサンの大排気量パワーと情報戦略に屈したのである。このような経緯を経ての1970年、二連敗した側が考えるグランプリ戦略プランとは、おそらくたったひとつだ。そう、「もっとパワーを!」である。

そして、このような展開を支える背景が当時にはあった。それが「カンナム」(CAN-AM)という名のレースだった。カナディアン・アメリカン・チャレンジカップ、つまり「カンナム」。このレースのコンセプトは明快だった。要するに、何でもアリ。どんなクルマを持ってきてもいいから、速いのは誰かを決めようということである。

現実的には、エンジンはチューンド・アメリカンV8が主力となったが、ルール上は、エンジン排気量は無制限だった。ウイングもOKだし、ツイン・エンジン、トリプル・エンジン(エンジンを複数載せてしまう!)さえ出現した。そして重要なのは、この「カンナム」の場合、「インディ500」のようなオーバル(楕円)コースを回るのではなく、ヨーロッパ・スタイルのロードコースをその舞台としたことである。

(つづく) ── data by dr. shinji hayashi

(「スコラ」誌 1992年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
Posted at 2016/01/23 19:15:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
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「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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