2016年08月27日
……あれ、ハナシが「幕末」から「ジェロニモ」にまで逸れてしまった。ともかく、全米各地で自然発生的に始まったベースボール(の原型)は、人々がプレーする広場ごとに、それぞれルールや決め事があった。これが草創期の実状だったと想像する。
そして、各地のシティやタウンでベースボール・ゲームが行なわれ始めた頃は、それを競技する「場」もさまざまだった。そのサイズにしても、市街のワンブロックの大きさは「街」によって違うだろうし、空き地の広さやカタチ、それをベースにしたボール・パークの形状などもいろいろであったと思う。
1869年にシンシナティに誕生したアメリカ初のプロ・チーム、「シンシナティ・レッド・ストッキングズ」(後のシンシナティ・レッズ)は全米を転戦して回ったそうだが、彼らは訪れる街ごとにボール・パークの形状や広さが異なることを体感しつつ、各地で試合をしていったのではないか。
そして、来訪してきたシンシナティ・チームと、ホームタウンの野球チームとの対抗戦。それが「できた」ということは、基本的なベースボールの統一ルールは、1869年時点でほぼできあがっていたのだろう。
「21点先取」でゲームが終わるのではなく、3ダウンで攻守が交代して、9イニングの表と裏での獲得得点を競うなどのルールは、1857年には既にできあがっていたようだ。また、初期には「8ボール」や「7ボール」で打者が一塁へ歩いたが、それが「5ボール」になり、そして今日の「4ボール」となったのは、シンシナティ・レッドストッキングズの創立から20年後(1889年)だったという。
また、バッテリー間の距離は、当初の50フィートから、1893年に60フィート6インチ=18・44メートルになった。何で、せっかく改定したのに、60フィートにプラス「6インチ」というハンパが付いているのかというと、60フィートに決まったというメモの「60・0」を、実務担当者が「60・6」と見誤った。以後、その「プラス6」がずっと踏襲されているという、ウソのようなハナシが伝わる。でも、これはたぶんホントのことなんだと思う。
ちなみに「6インチ」とは、約15センチほど。仮に、既にマウンドを造ってしまった後でも、それを「60フィート」に修正するのは、そんなにむずかしいことではなかったとも思うが、そうなったら今度は「何故、60フィートぴったりでなければならないんだ?」という反問が出現して、それには誰も答えられなかった。案外そんな理由で、「60・6」が生き残ってしまったのではないか。
さて、こうして塁間やバッテリー間の距離など、つまり「内野」に関しては厳密な数値も含んでルールの整備が行なわれていったが、「外野」とその奥というか、ベースボール・パーク(球場)の広さやサイズを統一しようとは、やっぱり、誰も思わなかったようだ。ボール・パークの仕様(スペック)なんて、「その街なり」でいいんじゃね?……この彼らの大らかさには、アキレを通り越してちょっと感動する。おもしろい国ですね、アメリカって!(笑)
前にも書いたことだが、外野の塀を越えたショット(ホームラン)は、それだけで「1点」が入る。その塀までの距離が違うというのは、サッカーに例えるなら、地区やピッチによってゴールマウスの大きさが異なるのに近いとさえ思うが、対戦する2チームが同じ条件でゲームをしているのなら、それは何の問題もない。これがおそらくアメリカ流、そしてベースボール的なルールの解釈と判断なのではないか。(なんか、少しずつ彼らの感覚がわかってきたような……笑)
ベースボールにおける、そうした自由さと「不揃い」は、アメリカがそもそも「合州国」であることと関係があるかもしれない。州境を挟んで、法律や慣習が変わるのは当たり前。軍事的にも「州」が独自の州兵を持っていたりするというのは、“超・中央集権国家”の民である現今の私たちには、なかなか想像しにくい部分である。
(ただ、これって実は「明治以後」百数十年のことで、江戸時代にはこの国も「合邦国」だった。江戸期の人々が「くに」と呼んでいたのは、それぞれのお殿様が治める「藩」のことだった)
フッと思うのは、アメリカ人にとってのベースボールは「競技」というよりも、カテゴリーとしては「遊戯」(エンターテインメント)に属しているのではないかということ。競技 → 闘い → 作戦・戦略 → 戦争……というようなラインの上に、ベースボールはどうも乗っていない?
いや、表面的にはベースボールは、この種の用語や言葉で満ちている感がある。ただ、それはいわば表層で、底流というか基本精神のところでは「競技」や「戦争」と微妙にズレている気がする。ベースボールは、たとえば、安息日にみんなで踊るフォークダンスとか、週末のカントリー・ミュージックのジャンボリーで家族バンドが歌っているとか。スピリット的には、コッチ(エンタメ)方面に属するゲームなのではないか。
そして、技術的な頂点ということでは、野球ではメジャー・リーグ、エンタメではブロードウェイのミュージカル。この二つが「テクニカル」な意味でのアメリカのツインピークを構成する。この二つは無縁のようで、しかし、アメリカ人のココロの奥深いところではツイン(双子)として肩を並べている……とまで言うと、ちょっと妄想が過ぎるか。
それはともかく、彼ら米人にとってのベースボールは、「競技」である以上に「遊戯」(エンタメ)であって、ベースボールで大切なのは「やる」(プレーする=演る)にしても「見る」にしても、まずエンジョイすること。この基本精神が、メジャー・リーグをはじめとするアメリカのベースボールに受け継がれているように思う。
何より、ベースボールの試合開始に際して、審判が手を挙げつつ(これは宣誓ともつながっているのか)宣言するのは「プレー!」である。つまり「さあ、遊べ」。プレーヤーは、こう言われてグラウンドに出て行く。これから、みんなでボールと戯れる時間だと、グラウンドの両チーム、さらには観客も合意して、ベースボールは始まるのだ。
(「プレー」「プレーボール」は、野球以外のボール・スポーツでも用いられるが)
(つづく)
Posted at 2016/08/27 17:50:17 | |
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