
アコード・ハッチバック SJ/SM (1976)
1972年にデビューしたシビックは、800~1200ccという三種のエンジンではどれを載せるかで実走テストを行ない、低中速のトルクに着目して1200ccエンジンを選択した。これは同社のそれまで、つまりS600~800や空冷1300などで用いられた高回転・高出力タイプのエンジンとは一線を画すもので、このエンジン選択は、シビックがニューエイジのホンダ・コンパクトであることの象徴でもあった。
そして、その4年後。今度は、当時の「中・上級車」の常識や感覚に囚われないミッドサイズの新型車が、またしてもホンダから登場。搭載エンジンは1600cc、そしてボディ形状は、2ドア+ハッチバック(=3ドア)のみというアコードである。
ノッチバックの3ボックス・セダンが「上級車」の条件と常識であった時代に、これは画期的な提案と挑戦だったが、メーカーとしてそんな勇敢なことができたのは、やはりシビックでの実績があったからか。“リッター・カー”のシビック・コンセプトを、そのまま「中級車」に拡大したようなアコードのクルマ作りは、それもそのはず、シビックとアコードの開発担当責任者は同じエンジニアであった。
(ハッチバックのみでデビューしたアコードは、一年後の1977年に、4ドア・セダンの「サルーン」をラインナップに追加し、その“守備範囲”を拡大する)
モータースポーツやレース活動、またスポーツカーや高性能車をもって「ホンダらしさ」とする見解は多いが、しかし、今日のビッグな「市販車メーカー」としてのホンダの基礎を築いたモデルを、もし探すなら、それは紛れもなく、1970年代にそれまでのホンダ・カラーを破って出現したシビックとアコードの二機種である。この2モデルとその成功がなければ、ホンダは今日とは異なるタイプのカンパニーになっていたのではないか。
(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/09/24 16:40:43 | |
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