
§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection
マツダ・ルーチェというクルマの“劇的なる生涯”には、なかなか興味がある。劇的と言ったのは、ニューモデルごとに、ルーチェは「時代」の変化をそのまま露わにするかたちで出現するからである。
それは、そのクルマに対するメーカー側の姿勢が定まらないからか? それも少しはあるだろう。しかし作り手は、自社の最高級車という一貫性を示してもいる。その意味では変わってはいず、変化はやはり受け手(=市場)が担っているのだと見なければならない。
むろん、すべての長生き商品は時代とともに在り、呼吸する。そのようにして生き残る。しかし、たとえばカローラはルーチェのように揺れてはいない。したたかに一本道だ。隣のクルマを小さく見せるべく出発したこのクルマは、スポーツ性やゴージャス性を採り入れつつ、「大衆車」から「中流車」へと行き着いた。
さてルーチェだ。ルーチェが呼吸し、そしてそこで体現し続けたもの、それは高級感への憧憬であろう。もう少しロコツに言えば、いま欲しがられているクルマとは何か、どんなクルマなら、たくさんおカネを出してもらえるのかという設問への、その時々のメーカーの回答であったと思う。
初代、時は1966年。ルーチェは、まんまイタリアン・デザインでデビューした。ベルトーネの流麗な簡素美! マツダ(当時・東洋工業)のみならず、この頃はいろんなクルマがイタリアのデザイナーによって線を引かれていた。国内初の「レザートップ」(懐かし!)装着モデルという栄誉を担うのも、このルーチェである。
70年代。少しずつ自信を持ってきた日本のメーカーは、「イタリア」から脱する。アメリカ車のゆったりした豪華ムードに、日本的なキメの細かさを塗したクルマが「高級車」の定理となる。
そして、センターグリルの出現。伝統がないことを誇りとする視点や立ち位置もあると思うのだが、そうではなく、そのことを気にしていることを逆に明らかにするような“大きな顔”が中央でニラミを効かす。そういう「高級車」である。このギトギトした外観とフカフカの内装、ナンジャクな足というのは、いまに至るまでのニッポンの高級車の持ち味で、ルーチェもその例外ではなく、二代にわたってこれと付き合った。
そして、プレ90年代の今日。高級車にも「走り」、つまりファスト・ドライビングが要求されるようになった。いや、走りが優れているものが高級車なのだ、という時代が見えた。すなわち、ヨーロッパの高級車である。
「日本の新しい高級車」と、ルーチェは謳う。堅牢極まるボディをまず作ることに意を払い、凝ったサスペンションを設計し、ともかくシャシーを頑張る。滑らかな多気筒エンジン、まったく新しいV6ユニットの開発。走りの微妙なテイストにこだわった故の、FRレイアウトの継承。
走ることが好きなぼくたちは、このような「高級車」を支持する。そして、願わくば、もっとメッキ部分の少ない、もっとシンプルな、そして、もっと欧州某車に似ていない「高級車」の登場を期待する。次こそは、より吹っ切れた「新しい高級車」であることを!
(1986/11/05)
○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
ルーチェ(86年9月~ )
◆高級/高価車における「顔」とは、なかなかデリケートなものであるようだ。強い主張性というか識別性というか、そういう要素もこの種のクルマには必要なようで、ホンダのアイデンティティである「グリルレス」で売り出したレジェンド・セダンは、89年に“光る顔”を付けたら、果たして売れ始めたという。大きくて立派なホンダ車ということだけではダメで、レジェンドという別格性が求められたのだろう。ルーチェは? ……いい足はできた。いまは、これだけを記す。
○2014年のための注釈的メモ
このコラムで「生涯」などという言葉を使ったせいなのか、結局ルーチェというモデルは、1986年に登場したこの5代目で、その20年に及ぶ歴史を閉じてしまった。1991年に生産終了(タクシー向けは継続された)となり、同じポジションには「センティア/MS-9」が投入されて、マツダの最上級&FRモデルの座を引き継いだ。そのセンティアは見事に“脱ルーチェ”を果たし、まろやかな曲面と小さなグリルの流麗なデザインになっていた。
Posted at 2014/07/27 06:14:07 | |
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