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家村浩明のブログ一覧

2014年08月31日 イイね!

「S-エネチャージ」を“目立たせない”スズキの気概

「S-エネチャージ」を“目立たせない”スズキの気概スズキが、同社の省燃費機能のひとつである「エネチャージ」をさらに展開し、「スーパー・エネチャージ」(S-エネチャージ)として、ワゴンR/同スティングレーに搭載してきた。(ワゴンR・FZ、スティングレーX)

そのベースとなった「エネチャージ」というシステムを、ここでもう一度確認しておくと、まず、クルマのオルタネーター(発電機)は、普通、エンジンのパワーによって動いている。言い換えれば、エンジンの出力の一部はこの作動のために使われ、つまりは、出力(パワー)はそれによって食われている。大排気量エンジンなら、そんなことは無視できる範囲だろうが、軽自動車のような660ccエンジンではそのロスは小さくない……というのが、おそらくこのシステムの出発点だ。

さて、一方でクルマのエンジンは、アクセルをオフにしてガソリンの供給を切った時でも、実は(タイヤとつながっているので)そのまま回っている。このことに着目し、この場合の、いわば何の役もしていない“動力”を「減速エネルギー」として活用できないか。EVやハイブリッド車のブレーキング時での「回生」ともつながるこの考え方から、「減速エネルギー」でオルタネーターを作動させるという策が生まれたはずだ。

クルマがクルマとして動き続けるためには電力が必要だが、そのための発電機能の確保に、エンジンのチカラを用いることはしない。これが「エネチャージ」の基本であり、その「減速エネルギー」によって生み出された電気は、高効率のリチウムイオン・バッテリーに貯め、そこから電装品に電気を供給する。これが「エネチャージ」の第一世代だった。

今回の第二世代、「エネチャージ」のスーパー版である「S-エネチャージ」は、そのオルタネーターを、モーター機能付きの発電機に換装した。その発電機は、名付けてインテグレーテッド・スターター・ジェネレーター、つまり「ISG」。そして、この「ISG」に、三つの機能を持たせる。

まず、発電できる機能を、第一世代エネチャージに対して約30%アップ。そして、新設されたモーターという機能で、アイドリング・ストップからエンジンを再始動する際に、この「ISG」をスターター・モーターとして作動させる。さらに、これはモーター(電動機)であり駆動力もあるので、クルマの加速時には走行の「アシスト」も可能だ──。

* 

……というように書いていくと、説明の仕方もマズいのか(笑)何やらひどくややこしいことが始まったように思えるが、視点をちょっと変えて、カスタマーにとっては、この新装備は何なのかということを見てみよう。

まず、アイドリング・ストップの後のエンジン再始動、この方式がどうも変わったらしい? それから、ハイブリッドとは謳っていないが、モーター(電動)によるアシスト機能が付加されたということは、クルマの駆動(クルマをどう動かすか)にも、何か変化がありそうだ?

そんな“予断”をもとに、試乗を開始。アイドリング・ストップは、スズキの場合、時速で13キロ以下になったらエンジンは止めてしまうという設定だが、これはこれで、ハッキリしていていいと思う。メーカーによっては、ドライバーのアクセルワークなども細かく検出して、本当にクルマを停止する意志があるのか。あるいは、もっと低い速度になってからエンジンを止めるかどうかを判断する……というようなセンシングを行なうモデルもある。しかし、スズキは上記のように割り切っている。

さて、試乗中のクルマが信号で止まった。青に変わったので、ブレーキを緩めると、エンジンの再始動である。「S-エネチャージ」は、この時にスターターを回さず、代わりに「ISG」がその役をする。これはエンジンのクランクシャフトとベルト(とプーリー)でつながっている。エンジンスタート時の「キュルル……」という音は、スターターのギヤが「噛み込む」際の音だが、それが発生しない。

この再始動は、相当に違う。「S-エネチャージ」は、ベルトとプーリーの作動によって始動するというが、たしかに音がしない。無音とまでは言わないが、音はとにかく小さい。これなら、混雑した市街地などで頻繁に「エンジン停止 → 再始動」を繰り返したとしても、ほとんど気にならないと思う。

これはごく個人的な意見だが、私はアイドリング・ストップでエンジンが「オン/オフ」することを、どっちかといえば、煩わしいと感じるタイプだ。停止時にエンジンを回しておくことはない、それはガソリンのムダだとアタマでは思うが、せっかくクルマが停まって、クルマもキモチも落ち着いたという状況なのに、ブレーキ・ペダルのちょっとした動きで(スターターが作動して)エンジンが「オン/オフ」する。これが気になってしまう時がある。

でも、この「ISG」によるエンジン・スタートなら、その作動が“神経”まで届くことがなかった。始動時に、音が(ほとんど)聞こえないし、振動も感じないから、エンジンが「オン/オフ」することにクレームを付ける気にならない。もちろん上級車や高価車で、そんな「オン/オフ」をひそかにやってくれるモデルはある。しかしコンパクト・クラスで、この「ISG」による再スタートのように、気にならないレベルでそれを行なってくれるモデルは極めて稀だ。

そして、もうひとつ加わった新機能であるモーターによるアシストだが、この設定がなかなかすごい! 何と、ドライバーにはまったくわからないように“まとめて”いるからだ。「S-エネチャージ」は、加速時には電動によるパワーが加わると記したが、その際に、すかさず、ガソリンエンジンの出力を絞っている。つまり、電動によって増えたパワーだが、それを一瞬たりとも「速さ」や「レスポンスのよさ」などには使わず、ただただ、省エネだけに用いる。これはまた、見事な徹底ぶりである。

聞けば、セッティングとしては、このアディショナル・モーター・パワーが発揮されるのは、時間にして6秒間がマックス(最大)だという。つまり、すぐにやめてしまうという見方もできるが、一方で、3秒が経過すれば、また6秒間の“電動パワー”の恩恵を受けられる。

ともかく、この“電動パワー”の付加は、ひたすら隠してある。おそらく、どうすれば、電動分のパワーが増えたのに、それを目立たなくして、全体的にパワーの出方を滑らかにするか。この問題にセットアップを集中したのだと思う。だから、電動によるパワーが増えたことは、ドライバーは、まず体感できない。しかし、それでいいのだ!……としたところに、スズキの気概を見る。そして、その徹底した省燃費志向に拍手を贈る。

この「S-エネチャージ」というシステムは、もちろん、ワゴンRだけに特化したものではない。軽自動車であれば、他のモデルにもこのシステムは装着可能だと、スズキ側も言明している。

「電動」というコンセプトや方式が一般のクルマにも搭載できる今日だからこそ、どのくらいの範囲で、クルマを「電動化」するかが逆に問題になってくる。あくまでも内燃機関が主役、しかし、それにはまだ改良や、他分野のコンセプト(電動など)を取り込んで、進化・発展させていく余地がある。そんなスズキの姿勢と展望に触れたワゴンRと「S-エネチャージ」の試乗だった。

(タイトルフォトは、メーター内で、モーター・アシストが行なわれている際に示される表示。解説書より複写)
Posted at 2014/08/31 18:37:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | New Car ジャーナル | 日記
2014年08月27日 イイね!

初代シビックを語る あとがき

初代シビックを語る あとがき「初代シビックを語る」全15回をお読みいただき、ありがとうございます。

1998年にホンダ創立50周年を記念してのムック本が刊行され、その企画の一環として、初代シビックの開発を担当された木澤博司さんにお話しを伺う機会がありました。この記事は、その録音をもとに構成したものです。

こうしたインタビュー取材は、普通は記事原稿を書く材料を得るためで、その記事ができあがった後は、音声データは引き出しの中にでも仕舞われて、以後、陽の目を見ることはありません。また、雑誌やムックの一本の記事分量にはおのずと限りがあり、長いものは掲載できません。

ただ、この時の木澤さんのお話は、そのディテールというか、コメントや事実の細かい部分こそがおもしろく、埋もれさせてしまうには惜しいものでした。何かの機会に、この録音データの全体を世に出すことはできないかと、ずっと思ってきましたが、いつの間にかコンピューティングとネットの時代。ふと気づけば、web であれば、長いものでも掲載できるという状況になっていました。

* 

インタビューの場では、木澤さんは終始にこやかに、ご自身の個人史、60年代後半から70年代の始め頃の日本の自動車界と欧州の状況、そんな中から「634シビック」がどのように生まれていったかを語ってくださいました。

お話しで印象的だったことのひとつは、その時代にクルマ開発のエンジニアを海外に派遣して、そこで生活させた。そして帰国後に、その若手技術者に“場”を与え、なおかつ、権限を大幅に委譲して、彼らが「よし!」とすることを存分にやらせたメーカーがあったということです。

しかも、若手に任せたその機種は、それが失敗したら、もう「次はない」……。つまり、二輪でスタートした会社が四輪メーカーになれるかどうかの命運が懸かっていたものであったことを、さりげなく木澤さんは明かされています。でも、おそらく、だからこそ!……だったのでしょうね。旧世代は見守るだけにして、30代の若造たちに思うがままの開発をさせる。こんな英断を、この時メーカーは行なっていました。

そして、もうひとつの感銘──。それは、「オヤジさん」だったり「お父さん」だったり、表現はいろいろでしたが、木澤さんが「本田宗一郎」の人と行動を言葉にされる際の嬉しそうな表情です。人が人(他人)を語る時に、ここまで楽しそうに語れるものなのか! そんな羨ましさと軽い“嫉妬心”さえ覚えるほどの、それは素晴らしい笑顔でありました。

「お父さん」と意見が違ったり、激しく言い合ったりというのも、それはあくまで、深い尊敬と信頼があってのこと。そして、(木澤のこのクルマには、俺は口は出さないぞ……)という、この時の宗一郎さんの姿勢も見事であったと思います。

木澤さんは、残念ながら2007年に故人となられました。私が最後にお目にかかったのは、その数年前、鈴鹿サーキットの観覧席でした。メディアとメーカー関係者合同のF1観戦会が当時行なわれていましたが、木澤さんは、私の数列後ろの席に座っておられました。私が観客席全体の様子を見ようと、何気なく振り向いた際に目が合い、(あ……!)という感じで目礼を差し上げたのが、私にとっての最後の機会となりました。インタビュー時と同じ穏やかな笑顔でいらしたことを、よく憶えています。彼岸のどこかで、ふたたびお会いすることがありましたら、今度はシビックだけでなく、初代アコードのお話しも聞かせてください。合掌。
2014年08月25日 イイね!

初代シビックを語る 《15》(最終回)

初代シビックを語る 《15》(最終回) ~ シビック開発担当 木澤博司氏 ロング・インタビュー

第15回 海外体験と初代シビック

----歴史の「if」はあまり意味がないことですが、もし木澤さんの、あの1年間のロンドン体験がなかったら、「初代シビック」は、ああなっていなかったでしょうか?

木澤 ヨーロッパ体験があったから、非常に細かいところでの味付けや仕様の決定を、自信をもってできた。そのことは言えます。でも、コンセプトそのものは、オール・ホンダ含めて、研究所の中に、みんなが乗れるクルマを作りたいというものが、あの頃すでに、できあがっていた。それを、なぜか(私が)LPLをやらされて……。

ただ、だめなものはだめ、いいものはいいというように、非常に正確に判断ができて、決めていくことができたのは、ヨーロッパの体験が生きたとは思ってます。

正直言って久米さんなんかも、クルマをそんなにわかっている人じゃないし、二輪やレースをやってきた人ですからね。普通の「街用」のクルマというのはこんなものだよというのを、自信を持って、ぼくは旗を振れた。そういうことはあったと思います。

----「シビック」のコンセプト、その出処は研究所の中から?

木澤 そうです。ただ、その後もずっとホンダの四輪、「アコード」をやり「プレリュード」をやり、そのあとも、それこそ「オデッセイ」の前ぐらいまでやってきて、“生活の中でのクルマ”のあり方みたいなものは、自分の中でひとつ、(ヨーロッパ体験が)大きなエポックになっていたんだろうなと思います。

後年に、ヨーロッパの研究所の社長になって、4年半ばかりドイツにいたことも含めて、いまのぼくのクルマの知識というのは、そういうところから学んだものですね。

あと、アメリカを知ったのも……。(シビックのための)テストとか、「シビックCVCC」(の開発)で半年ぐらいフォードの中にいて。アメリカもそういう意味では知ることになった。

クルマというのは、いまは日本だ、アメリカだ、ヨーロッパだ……というのはなくなってきましたけれども。でも、まだホンダが四輪をやり始めてしばらく、中間期ぐらいまでの間というのは、アメリカ、ヨーロッパみたいな(外の)世界を見てきたことは、かなり勉強になっていたという気はします。

たとえばフォードで学んだのは、当時排気ガス規制が厳しくなってきていましたが、CVCCというのは、初期のものは非常に「ドライバビリティ」が悪かった。

「ドライバビリティ」というのは、クルマにとってどんなものか。それについての非常に細かなテスト・プロシージャーを持っていて、それに基づいて(開発を)やっていたのがアメリカだったし。それから、EPA(アメリカ環境保護局)の耐久(試験)だとか、排気ガスの劣化だとかいうようなことも、アメリカは日本よりもかなり進んでいました。

結果として排ガス規制の場合は、アメリカより日本のほうが最終的には(規制値が)上回って、燃費にしても(日本が)クリアしていったけれども、そのプロシージャー(所定の手順)だったり、考え方みたいなものは、アメリカの方がはるかに進んでいた。これは事実です。

こっちがCVCCをやっている頃には、アメリカではすでに「ドライバビリティ」の評価のプロシージャーがちゃんとありましたからね。これも、ぼくのクルマ人生の中で勉強になったことのひとつです。

----たしかに、「ドライバビリティ」っていまだに日本語になっていない?

木澤 なってないですね。(でも当時のフォードには)「ドライバビリティ何点」だとか、どういうクルーズをしながら、アクセルをどのぐらい開くか、そのときにサージングをどのぐらい起こせば何点であるとか。そういう細かい評価基準はすでにできていました。

----もし日本語に訳すと何でしょう、運転性みたいなものですか?

木澤 運転性というと広くなりすぎる。

----エンジンだけのことじゃないですしね。

木澤 ええ、エンジンだけじゃないです。マウント系も入っています。(要するに)「過渡現象」でしょうか。(単なる)アクセル・レスポンスとも違うんですよね。アクセルに対応する過渡現象みたいな、そういうようにしか言えないのではないですか。アクセルワークに対する過渡現象、クルマの挙動というか、そういう風なことですね。

----ドライバビリティはともかく、シビックについては、今日はいろいろ謎が解けました。どうもありがとうございました。

(了)
2014年08月25日 イイね!

初代シビックを語る 《14》

 ~ シビック開発担当 木澤博司氏 ロング・インタビュー

第14回 30代の技術者が30代のカスタマーのために

----発表は、72年の秋でしたか。

木澤 発表は7月だったと思います。これもひとつ、エピソードがあるのだけれども、それこそ営業は(実車の)末端まで見るのは、発表会の寸前だったんです。

発表会は箱根でやりました。結果を、ぼくは箱根から直行して、うまくいったなと思いながら、研究所に戻って、心配していた(はずの)鈴木さんに報告しないで、次の朝、報告すればいいやと、そのまま家へ帰ってしまった。そしたら(研究所に)木澤が帰ってこないけれども、どうしたんだと。心配して、鈴木さんが研究所で待ってたと、あとで聞きました。

----マーケットの反応ですけど、おそらく、嬉しい誤算だったように思うのですが?

木澤 そうですね。売れるとは思ってたけれども、あんなにスンナリと受け入れてくれるとは思わなかったです。とくに、ジャーナリズムの方が大変褒めてくださって。そうなるだろうと、そういう気持ちはありましたけどね。自信はあったけれど、ジャーナリズムの方がみんな応援してくれて……。

あの時代(1973年)に“エナジー・クライシス”(第一次石油危機)も来たりして、それとなくシビックに乗っているやつは利口なんだという雰囲気を皆さんにつくっていただいたものですから。

----ジャーナリズムというよりは、やはりマーケットそのものの反応だと思いますけれど。そんなに影響力ないですよ。でも、当時は少しはあったかな(笑)。

木澤 ありましたよ(笑)。

----70年代は、カスタマー自身の自動車体験がまだ少なかった頃だと思います。各人の体感や実感でというより、アタマで(知識として)情報を得るという時代。そういう意味では……。

木澤 一番よかったのは、当時は、そこそこ年配で収入の高い方は、それこそ「白いクラウン」とやっておられた頃ですからね。ところが、そうであるのに、かなり年配の方もあれ(シビック)に抵抗を感じずに乗ってくれる。そういう雰囲気が(マーケットに)でき上がってきた。それが一番嬉しかったですね。「おまえ、クルマがわかってるな」という風に思われたいから、あのクルマに乗るみたいな……。

実際には、いろいろ辛抱しながら乗っておられる部分もあったと思うんですよ。あのクルマは、オジサンには辛かったはずなんです(笑)。

ぼくらにとっては、ちょうど“その世代”で、あれ(シビック)は一番乗るのに適したクルマだった。家族構成も子ども2人で、まだ働き盛りみたいな感じだったから、ちょうどよかったですけど。

あのクルマでは、それこそ六本木でも銀座でも、平気で、みすぼらしくなく乗って行けるという雰囲気があって、それを、年配の人もそういう風に受け取ってくださった。そんな雰囲気が(市場に)できあがっていったのが、あのクルマの成功の因だったと思いますね。

----初代「シビック」は、30代による、30代のためのクルマ?

木澤 ええ、まったくそうなんです。そのために作ったクルマです。

----開発のスタッフも、まさに?

木澤 そうです。ぼくらより2つぐらい上までがいて、いま、ここ(研究所)の専務をやっている下島さんがPLでは一番若かった。それで「カー・オブ・ザ・イヤー」、これは当時の『モーターファン』がやっていましたが、そのときに表彰のアレ(トロフィーなど)を取りに行くのに、「一番若いんだから、おまえ行け」と言ったのを憶えています。

----できあがったクルマでは、宗一郎さんがトランク付きの仕様にお乗りになっていたということですよね?

木澤 ええ。「シビック」には、かなり乗っておられました。あの人(宗一郎)のクルマは、ガタガタ音がしたりするのはあまり気にしないのですが、“こもり音”を気にされるんです。シビックは(時速)100キロ、120キロぐらいになると、こもり音がゴーッと鳴ります。「シビック」に限らず、当時のクルマというのは、かなり……。いまに比べれば、レベル低いから。

それで、年を取ってくるとおっしゃることは決まってまして、ひとつは“こもり音”。低周波(の音)です。年取ってくると、低周波がだんだん障害になって、低周波音が聞こえるようになってくる。カタカタいう音とか高周波の音は、あまり気にならない。これは、年齢的な人間の耳の特性なんですね。音圧の高いゴーッとくる音だけは、極端にいうと音がなくても感じる。

それから、乗り心地にはものすごくうるさかったです。(宗一郎専用の)シビックで苦労したのは乗り心地でして……。一方、操縦性は言わないものですから、フカフカのクルマにしてあげた。“おやじさん”(宗一郎)のクルマは、いつも特殊仕様なんです。いつも(基準車とは)変えていた。バネもダンパーもフカフカにする。こんなフワフワのクルマに乗ったら船酔いするよ、というようなクルマがお気に入りで(笑)。

乗り心地に関しては「S600」「S800」の頃からうるさく(きびしく)なったですね。ちょっと乗り心地に関しては、年齢より早くからうるさかった。ぼくは当時(おやじさんが)うるさく言ってた年齢にすでに達しているけど、ぼくはいまでも、乗り心地よりハンドリングの方が気になります。……“お父さん”、乗り心地(の評価は)うるさかった(きびしかった)なあ! 「おまえら、サルみたいなケツしてるんだろう」なんて、よく怒られました(笑)

(つづく) (収録:1998年春)
2014年08月24日 イイね!

シュアにして快なハンドリング、ゴルフGTIのジャーマン・マジック

シュアにして快なハンドリング、ゴルフGTIのジャーマン・マジック§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection

「なんて乗りやすいクルマなのぉ!」と、マニュアル・シフト嫌いのギャルは叫んだ。「こいつは、悔しいくらいによく走る!」と、新中年はうめいた。「これ、いままで乗ったクルマでイチバン楽ぅ」とギャルは喜び、「なんて速い足をしてるんだ、このクルマは!」と、ワインディング路を駆けながら、新中年は感嘆した。

誰にでも乗れる扱いやすさと、その気になれば、いくらでもスポーティに攻め込める性能を持ったニューモデル……。これは頻繁に用いられるクルマ批評用語のひとつで、むしろ、そのようではない高性能車は昨今は存在しないと言った方が正解に近いかもしれない。そして本稿も、その月並みなフレーズの域を出ないわけだが、ただ、ちょっと待ってほしい。同じ批評軸でも、そこには自ずとレベルとランクがある。あまた存在するその種のクルマの中でも、Aランク、いや特Aなのがコイツなのだ。

冒頭の二人に話を戻すなら、ギャルは、オートマチックの特典をフルに活用してクルマと関わることを旨とし、“ギヤ付き”という不粋きわまる言葉でマニュアル・シフト車を忌み、避ける、現代のフツー少女である。

一方の新中年はといえば、30代後半らしく、クルマにはなかなかのスレッカラシであり、と同時に、クルマ(とくに日本車)のハード面での成長とともに年齢を重ねた世代に特有の、クルマに実質的な性能の多寡を求める志向を持つ。いわば、良いものコンプレックスであり、しかもこれまたフツー中年であるから、リーズナブルな価格であることも必須。また、普通の人はかつて、クルマなんか持てなかったことを憶えている世代でもある。

こういう二人、つまりは2タイプを同時に、かつ高度なレベルで驚嘆させるクルマというのは、そう滅多にあるものではない。
「ギヤ付きでも、これなら買ってもいいわぁ……」
「369万円(東京標準)は高価ではないよ、なあ!」

この新16バルブ、すなわち“シクスティーン・ヴィー”を、ジャーマン・スーパーマジックであると言ったら、ほめ過ぎであろうか!? 

フォルクスワーゲン・ゴルフGTI/16バルブ。大トルクにして、高回転まで何のストレスもなく吹け上がるエンジンと、精緻にセットアップされた、快にして運動性に優れる足との組み合わせの魅力は、かくの如きものだ。大したクルマであると思う……。VWに敬意を表するとともに、この素晴らしき“シクスティーン・ヴィー”の87年輸入台数は、たった200台であることもお知らせしておく。

筆者としては、さらにこの仕様の「右ハンドル」版、それをこそ待望するが、これはあまりにワガママ過ぎる注文なのだろうか。

(1987/03/17)

○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
フォルクスワーゲン・ゴルフGTI16V(87年~  )
◆ゴルフ&ジェッタのGT系は「速さ」というファクターが加わり、つまり走って“おもしろい”ために、非・静粛性や無骨なデザインなどの欠点を覆い隠してしまうことが多い。(つまり、評者が嬉しがって「プラス査定」をしてしまうわけです)そしてその両車であれば、2ボックス版であるゴルフの方が、やはり運動性ではジェッタより優れており、ゴルフGTIは居住性が十分なスポーツ車というべき走りを示す。本コラムを、ほめ過ぎであるとはいまでも思わないが、しかし、価格との見合いは大いに検討・熟慮されて然るべきとサジェッションする。

○2014年のための注釈的メモ
「200台限定」というカタチですけど、ようやく、話題のモデルを日本市場に持って来ることができました!……というのが輸入元のスタンス。一方、現車があって乗れるんだったら、一日でも早く乗せてくれ!……というのがメディア側の要求。両者の姿勢と思惑が一致して、クルマが仮ナンバー状態であっても試乗会が行なわれた。これが80年代輸入車市場の状況だった。たぶん自動車専門誌は、ナンバープレート枠に装着する「誌名」のプレートを用意していたはず。だが、本コラムを掲載していた一般週刊誌『漫画アクション』にそんな洒落たものはなく、仮ナンバーがそのまま撮影されて誌面になった。(「左ハンドル」問題は長くなるので、ここでは書かない)
Posted at 2014/08/24 14:52:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 80年代こんなコラムを | 日記
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「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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