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家村浩明のブログ一覧

2015年01月22日 イイね!

素晴らしき父とその娘 ~ 映画『アラバマ物語』 《1》

その1 農夫は荷馬車でやって来た 

少女の鼻歌のようなものが聞こえ、それに乗せてガラクタ箱が開かれる。そして、この箱の中の景色がタイトル・クレジットの背景となる。そこにまず「グレゴリー・ペック」の文字が出る。

さらに、箱の中。二つの人形、古びた鉛筆やクレヨン。そして、突起物の上に紙を置き、そこでクレヨンを動かしていくという子どもの遊びが始まる。その紙に浮き出した文字は──

「 TO KILL A MOCKIGBIRD  」(モノマネ鳥を殺すには)

そして懐中時計、転がるビー玉など、ガラクタ箱の中のものが映し出される。そして、子どもの手が動いて、鳥の絵を描き始めた。そこに、クレジット。

メアリー・バダム as スコット 
フィリップ・アルフォード as ジェム 

こんな“吸引力”のあるオープニングの次は、鳥の声とともに、強い陽射しに曝された静かな町の光景。そこに被る、女声のナレーション──。
「1932年、メイカムは寂しく、古ぼけた町になっていた」
(メイカムは、物語の舞台となる架空の地域の名)

さらに「その年は暑かった」とナレーションが続くと、一台の馬車がやって来る。……といってもリッチな馬車ではなく、荷車を一頭の小さな馬(ロバだろうか)がヨチヨチと引っ張っている代物。それが停まると、乗って来た中年の男が荷台から何かを下ろす。

女声のナレーションは続く。「町民には急ぎの用事はなく、どこかへ何かを買いに行くこともなく、そもそも、彼らにそんなおカネもなかった」「このメイカム・カウンティには、恐ろしいことは何もなかった。ただ、“恐れを恐れる”こと以外には」

「そして、その夏。私は6歳だった」……

荷馬車を停めた男が、ある家に向かって行く。庭に吊るしてある古タイヤをブランコのようにして遊んでいた少女が、男に声をかけた。(この少女が「6歳の私」なのか)
「カニンガムさん。パパはいま支度中だから、呼んでくるわ」
少女が父を呼ぶ。「アティカス!」

ネクタイをした紳士がドアから出て来た。ベストも着ていて、三つ揃いのスーツ姿。(演ずるはグレゴリー・ペック)訪ねてきた農夫は、「おはよう、フィンチさん」と挨拶しながら、“アティカス”に、ヒッコリーの実が入った麻袋を手渡した。「先週のコラードも美味しかった」と礼を言うフィンチ氏。

農夫カニンガムはそれだけで、すぐにフィンチ家を辞した。残された二人、父と娘が会話する。
父「スカウト、今度カニンガムさんが来たときには、父さんを呼ばない方がいいな」
言われて不思議がる娘スカウトに、「恐縮させたくないんだ」と、父アティカスが言った。

しかし、少女スカウトは突っ込んでくる。
娘「あの人は、なぜ、作物を持ってくるの?」
父「あれは、彼なりの“支払い”なんだ。私がしてあげた仕事に対するね」「彼はおカネを持ってない」
娘「カニンガムさんは、貧乏なの?」
父「そうだ」
娘「私たちは?」
父「私たちも、同じだ」
娘「あの人と同じくらい?」
父「そこまでじゃない。彼は農家で、恐慌がひどく彼を襲った」

……素晴らしい導入だと思う。ここまでの数分で、物語の舞台、登場人物、父と娘の関係など、いろいろなことが見える。これから先に向けての展開(伏線)も、おそらく盛り込まれている。

たとえば、父と娘。6歳だという少女は、大人の世界を観察したくてたまらず、父もまた、少女のそんな好奇心を大切にしているようだ。そして娘は父を、ダディとは呼ばずに「アティカス」と言っている。これはフィンチ氏のファーストネームなのだろう。

その父、アティカス・フィンチは、その時に学ぶべきことを、その場で、娘に話している。「カニンガムさんは、農作物は私にだけ、そっと渡して帰りたいのかもしれない。そういうことも、ちょっと考えてみるといいな」「彼は貧乏だが、しかし、それは私たちも同じことだ」……

物語の舞台は、暑い夏の小さな町。貧しい農夫が足として使っているのは、粗末な荷馬車。1929年大恐慌後のアメリカ。その南部は、これで見るように、まだまだ“馬車の時代”だったのだろうか。それとも、30年代にこれだけ馬車が使われているということで、アメリカの常識なら、ここが東部や西海岸ではなく「南部」であることが知れるのか。

(つづく)
Posted at 2015/01/22 13:06:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマから映画を見る | 日記
2015年01月20日 イイね!

小さなセダン、ソシアルは2ボックス時代への挽歌か?

小さなセダン、ソシアルは2ボックス時代への挽歌か?§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection

わがクルマ・マーケットで、おもしろいポジションを得そうなモデルが出現した。シャレード・ソシアルである。2ドア+ハッチバック(3ドア)の代表のようなあのシャレードを、何と4ドア・セダンにしつらえたもので、そうでありながらも、全長は4mを超えない。写真では比較するものがないので実感しにくいかもしれないが、実車はいわばセダンのミニチュアのようであり、なかなかに可愛い。

2ボックス+トランク。リヤの車室まではまったくハッチバック車と同じで、それを3ボックス化するというのは、初代VWジェッタと同じ手法。それでいて、かつてのジェッタのような、いかにも(トランクを)取って付けた感じがないのがシャレード・ソシアルの注目点だが、聞けば、現行シャレードのプランニング時点で、3ドア/5ドアと並行して、この4ドア/3ボックス・セダンも(企画として)存在していたのだという。

そう言われたせいではないが、あらためて現車を見ると、シャレードはこの4ドア版がオリジナルで、3ドア/5ドア・モデルはここからトランクを取り去った……とも見えるのは、このソシアルの造形的な成功を意味するものだろう。

このようなレベルのクルマで、つまり、小っちゃなリッター・カー級のコンパクト車で、果たして、3ボックス・セダンが要るのか? この一種サベツ的な懸念をダイハツの社内段階でなかなかクリアできなかったために、このモデルは今日まで陽の目を見なかったというが、何をくだらん“自主規制”を……と、ぼくは言いたい。

この国の自動車マーケットは、80年代以降、何を出しても許されるマーケット。あるいは、何が売れるかわからんという「包容性」と「視界不良」の時代に入っているのだ。FFファミリア、ソアラ、プレリュード、みんな作ってる側がヒットとニーズを読めなかった製品ばかりではないか。(この点、わが軽自動車界のフットワークの軽さと、マーケット創造能力というのは、実にビビッドでアクティブだ)ソアラと同様に、こんなモノなかったから……という一点で、もう、このシャレード・ソシアルは意味があるのだ。

ぼくはこの国のクルマ市場が持つ、そんな「包容性」と「視界不良」を考える時だけは、いわれるところの“カネ余り現象”をちょっぴり信じる気になれる。みんなと同じだからとして売れるモノ(マークⅡ)がある一方で、「差異性」というだけでハンランしてしまうクルマがいくつかあるからだ。昨今の“外車ブーム”というのも、実はこういう内容なのではないか。

そしてもうひとつ、ヒット商品に付きものであるハード的な性能はきちんと備えてあることという要件でも、このシャレード・ソシアルは十分なものがある。ただカワイイだけであった初代シティとは違うのだ。良い意味での“重量感のある”乗り心地、好フィールのドライバビリティ、攻めてもよく粘るサスペンションなどがそれである。だいたいシャレードのシャシーというのは、ソシアルに限らず、2ボックス版でもなかなかのスグレモノであり、買われたあとのクチコミ段階で失速してしまうような水準ではないのだった。

……まァたしかに、いまは小っちゃなクルマへのニーズが減っている傾向にはあり、その点では、このソシアルの前途もきびしいものがありそうだ。しかし、ハードの面でも、またソフト的な意味でも、シャレード・ソシアルは決して恐る恐る売ってみるようなシロモノではないと言いたい。

たとえば軽自動車からステップアップして、何か新しいクルマを……と物色しているような時。カローラやサニー、ファミリアは「大衆車」として、あまりにも大きくなりすぎたし、気軽さも失われてるし……という時。あるいは、フッとクルマというものに醒めて、簡潔さや適度さといった言葉や要素が愛おしく思える時──。そんな時に、このシャレード・ソシアルは選ばれると思うのだが。

(1989/05/09)

○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
シャレード・ソシアル(89年3月~  )
◆これは売れそうだとか、これはダメでしょうとか、その種のことは、本当にうっかり語れない時代だ。メーカーやジャーナリズムよりマーケットの方がずっと先を行っているというか、フリーであるというか、ともかく大胆である。こんな状況に、作って売るのに四年近くもかかるような製品(クルマ)で対抗しようというのは、まことに困難であるとも思う。一方で、単なる「新しさ」だけでは、すぐに風化する。欧州車を選ぶ理由として、「はじめから古いから」という説を成す人がいるが、こういう“戦線離脱”も理解できるというものだ。

○2015年のための注釈的メモ
いま読み返すとこのコラムは、タイトルでは「挽歌」と言いかけているものの、内容としては、小さな3ボックスにひたすらエールを送っている気配だ。60~70年代の「乗用車こそ3ボックス」という時代にクルマ・ウォッチを始めた世代としては、それに拘りすぎることのないようにという意識があり、90年代に向けての読みも含めて、ソシアルには「挽歌」という言葉を贈ったようだ。とはいえ、この3ボックス造型はけっこう息が長く、2010年代になっても、あるサイズ以上のクルマでは好んで用いられている。ただ、SUVそして「クロスオーバー」という概念が出現している今日、2020年代あたりの日本市場では、一部の例外を除いて、3ボックスは「クロスオーバー」に溶けてしまって見えなくなるのではないかと思う。
Posted at 2015/01/20 20:52:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 80年代こんなコラムを | 日記
2015年01月18日 イイね!

ヘビー・デューティ・ビークルは街をめざす──ハイラックス・サーフ

ヘビー・デューティ・ビークルは街をめざす──ハイラックス・サーフ§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection

いわゆる乗用車は、割りと簡単に「クルマ」としての能力を奪われてしまう。状況に対して、けっこうモロい。たとえば、雪、マッド、大きなデコボコ、あるいはちょっとした段差。これらによって、普通のクルマはすぐに動けなくなる。もしくは、何らかの対策(チェーンなど)をすることを余儀なくされる。

クルマというものが、自由に行動できることによってその魅力を発揮するのであるなら、この意外なモロさは耐え難い。クルマを使う楽しみは、よく整備された道路があることによってのみ、はじめてもたらされるのだ……というのも情けないし、何だかつまらない。

そういう実態あるいは事実に気づくと、ジープ風というか、パジェロみたいのというか、路面を問わずに走れるような、その種のヘビー・デューティ・ビークルが浮上してくるのだが、いかんせん、乗用車に慣れた目と身体にとっては、これらのクルマは文字通りに“ヘビー”であり過ぎた。

ミリタリー四駆と呼ぶ業界での分類もあるようだが、その通りに、オフロードという状況に対しても戦闘的なビークルであって、その分、街なかでは見事に浮いて見える。もちろん一部の人にとっては、そうやって街にはミスマッチであることが価値ありということになっていた。西部劇でいえば、慣れない街へやって来たカウボーイ。そんな趣が、逆に愛されてもいた。

……というのが数年前までの状況だったが、少しずつ、その種のクルマの使われ方を見てきたメーカー側は、“馬”の仕様を「街」に寄せはじめた。ニッサン・テラノ、スズキ・エスクード、このあたりの商品は、明らかにタウン・ユースを大きな目的にしている。エスクードの担当者のひとりは、「このクルマは、四駆として使われることがなくてもいいんだ」という発言をして、その時代認識を披露したものだ。

荒野から市街へ──。トヨタの新しいオフロード車……というかその種のクルマであるハイラックス・サーフも、また、その近年の流れに着実に乗っている。ミリタリーの匂いがないネーミングそのままに、走っても、静かでなめらかな乗り心地を示す。

その乗用車としての出来は、車重を利しての重量感では小さな大衆車クラスをしのぎ、また、室内の遮音性についても同様で、つまり、けっこう良いのだ。オンロード走行での細かな(振れ幅の小さい)振動を、コイル・スプリングによる新サスペンションがよく吸収し、この種のクルマとしては例外的に、その乗り心地はシルキー(!)である。ことにガソリンエンジン搭載バージョンはパワーもあり、レスポンスも良くて、走りの性能は十分以上だ。

ここまで来ると、コーナリング時のロールをもう少し押さえ込みたいとか、クラッチの踏力とステアリングの重さのバランスをもう少しチューニングしたいとか、批評用語がほとんど乗用車のそれになってしまうほど。

筆者はオフロード・テスターではないので、荒野におけるこのクルマの価値を云々はできないし、その機会もなかったが、ちょっぴり試したところによれば、穴ぼこや凹凸に対しても、けっこうガツンとはならず、ここでもサーフは十分な“シルキーさ”を保っていた。

さらに言うと、このサーフのシートは、形状、大きさ、身体全体のホールド性など、実に優れたもので、これまた、ヘタな乗用車を大きく上回る水準にある。これは特筆すべきシートだ。……というわけで、クルマ業界はやっぱりゲンキ! こうしてカテゴリー間の垣根は着々と壊され、隙間も敢然と埋められていく。

願わくば、この種のクルマが、そのエレンガンとな今日的機能に見合った、ジェントルな使われ方がなされることを、切に願う。クルマがタフであるからこそ、他者や他車への配慮がほしいと念ずる。現状を考察すれば、たとえば渋滞してしまった高速道路の路肩を傍若無人にブイブイと走り去っていくのは、目隠しをしたベンツかこの種のオフロード車だという事例が圧倒的に多い。強者こそ耐えよ、である。

(1989/02/21)

○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
ハイラックス・サーフ(89年5月~  )
◆この種の、一般乗用車を物理的に見下ろせるようなクルマで走っていると、気をつけないと本気でヤバい。筆者のような愚か者は、メンタルな面でどんどん横暴に、また、何でもできる感じになっていくのだ。頑丈なバンパー、壊れるのはオレじゃないぜ……。まあそれはさておき、90年代、この種のクルマは新種の乗用車として、どんどん柔軟化への方向へイメージを振るだろう。あのランドクルーザーでさえ、ミリタリー臭さを'89モデルから、すっぱりと脱ぎ捨てたのだから。

○2015年のための注釈的メモ
1989年時点では、サーフみたいなモデルには、ヘビー・デューティとか「この種の……」といった表現をするしかなかった。「SUV」という語が(「ミニバン」とともに)わが国に入ってきたのは、ここから数年後の90年代の半ばであったからだ。この用語の説明を始めてしまうと、ちょっと長くなるのだが、まずこれは、単語としては「スポーツ・ユーティリティ・ビークル」の略。そしてアメリカでは、乗用車(=パセンジャー・カー)と、トラックやバンや商用車などの乗用車以外、こういう大きな分け方がまずあったこと。

ゆえに、ジープ・タイプにしてもオフローダーにしても、まず最初に、パセンジャー・カー以外というその他のビークルに分類される。だが90年代になって、分類としては非・乗用車でありながら、コーナリングひとつを取っても乗用車並みの運動性(スポーツ性)を持つ多目的車が出現し始めた。具体的には、ジープをラインナップに持つクライスラー社から登場したチェロキーだが、このチェロキーのようなタイプを何とか新たに分類できないものか。

そこから、そもそも非パセンジャー・カーで、属性としてはユーティリティ・ビークルだが、しかし乗用車並みにスポーティに走れる。そういう新種のクルマを「スポーツ・ユーティリティ・ビークル」と呼ぼうではないか。……このようにして、この「SUV」が新語として採用されたと、私はかつて学習した。ちなみに、同じく90年代半ばに登場したクライスラー・ボイジャーが、それまでにあった米国の(巨大な)バンより、はるかに小さくてコンパクトなバンであったため、これは「ミニバン」と呼ぶしかないと、ここでも新しい分類と新語が生まれたと聞く。
Posted at 2015/01/18 18:13:11 | コメント(1) | トラックバック(0) | 80年代こんなコラムを | 日記
2015年01月17日 イイね!

FR消滅せず! シルビアを超えたしなやかさ──180SX

FR消滅せず! シルビアを超えたしなやかさ──180SX§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection

ニッサン・シルビアは、「FR」という駆動方式を復権させたという意味で、やはり画期的なモデルであったと改めて思う。

……いや、この言い方は正確ではないか。シルビアというクルマが操縦感覚において、人の心身を気持ちよくそそることに大いに成功した。その際に用いられたハードウェア上での作戦のひとつが駆動方式の選択である。しかし、それはむしろ出発点で、「シルビアのよろこび」を生んだ功績のすべてが「FR」によるものではないからだ。(だって、べつにワクワクしないFR車というのもいっぱいあるからね!)

とはいえ、よくできたFR車は大いに“走り心”をかき立てる。このことは明らかになったのであり、忘れかけていた感覚が還ってきた。「FR」は80年代末期に見事に再生した。さらには、そのような“遊びと余裕”のクルマ作りを、それも量産レベルで行なえるほどに、われらがドメスティック・カーのフトコロは深く、その力量は豊かなものがあった。このこともまた、シルビアは証明したはずだ。

もちろん今日では、見事な出来の「FFスポーツ」も、あまた存在する。FF車でも、十分にスポーツできる。しかし、クルマ(の前)に引っ張られて速く走るか、それとも、クルマの“上”というか全体に乗って、そして全身で一体となって移動するという点で、FFとFRでは、やはり感覚的に異なるというのが私見である。

FFは、「速さ」に人が随(つ)いて行く。一方FRは、その「速さ」に人が乗れて、カプセル全体の速度感に人が包まれる。またFFは、エンジン部とカプセル部に、速いFFであるほど、かすかだが或る分離感がある。端的には、FRスポーツは“腰に来る”のに対して、FFスポーツはむしろ“頭脳に来る”のだ。

さて、シルビアである。このクルマについて、作り手は頑強に「スポーツカー」と言われることを拒むのだが、その挙動の魅力は立派にスポーツであり、快にして「fun」である。むしろ、そのスポーツ性の主張が過ぎるかと思うほど。おそらく、FRルネッサンスを多くの人々に知らしめたいという作り手の戦闘意欲がこうさせたと察するが、その「FRの主張」は高らかであり、あえていえば過激でもあった。

そのシルビアから、青臭さにもつながる主張のカドを取り、反応を穏やかにして、かつ、乗り心地をずっとシルキーにする。……とは言っても、もちろん、FRスポーティ・カーという基本性格はそのままに。ニューカマー、ニッサン180SXとは、そのようなクルマである。メカニカル・コンポーネンツはシルビアと同じで、それに3ドア・クーペを被せて新パッケージとしたものだが、第二弾である180SXは、以上のように、ややマイルドにまとめられた。

これは、洗練と呼びたい。しなやかで、そして、おもしろい。そういうクルマだからだ。シルビアと同じように楽しく、そして乗り心地に粗さがない。足のポテンシャルも高い。それは硬くないだけでなく、したたかにタフでもある。

スタイリングも、ファストバック・クーペながらも、リヤ・クォーター部分のマスが大きくなることを慎重に避け、細身のシルエットになることを狙っている。たとえば、フォード・プローブのマッチョな印象とはだいぶ異なるもので、その造型はデリカシーに充ちたものだ。

この180と、そしてシルビアの、最後の弱点はおそらくシートである。インテリアのデザイン・ワークとも連動した極めてスタイリッシュなそれは、しかし、太腿やショルダーのサポート、背骨の収まり具合などに、まだまだ一考の余地がある。基本形状の、さらなる追究を望みたい。

だが、そうは言うものの、180SXの“シルキー・スポーツ”という全体としての魅力は、やはり雄弁であり、このことは忘れたくない。マイナス査定のみで、クルマを批評したくはない。

(1989/04/25)

○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
180SX(89年4月~  )
◆ファストバックとノッチバック。この二種を較べると、日本市場は圧倒的にノッチバック好きである。ヌルリとした背中を、どうも好まない歴史がある。ヒット作ソアラが、もしファストバックであったなら? ……いや、そんな愚かな選択をトヨタはしなかったし、これからもしないだろう。シルビア vs 180SXの販売面での勝負は、そのような意味では、始めからついていることになる。日本市場が何故ノッチバック好みなのかは大いにナゾなのだが、ひとつは独立したトランクの要求。そして、リヤ・クォーター部が太くて重い印象になり、いわば“風が抜けない”感じになるのを厭うのではないかと思う。
Posted at 2015/01/17 07:30:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 80年代こんなコラムを | 日記
2015年01月16日 イイね!

日本的「外車」マーケットの現状が、アウディを透して見える……

日本的「外車」マーケットの現状が、アウディを透して見える……§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection

「入門用」と呼ばれる奇妙な外国車が、この国には存在する。ひょっとしたら、それは自動車ジャーナリズムの上だけのことなのかもしれないが、ともかく一応解説めいたことをすると、この世には「外車界」とでも呼ぶべき魔界があり、それはけっこうナンギな道であるが故に、まずは「門」を叩いて、然るべく洗礼を受けねばならぬ。

そして、国産車を卒業したら……などの表現が時に見受けられるところを見ると、この魔界は、日本車を日常使用する世界の上方に、どうやら位置するらしい。さらには、その修験の道にも似たアッパー・ワールドを、すべての自動車愛好家はめざす。そのような強い確信もそこには窺えて、だからこその「入門」なのであろうと思う。

その魔界は、それほどまでに辛くて厳しいらしいことが「入門」という語に無意識に表われているようで、なかなか可笑しい。当たっているだけにキツいとも言えるし、また、モーター・ジャーナリストという種族の無意識の願望が露見している表現だとも言える。(ついでに表われているのが、これまた意識せざるところの日本車への差別である。だいたい「国産車」という言い方それ自体が、既にして差別語なのだが)

では、「入門用外車」とは、たとえば何なのか? 衆目の一致するところ、それはVWのゴルフである。よりコンパクトであっても、イタリア車やフランス車は、一応ネクスト・ステップとして除外されるようだ。

一方、「入門」と並んで、もうひとつジャーナリズムが好むのは「究極」である。代表車は、フェラーリF40を挙げれば十分だろう。これには、4500万円は高くないという、モーター・ジャーナリズムだけに通用する常識と評価さえついて回る。ここではポルシェの四駆の、911改みたいな何だっけ? アレのン億円すら、マジメな論議の対象になっていたな、そういえば。ウーン、奥深い世界じゃ。年収3000万円ぽっちじゃあ、とっても足りない。

さて、「入門」することの是非や意義は一応措いて、外国車として最も買いやすいクルマはといえば、やはりフォルクスワーゲンであろう。価格、販売の体制、サービスなどのネットワーク。これらはほぼ日本車並みというレベルであり、誰でも手を出して不安でない。(価格は、何と較べるかでどうとも言えるのだが、ともかく絶対的な数値が少ないことは事実である)

……ンで、たとえば、ワーゲンを買う。然るべき年月が経つ。次のクルマを考えたりもする、と。こうして、それなりの西独車体験をした人々の「次」。さらには、VWというクルマに説得されてしまった層への、ネクスト・ワン。

そのためのクルマとして、アウディは、もっと積極的にVWとの“連続性”を打ち出したらどうだろうか。駆動方式(FFという点では同じ)、シャシーとエンジン・パワーの関係(シャシーに勝たせる)など、クルマ作りの根っこのところは同じだし、事実としてVW/アウディは同一グループ系列。日本では、売ってる店までが同じなのだ。

VW的基本性能に静粛性と高級度を加えて、粗なる部分や、あまりの素っ気なさを取り去る。そういうクルマが実はあるんですよと、年間2万人を超えて生産され続けるVWユーザーへ向けてアピールする。だが、現状はこうではない。“兄弟”であることはむしろ隠されて、まったくの別車種として、それぞれに販売展開が成されている。聞けば、広告代理店まで違うのだという。連係プレイは、しようとしてもできないようなのだ。

VWで、せっかく多くの顧客を掴みながら……と、アウディのために余計な心配をしてしまったが、ふと、ゲンシュクな事実に思いが至った、発見をしてしまった。VWを買った人々にとっては、VWが、実は“頂点”なのではないか。外国車ワーゲンは、ひとつの到達点で、そこからヨコへは行けても、上へは行けない。ほかへ翔べる人は、そもそもVWには「入門」しない! 

販売元は、そういえば、VWの次には、どこかが新しくなったVWを同じ客には奨める、そういう売り方をしている。それでいいのだ、きっと……。(ねえ、ダンナ。クルマに200万円しか出さなかった客が、仮に三年経ったとしてですよ、いきなり400万円出す客に変われると思います? そういう給与体系になってます?)

アウディは、やはり、VWには頼らぬ商売をしなくてはなるまい。ハードとしてアッパーVWという存在であることは間違いではないが、その受け手は、そのようにはスライドしない。給与体系の外にいる人々が、たぶんアウディの客だ。ただ、そのような人々にとっては、アウディというのは、あまりに渋い。いぶし銀でありすぎる。そんな推察もできるのではないか。「入門」と「究極」の狭間で、アウディ80/90といったモデルは彷徨う……ような気がする。

そして、人、給与体系の内にいる限り、「入門」してもその次はない。この論考も、この国のモーター・ジャーナリズムには捧げたい。もうひとつ、「究極」ゴッコも、もうたくさんだ。

(1989/05/02)

○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
アウディ80/90/100(89年~  )
◆VW、アウディの輸入元とは、もちろんヤナセである。同社がカスタマーに配るPR誌の中に、オーナー登場というようなページがあるが、そこで見ると、VWの客と、アウディ/メルセデス/GM車の客との間には、深くて広い距離があることがそれとなくわかる。VWの顧客とは、要するに、VWがワン・アンド・オンリー。ようやくVW車を買いました!……という歓びと一緒に写真に映っている。一方アウディは、いっぱいクルマを持っているうちの一台として、誌面に登場する傾向にある。
Posted at 2015/01/16 13:14:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 80年代こんなコラムを | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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