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家村浩明のブログ一覧

2016年01月07日 イイね!

リヤビューの物語 《5》

リヤビューの物語 《5》続いて、2000年代。ワゴンがありバン(ミニバン)があり、SUVがあって、さらにはセダン系も健在。そんな市場とデザインの動向を、もしひと言でいうなら、それは「クロスオーバー」ということになるのではないか。20世紀に生まれたこれらのクルマのトレンドは消え去ることなく、「混淆」(クロスオーバー)のための「要素」として、それぞれがしっかり価値を主張しているようだ。

では、そんなクロスオーバーな今日、説得力と愛らしさと存在感を兼ね備えたリヤビューを持つモデルを、最後に一台挙げたい。セダンでもクーペでもなく、またバン&ワゴンでもない。しかし一方では、それらのすべてでもあるような微妙な造形の“かたまり”(マス)は、とくにリヤビューにその本領がある。

クォリティ・コンパクトの試み。軽自動車でありながら、軽規格いっぱいにクルマを企画しなかった。ゆえに造形は自由になり、デザイナーは規格にとらわれずに「線」を引けた。そして、居住性と乗降性に優れる「トール造形」という時代性を採り入れることも忘れていない。

こうしたコンセプトで、日本独自の規格である軽自動車のジャンルに新しい美学と主張をもたらした。それがスバルの『R1』である。また、期せずしてこのクルマは、日本の「軽」を拓いた富士重工/スバルによる最後の(オリジナル)軽自動車として、歴史に刻まれることにもなった。(今日でもスバル・ブランドの軽自動車は存在するが、それらはすべてダイハツ車のOEMである)

1958年にスバル360が登場した時、同じようにリヤエンジンの国民的大衆車として企画されたドイツ(当時は西独)VWが「カブトムシ」と呼ばれているのなら、日本の大衆車文化を創ろうとする、もっと小さな360ccのスバルは「テントウムシ」だと誰かが言った。この『R1』もまた、新たに「コンパクト」を再定義したという意味で“21世紀のテントウムシ”と呼ばれてもいい。

実際にクルマとしても、この『R1』はミニらしからぬ乗り心地の豊かさ、そしてドア閉まり音の重厚さなどの達成は見事であり、「クォリティ・軽」という提案はいかにも軽自動車の先駆メーカーらしい試みだった。残念ながら、商品的には「時代」よりちょっと先を行きすぎた……結果になってしまったようだが、そんな「ラスト・スバル・ミニ」への愛惜とともに、このリヤビューをめぐる一文を閉じたい。

( JA MAGAZINE 2010年 Jan vol.44 より加筆修整)

(了)
Posted at 2016/01/07 20:33:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ史探索file | 日記
2016年01月06日 イイね!

リヤビューの物語 《4》

リヤビューの物語 《4》そして、1990年代。その半ば以降の日本市場は「脱・セダン」の時代になった。カタチやレイアウトはさまざま、とにかくセダン(&クーペ)ではない格好の自動車に乗りたい。一種のバラエティ志向もあったのかもしれないが、こうした「多様化への意志」が日本マーケットを急激に覆う。そんなカスタマーの意向に呼応して、ミニバン、SUV、それらのクロスオーバーが市場に登場。さらには、セダンが新時代に対応して変形する……というように、メーカー側も動いた。

クルマは大雑把にいえばすべてが「ハコ型」になり、それまで歴史を作ってきたセダン(3ボックス/ノッチバック)やクーペが市場でマイナーになる。そしてミニバン・タイプにせよSUV風にせよ、ことリヤビューに限れば、そのほとんどが平板なテールゲートを持つため、セダンやクーペと較べれば、リヤ部分のデザイン代(しろ)は大幅に減った。

せめて……ということで、残されたリヤ・コンビランプで何か“芸”をすると、ランプだけが妙に目立つという結果にもなる。そんな時代、リヤビューはもう、かつてのような「雄弁さ」は持ち得ないのかと思い始めていた。しかし、さすがはカー・デザイナーである。「ハコの時代」に、ハコゆえのカタチも活かしつつ、大胆にしてヤンチャな提案をしたメーカーがあったのだ。

「ハコ」ゆえの新提案、それを行なったのがニッサンである。彼らは自動車のデザインにおける左右対称(シンメトリー)という根本原則を故意に無視した。クルマのデザイン史に残るであろうそのモデルが、2002年に二代目としてリニューアルしたニッサンのキューブだ。

このクルマのボディ・デザインは、ルーフに向かって「絞り込まれて」いなかった。むしろ、上に向かって拡がっているかのような印象の真四角造形だった。そして後方に回ってみた時の、もうひとつの驚き──。それは、このモデルのリヤ、その右半分と左半分の造形が同じではなかったことだ。

そして、もうひとつ。キューブの静かな主張は、自動車を「ダイナミズム」でデザインしないことだった。走っている姿こそ、あるいは、走りそうな格好が「いい」カー・デザインであり、それがダイナミック(動的)で美しい。これが欧州で行なわれ、好まれるクルマの造形とデザインのやり方だとすれば(モデルに「風」の名前を付けたがるメーカーがヨーロッパにはある)キューブはその方法を採らなかった。

むしろ、クルマが静止した状態で、そこで最も落ち着きがあって綺麗に見えるような“佇まい”を探す。そんなスタイリングでまとめたい。このクルマの場合、そうした評価軸でデザインしたものと筆者には思える。

クルマの造形、デザイン・イメージに「動的」要素を持ち込まない。これは、なかなか画期的だ。このキューブについて、ジャーナリズム側が「何だかこれって、お地蔵さんみたいだな」と、ダイナミズムに欠けたデザインについて、精一杯の悪口を書いたところ、それを知ったニッサンのデザイン部署が躍り上がって喜んだ。そんな伝説も、このキューブでは生まれた。

「静」としてのカー・デザイン。クルマの造形イメージを「動」から「静」へシフトする。この静かな主張は、日本から、あるいはアジアから「クルマ」というものを見た際に派生した、すぐれて21世紀的な新潮流であろう。

また細部では、このキューブの目立たないリヤ・コンビランプの処理に、逆にワザを見る。ボディの下部にひっそりと収まったランプ類は、もしリヤビューの新しさを主張したいなら、それは異形のランプなんかではなく、リヤビューの全体、つまりコンセプトの変革で行なうべし。このように、静かに語っているのではないか。

(つづく)

( JA MAGAZINE 2010年 Jan vol.44 より加筆修整)
Posted at 2016/01/06 20:56:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ史探索file | 日記
2016年01月06日 イイね!

リヤビューの物語 《3》

リヤビューの物語 《3》ところで、リヤビューが「いい」クルマには長く乗れる……だろうか? 体験的には、これは事実のような気がする。ただ、リヤビューが気に入らなければ、そもそもそのクルマを購入してはいないだろうから、何をどう比較するのかというのがなかなかむずかしいところではあるが。

では、リヤビューさえよければ購入に至るのかと問われれば、それはノーだ。また、いま気づいたが、クルマの売り場でカスタマーの側にリヤを向けて展示している例はない。クルマは、何よりもフロントグリル(顔)をアピールするもの。その顔が好みであって、初めて、そのクルマについての検討も始まる。

では、なぜ、リヤビューが重要なのだろうか? まずはフロントが気に入ったとしても、同時にリヤも好みでなければ、そのモデルを購入して生活をともにするには至らないこと。そして、クルマと暮らす限り、リヤビューは折りに触れて目に入ってしまう。そのたびごとに(何だかなあ……)と感じていたら、日常が楽しくない。駐車してクルマから離れる時に、ふと振り向いて、(うん、いい格好だ)とニンマリできるクルマ。こういう瞬間があれば、そのクルマには長く乗れる。

ゆえに、リヤビューも含めて、すべてが気に入ったクルマをお買いください……と、購入ガイド風には、これがアドバイスになる。映画が主役だけでは成り立たないように、そして「いい映画」は必ずいい脇役に恵まれているように、クルマもまた、リヤビューが「いい」と気持ちがいい。そのクルマをいい感じで「見続ける/使い続ける」ためにも、リヤビューとの交歓は欠かせないのだ。

さて、そんなことがわかってきたところで、リヤビュー話に戻ろう。1970年代はその初頭に、リヤビューについての新提案を行なったモデルが登場した。ホンダからデビューした初代シビック(1972年)である。デキはともかくとして、当時のヨーロッパ車がやっていたことはすべて採り入れた……とは、この初代シビック開発担当者のコメントだが、その通りに、このクルマは当時の日本車では例外的な、極めて“ヨーロッパ臭い”コンパクト車だった。

そして、商用車ではなく純粋の乗用車で(当時はこういう区別はけっこう重要だった)ありながら、このシビックには、多くのヨーロッパ車と同じようにテールゲートを持つ仕様があった。それが「3ドア」で、他のセダンのような「ノッチ」がないそのリヤの造形も人々を驚かせた。

後に「ハッチバック」と呼ばれるボディ形状を、量販車として日本マーケットに最初に示し、乗用車の新しいカタチとしてカスタマーを納得させたのは、このシビックではなかったか。このクルマが開いた日本でのハッチバック・カルチャーは、後にマツダの“赤いファミリア”の大ヒットとなって、1980年代に開花することになる。

この2車での「背中」は、やや丸っこいシビックと直線的なファミリアという違いがあったが、後ろから見た場合にキレイな“かたまり”(マス)になっているということでは、両車は共通していた。

(つづく)

( JA MAGAZINE 2010年 Jan vol.44 より加筆修整)
Posted at 2016/01/06 00:08:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ史探索file | 日記
2016年01月04日 イイね!

リヤビューの物語 《2》

リヤビューの物語 《2》そして、1950年代から60年代前半にかけては、自動車文化史上での“事件”があった。それは、当時のアメリカ車が巨大な「テールフィン」を強調するデザインであったことだ。たまたま、1960年に製作というビリー・ワイルダー監督による『アパートの鍵貸します』を見ていたら、画面の中のニューヨークのタクシーがその高い「フィン」を持っていた。プリムスあるいはダッジとおぼしき画面の中のキャブと似た造形のアメリカ車は、当時の日本の路上でも同様に、少年たちのクルマへの興味を鼓舞するかのように“棲息”していた。

高級車であるというキャデラックの「フィン」はむしろおとなしく、テールが派手ななのはダッジとかシボレーとか、比較でいえば廉価なモデルの方だった。その「フィン」の高さではダッジが勝っていたが、しかし、派手ということではシボレーも負けていなかった。1959~60年頃のシボレー・インパラは、ほとんどテールグリルとでも呼びたいような、リヤ・コンビランプを中心とする厚化粧の“顔”をリヤの全面に貼り付けていた。

その頃に少年であった世代として、この「テールフィン」による“刷り込み”が後の「リヤこだわり」を生んだのではないかといわれれば、それはそうかもしれない。また、コドモの好奇心としてクルマに関心を持ち出した時期が、ちょうどセダン、そしてクーペの時代だったということも、後の「リヤこだわり」に影響していたとも思う。

たとえば今日のようなミニバン時代では、ことリヤビューにおいてはそんなに「デザイン代(しろ)」がない。これは衆目の一致するところであろう。こういう時代に、仮にクルマに関心を持ち始めた少年少女がいても、大きなテールゲートがあるだけで比較的変化に乏しい「リヤ」にこだわるという志向は生まれないのではないか。

         *

しかし、セダンを主役とする「乗用車の時代」においては、リヤビューは雄弁であった。ルーフ、リヤウインドー、トランクルームのそれぞれで、造形的に多様な選択肢があり、それらをどう組み合わせるかということでもバラエティがあった。ルーフをどこまで、どういう形状で引っ張ってきて、その先のリヤ窓はどのくらい寝かせて、そしてそれらとトランクの出っ張り具合をどう組み合わせるか……とやっていくと、ほとんど無限に近い「解」があったはずだ。

そしてこれに、「セダンの時代」だからこそ、じゃあ「クーペはどうするんだ?」という嬉しい難題が絡んでくる。セダンである限り、実用性や日常使用における有用性といった要素をどこかで気にしなければならないが、しかしクーペであれば、それらは一切無視していい。造形として、ただただ「美学」のみを追える。そのことがデザイナーに許されていただけでなく、実はカスタマーの側でも、その種の奔放さや非・日常性の具現化をクーペには望んでいた。

日本クルマ史上における1960年代は、クルマについて作り手と受け手の間で、このような合意があった「美的な10年間」ではなかったか。そして見方を変えれば、この時期のクルマ──いや自動車は、まだまだ、見て楽しむもの。さらにいうなら、見て憧れるためのものであり、クルマを“使い倒す”などというのは、庶民にとってはまったく想像の外にあった。

そんな“憧憬の時代”に咲いた最も美しいリヤビューといえば、やはり、イタリアに生まれて日本に降臨した、この貴婦人をおいてほかにない。また、ジゥジアーロというデザイナーの作品史から見ても、このクルマの優美さと「艶っぽさ」は群を抜いていると思う。そう、あの「いすゞ117クーペ」である。

当時のフローリアン・セダン(コードネーム117)のカスタム・クーペという出自だったこのモデルは、その生産においても、手作りの部分をいくつか残していた。そのひとつが、ルーフからリヤ・クォーターに連なる、柔らかい光を持つアルミ製の長いガーニッシュである。そのパーツは生産現場では「長刀」(なぎなた)と呼ばれ、きちんと「合わせる」のが大変な大型部品として、文字通りに手のかかる難物であった。このクーペが生産ラインに一台加わると、生産の“流れ”の速度が恐ろしく遅くなった……とは、いまに残る「117伝説」のひとつである。

ただ、このクルマは、当時の言葉でいう「外車」(輸入車)並み、あるいはそれ以上に高価であった。そんな117クーペに対し、その四分の一程度の価格で、しかし造形の切れ味では決してヒケを取らないという和製のクーペがあった。それが初代サニーのクーペである。このクルマの背中が見せたシャープさと軽快さ、そしてその「潔さ」に匹敵するデザインというのは、その後もなかなか登場しなかったと思う。

(つづく)

( JA MAGAZINE 2010年 Jan vol.44 より加筆修整)
Posted at 2016/01/04 21:45:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ史探索file | 日記
2016年01月04日 イイね!

リヤビューの物語 《1》

クルマのリヤビューにはこだわりますか?……と問われて、「もちろん。クルマはリヤビューですよ。それに、リヤビューが好きなクルマというのは、長く乗れますし」と、ほとんど反射的に答えてしまったのだが、しかし、答えた後でふと気づいた。こうした「リヤこだわり」というスタンスはそんなに普遍的なものではなく、ある世代に特有なのかもしれない、と。

たとえば、「なぜリヤビューなのか」を考えてみると、その理由は、リヤビューを見る機会の方が圧倒的に多かったからであろう。では、それはなぜか。クルマ、いや当時はもっと仰々しく「自動車」といっていたが、自動車はそれを見ようとする少年の前を圧倒的な速さで走り去っていくものだったからだ。

クルマ好きの少年にとってのナマで見る自動車とは、その後ろ姿を見送ることだった。視界から消えようとする自動車を指差して、「あ、※※だ!」「そう、あれは※※だね」──。友だち同士でこんな確認をしながら、自動車のリヤビューを懸命に追った。1950年代の後半から60年代の前半にかけて、都市の幹線道路の傍らには、こういう少年たちが少なからずいたはずである。

そして、そういう少年たちは、場合によっては目を付けたその自動車を自転車で追いかけることもした。もちろん、当然ながら、いまの言葉でいうチャリでクルマに追いつくわけはなく、少年たちの努力はあっけなく無に帰す。しかし、この場合も、必死で見ていたのはやっぱり自動車の後部であった。

そして、なぜ、そんな無意味な“追っかけ”をしたかというと、幹線道路といえども(業務用以外の)自動車が走ってくるという状況がまずレアで、なかでもクルマ好き少年のココロを揺さぶるようなモデルは、道端で待機していたとしても、滅多なことでは走って来なかったからだ。

        *  

この点について、ひとつ個人的な事情を書くことを許していただくと、筆者は小学校の高学年を、東京都大田区の「環七」(環状七号線道路)に面した立地の学校で過ごした。ちなみに、筆者が10歳の時とは1957年であり、その後、12歳でその小学校を卒業するまで、同じような興味と傾向を持つ友人と一緒に、休み時間のたびに校庭に出ていた。そして、学校と「環七」を隔てている金網に顔をくっつけ、目の前の片側二車線という広い道路を自動車やオートバイが疾走するのを見ていた。

付け加えると、ここで「疾走」としたのは決して誇張ではない。当時の大田区・環七は日本でも有数の、高速で走れる“いい道路”であった。近くには国道一号線も通っており、その一号線(第二京浜と呼ばれていた)と環七は松原橋で交わっていて、それは日本で最初というインターチェンジによる立体交差になっていた。1960年頃の「環七」と「第二京浜」は、いいクルマを持っている人たちがわざわざ走りに来る、そんな“高速道路”であった(らしい)のだ。

さらに後日談を加えると、60年代後半以降のモータリゼーションの急速な発展は、すぐに、増えすぎた自動車による騒音問題を引き起こすことになった。幹線道路に面したその小学校は、一転して、その立地自体が学校にとってのネガとなる。その結果行なわれたのは、学校と「環七」とを高い壁で隔てることだった。今日でもその学校は健在だが、外(環七)側からでは、ただ“隔壁”が見えるだけ。その壁の向こう側に小学校があることを想像することは極めて困難である。

(つづく)

( JA MAGAZINE 2010年 Jan vol.44 より加筆修整)
Posted at 2016/01/04 16:31:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ史探索file | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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